お遊びガイドの今昔

2007-10-28 18:04:52 | お遊び話
 私は風俗ライターじゃないけどこんなことも付け加えておこう。昔の男達はお遊びの情報を何処から入手してたのか?
 嶋原も吉原も、実は廓遊びの情報誌は遙か昔からあったんだね


 吉原の廓遊びにかかせなかったのが吉原細見(よしわらさいけん)」
 これには遊女屋(=妓楼)の地図や遊女の名前、揚代(料金)などが一覧で示された、いわば現代のマップ付きプレイタウン情報誌といったもの。
 好き者たちは吉原細見でしっかり下調べして遊んでいたワケ。(吉原ガイドなる細見片手に妓楼めぐりをしていた男衆も多かったわけだ

*吉原細見(よしわらさいけん)…廓遊びのための情報誌といったもの。細見には、吉原遊廓内の遊女屋、遊女の名・位付(くらいづけ)、芸者・茶屋・船宿の名、揚代、紋日・名物などが詳しく記されていて、その情報は毎年更新されて出版された。吉原細見を見れば、どこの遊女屋にどんな遊女がいるのか、そして揚代金はいくらかが一目でわかったのである。遊女の名前の上には、遊女の格を示す「合印(あいじるし)」と呼ばれたマークが付けられ、この合印によってお遊び代の見当をつけることができた。
 「吉原細見」は、冊子仕立てのもの。冊子形式以前は一枚仕立ての絵図形式で出版されていた。画像は冊子でなく板書された細見。絵図形式の細見は携帯に不便なため、享保年間を境としてすたれ、代わって小横本型の冊子が現れた。この冊子形式を普及させたのが歌磨や写楽を世に出した蔦屋(つたや)。天明(1781~89)以後この冊子形式が近代に至るまで細見の基本形となった。(各地にある遊郭でも、吉原細見のこの形式を模して細見が作成された)

 他にも「洒落本(しゃれぼん)」と呼ばれる当時のインテリが書いた一種の恋愛マニュアル本などを手にして、人々は吉原での遊びを満喫しようとした。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 花魁(おいらん)遊びのしきたり | トップ | 男の究極の夢。それは… »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

お遊び話」カテゴリの最新記事