
鈴ヶ森刑場跡
東京都品川区南大井2丁目
天一坊事件 ②
若き紀伊徳川家 徳川光貞の四男、新之助。
後の8代将軍 徳川吉宗です。
家老 加納将監に養育された新之助は、加納家の侍女、沢ノ井を懐妊させ、沢ノ井が宿下がりの際に新之助は書付と葵御紋の短刀を持たせました。
いつか名乗り出す際の証拠の品としたのか、新之助は、いずれ子を生んだ沢ノ井を側室にと考えたのかは定かではありません。
沢ノ井は故郷の平沢村へ帰り、男児を出産しますが、産後の肥立ちが悪く、間もなく母子ともに亡くなりました。
沢ノ井の母は、藩に娘の死を名乗り出すことはせず、平沢村で ひっそりと暮らします。
その後、新之助は江戸、紀伊藩邸住まいとなった折りに当時の将軍〜徳川綱吉に目通りが叶い、越前に3万石を拝領する幸運を手にします。
新之助には破格ともいえる強運が次々と訪れます。
紀伊和歌山藩、3代藩主に就いた長兄〜綱教が急死すると、4代藩主に就いた次兄〜頼職も同じ年に相次いで亡くなったことで和歌山藩 5代藩主となります。
天一坊事件③に続きます。