3日(水)、この日は留学仲間のアチ君に誘われて、
アチ君の居合い道場の友達アンドレイさんに
エクスカーションに連れて行ってもらった。
エクスカーションといっても彼の車で彼の案内。無料です。
朝10時。寮の前まで迎えに来てもらい、出発。
アチ君の知り合いなので、俺は遠慮がちに後ろの席に座り、
行きの道中は大人しく窓の外を眺めていた。
車はレーニンスキー・プロスペクトからサドーバエ環状~ヤウザ川沿い
~ソコーリニキ公園そばを通り抜け、プロスペクト・ミーラ~モスクワ大環状(МКАД)
~ボロコラムスコエ街道を快適に飛ばしながら走ってゆく。
さすが新年、ドえらく道が空いている。
車中ではアンドレイが馴染みの場所を色々説明してくれ、
アチ君がそれに耳を傾ける構図。俺は後ろで2人の会話を聞いていた。
ボロコラムスコエ街道に入ると途端に都会らしさが消え、周りは一面冬の森。
ときたま村を通り抜けるが、中には「ここは誰も住んでないから名前がない」
とアンドレイに説明された場所も。モスクワ北西の端から約30~40キロのところで、
ようやくお目当ての場所、ノーヴィ・エルサレムに着いた。出発から1時間と少し。
この「歴史的・建築学的・美術的博物館」ノーヴィ・エルサレム修道院は、
本家エルサレムのユダヤ寺院を模して造られた様でこの名前がある。
中には地下6メートルから建てられている教会が一つと、
その横にある修道院のメインをなす教会が一つ。
更にその2つそれぞれに小さな教会が1つ~2つくっついている構造。
メインの教会は第2次世界大戦のナチスによる破壊から修復されておらず、
その横の付属の教会が現在の主要な役割を担っていた。
そこには聖女タチアナの遺体が安置されており、新しく再建された壁は、
壁一面が水色で塗られ、とても綺麗だった。
しかしナチスが持ち去ったため、普通ならイコンを置くべき場所が空っぽだった。
メインの建物の反対側にはかつての総主教ニコンを祀ってあり、
(祀るという言い方が正しいのかどうか知らない)
狭い部屋ながらちょっと厳格な雰囲気を醸し出していた。
地下教会は、地下への階段がエルサレムの段数と同じ数という。
イコノスタスという教会内部正面にある壁からほとんどのイコンが持ち去られ、
ここでも戦争の傷跡が。中では聖なる水を配っていた。
内部でカメラを撮っているロシア人がたくさんいるので不思議に思っていたら、
ここは内部の撮影が許可されているとの但し書きがあった。
活動している教会かと思ったら完全な博物館か!ちょっとがっくり。
さっき「厳格な雰囲気を・・・」と言ったのは取り消します。
昼は修道院の端にある美術館兼カフェで紅茶とピロシキの昼飯を食べ、
午後は外の公園を散策。18~19世紀頃の農民の家が面白かった。
農民といってもこれは富裕な部類に入る家のようで、きっと農奴ではないだろう。
ペチカという暖炉があり、その上には1~2人分の寝れるスペースがある。
また窓には雨戸の換わりに木の扉。いかにもロシアならではの構造。
ただ玄関が2つある造りは珍しいようで、アンドレイも不思議がっていた。
でもその他は、農家の道具や薪置き場など、あまり日本と変わらないかな?
