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日本歴史紀行

歴史めぐり 街物語 4 ‐ 5 北海道 小樽市 5


消防犬 ぶん公像


北海道小樽市は、江戸時代にはニシン、鮭の漁場として栄え、また明治時代に入ると、北海道内陸部で産出される石炭の搬出港として、小樽港が使われたことで大いに繁栄し、輸入港としても活用され、人、物、金が集まる夢の街として知られました。


それに伴い、小樽の街は、人が集まるに連れて火災も頻繁に起こります。

そんな火災のよく発生する小樽の街で、大正3年の春、住宅街の火災で消火活動していた消防士が、焼け跡現場で鳴いていた一匹の仔犬を救助しました。

仔犬は白と茶色のぶち模様で、明らかに雑種犬でした。

火災現場の指揮をしていた小樽市消防組(現在の小樽市消防局)の神山消防部長に救助された仔犬は神山部長に懐いてしまい、そのうち消防組の車倉庫に住み着きました。

犬が住み着いて消防士たちに懐いてくると、人は犬に情が湧くもので、自然と消防組で大切に飼われる様になります。

その頃には、犬は(ぶん公)という名前が付けられ、やがて近隣の市民からも可愛がられました。

そして、毎日のように火災に出動して行く消防士の車に乗り込む様になります。


大正3年の春、小樽市の火災現場で鳴いていたところを消防士に救助され、そのまま消防組の倉庫で大切に飼われた ぶん公。


いつの間にか、火災現場に頻繁に出動する消防士に付いて行く様になります。

そして 消防士たちが、火災現場でとる行動〜現場の野次馬の整理や、もつれた放水ホースを直すといった行動をやり始めました。

押し寄せる野次馬に対しては、唸り声を上げて野次馬を留め、もつれたホースには、咥えてもつれを解いて消防士の消火活動をサポートするという、信じられないものでした。




やがて ぶん公は子供たちに大人気となり、新聞やラジオにも取り上げられる小樽市の名犬となりました。


火災通報を知らせるベルが鳴ると、ぶん公は一目散に駆けてきてポンプ車のサイドステップに飛び乗って出動を待ち、また、隊員が整列した時は、気をつけ!〜番号の号令を発する前に、ぶん公がワン!と吠えた後に出動する消防隊員が2!3!と発するという本当かよ?どこか笑ってしまうエピソードもあります。



ぶん公の像の側面には、ポンプ車のサイドステップに待機する凛々しい?ぶん公が写った写真がはめられてます。








夏と冬の小樽運河

ぶん公が消火活動に出動した回数は1000回を超えたといいます。

そうして、ぶん公の前歯は、何度となくホースを直すことでボロボロになっていったといいます。

歯が悪くなってしまった ぶん公…
しかし、大好物のキャラメルを差し出されると、歯の悪いのもお構いなしに食べたそうです。

夏の暑い日も、冬の吹雪の日も、季節も天気も関係なく、消火活動に奔走した消防隊員と一緒に小樽市の街を火災から守りました。

やがて歳をとった ぶん公は、火災通報のベルが鳴るもサイドステップに乗ることが出来なくなり、出動も出来なくなります。

1938年 昭和13年2月3日、ぶん公は多くの人々に見守られながら息を引き取りました。

24歳の大往生でした。

翌日には葬儀が行われ、たくさんの小樽市民が葬儀に足を運び、ぶん公の死を悲しみました。

2006年2月3日、ぶん公没後68年目のこの日、元小樽市消防団に在籍した人たちにより、ぶん公の功績を称え、記念碑の設置が検討され、多くの賛同を得た結果、ぶん公の像が建立されることとなります。

かつて消防団副団長も務めた鋳物工場、木下合金を経営した木下秀俊会長が小樽市への恩返しも含め、ぶん公の像が現在の小樽市のシンボルマークでもある運河前に像を建立しました。


いまでは、
小樽市民だけじゃなく、観光客にも親しまれるぶん公の像。



夏には涼を呼ぶスカーフや、冬には雪よけの帽子、マフラー、それに毛糸編みのセーターが着せられたりして、大切に残されています。



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