komaの こまごまひとりごと

気が向いたときに更新しています。ただいま「歌の力」カテゴリ工事中。すみません。

愛読書は、がまくんとかえるくん

2014年01月22日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子入学~現在)

  絵本作家アーノルド・ローベルの作品に、がまくんとかえるくんを主人公にしたシリーズものがあります。
 「ふたりはともだち」「ふたりはいっしょ」「ふたりはきょうも」「ふたりはいつも」の4冊。
 絵本というより絵がいっぱいの短編集といった感じです。
 

 4年生の冬坊は、これが大のお気に入り。
 ふだんは図鑑とか迷路の本しか読まない彼が、唯一、図書室でしょっちゅうえらんでくる貴重なシリーズ。
 ところが、そんな冬坊にちょっと悲しいできごとが。
 この本が、「1年生限定」になっちゃった。図書室に行ったら、本棚になんと「1年生しか借りられません」の張り紙が!

 「ぼく、借りたいんだよ」と、切なげな顔で訴える冬坊。そういう訴えは、図書の先生にしてくださいよ・・・。


 このシリーズの中の「おてがみ」という短編が、1年生の教科書のラストに採用されてるんですね。で、3学期はみんなそれを読むわけです。
 たぶん、1年生にいっぱい借りてほしいから、ほかの学年禁止令を出したんじゃないかと。
 4月になったら解除されるんじゃないかと想像してるんですが・・・。

 要するに、1年生にぴったりだと思われているこのシリーズが、ほかの学年にもそれだけ貸し出されていたということ。
 作品の人気のほどがわかります。
 私も、教科書ではじめてこれを読んだときは、「いいお話だなあ・・・」と思いました。
 なんか、大人が読んでも、癒される。心がほっこりするんですね。


 「おてがみ」のあらすじは、こうです。
 ガマガエルのがまくんは、お手紙をもらったことがないので悲しい気持ちでいました。
 それをきいたおともだちのかえるくんは、がまくんあてのお手紙をかいて、出してあげました。
 手紙が届くのをふたりで待って、やっと届いたので、喜びあいました。おしまい。


 ・・・シンプル。
 テーマはもちろんふたりの友情や思いやりだと思いますが、たわいないというかなんというか。
 これのどこがそんなにほっこりするのか。子どもだけでなく大人の心まで癒すのか・・・?


 と、前から不思議に思ってたんですが、先日、この話に批判的な文章を読む機会がありまして。
 それによると、
 「お手紙がほしかったら、自分で書いて出さなきゃ。自分から書けば、返事がもらえるんだから。
 自分の力で手紙がもらえるということを、教えてあげるべきなのに、かえるくんが手紙を書いてしまったおかげで、がまくんはそれに気づくことができない。かえるくんがやったことは、がまくんに対するスポイルだ。
 教科書に載せる話なら、どうすれば本人のためになるかという道徳的なしつけも同時に教えるべきではないか」。


 なるほど・・・ごもっとも。たしかにそういう見方もありますね。
 でも、それを読んだときにわかったんです。どうして心がほっこりしたのか。どうして子どもたちが、「おてがみ」を好きなのか。


 かえるくんが、「自分で書かなきゃ」って言わないからです。
 もし、かえるくんが「自分で書いたらお返事もらえるよ」って言ってたら。それが物語として成立するかというと・・・。
 成立しない。道徳の教材ならありかもしれないけど、物語にはならないと思う。
  かえるくんがしたのは、相手にああしなさいとかこうしなさいとか言わずに、自分だけが動くこと。
 相手に何も求めずに、ただ喜ぶことだけを考えること。
 それって、現実の世界ではとても貴重でめずらしい。
 それだけで物語になりえるくらい、めずらしい。


 かえるくんがしたことを、親や先生がしたのなら、たしかに過保護かもしれません。
 将来のことを考えれば、もっと教育してあげたほうがいいのかもしれません。
 でも、かえるくんは、おともだち。友達は、しつけようとか教育しようとか、考えなくていいんです。
 親ではなく友達といたほうが楽しいのは、そういう理由じゃないでしょうか。
 がまくんが怠け者でもわがままでも、かえるくんはがまくんが好き。
 今のままの、きみが好き。
 将来のきみではなくて、今のきみが、お友達。