公園の端には小川が流れており、昔スーズダリに行ったときのような、
「ロシアの田舎」って感じがヒシヒシとした。(スーズダリについてはコチラ参照)
修道院内部の見学の最中は別のエクスカーション組がいて(って俺らは本当は違うけど)、
それについていって説明を聞き、アンドレイが分かりやすく俺に説明してくれ、
それを俺がアチ君に日本語で説明するという4段階構造。
結局修道院内部に入ってからは、ほとんど俺が話していた気がする。
すまん、アチ君。
3時頃修道院を後にし、来る途中の道沿いにあった戦没者記念碑に寄った。
ここは第2次世界大戦の対ナチス・モスクワ防衛線で全滅した
シベリア出身の兵士達に敬意をこめて記念碑が建てられた場所で、
周りには旧ソ連軍の戦車や対空砲、明らかに近代の弾道ミサイルのようなものや、
中にはドイツ軍の戦車ティーゲルまで展示されていた。
っていうか展示というより雨ざらしに置いてあるだけという感じもしたが・・・
記念碑の周りには「第16機甲兵団・ルーキン将軍」みたいな但し書きもあった。
それより何より面白かったのは、アチ君が急に生き生きとしだしたこと。
修道院の中では非常に大人しかったのが、ここでは率先して写真を撮りたがっていた。
何故かと尋ねたら、友達に兵器マニアがいて写真を見せたいらしい。
「自分の趣味じゃないのかよ!」
帰りの道中、大環状沿いにあるリーガという巨大ショッピングモールに寄り、
この中にある「ムー・ムー」で少し早い晩飯。
アンドレイは仕事の後、居合い道場に行く前に此処でよく晩飯を食べるらしい。
で、驚いたことにムー・ムーでも全額アンドレイがご馳走してくれた。
ノーヴィ・エルサレム内部の入館料(修道院のみなら無料)も昼飯も、
全て払ってもらっていて、更には夕飯まで!ちょっとびっくりしたが、
「君達はお客さんだから」と言ってくれたのでありがたく好意に甘えた。
結局使ったのは一番最初のトイレ代8ルーブルのみだった。。。
夕方6時、寮到着。帰りも寮の前まで送ってもらったので、しっかりお礼を言って別れた。
今日は朝早くから、丸1日を使って俺たちを案内してくれるなんて、
なんていい人なんだ。アンドレイに感謝。
そして素晴らしいエクスカーションに誘ってくれたアチ君にも感謝。
アンドレイがこれだけしてくれるということいは、
居合い道場でアチ君が良い関係を築いているということだろう。素晴らしい。
ただアチ君よ、1つ言うとしたら、もう少し会話の練習はした方が良いぞ。
アチ君の居合い道場の友達アンドレイさんに
エクスカーションに連れて行ってもらった。
エクスカーションといっても彼の車で彼の案内。無料です。
朝10時。寮の前まで迎えに来てもらい、出発。
アチ君の知り合いなので、俺は遠慮がちに後ろの席に座り、
行きの道中は大人しく窓の外を眺めていた。
車はレーニンスキー・プロスペクトからサドーバエ環状~ヤウザ川沿い
~ソコーリニキ公園そばを通り抜け、プロスペクト・ミーラ~モスクワ大環状(МКАД)
~ボロコラムスコエ街道を快適に飛ばしながら走ってゆく。
さすが新年、ドえらく道が空いている。
車中ではアンドレイが馴染みの場所を色々説明してくれ、
アチ君がそれに耳を傾ける構図。俺は後ろで2人の会話を聞いていた。
ボロコラムスコエ街道に入ると途端に都会らしさが消え、周りは一面冬の森。
ときたま村を通り抜けるが、中には「ここは誰も住んでないから名前がない」
とアンドレイに説明された場所も。モスクワ北西の端から約30~40キロのところで、
ようやくお目当ての場所、ノーヴィ・エルサレムに着いた。出発から1時間と少し。
この「歴史的・建築学的・美術的博物館」ノーヴィ・エルサレム修道院は、
本家エルサレムのユダヤ寺院を模して造られた様でこの名前がある。
中には地下6メートルから建てられている教会が一つと、
その横にある修道院のメインをなす教会が一つ。
更にその2つそれぞれに小さな教会が1つ~2つくっついている構造。
メインの教会は第2次世界大戦のナチスによる破壊から修復されておらず、
