宇宙へのツイッター

踏まれた足を退けることが出来るまで
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二胡 ≪詩る ~江紀行~≫ がんばり中

2016-09-29 08:08:52 | 日記
 
千斤と弦を張り替え 生まれ変わった二胡で弾いたら私が奏でる音色も 少しは良くなってるかもしれないと 私から見たら耳には長けていると思える娘に聞いてもらったところ

今までよりも 楽器そのものから音が出ている との感想

それよりも 人に聞かせるのなら 聞く側が安心して聞いていられるようでないと とのこと

それには
練習のとき 常に最初から弾くのではなく 曲の真ん中あたりから弾き始めて 最後まで弾いたら出だしに戻るという練習方法を このあと3日間くらい 続けてみたら良いのでは? とのアドバイス
身内ならではの 厳しい意見がありがたい

最初は 「さぁ」 という意気込みがあり 途中に 「中だるみ」 がある
中だるみに当たるところに 「さぁ」 の気合で以って挑むことで 「中だるみ」 を感じさせないようにするということのようだ

そうなんだぁ ・・・

すごく頑張って 最初から最後まで全力を注いでいるつもりだけど 聞く側には そんな風に聞こえることがあるなどとは考えてもみなかった



クリトリアのブルー


昨日のレッスンでは ビブラートと滑音を使う部分を決めていただき 「詩る ~江紀行~」 の演奏方法は完成

聞く人を ウットリは無理としても せめて安心して聞いていただけるように ひたすら練習あるのみ 

You Tube で ウットリの演奏を聞いていると もうやめちゃおうかって 二胡を手にするのもイヤになってしまうんだけど ね  ・・・ 



ア-ちゃんの高尾山 

2016-09-28 09:38:52 | 日記

長い 秋の長雨でした

雲は多いながらも まだ暑さが感じられる秋空が見られて 花期の長いルコウソウが楽しませてくれています


イトバルコウソウ

親子で こうも違うかと思うほど 娘は無関心なのに 隔世遺伝か 我がマゴマゴ天使のアーちゃんが 意外と植物に興味があることが判明

「ババのお家に 可愛いお花が咲いていた」 なんて言うことがあったり 学校帰りの道端で摘んだ雑草を何本か束ねて ママのオミヤゲにすることがあったりするらしい

それならば ババと山登りでもするか聞いてみたら まんざらでもなさそうなので それならば 「高尾山とか ・・・」と さらに話を進めたら

えっ! タカオサン? 

と 思案顔のアーちゃん

そしてママに コソッと 「その人 アタシ いいや」 と言ったそうで しばらく意味不明だったらしいママが 大爆笑

どうやら <タカオさん> という人と一緒に 山に登ると思ったらしい アーちゃん 


モミジバルコウソウ と イトバルコウソウ


ツクバサン か フジサン だったら こんがらがることなかったかな?

