けいはんな文化学術協会ブログ

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第159回けいはんなサロン「外国人にとって日本語はどう映るか」開催

2012年12月10日 | 活動報告
外国人にとって日本語はどう映るか ~ 私が日本で言語学を研究する理由
日時:平成24年9月21日(金) 午後2時~4時30分
話題提供者:イローナ・アレクシウナイテ氏 京都大学言語学研究室大学院
(リトアニア出身)

イタリア人とポルトガル人が同じ家に住んでもコミュニケーションに困ることはない。それぞれの言語が同じラテン系の言葉であり、個々の単語はもとより文法や発音においても類縁関係があるからである。しかし、日本語には近隣にそのような類縁関係にある言語は存在しない。私たちは日本語におけるこのような特殊性を日常的に意識することはない。では外国人からみた場合、日本語はどのように映るのであろうか。第159回けいはんなサロンでは、これまでとは趣を変え、日本で言語学を研究する方をお招きし、普段意識することのない日本語について考えることとした。話題提供者はリトアニア出身のイローナ・アレクシウナイテ氏である。


彼女の話は当然のことながら、日本人にとって話題になることの少ないリトアニアという国の紹介から始まった。言うまでもなくラトビア、エストニアと並ぶバルト三国の一つであるが、面積は日本のおよそ1/6、人口はおよそ京都市なみの300万人という小国である。その首都ビリニュスにある国立ビリニュス大学の比較アジア学研究科で日本語について少し学び、その後、来日して京都大学の言語学研究室で修士課程の2年目を迎える大学院生である。

まず、冒頭に書いたような世界の中での日本語の位置づけについて話された。使用する言語を人口との対比からみると、その第1位は中国語、次いで英語、スペイン語と言う順番であり、日本語は第9番目に位置する。世界人口に占める日本人口の割合は1.92%にしか過ぎないから、これは世界に現存する言語の種類が如何に多いかということを示している。実際、世界中には7,000語の言語が存在するそうである。



言語は語源的に印欧語族とウラル・アルタイ語族の二語族にわけて考えられているが、日本語はその内の後者に属するというのが言語学での考え方であり、現在では北方からの影響を受けたアルタイ語族の一つという説が有力なようである。しかし、他の言語との類縁性に乏しく、孤立した状態にある。これを言語学では「ミッシングリンケージ(失われた連鎖)にある」という。

しかし、イローナさんの場合には、だから日本語は難しいという考え方には否定的な見解を示された。彼女が学ばれたビリニュス大学で、日本語を学ぶ人というのは毎年ほんの一握りの学生しかいないということである。しかし、アジア圏の言語では中国語を学ぼうとする人が多いのは、中国をビジネスの対象として、そのための必要性が動機になっている。ところが、日本に来て周辺を見渡してみると、学生(院生)として日本語を研究しようという若者で将来ビジネスに役立てようとすするものはいることはいるが、日本文化に対する探求心が動機となっている人が多いという。彼女が日本語は難しいという言い方に否定的なのは、日本語を仮に流暢に喋ったとしても、考え方が母国のままであれば良くないという言い方をされていることに通じるものがあると感じられる。比較言語学のように他の言語との関係の中でその特質を見ようとしているのでなく、文化を深く理解するためにということである。


さて彼女にとっての日本語はというと容易に想像されることだが、敬語ならびに丁寧語の使い方がもっとも難しいとのことであった。島国という外部に閉ざされた環境で表現力豊かな(冗長度の大きな)発達を遂げた結果であろう。しかし、わずか1年半の滞在で、市民の前で日本語で講演(話題提供)をするというのはおよそ我々には考えられないことではないだろうか。その点はいくら好きだからと言っても、あるいは日本文化を探求したいと言っても日本人の外国語習得の様子からみてとうてい信じられないと思われた人は多かったに違いない。しかし、これは他の外国人にあたってみても同じようなものであることがわかる。日本の外国語教育が如何に間違ったものかを如実に物語っていると言えないだろうか。ちなみに日本では誰もが義務教育6年の間に英語を学ぶが、外国へ行き、何年英語を勉強したかと尋ねられても、恥ずかしくて「6年間学びました」などとは絶対に言えない。

小国リトアニアはソビエト連邦の崩壊に至るまで、長くロシアに占領されていた。なぜロシアのような大国が小さなバルト三国を占領下においていたか、そのことも参加者の間で話題になった。これはバルト海沿岸を軍港として活用するためであり、実際バルチック艦隊は日本海海戦で東郷平八郎率いる大日本帝国海軍に敗れるまでに、母港であるバルト海を出港して喜望峰を回る長い航海を経てようやく日本海にたどり着いた時にはすでに水兵は疲弊した状態にあり、日本のような小国にも敗れて当然であったわけである。一方興味深いのはソ連崩壊後独立した国々はいずれもロシアの影響で宗教はロシア正教であったのに対し、リトアニアはローマカトリックの国であるという事実である。ポーランドにも接している地理的な事情によるようである。しかし、日本人にとっては、多くのユダヤ人を救ったという杉原千畝の美談を知る人の方が多いかもしれない。

そうした過去の歴史と同時に、もう一つ知っておかねばならないのは、私たちが想像する以上に日本文化が外国に向けて、したがってリトアニアという小国にも発信されていることである。その代表としてイローナ氏はロボット技術、寿司、茶道を挙げられた。
結局、一般論としては外国語への探求心はすなわちその国の文化への探求心であり、自身としても言語を介して日本文化・社会の内面を理解したいと結ばれた。
外国語と言えばまず英語というのが一般的な風潮であるが、それでよいのだろうか?日本人の英語下手は国際的に有名であるが、私たちが英語を学ぶのは学ばされているのであって、英語圏の文化を知ろうとして学んでいるわけでないことを、参加者の多くがあらためて気付かされる契機になったのではないだろうか。いつかもう一度場を設け、外国語教育について考える機会があれば有意義であろうと感じた。



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