 よく言いますよね。
 「仲間に入れてほしかったら、自分から話しかけなきゃ」
 「あいさつしたら、あいさつを返してくれるよ」
 「やさしくしてあげたら、意地悪されないよ」
 「勉強がんばったら、いい点とれるよ」
 「仕事をがんばったら、評価があがるよ」
 「ママ友作りたかったら、自分から心を開いて」
 「勇気を出して歩みよらなきゃ、理解なんかしてもらえない」


 わかってる。
 わかってるから、そうするために、日々がんばっている。
 自分からできるようになるために。自分で切り開けるようになるために。
 大人も、子どもも。
 もちろん、小学1年生だって。
 だからこそ・・・。

 「がんばらなくてもきみが好き」といってくれるこのお話は、緊張しているみんなの心を温めることができるんですね。



 1年の頃からこの本を何度も借りてきている冬坊ですが、最近ますます好きになってきたようで。
 お誕生日のプレゼントはこれがいいなんて言い出しました。

 おお、本をねだるなんてすばらしい!
 たとえ1年生向けの本だとしても、喜んで買ってあげますとも。
 でも、癒されるものがほしいなんて・・・もしかして、世間の荒波を感じ始めたお年頃なのかなあ?
 学校生活、大変なの? いや、大変なのは、おうちでの生活か?


 ・・・なんか、大人の読書感想文みたいになってしまいました。

 が、最後にひとこと。
 たしかにこの本、好きなんですが・・・あの~、わたくし、カエルは得手じゃないと申しましょうか・・・。
 イラストもけっこうリアルな色調で・・・のねずみのグリグラみたいだと、とっつきやすいんですけど。

 まあこれは、明らかにかわいく見えるキャラはさけようという、大作家の深遠な意図のせいかと思われます・・・けどね(笑)。

 
 前ページ  ありがとうございました   次ページ

 

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岩波少年文庫の最終ページ

2014年01月15日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子入学~現在)

 いきなり、妙にかたいサブタイトルですが・・・。  
 
 出版界の老舗、岩波書店が出している、岩波少年文庫ってありますよね。
 あの文庫の最終ページに、「発刊に際して」という文章がのっているんですが、読んだこと、おありでしょうか。
 とても良い文章なんです。
 今日、久しぶりに読み返してみましたが、やっぱり名文だなあって思いました。
 

 なんで急に読み返したかといいますと。
 育児エッセイ編のほうに、震災直後の我が家を書いた文をのせたんですが、その記憶とちょっと連動していまして。
 実は「発刊に際して」をはじめて読んだのが、震災のあとだったんです。
 それまで、文庫の最終ページに書いてある細かい文字なんて、ちゃんと読んだことなかったんですね。
 それが、なにげなく目を通してみたら・・・。

 
 感動しました。
 戦後の焼け野原をさした文章なのに、当時の自然災害にも、ぴったりあてはまっていたから。
 たぶん、いつの時代の破壊にも、あてはまるにちがいない言葉だったから・・・。


 この名文、いま現在売られている少年文庫には、残念ながらのっていないらしいんですよ。
 別の文をあらたに書きおこしたみたいで。
 では、私が当ブログにて再現を・・・できたらいいですが、長すぎて絶対途中でまちがえそう。
 全文を掲載しているほかのブログをみつけましたので、ここはちゃっかり、そちらをご案内してしまいます。

 コチラです。本屋さんのブログですが、こういうものを載せている本屋さんっていいですね。


 ちなみに、角川文庫の最終ページも志が高くてすてきです。
 それにしても、最近は、というか出産してからというものの、本当に読書から遠ざかってしまっている私。
 今年の抱負第2弾は、「本を読む」ということにしようかな。
 文を書くことと文を読むことが両立できない、っていうのが、昔からの私の悩みなんですけどね~(笑)。


