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雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(2」

2021-03-30 16:44:10 | 日記
雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(2」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/277(2021/3/30/火】「歌は世につれ、世は歌につれ」というが、出版社も似たようなもので、世情に迎合したり、煽ったりする。それなら新刊チェックは世間の風向きを知る上でそこそこ有効だろう。


産経の広告に水野均著「大国の興亡と戦争 ― 国際政治の構図と日本の針路を考える 」があった。版元のサイトにはこう紹介されている。


<「海上大国」と「陸上大国」が動かす国際政治。両大国の戦争の歴史から、日本の進むべき道を問う


世界全体の人の歴史を振り返ってみると、太平洋、大西洋、インド洋といった広い海を支配する大きな国「海上大国」と、陸の中でもユーラシア大陸を支配する大きな国「陸上大国」が、戦争が繰り返す中で国際政治を動かしてきた。この戦争の歴史を古代から現代まで検証することを通して、日本の位置付けを考察する>


アマゾンには関連本として高山正之・馬渕睦夫著「世界を破壊するものたちの正体 日本の覚醒が『グレート・リセット』の脅威に打ち勝つ」も紹介され、カスタマーレビューにはこうあった。


<日本は戦後ずっとGHQとその背後にいるディープ・ステート(闇/裏の政府)の影響下にあって、そこから逃れられなかった。そこへトランプが出てきて「主権国家らしくふるまえ」と言われ、戸惑った。


トランプはアメリカ・ファーストのあとに必ず“各国ファースト”と付け加えている。つまり「どの国も自国民を大切にする国になれ」と言っている。また自国の歴史、価値観を尊重しなければならない。そういう精神があってこそ国は強くなれると強調している。


日本なら日本という歴史を尊重し敬意を払い、日本の価値を大切にし、そしてそこから生まれた日本の文化を守り育てていくということ。それこそが日本を守り、日本を繁栄させることになるのである。


東京裁判史観を見直して、戦勝国が自らに都合よく描いた歴史は元に戻さなくてはならないと、馬渕氏は主張する。日本人は今こそ覚醒すべきなのである>


この手の“硬派向け真面目=危険な本”はベストセラーにはならないが、時流に乗れば3年間で3000部、上手くいけば5000部はイケるかもしれない。出版業は大手以外は儲からないが、出版人の多くは「大好きな仕事だから・・・」と清貧に甘んじている。クソ真面目な学者、職人もそんなものだろう。小生も成仏できずに不運にも人間に生まれ変わったら再び記者として出版業界の末席を汚したいものだ。


人間は己を見ても厄介な存在だが、地球にとっては実にうっとうしい生き物だろう。たった100年で2回も世界大戦をし、地球を傷つけ、ちっとも懲りずに3回目も始まりそうな雰囲気だ。戦争のたびに「国際兵器博覧会」の如くに新製品であふれ、規模がどんどん大きくなっている。襲われないためには優れた兵器の開発、装備が不可欠だと皆必死だ。人間の業、宿命か。


第2次世界大戦で登場したテクノロジーもいっぱいあり、レーダー、暗号機、原爆はまさに当時の革命的な「三種の神器」だった。理系脳、恐るべし。彼らは我らに災いをもたらす悪鬼か、はたまた災いを抑え込む天使か・・・


WIKIによるとレーダーは「電波を発射して遠方にある物体を探知、そこまでの距離と方位を測る装置。人間の目が見ている可視光線よりもはるかに波長が長い電波を使用することから、雲や霧を通して、はるか遠くの目標を探知することができる」。電波式望遠鏡だな。


英国は電磁波で殺人兵器を作ろうとしたが、それは諦めて、1935年に電磁波による航空機の探知に成功した。1940、1941年にはマイクロ波レーダーの開発に世界で初めて成功、これによってイタリアの新造戦艦数隻の夜間撃破に成功した。レーダーへの警戒心ゼロだった伊にとっては全くの寝耳に水だったとか。


英国はドイツ軍の空襲に対する迎撃でもレーダーを大々的に使用し、ドイツの英国本土侵攻の阻止に大いに役立てた。ジョンブル、大英帝国、恐るべし。


暗号機の歴史は古い。「エニグマ(謎、の意)」は1918年にドイツによって発明された電気機械式暗号機で、1925年にはドイツ軍が正式に採用した。「インテリジェンス 1941 ― 日米開戦への道 知られざる国際情報戦」から。


<ナチス・ドイツはエニグマの暗号化の機構を複雑にすることに情熱を注いでいた。やがて暗号のパターンは当初の1万7576通りから100万通り、1億通り、1兆通りと跳ね上がっていった。ドイツを警戒していたポーランドはエニグマ設計図を入手して製造に成功していたが、その日の暗号キーが分からない限り解読は不可能だった。「エニグマは解読不能である」、ドイツは絶対の自信を持っていた。


1939年9月1日、ドイツは(独ソ不可侵条約による欧州の独ソ二分割密約により)ポーランドへ侵攻した。ドイツ軍の戦術は「電撃戦」で、それを可能にしたのが「エニグマ」暗号機だった。


電撃戦では「陸の戦車」と「空の航空機」の緻密な連携が成功のカギを握っている。高速移動の戦車が縦列で敵陣を一気に突破する、それを支援する爆撃機が猛スピードで降下し敵陣を爆撃して素早く離脱する。


敵味方が入り乱れ、識別が難しい戦場では、一歩間違えると同士討ちの危険がある。また戦車の進撃が遅れると爆撃機は敵の高射砲の餌食になる。陸軍と空軍の連携をとるためには無線通信による指揮命令系統が完璧に機能する必要がある。この水際立った陸空共同作戦を支えたのが「エニグマ」だった>


