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日本歴史紀行

名城紀行 12 石脇城







石脇城跡

静岡県焼津市 石脇下


1476年 文明8年2月、横地城、勝間田城を落とし、遠江守護 斯波義廉に組する横地氏、勝間田氏を滅ぼした駿河の守護、今川義忠でしたが、凱旋の帰路、両者の残党の襲撃に遇い、馬上で矢を受け戦死しました。


これにより今川家中は混乱し、義忠の遺児である竜王丸は僅か6歳と幼く、義忠の叔父 小鹿範満を推す一派と嫡子 竜王丸を推す一派とで内紛が発生し、竜王丸の身を案じた母の北川殿は、兄(弟)で、幕府の要職に就くことが確定的の伊勢新九郎盛時(後の北条早雲)に仲介を依頼しました。






石脇城跡 案内板

駿河に下向した盛時は、今川家から高草山に連なる役30メートルの丘陵地を与えられ、盛時は山城を築城し、石脇城と名付けました。

盛時の仲介案は、嫡子 竜王丸こそが今川の家督継承者である。という将軍 足利義政による正規のお墨付きを示した上で、将軍家に連なる今川家中が分裂の危機をいつまでも引きずってはいけない。
と家臣達を諭し、当面の間、範満を代理当主とし、竜王丸の元服をもって当主の座を渡すということでどうか。というものでした。


範満も竜王丸の母 北川殿も盛時の案に納得し、家中分裂の危機を当面は脱することが出来ました。





本丸付近の八幡神社








八幡曲輪

小鹿範満は代理当主として駿府館に入り、竜王丸は母、北川殿と共に焼津、林叟院に入り、元服を待ちます。




林叟院 本堂
静岡県焼津市坂本






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