komaの こまごまひとりごと

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母子ハッピー神話(考えたこといろいろ 4)

2014年05月08日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

  前回は、ストレスから子どもにやつあたりしてしまう気持ちについて書きました。

    そんなことをする前に、ほかの何かで発散したいものですが、そう簡単に思いつかないのが子育てママのつらいところ。
 子どもがいないころにやっていた、自分自身のストレス解消法。
 その解消法を、出産後も同じようにやれる人が、いったいどれだけいることか。

 

 で、私の場合も、うまく処理できないストレスを持てあましていたわけですが。
 今になって考えれば、当時の私はある固定観念に縛られていて、そのせいでますます身動きできなくなったような気がするんです。
 っていうか、実は今でも乗り越えられてはいないんですけどね。

 
 それは・・・「楽しい子育てが、良い子育て」という固定観念。
 「妊娠はうれしいもの」「子育ては楽しいもの」「子どもといっしょだから幸せ」「うれしくて楽しくて、幸せであるべき」・・・そんなイメージ。
 たとえば、大きなおなかをなでながら、幸せそうにほほえむ妊婦さん。
 腕の中の赤ちゃんに、やさしく笑いかけるお母さん。
 幸せ、希望、未来・・・それらすべての象徴としての、妊娠、出産、そして育児。


 たとえばマタニティ時代ですが、私はつわりが長くていつも体調不良。予想したようなマタニティライフを、まったく送れませんでした。
 これには、落ち込みました。つわりが過ぎれば、イメージ通りのハッピーな妊婦さんになれると信じていたため・・・。
 で、困ったことに、当時の私はこう思ったんです。
 「どんなに具合が悪くたって私はママになるんだから、赤ちゃんのことを思えば元気な気持ちになれるはず。なれないのは、私の性格が暗すぎるからだ。私ってダメだなあ。こんな私が、ママになってもいいのかしら・・・」

 具合が悪いこと自体もストレスでしたが、それに加えて、この「ダメだなあ」の感覚が、二重のストレスだったんですね。
 これ、ハッピーなイメージを持っていなければ、味わわなくていいストレスですよ。

 

 出産後の乳児期も、幼児期も・・・。
 こんなふうに考えました。
 「待望の赤ちゃんが生まれて、最高にハッピーなはずなのに、つらいなんておかしい。なんでこんなにマイナス思考なんだろう。母親には向いてないんだわ」
 だって、私の中の母子像は、マリアさまとは言わないまでも「幸せそうに寄り添いあう母と子」だったから。

 

 要するに、イメージ貧困。
 ドラマや少女マンガなんかでよく使われるイメージ像を、そのまま鵜呑みにしていたわけです。
 でも、そういうものがよく使われて、しかも感動的なシーンとして処理されていても、誰も不思議には思いませんよね。
 ということは、それは社会的に認められているイメージ、社会全体に広がっている観念と考えてもいいってことですよね。

 たしかに、まちがってはいないんです。
 っていうか、合ってますよ。
 幸せの象徴としての母子像、まさにその通り。正しいです。

 
 でも、これには弊害があって・・・。
 先に書いたとおり、自分がイメージに合わない場合、自分自身への評価がガタ落ちするという弊害。
 そしてそれを、なかなか人に打ち明けることできないという弊害。

 まず第一に、そんな情けない自分の心を、人にばらしたくありません。
 次に、もしばらしたとしても、相手がわかってくれるとは思えません。
 聞いている側にも、ハッピー神話の強固なイメージがあるかもしれないからです。

 いちばんありそうで怖いのは、「この人、自分の子がかわいくないのかしら」「愛情不足じゃないの?」という反応。
 ここまで思われなくても、「まあ、うまく子育てできない人なのね」「母親ならみんなやってることなのに・・・」。

 逆に「大変だけど楽しくて!」なんて言った場合は、「すてきなお母さんねえ」。
 ランクアップ、まちがいなし。そんなふうに言えるお母さんは、本当に魅力的ですからね。

 だから、子育てのストレスとか悩みを誰かに話すときは、すごく気を遣う。慎重になる。
 言いたいことも、相手の反応を見ながら、半分くらいでひっこめたり。
 職場の上司の悪口なら、思う存分おしゃべりして発散できるのに、我が子の悪口なんて、とてもじゃないけど言えません。
 したがって、発散することもできません。
 悩み相談したくても、相手に心を開いて説明できないから、なかなか理解してもらえない。
 相手のほうでも、固定観念が邪魔をして、なかなか受け入れられない・・・。

  

 ちなみにこの母子ハッピー神話(いま勝手に命名)、世代も男女も問わないような気がします。
 まず男性は、母親にいじめられた過去がある人以外は、ほぼ全員持っているんじゃないでしょうか。
 それから、子育てをかなり昔に卒業した先輩がた。
 人間うまくできたもので、つらい記憶はじょじょに消え、ハッピーな思い出しか残っていきません。
 従いまして、自分自身が子育てしていた思い出は、それはそれは美しく幸せなものに・・・。
 当時はそれなりに悩んだり迷ったりしていたはずだと思うんですが。

  それから、現在子育て中のママさんたち。
 同じ苦労をしているはずだからわかってくれるかと思いきや、案外そうでもないんですね。
 自分の家の中ではわかっていても、外に出るといきなり社会的になるというか。
 子育て中だからこそ「愛情不足」には敏感になるし、判定もきびしくなるというか・・・。



 「母性神話」という言葉はすでに、昔から使われていますよね。
 すべての女性には母性がある、というあの神話のせいで苦しんでいるかたも多いと思います。
 でも、私が言いたいハッピー神話はあれではなくて。

 自分の中の母性を疑っているわけじゃない。
 子どものことは大好きだし、とてもかわいいと思う。
 幸せな時間だって、ちゃんとある。
 でもつらいの。それでも元気になれないの。
 ・・・そういう感じ。



 

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