いや そんなことより 「タカオさんと一緒なら山登りしたくない」 ってことの方が問題

誰とでも 仲良くできるようにしないとね



あれから5年半の福島県

2016-09-26 09:00:43 | 日記

手賀沼の近くで暮らしていたころ 2件お隣だった仲良しさんから 故郷だという会津や蒲郡などの地名は 聞かされていました

幻想的に色変わりをすることで知られる五色沼や 野口英世の生家を旅したのは 10年位前くらいだったでしょうか

地理も歴史も苦手な私が知っていることと言えば これら ほんの僅かでしたが 5年半前の あの日から 福島県が どれほど私の目と耳に こびりついたことでしょう

それ以来 何年振りかで 福島県を訪ねる知人の車に便乗させていただき 行ってきました




危険な濃度の放射線に汚染された地域に 立ち入り禁止の柵が施され



要所要所で監視に立つ警察官の 無防備な制服が気になります



野菜畑だったでしょう空き地には 剥ぎ取って封じ込められた汚染土 



ここにも仮り置きされた 汚染土が詰まった袋は気が遠くなりそうな量です







雑草に覆われた中に 珍しいキンエノコロを見つけて 小躍りした私でしたが




「老後は このようなところで暮らしたい」 と 言うと 返ってくる友の言葉は いつも同じ 「私は都会でコンビニが近くにあるところ」

このような緑の風景を目にするたびに繰り返される 私と 旅の友との 会話

もし5年半前に ここを通っていたら きっと 同じ言葉が交わされたに違いないけど 今は もう ここで そういうことを口にすることは 有り得ません

それでも 今も ここで暮らさざるを得ない方々のお気持ちは いかばかりかと やり場のない怒りか不安かを 私には どうすることもできず 

キンエノコロの画像を 記録に留めることのできる幸運を考えさせられます 



映画 君の名は。 

2016-09-24 10:01:18 | 日記

久しぶりに 映画を見た

アニメだけど いつも読ませていただくブログ主さんの 大人にも好印象の感想が 少し前から気になっていたのだが 
「大人にも評判がいいから見に行かない?」 と 似たような噂を耳にしたらしい友からの電話で 即決 

面白くないと途中で寝てしまうことがほとんどだが <君の名は。> に関しては 「アニメなのに大人も」 という 友との共通の話題性が肝に銘じられて 寝てはなるまいと 持ち込み禁止を知りつつ バッグに潜ませた午後の紅茶で眠気を振り払い 無事に 完 

エンディングの 随分と長いテーマソングの余韻に包まれ 場内が明るくなったとき 「どうだった?」と 私に振り向いた友の顔には 疑問符がありありと

「うーん」

帰り道 まだ夕食には間があるので お茶しながら意見交換 

ヒロインが男女の学生であることから 結局は純愛ドラマの域という私の感想
もう私に 純愛は遠く過ぎ去り 現実は当然 ドラマにおいても 夢はもちろん感動もないに等しい

彼女も アニメなのに大人でも感動する という巷の噂に疑問を抱いたらしい

ただ 彗星の隕石落下によって被害に遭遇した地域をテーマとして このところ日本が被る自然災害に対して避難指示への提言なのかな という気もするのと

もう一つ
夢の中で入れ替わった男女が 最終的に相手を好きになるという現象を 
3年前の隕石落下で消えてしまった女の子に対して芽生えた 現存する男の子の愛の形を 時空を超えた遠距離恋愛として描くという 宇宙規模の恋愛が 大人にも夢と感動を与えるのかもしれない

いずれにしても 私は そして きっと友も 世間一般の大人と比べて 恋愛感情はとっくに忘れてしまい過ぎているということかな




弘法は筆を選ばず でも

2016-09-23 11:26:25 | 日記

このたびは 切れた千斤を巻いていただくため 急きょ 中国楽器店に出向いた際に 調整も お願いした 

半年に1度と言われている弦の張り替えだが 私の使用頻度なら まだ先と思われていた弦についても もう交換の時期とのこと 

ちっとも上達を感じず ワラにもすがる思いで 少しでも高度な音色が出そうな弦に替えていただいた

先生の指導のもと 自分で張り替えることもあるが いつものことながら専門家さんの 精密機械でも扱うような視線で二胡と向き合う姿には ただただ敬意の念 
お願いするつもりだった取扱店が お休みだったことで 急を要し たまたま お尋ねしたお店との出会いでしたが

素人は使ってはいけませんよ と よく言われる薬品で 弓や棹の汚れも拭き取っていただき 新品同様に生まれ変わった二胡を抱えて帰宅


だからと言って 夢に見る あの二胡特有の透き通った音色が 私に出せるはずはないのだけれど 調整後 直ちに弾かせていただいた時点では 明らかに今までとは違う音色だったような気がするのだが
 


