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日本歴史紀行

名城紀行 16 勝幡城〜織田信長誕生地



勝幡城跡

愛知県稲沢市平和町六輪城之内


三英傑という言葉があります。
歴史好きには定着した言葉となのですが、下剋上の只中にあった戦国時代に生まれ、それぞれ個性的で、様々な才覚と武力で近隣の強豪武家を倒し、屈服させ、やがて戦国の世を終わらせた織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人を指す、主に名古屋で使われる言葉ですが、今では三英傑と言えば、3人の尊称とわかるでしょうか。


3人の出生地が信長、秀吉が尾張、家康が三河。

いずれも現在の愛知県の生まれ。
勝幡城に生まれ、那古野(名古屋)城主となり、清洲城主時代に桶狭間の戦いで武勇を知らしめた織田信長。

信長の死に乗じて素早く立ち回り、かつての信長の家臣を倒し、また臣下として使い、全国統一を果たした豊臣秀吉。

秀吉亡き後、関ヶ原で勝利し、江戸に幕府を開いて泰平の世を築いて戦国時代を完全に終わらせた徳川家康。

3人とも愛知県に ゆかりがあります。







織田信長(吉法師)織田信秀 土田御前像


愛知県稲沢市平和町 名鉄 勝幡駅前


織田信長は、尾張守護代 清洲織田家の奉行 織田信秀の嫡男として1534年 天文3年に尾張 勝幡城で生まれました。


幼名は吉法師。
信秀の家老 平手政秀、林 秀貞が、傅役として付けられますが、奇抜な出で立ちで城下を闊歩する信長は、尾張の大うつけ(馬鹿者)と噂されました。
ただ、武勇の稽古には真摯に取り組み、自らの軍団の強化には真剣でした。


重なる一族の敵対勢力を一掃し、尾張を統一して東海一の弓取りと称された駿河の今川義元を桶狭間で討ち取り、全国に飛躍します。







勝幡駅前の勝幡城ジオラマ




勝幡城のあるこの地は、元々塩畑(しおばた)と呼ばれていましたが、縁起が悪いという理由で信長の祖父 織田信定または信長の父 信秀が「勝ち旗」の意で「勝幡」と改名したといわれています。


勝幡城は、永正年中(1504~1521)織田弾正忠信定によって築かれたと伝えられます。


1534年 天文3年に 織田信秀の嫡子・織田信長が勝幡城で産まれました。幼名~吉法師

織田信秀は津島湊に近いこの勝幡城から主家の清洲城へ登城し、力を蓄えました。

のちに清洲城が「弾正忠家」の本拠となり、信長は那古野城主として移り、次第に衰退して、勝幡城は廃城となりました。





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