 前ページ    ありがとうございました  次ページ

 
           「刊行の言葉集」というサイトも
             みつけました。コチラです。    

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大地震とその後

2014年01月13日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

  (この文章は2011年4月に書いたものです。今頃載せていいものかどうか迷いましたが、このブログは私にとっての備忘録ですし・・・それに子どもの病気の話もからんでいるので、載せさせていただきました。
 被災地の復興と、被災された方々の心の復興を、心よりお祈り申し上げます)

 

 お久しぶりです。
 まさか、こんなタイトルをつける日が来るとは、思ってもみませんでした。

 悪夢としか思えないような大災害がおきてしまって・・・ブログなんかで、ちんたら愚痴を並べていた自分がいかにぜいたくだったかと思うと、本当に恥ずかしく、当分、記事を書くことなんかできないんじゃないかと思っていました。

 それが、あれから半月以上たった今、こうして再びパソコンに向かっています。
 理由は、子どもたちがすごくこわがっているので、絵本みたいなものでも作れないかと思い、でも手書きで文字を書くと、いまいち説得力がないような気が・・・そうだ、ブログの画面を使って、そのまま印刷しちゃおう。
 なんていう、きわめて個人的な事情。ま、いいですよね、個人のブログなんだから。


 当日、関東地方にある我が家では、震度5強の揺れでした。
 3月11日。
 夏坊が熱を出したという連絡を受けて、お昼に幼稚園まで迎えに行った日。
 で、その後、冬坊が学校から帰宅。
 チュチュ(同居している私の母)は外出中。
 小児科の受付が3時からだったため、冬坊をおいて、ふたりで出かけようと決めたところだったんです。
 ひとりでお留守番させたことは一度もなかったんだけど、チュチュがすぐに帰ってくる予定だったし、本人も平気だというし、たまにはいいかなと思って。

 それが・・・出発直前の大揺れ。
 とにかく、食器の割れる音がすごかった。
 といっても、棚の中でワイングラスやコーヒーカップが落っこちただけで、床に飛び散ったわけではなかったんですが、ふだんそんな音を聞いたことがないので、本当にびっくりしました。
 それと、私たちがいた1階リビングの真上の部屋で、大きくて重いクリスタルの花瓶がみごとに砕け散り、その音や振動が下まで響いてきたような・・・。


 夏坊は私の膝枕で寝てたんですが、揺れるたびに(3回くらい揺れましたよね)こわがって、大号泣でした。
 冬坊は、おぜんの下に飛び込んで、必死に我慢してました。しがみついてくると思っていたのに。
 揺れがおさまったので、がんばったことをほめてあげると、うれしそうに、
 「ぼく、夏坊のこと、まもってあげる」
 かなりの背伸び発言だと思うけど、あの、甘えん坊の冬坊が・・・。
 成長を実感した瞬間でした。
 子どもって、ちゃーんと成長していくものなんだなあ・・・。

 それにしても、冬坊をひとりでおいていかなくて、本当によかった。
 あと10分遅かったら、出かけてしまったところでした。
 あんな家の中にひとりでいたらと思うと・・・考えただけでぞっとします。
 ちなみに外出していたチュチュは、電車が止まってしまったものの、バスが動き出したのでなんとか家に帰り着きました。
 ダンナさんはバイク通勤なので、足には問題なかったんですが、職場待機命令ですぐには帰れず、遅くなって帰宅。
 無事に帰ってきてくれて、よかったよかった。


 その日はさすがに病院に行く気になれず、家にいたのですが、夜には夏坊の熱が39.6度まで上昇。
 熱さましがあったのでそれを飲ませて、翌日の土曜日、ようやく受診。
 インフルエンザではないという検査結果だったので、扁桃炎の薬をもらって帰宅。
 午後には熱も引いてきて、翌日曜日はさらに元気で、ひと安心。

 ・・・・・と思ったら、月曜の午後から、再び熱が。なんで~?
 またしても夜に39度で、火曜日に再検査してもらったら、今度はばっちりインフルエンザ判定。なんで~??
 タミフルを2回飲み(あれを飲ませるのって、四苦八苦しますよね・・・)、水曜の朝には熱も引き、念のためにもいちど受診して、胸の音とか聞いてもらってオーケーだったのに。
 午後からまたもや発熱。
 小児科に電話したら、気管支肺炎かもしれないから、総合病院に行きなさいという指示が。