うーん、月刊「丸」などを愛読する戦争オタクの気持ちが分かるなあ。戦争は原始以来の男の本能を呼び覚ますのだろう。「エニグマ」暗号は解読不可・・・誰もが観念した、奇人変人のアラン・チューリング以外は・・・(つづく)
・・・・・・・・・・・・・
平時と戦時では必要とされる人間・能力が違うのだろう。背が高く、足が長くてマスクもいい・・・平時にあってはチヤホヤされそうだが、野戦では撃たれ弱そうだし、狭い潜水艦内や戦車、コクピットでは身動きが取れずに、いい兵士にはなれそうもない。


むしろ小生のようなチビ、短足、筋肉質、粘着質、単純、狡猾、猪突猛進型が良さそうだ。臆病だった兵がある日突然、勇猛果敢というか攻撃的な、まるで戦争の犬、猟犬のようになることもあるとか(石光真清の手記)。


戦争はないに越したことはないが、イザという時に国民皆兵で戦わないと民族のパワーが衰えるばかりで、これが結果的に亡国になりそうだ。老いさらばえた毒なしマムシにもチャンスを!と言いたいが・・・オニモツ、アシデマトイ、ジャマだろうなあ。ネットでシコシコ、戦意高揚のアジを飛ばすのがせいぜいか。


笹川陽平氏はミャンマーの安定にずいぶん努力していたが・・・一寸先は闇、どんな気持ちなのだろう。諦めない、というのは大変な根性、気力、体力が要るものだ。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646


雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(1」

2021-03-29 05:39:58 | 日記
雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(1」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/276(2021/3/29/月】我が家の前で少し「くの字」に曲がる東西通りは車1台が通るのがやっとだが、このところ事故が多い。26日の午前10時頃にはチャリのオバサンがこけた。「あっ、人が倒れてる!」とカミサンが叫んだので下の道路を見たら、右側頭部から出血、気絶しているオバサンと、その頭を支えている青年の周りに数人のヂヂババが心配そうに佇んでいる。


「行ってケアしてやったら」と言うとカミサンは「何で私が」、「看護婦なんだから応急手当したらいいじゃん」。それでも彼女は動かなかった・・・なぜか。そこには重大な秘密があったのだ。パジャマかつスッピンだから前線に押っ取り刀で駆けつけるわけにはいかないのである。支度に20分近くはかかる。


鴎外の「渋江抽斎」には、抽斎が侵入強盗2人に刀で威嚇されていると、それを察知した奥方は風呂場から腰巻ひとつ、口に短刀、手に熱湯の桶ふたつをもって参戦し、強盗を叩き出したとある。武士道の妻、さすがである。奥方は武道の心得もあったが、周囲がその武勇を讃えるといつも恥じらっていたという。


どうだ、同志諸君、これが女ぞ、大和撫子ぞ。そう言えば東京外大インドネシア語科出身の撫子は凄かった。旦那は売れない芸術家だったが、「あんた一人ぐらい私が面倒見るから、どんどんやりなさい」と奮起を促し、その勢いで小生も「これ、すぐに400万になるから」と折伏されて、ふくよかなイタリア女のオブジェを120万で買ったものだ。今は玄関に置いているが、美術商が見に来たことはない・・・22世紀あたりには結構な値段になるか?


ケガしたオバサンはやがて救急車に乗って去ったが、介護していた青年と見守っていたヂヂババが、救急車を待っている際にもにこやかに会話し、救急車が去ってからは記念写真を撮っているのを見て、小生は「そういう場面じゃないだろうに・・・」と変な感じを覚えたが、後でカミサンが言うには、


「あの若者ね、プロボクシングのチャンピオンなんだって。○○の奥さんはチャンピオンベルトを付けてもらって一緒に写真撮ったのよ!」


隣町のボクシングジム出身だという。調べたらスポニチ新聞2021/3/19にこうあった。「プロボクシングの日本スーパーバンタム級王者・古橋岳也(33=川崎新田)が19日、川崎市の福田紀彦市長(48)を表敬訪問した。古橋は今年1月、久我勇作(ワタナベ)に9回TKO勝ちしてプロ36戦目で王座を獲得。川崎生まれ、川崎育ち、川崎市内のジム所属選手で初の日本王者となった」


ふーん、我が街の「あしたのジョー」、小生の中学校の後輩でもある。中共包囲殲滅戦に夢中になって灯台下暗し・・・彼にとって今が一番輝いている秋なのだろうなあ、初防衛戦は8月2日、後楽園ホール。カミサンに連れて行ってもらうか。


「きのうのジョー」の小生は介助者がいないと遠出できないが、小生のシマの桜の名所(二か領用水沿い、上流の新川沿い、緑が丘霊園)は早朝のチャリ散歩でたっぷり楽しめた。見納めになってもいいようにじっくり、しつこく、舐めるように、いささか偏執狂的に愛で、もう思い残すことはないだろう。「サクラ、俺は旅に出る・・・」


ところがそうはいかないことがある。ライフワークのような「共産主義撲滅&日本再生への道」の研究は、学べば学ぶほど奥が深くて、まだまだ中学生レベル。知らないことがどんどん増えてきてトンネルの出口がいつ見えるのか、全然分からない。トンネルを抜けるとまたトンネルだった、まるで京浜急行。


一歩一歩、シコシコ、先人の研究を勉強し、「こういうことなのだ」と自分なりに納得したい、せめて第2次大戦勃発から今日までの戦史を知り、それを糧に明日のための方向性を打ち出したい、と願っているのだが・・・


