goo blog サービス終了のお知らせ 

阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

新生と聖霊のバプテスマとの区別

2016-02-21 21:15:58 | Weblog

新生と聖霊のバプテスマの区別

聖書 使徒1:4~5、使徒8:14~17

題  新生と聖霊のバプテスマの区別

暗唱聖句

使徒1:8

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

 

はじめに

私たちはペンテコステの教会に属しています。ですから、多くは聖霊のバプテスマの体験をもっています。そして、聖霊のバプテスマについて、何らかの情報をもっています。しかし、聖書が教える聖霊のバプテスマについて、理論的なことはあまりわからないというのが正直なところです。今年の教団の標語の聖句は使徒の1章8節です。「 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」そこで、今年は聖霊のバプテスマについて、また聖霊の働きなどについて少し深く学んで行きたいと思っています。今年は祈りと聖霊のバプテスマについて学び、セルを通して伝道していきたいと思っています。伝道するためには家族や友人に仕えて行く献身的な態度が必要です。そのためには祈り、そして、聖霊の満たしを受けて、助けていただかなければなりません。活き活きしたクリスチャン生活の秘訣は聖霊のバプテスマを受けることです。11月に聖霊のバプテスマを受けた姉妹に聞いてみました。「受ける前と受けた後は何が違いますか。」と。するとこう答えてくれました。「心に喜びがあります。」

 

Ⅰ.新生と聖霊の内住

新生というのはイエス様を信じて、新しく生まれ変わることです。私たちを新生させ、新しい命を与えてくださるのは聖霊です。クリスチャンというのは新しく生まれた人です。御霊によって生まれた人です。ヨハネの福音書にニコデモという人がイエス様を密かに訪ねてきた事が書いてあります。ニコデモは教えを受けに来たのです。ですから、イエス様は教えられました。「人は、水と御霊によって生れなければ、神の国に入ることができません。(新改訳ヨハネ3:5)」

創造主訳ではもう少しわかりやすく説明されています。

ニコデモには霊の生まれ変わりと肉体の誕生との区別がつきませんでした。そこでイエス様は良く説明をなさいました。(5~8節)「よく言っておきますが、確かに、どんな人でも肉体の誕生だけでなく、聖霊による霊の生まれ変わりを経験しなければ、創造主の国に入ることはできません。肉体の誕生しかしていない人は、生まれながらの人に過ぎません。聖霊による霊の生まれ変わりを経験した人だけが、生まれ変わった人です。霊の生まれ変わりについて私が言ったことを、不思議に思わないでください。ヘブル語では、聖霊と同じ言葉である風のことを考えてごらんなさい。風は、それが吹いていても、目で見ることはできませんし、その結果である音を聞くことができても、それが風そのものであるとは限りません。しかし、目で見ることはできなくても、風が吹いていることは確かでしょう。聖霊による生まれ変わりもちょうどそれと同じです。」(ヨハネ3:5~8創造主訳)。これは聖霊の働きの結果、起こった業です。新生、生まれ変わりは聖霊の御業です。これは聖霊による密かな御業です。その人だけに自分におきたことがわかるのです。

ローマ8:9「けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。」これは、クリスチャンであれば、誰でもが聖霊をもっていることを示しています。その人の内に、神の聖霊が内住しておられるのです。クリスチャンの心には聖霊が住んでおられるのです。クリスチャンが聖霊をもっていないことは考えられません。人が信徒になり、聖霊を内側に持っていたとしても、聖霊は内住しておられたとしても、聖霊のバプテスマを受けていない事はあります。それは珍しいことではありません。私たちの内側での聖霊の働きは罪を悟らせ、啓発を与え、新生させます。これはわたしたちの内側で行われる聖霊の働きです。密かに行われるものです。第三者からは目に見えない働きです。

 

Ⅱ.聖霊のバプテスマ

聖霊のバプテスマは、主イエス・キリストによってなされるものです。バプテスマのヨハネはこう言っています。(マタイ3:11)「私は、・・・・水のバプテスマを授けていますが、・・・・その方(イエス)は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」聖霊のバプテスマはキリストが私たちに聖霊によってバプテスマを授けてくださることなのです。新生し、聖霊が内住してクリスチャンになることと、聖霊のバプテスマは明らかに違うものです。この聖霊のバプテスマはイエス様が生きておられる時にはまだ与えられていませんでした。

(ヨハネ7:37~39)「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。

 7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』

 7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。」

聖霊はいつもおられました。旧約聖書時代にもおられました。しかし、キリストが与えるこのようなかたちでの聖霊のバプテスマはまだ与えられていませんでした。イエス様が十字架にかかって栄光の業を成し遂げておられなかったからです。聖霊はペンテコステの日に与えられました。このペンテコステの日に聖霊を受けた使徒たちは、それより前に、イエスを信じて神の子になっていた人たちでした。新生していた人々です。

(ヨハネ15:3)「15:3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。」

(ヨハネ17:8)「それは、あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたから出て来たことを確かに知り、また、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。」彼らはイエス様を受け入れ、信じていたのです。

