昨日偉そうに幸福論みたいなこと書くって言ったっけ。
脱線するけど、昔の少女コミックで沖倉利津子氏が描いた『セッチ・シリーズ』なるものがあるんだけどね。
男勝りの野球大好き中学生の女の子(愛称がセッチ)が主人公の青春モノかなぁ。
セッチの家のお隣さんには大学生のお兄ちゃんが住んでて、この大学生のお兄ちゃんはイケメン眼鏡で
人格者なのだが、セッチの良き理解者(今思えば病的なロリコン)、節目節目で含蓄深いことを言うんだよね。
シリーズの何作目かは忘れたけど、まさしくセッチが中2病みたいになっちゃって、
生きる意味とか幸福について考えるエピソードがある。
お兄ちゃんに勉強みてもらいながらポツリと
「人は何の為に生まれてくるの?」
ってセッチが訪ねたらさ、
お兄ちゃん、爽やかな顔して
「そんなの、幸せになる為に決まってるだろ!」
セッチの心の声
「凄い、これが私のお兄ちゃんなんだ!」
(`・ω・´)
ちゃな、セッチ・シリーズ好きだけどね、このお兄ちゃんのセリフはいただけない。
このお兄ちゃん、後にセッチが通う女子高の教師になるんだけど、
このセリフだけは、なんでだろう? ちゃなは未だに言いようのない怒りさえ覚える。
オマエ、大学出て、教師を志す者としてそんな陳腐なことをしたり顔で語るんじゃねぇよって、、、。
自分では変えようのない状況に生まれてきた人間にもそんなことが言えるのって?
紛争地に生まれたり、虐待するような奴の子供に生まれちゃったら。
そんな子供はどうしたって幸せにはなれないじゃないか。
でもねぇ、これだけ怒るってことは、ちゃなにとってこの言葉は心理なのかな?
根っこの部分ではそう願っているのかなぁ。
ちゃなが、お兄ちゃんだったら何て言うのかね?
「人間も含めて、生き物が生まれること自体に何の意味もない」
「生きることにも何の価値もない」
「只、人間は他の生き物よりも脳が発達してしまったから、価値のないものに
意味を与えなきゃならない」
「感情が発達した分、そうしないと人間は死の恐怖に耐えられないんだよ」
セッチ
「この人、何言ってんのかわかんないや」
( ´ ω ` )
コカマキリ、午前中に日光浴させてあげたら、ポトリと落下して危篤状態に。
卵産んで力を使い果たしたのだなぁ。
ちゃなの目の前でまさに命が尽きようとしているわけだけど。
恐怖も後悔も何もないのだろうね。
何に生まれてこようと、ただ存在して時がくれば消えていく。
幸せを求めて足掻く人間よりもなんぼか崇高に思えてしょうがないちゃなでした。