まあ、学べば学ぶほど奥行きが深くなる、頂上が高くなるから「学問に成就なし」ということだ。とりあえず連載「ヴェノナ 我らの内なるスパイ網」を前回で終わりにして、今回からは外交=戦争に不可欠な「諜報活動/インテリジェンス」をテーマに考えていく。


以下は落合道夫・東京近代史研究所代表の「なぜ日本はあのとき『真珠湾攻撃』を決断したのか」から抜粋。


<独ソ戦を控えたソ連のスターリンの戦略は、日本の軍事力を北上させないことであり、その第一弾が支那事変工作、第二弾が米国の太平洋政策を利用した日米戦争工作であったのである。


(支那事変以降)ルーズベルトは日本を追い詰めてゆく。1939年には長年の日米通商航海条約を一方的に破棄し、1941年には米陸軍航空部隊を蒋介石の義勇軍(フライングタイガー)に偽装して投入する。明らかな宣戦布告なき軍事攻撃である。しかし日本は日米交渉による平和解決を求めて隠忍自重した。


さらに米国は日本を追い詰めてゆく。1941年6月に独ソ戦が始まるとソ連支援のため中立法の解除が必要となり、自衛名目を作るために対日挑発行為を加速した。いわゆる裏口からの参戦である。7月には米国は支那事変に苦しむ日本の在米資産を凍結し、8月には戦争遂行に不可欠な石油、鉄クズ輸出を禁止した。


それでも日本は野村吉三郎を特使として送り必死に日米和解を求め近衛首相は首脳会談まで提案した。しかし米国は頑なに拒否し、その総仕上げが11月27日の支那満州からの全面撤退を要求する「ハルノート」となったのである。


ちなみにこのハルノートはスターリンが原案を作りNKVD工作員パブロフがワシントンに持参してソ連スパイの財務省次官のハリー・ホワイトに伝え、それが財務長官、大統領経由でハル長官から発出されたものという。ソ連は日米戦が始まれば日本の軍事力は確実に南に向かうので、安心して対独西部戦線に専念できる。


発出されたハルノートを見て、スターリンはおおむね満足したという。こうして日本はソ連と米国の謀略により対米戦以外避けることのできない絶体絶命の罠に陥ちていったのである。


日米戦の開戦理由の研究は今でも両国に東京裁判のしばりが残っているようだ。「真珠湾」の著者、歴史家モーゲンスタインは米国では日米開戦前の経緯を調べることは喜ばれないと述べている。


しかし、「米国の鏡日本」を著したヘレン・ミアーズ女史は戦前の外交記録を調べれば米国が日本を圧迫し日本が必死に戦争を回避しようとしたことは明らか、と記している。米国の歴史専門家は真珠湾攻撃が日本の自衛反撃であることを知っているのだ。


その後米国は原爆まで落として1945年に日本を滅ぼしたが、米ソは対立し、1949年には支那満洲が共産化し、米国は営々と築いてきた支那の全拠点から追い出されてしまう。まさに米国の極東構想は「捕らぬ狸の皮算用」に終わったのである。


そこで1951年にマッカーサーは米議会で、支那の喪失と共産化は米国太平洋政策百年の最大の失敗と総括した。その後米国は日本防衛の国防費を節減すべく、日本の再独立と再軍備に向けて対日政策を180度転換して行くのである>


まったく激動の時代だった。そこには激しい諜報戦があり、日本は世界最高の暗号システム「パープル」を開発したものの英国チャーチルに突破され、敗戦後にそれを知ったが後の祭り・・・諜報戦の生の現場を山崎啓明(NHKディレクター)著「インテリジェンス 1941 ― 日米開戦への道 知られざる国際情報戦」を引用しながら学んでいきたい、コケて大怪我をしないために・・・
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雀庵の「ヴェノナ 我らの内なるスパイ網(13」

2021-03-27 16:35:39 | 日記
雀庵の「ヴェノナ 我らの内なるスパイ網(13」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/275(2021/3/27/土】すっかり春になって6時前には明るくなり、雀たちが「朝飯マダー?」と待っているからボーっとしてはいられない。


部屋に入れて保護していたブーゲンビリア4鉢などを日射しに慣らすために朝には外に出し、夕方には内に戻すのも面倒だが、手抜きするとすぐに死んじゃうからやらざるを得ない。自業自得、因果応報というか、ま、自己責任、自らまいた種ということで、「苦あれば楽=楽しみあり、楽あれば苦=世話あり」、結婚や子育て、人生と一緒だな。


結婚、子育て。男は先楽後憂で短期間(10~15年?)は楽しむものの、その後は無視されたり苦労したり、女は先憂後楽で苦労するが、その後は長ーく楽しむ、か。


女子の生理、男子の生理。男の苦しみは一種の地獄ではないか。猿と同様で、力のあるオスは多くのメスを抱えて子孫を増やすというのが神様の与えた初期設定だから、軟弱で冴えないオスは残念無念。


普通の男子はまずモテナイから女子の機嫌を取るために奢ったりするけれど、ほとんど無駄。生理が重症化するとお娼妓さんに治癒してもらったりするが、治療費は3~5万円もかかる。何だかんだで金欠病を併発してトホホ・・・青春は概ね悲惨になる。


会社や政府が男子の生理による負担を軽減するために補助金を出してくれないかなあ、と男子は声を上げたいが、それを言っちゃあオシマイよ、女子からは間違いなく「キモッ!」、男子からも「バカか、モテたければ出世するしかないんだよ、出世!」なんて軽蔑されたり。男はつらいよ、ンッタク・・・牝鶏鳴きて国滅ぶのじゃないか。