復活後、イエス様は、部屋の中で弟子たちに姿を現わされました。その時「息を吹きかけ」られました。主は彼らに聖霊を吹きかけられたのです。(ヨハネ20:21~22)「イエスはもう一度、彼らに言われた。『平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。』

 20:22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。』」

この人たちは信徒であるだけでなく、新生したクリスチャンでした。主イエスは彼らに聖霊を吹きかけられました。しかし、まだ、聖霊のバプテスマは受けていなかったのです。

 

(使徒の働き1:4~5)「彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。『エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

 1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。』」その後、イエス様は言われました。(使徒1:8)「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」この人たちは新生体験をしたクリスチャンでしたが、まだ、聖霊のバプテスマは受けていませんでした。ペンテコステの日に受けたのです。

 

使徒の働きの8章から、ピリポの伝道を見てみましょう。ピリポは聖霊のバプテスマを受けて、聖霊に満たされたクリスチャンでした。ピリポはエルサレムで迫害に遭ったので、サマリヤに下って行って、イエス・キリストのことを伝えていました。ピリポが福音を伝えると、皆揃って耳を傾け、主イエスを信じた彼らは男も女もバプテスマを受けました。その町に喜びが起きました。

エルサレムではサマリヤの人々が神の言葉を受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを遣わしました。二人は下って行って、人々が聖霊を受けるように祈りました。彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていましたが、まだ、聖霊は誰にも下っていませんでした。二人が手を置くと、彼らは聖霊を受けました。これらの人々は十字架のイエス・キリストを救い主として告白し、イエスの御名によって、バプテスマを受けた真のクリスチャンでした。しかし、まだ、聖霊のバプテスマは受けていませんでした。

 パウロについて。(使徒の働き9章)

当時、パウロの名前はサウロでした。サウロはダマスコに行く途中で、復活の主にお会いしました。この時、サウロは主イエスに出会い、主イエスを信じたのです。目が見えなくなったサウロを同行のものがダマスコに連れて行きました。そこで3日間、断食して祈っていました。15節、主はアナニヤという人を選んで、サウロの所に遣わされました。アナニヤは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたの来る途中、あなたに現われた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。アナニヤはサウロに救いの道を示したのではありません。アナニヤは、サウロを癒し、聖霊で満たすために、聖霊のバプテスマを授けるために遣わされたのです。するとただちに、サウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになった。彼は立ちあがって、バプテスマを受け・・・」聖霊のバプテスマは水のバプテスマの前に受けられることを示しています。その逆もあり、水のバプテスマの後になることもあります。

サウロはすぐに諸会堂でイエスは神の子であると教え始めました。

 

Ⅲ.聖霊のバプテスマはいつ受けるのか

使徒の働き19章から。

アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、

 19:2 「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。

 19:3 「では、どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、「ヨハネのバプテスマです」と答えた。

 19:4 そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。

 19:5 これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。

 19:6 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。

幾人かの弟子たちに出会って、「信じてから、聖霊を受けましたか。」とたずね、「まだだ」と答えると、手を置いて祈ったら、聖霊を受けました。

 

10章ではコルネリオの家で、ペテロがまだ話しているうちに、聖霊が下った。そして、彼らが異言で話し、賛美するのを聞いた。それで、ペテロたちは異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので、驚いた。

ここでは、彼らが神の言葉を聞いて、彼らが信じた時ほぼ同時に、聖霊のバプテスマを受けています。

(エペソ1:13~14創造主訳)「 あなたがたユダヤ人でない人たちもまた、真理の言葉である救いの福音を聞き、そのキリストを信じたために、キリストのものであるという印の証印を、約束通り聖霊によって押されている。その聖霊は、私たちが創造主の国を継ぐことの保障であって、やがてこの世の終わりに、創造主に属する者たちの救いが完成し、創造主の偉大さをほめたたえるためである。」

まとめ

1、聖霊のバプテスマと内住の聖霊とは異なる。聖霊の内住は主イエスを信じる時に起こる。そしてそれは、外側からはわからない。その人自身しかわからない密かな聖霊の働きである。

2、聖霊のバプテスマは主イエス・キリストが聖霊によって授けてくださるバプテスマである。十字架、復活、昇天の後、ペンテコステの時に注がれた。

3、聖霊のバプテスマは主イエスを信じているクリスチャンに注がれる。信じると同時だったり、信じてからだったりする。長く求めて、やっといただく場合もあります。聖霊の内住がなければ、仮に上から聖霊のバプテスマを注いでも、聖霊の泉は外に湧きあがってくることはないと言えるかもしれません。主イエスを信じている、既に聖霊の内住があること、飢え渇きがあるということが大切です。

4、「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。」(ヨハネ1:16)これはクリスチャンの真の姿です。豊かな恵みを受けたものがさらに恵みを受け続けて行く。これがクリスチャンの人生です。この聖霊のバプテスマを受け、キリストの豊かな恵みを受けとりましょう。少しの恵みで満足しないで、求め続けましょう


最新の画像もっと見る