ターネラが咲いたのに



種を蒔き忘れて やっと遅ればせに咲いたところが このところの雨続き
開花時期は10月まで とあるので この後の花芽を期待しましょう






とりあえず見苦しいものに蓋をして

2016-09-22 16:59:33 | 日記

  
このブログのことは ずっと気になっていた

このままで良いのか 私の独断で廃棄してよいのか分からなかった


だいぶ長く考えて出た結論は 見苦しいものに蓋をして 復活させること

書き始めた時の一か月分だけ残し 必要に応じて蓋を開けられる状態

それで いいかな


人生 間が悪いときとか 間が悪い立場 とかがあって ・・・


そのようなことは 私も 十分に経験済みだが その一方では なんてツイてるんでしょう ということもあり お彼岸の中日という今日 我が家に彼岸花が咲いていた





彼岸花は 子供のころから お墓に咲いているイメージがあり 花姿に さほど興味をそそられることもなかったから 育てたいとは思わず 球根を植えた覚えはない

球根が風に飛ばされてきたとは考えられず 彼岸花は 三倍体という遺伝子を持つ植物だそうで 種はできないから 風や鳥のプレゼントでもなさそう


なんで我が家に彼岸花が咲いたのかは永遠の謎だけど よりにもよって今日の開花は なんとも間の良いこと

相変わらず降り続く雨の中 傘をさしてカットし 義父母の遺影に供えました 



 

クシャミのTPO

2016-09-21 11:38:31 | 日記

なんてことだ

クリスマスコンサートを前に 選曲も終え より練習を迫られるこのとき 千斤が切れた
正確には 何重かに巻かれた中の数本なのだが そのうち完全に切れてしまうのは 時間の問題
確か 予備があったと思って探すが 見当たらず

さあ 二胡を背負って出かけなければってとき 神棚に手を合わせて なにやらお祈りしている夫が クシャミをした

何らかの宗教団体に籍を置いてるでもないけど 出勤前に神棚へと 朝食前は両親の遺影にお茶 そして花瓶の水替えを欠かさない夫の習慣は その他もろもろは別として 尊敬に値しているのだが 

日常で 最も神聖な この瞬間に クシャミ?

たぶん目をつむって 胸の前で両手を合わせ軽く頭を下げた後姿からのクシャミが あまりにもおかしくて 書くことが大好きな私が これを書かずには出かけられず 

  

なぜか今ごろ 3鉢の洋ランが花芽を付けている 
今年に限って1鉢でないってことは
この季節に 洋ランが蕾を持つメカニズムを刺激する気候だったのかな
 


さて 二胡を背負って 行ってきます!


 

敬老

2016-09-20 20:41:35 | 日記

今日もまた雨の 敬老の日の翌日

私には孫がいるから おばあちゃんではあるけど おばあさんではないツモリ と 気負っている

重ねてきた年齢で 敬われるほどの人徳も備えてないし 
敬老の対象として祝われるなんて 思いもしなかったけれど 

敬老の日に伴っての お祝いが届いた





<ありがとう> の気持ちは 胸いっぱいに溢れているのに 疑問符も隠せないのは 
封を解いて 真っ先に目に入った イラストのせいなんだと思う

敬老の日だから おばあちゃんの絵で 間違いはないのだけどね


私の母には 9人の ひ孫がいる

私の祖父母に 孫は何人もいたけど ひ孫を見ることはなく 70代で天に召された
その時代に 祖父も祖母も長寿だったと思う

しかし 年末に届く喪中ハガキで 故人が70代とあると 若すぎる死が悼まれる近年


首相が高齢者に贈るお祝いの銀杯は メッキに変わるんだとか

やむを得ない経費節減だと思うけれど そこは100歳以上の高齢者が増えたことも一因だと思うし 
今後 ますます高齢化が予想されるのだから 対象年齢を高くすることも考慮されて良さそう


つまり 何が言いたいかって 
私が敬老のお祝いをいただくのは 冷凍の海鮮に添えられたイラストのような ヒイおばあちゃんになってからでいいから