 な、なんか、「感染症いろいろ」の続きみたいだな・・・。
 ダンナさんが早く帰宅したので、夕方連れて行きました。
 幸い肺炎で入院というほどにはなってなくて、点滴と別の薬を出してもらって帰宅したのが夜9時過ぎ。
 薬を飲ませるのに、またもひと苦労。
 そして、翌日・・・・・治りました。今度こそ。
 ああ、長かった。

 このかん、何が不安といって、何度も何度も余震がくるし、いつ停電になるかわからないし、近くの病院も停電を警戒して午前中しか診察しないというし・・・。
 ちゃんと病院に行けなかったらどうしようって、本当に心配でした。
 もちろん、こんな不安、被災地に較べたら悩みのうちにも入らないようなものだとわかってはいるんですけど・・・。


 でも、やっぱり、子どもたちにはかわいそうな経験でした。
 夏坊がいつものように元気いっぱいなら、一緒に遊びまわってストレス発散できたのに、ぐったり寝てるものだから。
 夏坊にしてみれば、こわいプラス具合が悪い。
 冬坊は、家の中が「いま寝てるから、静かにしてて!」みたいな雰囲気になってしまって、はしゃぐことができず。

 冬坊はいまだに、
 「金曜日に地震あった」「いま、揺れてる?」
 なんて発言するし、しょっちゅうハグを求めてきます。
 夏坊は病気も治って元気全開だけど、なんの脈絡もなく、
 「おねつでたとき、じしんあった」なんて発言。
 先日、夏坊がおやつを食べていたので、私ひとりで2階に洗濯物をほしにいってたら、ギャンギャン泣き喚く声が階下から。
 あわててとんでいったチュチュによれば、おぜんにもぐって、「じしんがこわい~」と泣いていたそうな。
 余震も何も、なかったはずなんだけど。トラウマになっちゃったのかなあ・・・。

 私はもともと地震がこわくて、ふだんから防災袋を常備しているタイプです。
 だから今回のことでよけい神経質になってしまい、それが子どもに伝わっているんじゃないかと思うと、なんか責任感じてしまいます。
 が、ダンナさんは幸いにも、ほとんどこわがっていません。
 その根拠は、「余震は本震より大きくないから」。
 なんてポジティブ。私なんか、次は誘発されて東海地震?とか心配しているというのに・・・。

 チュチュも心配してはいるものの、案外平気みたい。
 戦時中に引き揚げを経験した世代。やっぱり、鍛え方がちがいます。
 大人がビクビクしていないのは、子どもにとっては心強いことですよね。
 ただ、テレビが強烈なのには困っています。
 どう考えても、刺激が強すぎますよね。
 なるべく見ないようにさせたかったけど、消すのも不安だったりして、なかなか・・・。


 テレビといえば、朝日新聞の投書欄に、「各局で被災地域を分けて報道したら、もっと細かい情報がわかる」というのが載っていました。
 同感です。どこを見ても、同じことばかりやってるんだもん。
 うち
では、NHKを見ることが多いんですが、NHKにもこの際ひとこと。
 キャスターやゲストが深刻な顔で同情の言葉を並べるのもいいけど、「心配ですよね」というその何秒かで、ほかの有益な情報が流せるんじゃないでしょうか?(「朝イチ」のことだ。ふだんはけっこう役立ってるのに)
 せっかく専門家をスタジオに呼んでいても、会話の一部みたいにしゃべっていると、要点がぼけて説得力がなくなると思うのは私だけ?

