2018.12.30.聖霊に満たされた生き方
聖書 エペソ5:18~20
題 聖霊に満たされた生き方
暗唱聖句 (エペソ5:20)
「 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。」
はじめに
いよいよ、今年最後の礼拝になってしまいました。あっという間に2018年も過ぎ去っていきますね。今年も暗いニュースが多かったような気がします。特に台風や地震で被災された方々にはなんと申し上げてよいかわからないほどです。「折にかなった助けが与えられますように」と祈らせていただくものです。終わりの時代になると、「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。(マタイ24:7)」と聖書には書かれています。「これらは産みの苦しみの初めです。」と言われています。
そのような時代に入っていることを知り、神のご計画を知ることができるようにますます、熱心に祈り、主に近づいていきましょう。
3週間ほど前のメッセージで異言のことについて、語りました。その時、「パウロは異言で祈っても、他者の知性を引き上げることはできない、何故なら、そこには異言を解釈して、共通語で伝える人がいないからです。もし、キリストの体全体を引き上げようとするなら、異言で祈り、そこで解釈をしなさい、そしてみんなにわかるように、通訳して、伝えなさい。そして、その賜物を生かしなさい。」と教えました。
パウロは決して異言を軽んじているのではありません。むしろ、とても大切に扱っているのです。ただ、私たちの神は、「神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。」(Ⅰコリント14:23)ですから、どのようにこの賜物を生かしていくべきか、忍耐深く教えています。
今日のメッセージは「聖霊に満たされた生き方」についてです。
今日、多くの人々が聖霊のバプテスマを受け、聖霊体験というものをするようになりました。彼らは新しい言葉を語るようになりました。(使徒19:6)「パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。」このような霊の賜物をいただく聖霊体験をしています。
20世紀最後の10年間ではペンテコステ派やカリスマ派と言われる人たちが世界で3億5千3百万人になっているそうです。
彼らは素晴らしい聖霊体験をするのですが、そのあと、自らを聖別しない生活をしている人たちがいます。その人たちには、それらの聖霊体験がその後の彼らの成長に邪魔になっているというのです。その素晴らしい体験は彼らにとって無価値になってしまっているのです。
もったないことです。
1.御霊に満たされなさい。
パウロは「聖霊に満たされなさい」と言いました。
(エペソ5:18~20)
「また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。
5:19 詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。5:20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。」
パウロは清められた生活をすることは当然だと思っていました。神に喜ばれない習慣は早く、消し去ってしまわなければならないと考えていました。聖霊に満たされることと満たされないことは全く反対のことです。例えば、アルコールを酔っぱらうほど飲むことに賛成しているクリスチャンは聖霊に満たされることに反対する人が多くいます。しかし、聖書は「聖霊に満たされなさい。」と命令しています。ですから、聖書の命令に従うべきです。「聖霊に満たされ続けていなさい。」という、ただ一つの命令に従うこと、それがクリスチャンの生き方です。
(ガラテヤ5:16~17)「5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。」
聖霊に満たされるためには祈りに関心を向けることです。
聖霊のバプテスマは、きわめて重要です。これは求める人には誰にでも与えられるものです。その結果、聖霊を受けたら、その体験を継続させることができるようにしなければなりません。それは弟子としての訓練です。エペソ5:19~21には瞑想、賛美、感謝、服従があります。良い習慣を取り入れ、祈りの中で、それらが身につくように、闘い取っていきます。聖霊が助けてくださいます。その結果、御霊に満たされ続けた結果の生き方が現れてきます。御霊の実を結ぶようになります。
2.賛美
(エペソ5:19)「 詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。」
19節に「互いに語り」とある言葉は「自分自身の内で語る」という意味に理解してもよい言葉です。パウロは「もし解き明かす人がだれもいなければ、・・・自分だけで、神に向かって話しなさい。(1コリント14:28)」と言っています。聖霊に満たされた生き方は、内なる礼拝によって養われるということも可能です。自分で礼拝するとき、詩篇や賛美、霊の歌などで、主をほめたたえることを表現できます。賛美は詩篇だけでなく、一般的なキリストをほめたたえる歌でもよいのです。「霊の歌」は異言によって神への賛美を歌うことです。「詩と賛美と霊の歌とをもって、」というのは楽器を含むものです。旧約聖書の中では楽器も含まれていました。
ハロルド・ホートンという人の考察:「『霊の歌において』・・・自分自身に語る」ということは聖霊によって与えられたメロディを異言で歌うということです。語るというのは歌でも同じで、御霊によって、自分自身に語り、私たちの徳を高めるものとなるのです。
異言で語るということは「自分の中に井戸をいただくことになります。」荒野に井戸を掘るのと同じです。「歌う」というのは乾ききった砂漠に泉を掘り起こすことです。
心を込めて、主に歌うことと音楽を作ることは、自分の内なる人の清い心から詩篇、賛美、霊の歌が溢れ出ることを意味しているように思えます。
(イザヤ12:3)「あなたがたは喜びながら 救いの泉から水をくむ。(マイム、マイムの歌はこの詩が源)」
3.感謝
(エペソ5:20)「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。」
感謝をささげることは、御霊に満たされた歩みをする人の本質的な生き方です。そして、御霊に満たされ続ける生き方をする重要な手段、方法でもあります。いつでも感謝することを通して、魂が神のご臨在に近づいていきます。それは父なる神に近づくことへの導きでもあります。聖霊は父なる神から来られます。このことは主イエス・キリストの御名によってなされるのです。
4.従順
(エペソ5:21)「キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。」
「たがいに従い合う」ということは、自分の権利をほかの人のために譲るという意味です。ほかの人々にとって最も良いことを行い、神が与えられた目的をその人々が達成できるように助けることです。まずはキリストの家族全員に、このことを適応することです。
本質的な従順はキリストご自身に対するものです。
従順は、聞かれる祈りを根底から支えるものです。祈りの従順がなされなかったら、聖霊に満たされた生き方はあり得ません。従うことこそ、至聖所に招き入れられる秘訣です。従う事の模範はイエス様の生き方です。イエス様は父なる神様のみこころにかなうことを行っておられました。父なる神様に従順だったのです。
マタイ11:28「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
マタイ11:29「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」
「わたしは心優しく、へりくだっているから。」とは、「わたしは父とそのみこころに完全に従っているから」というのと同じ意味です。
信仰の家族の内部で、従い合うということが欠けているならば、それは神に対する本質的な反抗に元をたどることができます。従順を拒むということは、祈りと、聖霊に満たされた生き方にとっての妨げになるのです。
聖霊に満たされた生き方の特徴として、服従、謙遜、柔和、忍耐、尊敬などが神の家族全体の特徴として生活の中に見ることができなければなりません。
4.まとめ
① 聖霊に満たされた生き方に反するもの(肉の生き方、古い自分の生き方)
(ガラテヤ5:19~21)
「肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
5:21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。」
② 聖霊に満たされた生き方
(ガラテヤ5:22~26)
「 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
5:25 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。
5:26 互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。」
(ガラテヤ6:1~2)
「6:1 兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。 6:2 互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」