連日更新、年末衝動買いシリーズ第3弾
実はこの「ウエハースの椅子」はQ&Aより前に読み終わってたもの。いろいろあって書きそびれていた。大好きな江國香織さんの恋愛小説。主人公の「私」は画家で不倫をしている。「私」の家を訪れるのは恋人と妹と野良猫、そして絶望だけ。淡々と語られる小学性の頃の思いでや家族のエピソードは、まさに江國節ゆっくりと流れる日々の中で、現れる愛することの絶望と、ほんの少しの狂気。(といっても私には狂気に感じられなかったけれど。)不倫をしている人も、そうでない人も共感できると思います。
人をほんとうに好きになることは、絶望と同意義なのです。
わたしは「愛」という言葉がきらいですが、それもまた絶望なのでしょう。それはその人を失うことを否応なく覚悟しなければいけないから。その幸せが壊れることを考えてしまうから。自分の世界に自分とその人しか存在しないなんて、この上なく恐ろしいことだ。そうなったら終わりな気がする。だって、ずっと絶望と向き合わなきゃいけない。閉じ込められている。
私たちはけものだ、って本文に出てくるんだけどそうだと思う。ほんとうは愛しあうことしかないのに、それしかできないのに、絶望と出会うのが怖くてきっと仕事とか社会のしくみを作って目をそらしているのだ。閉じ込められないように、逃げ場をつくって。
幸せはウエハースで作った椅子のようなものだ。
目の前にあるのに、椅子であるのに脆くて決して腰をおろせない。
江國さんの小説は、わたしが飲み込めずにいることをとても心地よい言葉で紡いでくれる。
実はこの「ウエハースの椅子」はQ&Aより前に読み終わってたもの。いろいろあって書きそびれていた。大好きな江國香織さんの恋愛小説。主人公の「私」は画家で不倫をしている。「私」の家を訪れるのは恋人と妹と野良猫、そして絶望だけ。淡々と語られる小学性の頃の思いでや家族のエピソードは、まさに江國節ゆっくりと流れる日々の中で、現れる愛することの絶望と、ほんの少しの狂気。(といっても私には狂気に感じられなかったけれど。)不倫をしている人も、そうでない人も共感できると思います。
人をほんとうに好きになることは、絶望と同意義なのです。
わたしは「愛」という言葉がきらいですが、それもまた絶望なのでしょう。それはその人を失うことを否応なく覚悟しなければいけないから。その幸せが壊れることを考えてしまうから。自分の世界に自分とその人しか存在しないなんて、この上なく恐ろしいことだ。そうなったら終わりな気がする。だって、ずっと絶望と向き合わなきゃいけない。閉じ込められている。
私たちはけものだ、って本文に出てくるんだけどそうだと思う。ほんとうは愛しあうことしかないのに、それしかできないのに、絶望と出会うのが怖くてきっと仕事とか社会のしくみを作って目をそらしているのだ。閉じ込められないように、逃げ場をつくって。
幸せはウエハースで作った椅子のようなものだ。
目の前にあるのに、椅子であるのに脆くて決して腰をおろせない。
江國さんの小説は、わたしが飲み込めずにいることをとても心地よい言葉で紡いでくれる。