16世紀に南米は欧州人に侵略されたが、猿と同様に人間の雄は負けた雄を殺したり追放する。猿は子供も殺したようだが、学者曰く「それは育児期間は雌の排卵が抑制されるからで、勝者は寡婦となった雌(畑)と交尾して自分の子供をどんどん産またいわけ」という。人間も同様だろう。


20世紀までは近代医療が未発達で子供はなかなか育たなかった(5人産んでも2人しか成人しないなど)ため、とにかく安全保障のために子作りが大事な仕事だった。


女(畑)は頑張って運がよければ一生に5~10人ほどは産めるが、明治頃までは成人に育つのは1~5人あたりか。一方で男は20~30人の女を懐妊させることができるから、上手くいけば10年20年で50人ほどの子供を持てる。第11代将軍・徳川家斉は正妻の他に側室24人、“お手付”が20人以上で、名前が確認されている子供だけでも男子26人、女子27人とか。徳川家を維持発展させるために世継ぎを産むのが最大の仕事だったわけだ。


敗戦国の女は自分の夫や子供を殺した敵である男と交尾するか。今の価値観では否定されるだろうが、何万年も昔から猿と同様にそれは普通だったろう。白人に侵された南米では先住民の男はほぼ絶滅したどころではない、先住民の女は強者=白人の子供(混血、ハーフ)を競って産んだらしい。何十代もそれが続けば、逆に純粋先住民に似たような顔つきの子供が生まれると“まるで野蛮人、サルみたい”と嫌悪されたようだ(今でも!)。「異端」がある時期から「正統」に転換するのだ。そして本来の正統は原始人と蔑まれる。


日本が米国に占領されていた時代、「日本の婦女子の防波堤になる」あるいは「生活のためには身を売るしかない」という決意でパンパンやオンリーさんになった撫子は多かったろうが、「敗戦国に未練はない、日本はもう終わったのだ」と勝者=白人に擦り寄った女も少なくはなかったろう。オンリーさんは羅紗綿(らしゃめん、洋妾)と蔑まれたが、米国による占領が長引き、男が駆除されたり奴隷状態に置かれたら、今頃日本は白人系と黒人系ばかりになっていたのではないか。女は強い男の庇護を受けたい、そのためにはカスガイとして子供をなしたい、というのは本能だろう。


「戦争」という緊張がないと(つまり平和が長続きすると)人種、民族、国民という結束は弱まり、男女の紐帯も怪しくなる。しかし、戦争の危機が高まると「戦士向きの勇猛果敢な男子」の需要が高まるから、産めよ増やせよの肝っ玉母さんも増えてくるとか。戦略家のルトワックらは戦争(命懸けの競争)は民族、国民を活性化させると説いている。先進国の過度の平和は確かに人口減を招き、個人主義が過度に叫ばれ、国民の結束も劣化するばかり。人間性や文明文化を劣化から救うには戦争やその緊張が必要だという説は説得力がある。


共産主義は家族、人種、民族、国民という結束を否定し、「共産党中央=独裁者」への忠誠心こそが唯一の正義だという宗教である。原始以来の人間本来の価値観と大きく外れるから未だに成功例がなく、失敗ばかりで100年もった国はない。米国は戦後の共産主義の駆除が曖昧だったためにリベラル≒アカ(リベラルを装った共産主義独裁信奉者)が復活してしまった。愚の骨頂。


「ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動」からの続き。


<「ヴェノナ」解読文は、米国共産党がソ連のスパイ活動を支援しているという事実を明らかにした。このことが、トルーマン政権をして1947年の行政命令に踏み切らせたのである。これは「米国政府の公務員は合衆国への忠誠心と秘密保全上の厳格な身上調査を受けねばならない」というもので、1950年代初めにアイゼンハワー政権がこれを強化した。


また、1948年にトルーマン政権の司法長官が、米国共産党指導者を「スミス法」の反政府扇動罪で起訴した時にも「ヴェノナ」から得られた理解がもとになっていたことが今日ようやく分かったのである。米国共産党とソ連諜報活動とは深く関係していることは一般国民にも浸透した。


ソ連が1942年から45年(の大戦中)に行った米国に対する無制限のスパイ活動は、あたかも敵国に対する類のもので、40年代末にはその規模と強い敵意は「ヴェノナ」に明らかで、冷戦は第2次世界大戦の何年も前から始まっていたのである>(とりあえず終わり)
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小生は2001年の9.11米国同時多発テロで会社整理に追い込まれ、そのストレスもあったのだろう、胃がんで入院し、療養中に近代史をたまたま学び始めたため10年、20年でどうにかアカ的な思考を除染できたが、アカでメシを食っている労組の専従、アカ団体の職員、日教組、日共、立民、朝日、岩波などの人々は、除染する、あるいは歴史を学び直すということはまずしない。ズブズブだからアカ利権を手放すなんて考えもしないだろう。


天動説の世界で地動説が認知されるのに紀元前300年から西暦1700年までの2000年かかった。宗教という既得権益集団は、この世の天も宇宙も大地も人間も動植物も唯一神が創ったことにしているから、太陽系宇宙や、宇宙の中心が地球ではないというような地動説では聖書の否定になり、到底受け入れられるものではない。未だに宗教、宗派によっては天動説を唱えている。