その横の付属の教会が現在の主要な役割を担っていた。
そこには聖女タチアナの遺体が安置されており、新しく再建された壁は、
壁一面が水色で塗られ、とても綺麗だった。
しかしナチスが持ち去ったため、普通ならイコンを置くべき場所が空っぽだった。
メインの建物の反対側にはかつての総主教ニコンを祀ってあり、
(祀るという言い方が正しいのかどうか知らない)
狭い部屋ながらちょっと厳格な雰囲気を醸し出していた。
地下教会は、地下への階段がエルサレムの段数と同じ数という。
イコノスタスという教会内部正面にある壁からほとんどのイコンが持ち去られ、
ここでも戦争の傷跡が。中では聖なる水を配っていた。
内部でカメラを撮っているロシア人がたくさんいるので不思議に思っていたら、
ここは内部の撮影が許可されているとの但し書きがあった。
活動している教会かと思ったら完全な博物館か!ちょっとがっくり。
さっき「厳格な雰囲気を・・・」と言ったのは取り消します。
昼は修道院の端にある美術館兼カフェで紅茶とピロシキの昼飯を食べ、
午後は外の公園を散策。18~19世紀頃の農民の家が面白かった。
農民といってもこれは富裕な部類に入る家のようで、きっと農奴ではないだろう。
ペチカという暖炉があり、その上には1~2人分の寝れるスペースがある。
また窓には雨戸の換わりに木の扉。いかにもロシアならではの構造。
ただ玄関が2つある造りは珍しいようで、アンドレイも不思議がっていた。
でもその他は、農家の道具や薪置き場など、あまり日本と変わらないかな?
公園の端には小川が流れており、昔スーズダリに行ったときのような、
「ロシアの田舎」って感じがヒシヒシとした。(スーズダリについてはコチラ参照)
修道院内部の見学の最中は別のエクスカーション組がいて(って俺らは本当は違うけど)、
それについていって説明を聞き、アンドレイが分かりやすく俺に説明してくれ、
それを俺がアチ君に日本語で説明するという4段階構造。
結局修道院内部に入ってからは、ほとんど俺が話していた気がする。
すまん、アチ君。
3時頃修道院を後にし、来る途中の道沿いにあった戦没者記念碑に寄った。
ここは第2次世界大戦の対ナチス・モスクワ防衛線で全滅した
シベリア出身の兵士達に敬意をこめて記念碑が建てられた場所で、
周りには旧ソ連軍の戦車や対空砲、明らかに近代の弾道ミサイルのようなものや、
中にはドイツ軍の戦車ティーゲルまで展示されていた。
っていうか展示というより雨ざらしに置いてあるだけという感じもしたが・・・
記念碑の周りには「第16機甲兵団・ルーキン将軍」みたいな但し書きもあった。
それより何より面白かったのは、アチ君が急に生き生きとしだしたこと。
修道院の中では非常に大人しかったのが、ここでは率先して写真を撮りたがっていた。
何故かと尋ねたら、友達に兵器マニアがいて写真を見せたいらしい。
「自分の趣味じゃないのかよ!」
帰りの道中、大環状沿いにあるリーガという巨大ショッピングモールに寄り、
この中にある「ムー・ムー」で少し早い晩飯。
アンドレイは仕事の後、居合い道場に行く前に此処でよく晩飯を食べるらしい。
で、驚いたことにムー・ムーでも全額アンドレイがご馳走してくれた。
ノーヴィ・エルサレム内部の入館料(修道院のみなら無料)も昼飯も、
全て払ってもらっていて、更には夕飯まで!ちょっとびっくりしたが、
「君達はお客さんだから」と言ってくれたのでありがたく好意に甘えた。
結局使ったのは一番最初のトイレ代8ルーブルのみだった。。。
夕方6時、寮到着。帰りも寮の前まで送ってもらったので、しっかりお礼を言って別れた。
今日は朝早くから、丸1日を使って俺たちを案内してくれるなんて、
なんていい人なんだ。アンドレイに感謝。
そして素晴らしいエクスカーションに誘ってくれたアチ君にも感謝。
アンドレイがこれだけしてくれるということいは、
居合い道場でアチ君が良い関係を築いているということだろう。素晴らしい。
ただアチ君よ、1つ言うとしたら、もう少し会話の練習はした方が良いぞ。