蝸牛の歩み

「お話」を作ってみたくなりました。理由はそれだけです。やってみたら結構面白く、「やりたいこと」の一つになっています。

駄著『天皇論』

2015-05-26 19:35:21 | 日記
 『天皇論』小林よしのり・小学館
を読みました。時間の無駄でしたね。小学生の夏休みのレポートみたい。画面構成が汚い。私は、小林のことを一度として「漫画家」として認めたことはありません。これほど絵がぞんざいで、空間構成力もないシロートが、漫画家と自称しているのは、噴飯と言ってよろしいかと思います。
 小林は、若き日の自分を全否定しています。つまり、この本は、小林の「私はいかにして転向したのか」という内容の本なのですね。

 で、転向者の常として、過去の自分を全否定し、ついでの事にわずかながらでも持っていた「理性」も投げ捨てて、「感情のダダ漏れ」状態を良しとし、ファンタジーの世界に入り込んだわけです。

 この転向者は、完全に上から目線で、「無知な連中に教えてやる」という態度を隠そうともしません。古来より日本人の美徳であり、素養として存在していたのは、「恥じらい」、「含羞」ともいうべきものでしたが、この男にはそれは欠片もありません。ただひたすら自分の好みに合った本だけを読み、その内容を書きなぐるだけ。そう、「書きなぐる」という表現がぴったりのなんとも汚い画面です。

 面白いのは、自分の気に入らないことを言う人間をすべて「サヨク」「共産主義者」扱いしていることです。笑ってしまったのは、鎌倉幕府の成立年代が、従来の1192年から1185年に代わろうとしている点にかみついているところです。「源頼朝の支配権が西国に及んだ時を幕府の成立にするらしい。要するに、頼朝が天皇から『征夷大将軍』に任じられたときにしたくないわけだ」(p120)という部分。歴史学では、「鎌倉幕府の本質とは何か」を論じ、そして、1185年を「朝廷が守護・地頭の任命権を許可する」「部門を担う国家的な権門と認められる」として、「武家政権としての鎌倉幕府が確立した」(『詳説 日本史』山川出版 p97)これは、純粋に学問的な議論であって、頭の中にお花畑がある人間の口を差し挟める問題ではないのです。少なくとも、「なぜ1192ではなくて、1185なのか?」という疑問を持ったのであれば、専門書の二、三冊でも読む労をとるべきでしょうが、この転向者は感情剥き出しで、自分の(あるいは他人の受け売りか)何の根拠もない珍説を披露するわけです。
 
 神話も事実も関係なく、何の脈絡もなしに話は展開しますし、現天皇と、昭和天皇の話がごちゃごちゃになって出てきます。頭の中が整理されていないからこんな雑な本になったんでしょうね。

 最後に、小林は「自画像」が多数ちりばめています。本物との落差に私などは驚嘆いたします。連想するのは、山岸さんの本の中に出てくるあのポンチ絵のような自画像。最近では、「仕事中の私」と題した吉永史さんの自画像を拝見したことがあります。
 私の評価基準はここにあります。自分を客観視できない、過去の自分を否定して、まるで賢くなったかのような錯覚に陥る。こういう人間の書いたモノには一円の値打ちもありません。amazonでは、古本で86円から売っているようですが。

 こんなことを書くことも時間の無駄であったかもしれません。