アカ思想とか共産主義信仰の「マルクス教」は預言者レーニンにより、1917年のロシア革命でマルクス神が降臨し、ソ連という“この世の天国”を創ったことに始まる。ところがいつの間にか天国は地獄になり消滅、入れ替わりで第2代の天国は中国になった。9000万の信者(党員)にとっては確かに天国かも知れないが、それ以外の13億、なかんずく6億の貧者(棄民)にとっては「飢えないけれど夢を持てない地、まるで生き地獄」のようだ。実態がどんどんばれて今は世界の嫌われ者になっている。


ここに「我こそは正真正銘の正統派天国たらん」と急速に第3代に名乗りを上げたのが米国リベラル=アカ教団である。「第2代の信仰には濁りある、教義を汚している」ということなのか、ただの縄張り争いなのか、小生にはよく分からないが、独裁政治で米国民を抑え込み、黙らせて、挙国一致体制で中国のボス一派を倒して「正統派による赤色世界革命を」という野望を持っているのかもしれない。世界はこの遅れて来たアカに「なんだコイツ、何考えてんだ」と疑心暗鬼になっているようだ。


今どきのアカ・・・ポスト中共の世界の頭痛の主役は米国アカになり、先進国では出生率が高まるかもしれない。米中ガチンコは日本独立のチャンスだ。
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雀庵の「ヴェノナ 我らの内なるスパイ網(12」

2021-03-24 17:53:52 | 日記
雀庵の「ヴェノナ 我らの内なるスパイ網(12」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/274(2021/3/23/火】37年振りにヒゲをすっかり剃った。カミサンは「ギャーッ! どーしたのよ・・・」と叫んだ。鏡の中の小生はまるで他人みたいで、カミサンが驚くのも無理はない。


「髪ももうウンザリだ、邪魔くさい。切ってくれ」「でしょー、ホントに面倒よね」


風呂場で3年伸ばしたポニーテイルを15センチほどざっくり切り落としてもらった。ああ、さっぱり。♪長い黒髪 プッツリ切って 帰るカモメにたくしたや・・・気分上々。この解放感は、髪を伸ばしたからこそ得られるものだが、3年間の隠忍自重を考えるとちっとも割に合わない。ずいぶん無駄なことをしたが、女も「長い黒髪」にウンザリしているようで、今はほとんど見かけない。


長髪族は今でも世界で頑張っているようだ。インドのシーク教徒は有名だが、ターバンで髪をくるんでいる。時々我が町でも見かけるが、洗髪とか手入れはどうしているのだろう。清朝時代(満洲王朝)の支那では辮髪(弁髪、細くて長いマゲ)が強制された。


<魯迅の短編「髪の話」(1920)の一節に次のような記述が見られる。


ねえ、きみも知っているだろ、髪の毛ってのは、われわれ中国人には、宝でもあるし仇でもあるんだよな。昔からどれだけたくさんの人が、そのために理由のない迫害を蒙ったことか!


辮髪が通り相場になったあと、今度は洪楊の乱(洪秀全・楊秀清の乱=長髪賊の乱、太平天国の乱とも)だ。ぼくの祖母が話してくれたことだが、あのときは人民こそ災難だった。髪を(好きに)全部伸ばせば官兵に殺されるし、辮髪のままなら長髪賊に殺されるんだからな。どれだけたくさんの中国人が、この痛くもかゆくもない髪の毛のために苦しみ、いじめられ、命を落としたことか>(世界史の窓)


明治4年の断髪令(マゲを結わなくてもいい、好きにしろ)では「残念派」と「さっぱり派」があり悲喜こもごもだったが、「散切り頭を 叩いてみれば 文明開化の 音がする」と、一種の流行みたいに散切り頭になっていったようだ。


付和雷同は世の常か。「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」(漱石)。人は概ね「易きに付く、易きに流れる」。我が道を行く、のは格好いいが、成功すれば称賛され、失敗すればバカにされる。ただ、歴史をたどると、「少数派=新勢力が徐々に勢力を増し、やがて多数派=旧勢力を抑え込む・駆逐する」という図式だろう。


旧勢力が自ら時代の変化、趨勢、潮流に乗り、新体制へ転換していくというのはまず聞いたことがない。旧勢力には既得権益を守りたいという本能があるから、体制変革がどうしても中途半端になってしまい、新勢力の期待に応えられないようだ。


ソ連後のロシアは共産党・国営企業人脈のオリガルヒ=新興財閥が利権を得、国民の不満はつのるばかり。タイでは昨年から若者(共産主義系?)を中心とする反軍政・反王政デモが続いている。ミャンマーは軍の利権保持のため軍政回帰が露骨に進められ、丸腰のデモ隊は300人ほども射殺され、まるで内戦一歩手前だ。


まったく新旧ガチンコのタネは尽きない。レーニンは「帝国主義戦争を内乱に転嫁せよ」と号令をかけたが、今は「内乱を対外戦争に転嫁せよ」という時代かもしれない。外に敵を創ることで国家の求心力を高める・・・これを今もっとも必要としているのは中共と米国ではないか。


国民の分裂、不満のエネルギーを外に向けさせる、そのために戦争、紛争、緊張を高める、その点で米中の為政者、習近平一派と米民主党は利害を共有しているように見える。台湾海峡での米中軍事衝突は切迫しているだろう。


<日米、台湾海峡有事へ懸念共有 防衛相会談で連携確認 共同通信2021/3/21


バイデン米政権下で初めて行われた16日の日米防衛相による対面会談で、米中間の緊張が高まる台湾海峡で不測の事態が起きかねないとの懸念を共有していたことが20日、複数の日本政府関係者の話で分かった。台湾有事に際しては緊密に連携する方針も確認した。


中台双方の対話による平和解決を追求する立場の日本が、台湾有事を議題としたことが明らかになるのは異例。日米の具体的な対処策が今後の課題になる。会談には岸信夫防衛相とオースティン国防長官が出席した。中国の圧倒的な軍備増強により地域の軍事均衡が崩れている現状に対する、日米防衛当局の危機意識が浮き彫りになった形だ>


これに対して台湾外交部の欧江安報道官は22日、「米国と日本の台湾海峡の平和と安定への重視に心から感謝すると述べた」(中央フォーカス)。中共 vs 米・日・台・豪連合軍になるかもしれない。これを機に日本は尖閣に港湾とヘリポート、宿舎を造ることになるか。


「ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動」からの続き。


<ソ連、英、米は1942年初め、ドイツとその同盟国を破るための軍事同盟「大同盟」を結んだ。それによってソ連はすぐに、米国の「武器貸与法」による軍事援助を受けられるようになった。その規模は英国に次ぐ大きさであり、最終的に90億ドル以上の支援を受け取った。


軍事援助の調整のため、米国はソ連に対して、相互の外交要員を大幅に拡大し、特別の役所を創ろうと提案し、それに基づいてソ連の軍人や技術者、技師が数千人も米国に入り、どんな援助が得られるかを調べた。機械、武器、飛行機、自動車、その他の軍需品がソ連の戦いに最も役に立つかを選ぶ調査に従事した。自動車は、40万台近くのトラックがソ連に送られた。


さらにソ連の要員を訓練して装備を維持・管理できるようにしなければならなかったし、マニュアルをロシア語に翻訳しなくてはならなかった。ソ連への運送貨物が注文通り運ばれ、きちんと積み込まれ、正しい船に乗せられたかを検査しなくてはならなかった。そのためにソ連海軍の軍人が集団をなして米国にやってきて、ソ連に引き渡される米国の軍艦、輸送艦を引き継ぐための訓練を受けた。


米国に来たこれらソ連軍人や技術者の中には、ソ連の主要な対外情報・保安機関のKGB、ソ連軍の情報機関であるGRU、海軍GRUに属するソ連情報部員が何十人もいた。彼らは二つの任務を遂行した。


一つ目は「保安任務」であった。KGBの内務保安部門は数十万の正規雇用者と、数百万の情報提供者を抱え、ソ連国民の政治的忠誠を監視していた。ソ連が数千の自国民を米国に送って軍事援助を受ける際には、こうした内務保安要員もいたのである。


米国で解読された「ヴェノナ」通信文のかなりの部分は、この保安任務についてのソ連側の通信を傍受・解読したものである。保安任務は米国の安全保障とは直接関わらないものだったが、軍事援助物資を受け取りに来たソ連の輸送船には、一隻当たり1~3人のKGBなどの密告者が潜入しており、ソ連の商船員を監視、追跡、拉致し、その際に米国法は無視されていた。


◆ソ連はすでに冷戦を始めていた: ソ連情報部員の第二の任務は、米国に対するスパイ活動であった。「ヴェノナ」解読文によると、ソ連は米国の重要な政府組織、研究所の人間をスパイとして徴募し、米国の多くの極秘情報を盗み出すのに成功していた、ということだけではない。米国共産党が実はソ連情報機関の補助組織であったことを明確に暴露しているのである。


米国共産党員のうち、数百人がソ連のスパイであり、共産党自体がソ連の情報機関と連携していた、むしろ積極的に助けていたのである。


米国政府は「ヴェノナ」解読文を情報源に国内の共産主義対策を進めていった。1940年代末から50年代初めにかけて行われた連邦政府による米国共産党員の捜査と起訴は、米国共産党がソ連のスパイ活動を支援しているという確かな事実を前提としていた>(つづく)
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それにもかかわらず今でも米国の共産主義者、FDRルーズベルトの子孫は「リベラル=アカ」として生き残っている、それどころか繁殖して今は保守派=反共を圧倒している。何たる皮肉!


大体、圧倒的多数の健全な人間は「飯が食えて面白おかしく暮らせればいい」のであって、「旗上げゲーム」のように、ひと握りの為政者やリーダーが「♪赤上げて、白上げて、白下げて、赤下げない」と言えば付和雷同するのだろう。


自由民主人権法治という価値観、理念、思想は「それはとても大事だ」と思う人にとって大事だが、生きる目標が「蓄財蓄妾美酒美食」の人にとってはそんなものは屁の河童だ。


「人間は一様に自由を求めているわけではない、たとえ独裁政治であっても、秩序、規範、安定を望んでいる」という識者がいたが、マキャベリは「君主論」で「言論の自由のある不安定な国と、言論の自由はないが安定した国とどちらがいいか。後者の方がマシだ」と言っている。残念ながらそういうものだろう。


物質文明は発展するが、人間のオツムは50年くらいしか働かない。次世代は初期設定されてまた一から始めて50年でお仕舞。寄せては返す波の如し。これからは波乱の時代で、ビッグウェイブが来るだろう。波に流されるか、波に乗るか、日本独立へ向けてイザ! 心臓マヒで倒れたりして・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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雀庵の「ヴェノナ 我らの内なるスパイ網(11」

2021-03-23 06:28:47 | 日記
雀庵の「ヴェノナ 我らの内なるスパイ網(11」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/273(2021/3/22/月】先日、アルツハイマー型認知症の老人が電柱に衝突するのを見てびっくりしたが、そのちょっと前にバイデンが専用機のタラップで2度こけ、3度目は完全にひっくり返った映像がネットに流れていた。


加齢というのはずいぶん残酷なもので、本人があまり悲しまないように神様は「呆け」を賜ったのだろうなあと第三者としては何となく腑に落ちるが、周囲の近親者は「これから介護戦争が始まるのだ」とはあまり分かってはいないのではないか。


周囲は状況対応で徐々に介護していくのだろうが、「足腰達者の呆け老人」は実に厄介だ。小生の母は鍋を何度も焦がしたので元栓を回せないようにカバーをしたが、足尾の伯父さんは天ぷらの火を消すのを忘れて家を丸焼けにしてしまった。恐ろしいことだ。


元気な呆け老人はやがて歩行困難、寝たきりになるが、母がそうなって小生はずいぶん精神的に余裕ができ、母を優しく見送ることができたと思う。正直、ほっとした。涙なんて枯れ果てて出やしない。


バイデン翁は看板の役目を終えたから引退するだろうが、副大統領の・・・アカハラ、ハラアカ、マリアカラス・・・何だっけ? ネットで調べたら古森義久先生の論稿があった。主旨を紹介する。


<米国のトップはカマラ・ハリス副大統領なのか? 各国首脳と重要案件で会談、薄れるバイデン大統領の存在感/JBプレス2021.3.17


バイデン政権のカマラ・ハリス副大統領が単独で諸外国の元首と頻繁に会談するようになり、異例の行動として注目を集めている。一方、バイデンは自らの言葉で報道陣や一般に語りかけることがほとんどなく、「不在大統領」などと呼ばれるほど存在感が薄い。


◆外国トップと会談するハリス副大統領: ハリス副大統領は就任以来、3月中旬までの50日ほどの間に、外国の6人の元首と個別に会談した。いずれも電話かオンラインでの会談だが、米国のナンバー2の副大統領が外国のナンバー1である大統領や首相と同等の形で“首脳会談”をするケースは珍しい。トランプ前政権でも、マイク・ペンス副大統領が大統領をさしおいて外国の最高首脳と直接1対1で会談することはほとんどなかった。


一方、ハリス副大統領の場合、3月4日にはイスラエルのネタニヤフ首相と電話会談を行い、米国・イスラエル両国間の主要懸案などについて協議した。ハリス副大統領は1月20日の就任以来、カナダのトルドー首相やフランスのマクロン大統領ともそれぞれ個別に会談している。


トルドー、マクロン両首脳ともに、バイデン大統領との電話会談はすでに行っていたが、ハリス副大統領との会談ではバイデンとの会談よりもずっと長い時間をかけて、主要な外交案件を協議した。


◆バイデンの予想外の“引きこもり”: 副大統領のこうした異例の活動ぶりは、78歳のバイデンの活力不足を56歳のハリスが補っている動きともみられている。同時に、バイデンの予想外の“引きこもり”傾向も目立ってきた。


米国の歴代大統領は就任から30日ほどの間に、みな就任記念の公式記者会見を開いてきた。だが、バイデンの場合、3月中旬ですでに50日以上経ってもまだ会見を行っていない。ホワイトハウスのサキ大統領報道官は「3月末までには公式記者会見を開く」と言明したが、なお具体的な日取りは発表していない。


この背景には、大統領側近の間で「バイデンが自分の言葉で自由に発言すると、大統領選キャンペーン中のように失言、放言をするのではないか」という懸念があるとみられる。3月3日にホワイトハウスがアレンジしたバイデンと議会民主党議員たちとのオンラインでの会合では、双方が予定どおりの発言を終えてバイデンが「さあ、それでは私が質問に答えましょう」と述べたとたん、突然接続が遮断されたことがあった。大統領側近がバイデンの失言を恐れて、オンライン会合を打ち切ってしまったのではないかと推測されている。


確かにバイデンは、新たな大統領令や政策の発表には公開の場に登場するが、その発言は明らかに事前に作成された声明の読み上げばかりで、自分の言葉での自由な発言はほぼ皆無である。この実態をとらえて、保守系のメディアなどではバイデンに「不在大統領」というレッテルを貼るところも出てきた。


このように米国では、ハリス副大統領が外交面で異例の活躍を見せれば見せるほど、バイデン大統領の統治能力に関する不安が影を広げ始めているといえそうだ>


「ハリス」と言えば日本ではタウンゼント・ハリス。「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん) たつた四杯で夜も眠れず」、フィルモア大統領(第3党のホイッグ党)の命令で米国お得意の“強姦”砲艦外交により、ペリーが蒸気船で煙を上げながら浦賀に侵入、「俺のはすごいぞ、真っ黒で大きい、一発お見舞いするぞ!」と脅したのが1853年7月8日(嘉永6年6月3日)。


その2年後の1855年に貿易商のハリス(民主党員)は民主党大統領ピアースから初代駐日領事に任命され1856年8月21日(安政3年7月21日)に日本へ到着した。おおよそ1850年から1945年の100年かけて日本は米国の51番目の州になったわけで、今は皇紀ならぬ米紀170年か。30年後のバイセンテニアル/200年祭はあるのかどうか・・・「東海省倭人自治区」になっているかもしれない。


カマラ・ハリスとタウンゼント・ハリスは共に民主党という以外は共通点がないようだが、日本にとってはカマラ&ナンシー(ペロシ)は最悪のダーティペアになるだろう。苦笑いで済んだ「ジュンでーす、マキコでーす」時代が懐かしい。


ここまで書いて産経を読みながら昼寝モードに入ったら、これまた古森先生の「あめりかノート 米大手紙が認めた誤報」に改めて米国のダメさ加減を教えられた。曰く、


<米国の主要新聞ワシントン・ポストが3月中旬、記事の訂正を大きく掲載した。同紙が1月9日に載せた「トランプ大統領が選挙後にジョージア州の州当局者に電話をかけ、自身の敗北を覆すための“不正投票”をみつけろと命令した」という報道は誤報だった、と認めたのだ。


この誤報はいまの米国政治を正しく認識するための教訓だといえる。日本側でも、バイデン政権とトランプ前政権の支持層や、民主、共和両党の間の対立をめぐるこの種の誤報やフェイクニュースに引きずられた事例が多いからだ。


ところが2か月が過ぎ、トランプ氏の「電話発言」が事実無根だったことを証する録音記録がジョージア州側から公表されたのだ。WSJが報じ、ポスト紙が記事を訂正した>


フェイクニュースは日本も同様で、バレたところで不都合なことは隠蔽するという「報道の自由」で嘘つき放題。産経にしても本来は黒瀬悦成ワシントン支局長がまず最初に報じるのが当然だが、彼のオツムは「トランプ=フェイク」一点張りで、小生は「こいつ、アカ新聞か共同通信出身か」といつもウンザリさせられる。


ちなみにWSJ、ブルーグバーム、ロイター、日経など経済紙はすぐに株価に影響するから誤報は少ないようだ。誤報すると速攻で「10億円損した、補償しろ」と訴訟沙汰になりかねないから正確な記事に努めているのだろう。


一方でアカメディアは洗脳、誘導、刷り込みのプロパガンダが最優先だから、誤報、捏造、偏向なんて日常茶飯事。バレたところで「記者の勲章、戦傷、どうってことない、たとえ解雇されても拾う神はいっぱいいる、植村隆クンは我が方の英雄だ、週刊金曜日の社長兼発行人だ、メシはついて来る、心配するな、ドーンとやれ、ドーンと!」てなもんだろう。一度感染、一生ビョーキ、アカの駆除はコロナ菌のように実に大変だ。


「ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動」からの続き。


<◆資料公開によって明らかになっていく重大な真実: 1970年代末に「情報の自由法/FOIA」が成立して、FBIが秘密資料の公開を始めたが、すべてが解禁されてはいない。開示請求は莫大で、5年以上待たされることもあるし、非公開の規定も気まぐれだ。黒塗りや、どうしようもない文書、全体像のごく一部しか分からないものもある。それでも公開ファイルは増え続け、「何が起こったのか」を再構成するチャンスは増えてきている。


ソ連が1991年に崩壊し、旧ソ連文書館が門戸を開くようになった。モスクワの文書館で1992年に公開された文書は歴史学的に豊かな内容のものが多く、そのお陰で新しい歴史の著作が次々と出版された。


とは言え、ロシアの文書館の多くでは、いくつかのジャンルは未だに閉じたままである。とくに「ソ連軍事情報部の対外情報工作」「KGBの対外情報部門の文書」は研究者に開かれていない。旧ソ連の情報機関と現在のロシアの後継機関が連続していることから、当分は開示は難しいだろう。しかし、他の政府機関、裏口からアクセスできることもある。


しかし、米国でのソ連スパイ活動で最も重要な情報源は何といっても「ヴェノナ」解読文で、ロシアの文書館で未だに見られない文書が得られることがある。信頼性が高く、他の情報源の信頼性を判断するための試金石にもなるのである。


◆スターリンのスパイ攻勢 米国に焦点を移したソ連の大規模なスパイ活動:


20世紀の大半を通じて、大国の政府は平時でも戦時でもインテリジェンス/スパイ活動をしてきたが、スターリンほど広範囲に行ったケースはなかった。1920年代後半と30年代にスターリンはソ連情報機関の資源の大半を欧州とアジアの近隣目標に向けていた。ドイツや帝国日本からの脅威という彼の懸念からすれば、米国はまだ遠い存在だった。


しかし、1941年12月に(日本による真珠湾攻撃でそれまでの不介入を改め*)米国が参戦すると、この認識は大きく変化した。ドイツと日本が打倒された後は、世界中に影響力を持つ大国は3つしか残らないとスターリンは考えた。ソ連、英国、米国である。その中で最強なのは米国であろう。それが念頭にあって、スターリンの情報機関は米国に焦点を移したのである。


(*真珠湾攻撃に関する米国の機密文書は「100年封印」だったが、10年ほど前に「150年封印」に延長されたと記憶している。FDRルーズベルトは欧州戦線に対する米国民の「非戦」世論を参戦に転換するために、裏口である日本を挑発して、事前に日本軍の暗号を解読して真珠湾攻撃を知りながら日本の“奇襲”をまんまと引き出したのである。汚い手を使おうが、勝てばいいのであり、確かに米国は世界制覇を成し遂げた。その裏にはスターリンとFDRの工作があったようだ>(つづく)
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古人曰く「事実は小説より奇なり」。あり得ないことをさも起きたように書いて読者をびっくりさせるのが小説家なら、「あり得ないことが実際に起きた」ことを書くのが歴史家やルポライターのようだ。「歴史小説」というジャンルはあるが、ある程度歴史を踏襲しながら作家が解釈していくものだろう。


しかし、できる限り自分の解釈を排除して「現実の重み」「事実の重さ」を考古学者が遺跡を調査するように丁寧に掘り起こしていく史書、レポートは、時に「事実は小説より奇なり」という哲学的(=人間研究)な感動を与えてくれる。「ヴェノナ」を読んで歴史ファンとか歴史オタクの気持ちが少し分かってきた感じだ。歴史を知ることは、その延長である現在を知ることにもなるわけだ。フムフム、温故知新は脳トレに効くな。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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