 個人の感想は、最小限でいいと思うんですよ。
 それよりも、たくさんの情報をわかりやすく伝えることだけ考えて欲しい。
 たとえば、「きょうの健康」みたいな番組作り。箇条書きにしてボードにまとめたり、イラストをまじえて解説したり、Q&Aを徹底したり。
 先生が、不安がっている生徒に講義しているように、シンプルに、ていねいに。
 30分の講義をすれば、かなりのことが言えますよね・・・。
 番組を見ていても、いつ知りたいことを取り上げてくれるのかわからなくて、ずっとテレビの前にいなきゃならなかったし、やっと取り上げられたと思ったら、あっというまに通り過ぎてしまったりして・・・けっこうイライラしてしまいました。

 先日、教育テレビでリラクゼーションのやり方を解説していて、すごくわかりやすくて感心したんですが、夜11時前の10分くらいの番組でした。
 あれを見ている人って、あんまりいないのでは? 
 もったいないなあ。ああいうのこそ、ゴールデンタイムにやってくれればいいのに。
 毎日時間を決めて、リラックスする方法とかを流したら、ほっとする人多いと思うんですが・・・。


 いかん。テレビに対する小言を並べていたら、止まらなくなってしまった。
 ほんとは、今回のことは「おまけのひとりごと(番外)」として短く書くつもりだったんですよね。
 なのに、下書きを始めてみたら、止まらなくなっちゃった。
 人間って、落ち着いてくると表現したくなる生き物なんですね。

 歌や音楽、ドラマにマンガ。
 しょせんはすべて作りごと、現実の前にすべては無力なものなんだって、震災直後は思ったけれど・・・。
 避難所のラジオから、アンパンマンの主題歌がくりかえし流れて、子どもはもちろん、大人も勇気づけられているという話。
 新刊の入ってこない本屋さんで、1冊の少年ジャンプ最新号が、ボロボロになっても回し読みされているという話。
 ・・・やっぱり、必要なんですね。時間がたってくると、そういうものが。


 異常気象みたいに、3月過ぎてもまだ寒さが続いているこのごろ。
 本当に、すべてのかたに、1日も早く春が訪れることを願います。
 そして、長い文章におつきあいくださった皆さん、くれぐれも、お元気で。
 ご自分を大事になさってくださいね。 

 

        おわり。どうもありがとうございました。 

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看病苦手な母もいる(感染症いろいろ 3)

2014年01月07日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 我が家にやってきた病気いろいろ体験談、3回目です。
        

      ★ 急性じんましん

 これは冬坊が1年生に上がった年のこと。
 慣れない小学校でがんばっていた疲れが、ちょうど出てきた6月の暑い日、夜中にいきなり39度まで上がってしまいました。
 朝を待って小児科へ行き、風邪ということで帰宅。
 ところが、夜7時すぎたころから、体中に発疹が・・・。

 夜が更けるにつれて、赤みは広がってくるし、とにかくかゆがってかゆがって。
 そのうち、涙まで出てきてしまった冬坊。
 夜間受診するべきかどうか、電話サービスの健康相談できいてみると・・・。
 じんましんは、粘膜なんかに出てくると呼吸困難になる場合もある。
 様子を見て、ひどいようなら連れて行ったほうがいい、という回答が。


 出ました、看病の際の常套句、「様子を見る」。
 見てどうだったら受診なのよ? 「ひどい」と感じるかはどうかは、完全に主観の問題だと思うんだけど。
 私がひどいと思っても、ほかの人にはぜんぜんひどくないことだって多いような気がするし。
 などと、相談してもまだ迷ってしまう母なんですが・・・。

 さて今回の場合、呼吸が苦しそうだったら連れて行くか。そうなる前に、それを防ぐために連れて行くか。
 さあ、どっち?

 正解は前者・・・かもしれません・・・が、私は後者でした、もちろん。
 でも、やっぱりちょっとフライングぎみだったかな・・・。
 ダンナさんに行ってもらったのですが、全然たいしたことないと判断されたようで、アレルギーを抑える薬をちょこっともらって帰ってきました。
 ていうか、それ以前に。車に乗せると、冬坊の涙はあっけなく吹っ飛んでしまったらしい。
 あのね~・・・。
 病院に行く前に、まずドライブしろってか? そんなあ・・・。


 ちなみに、風邪からじんましんが出るのは、そう珍しくないことのようですね。
 風邪ウィルスのせいだったり、免疫力が落ちて些細なことに過剰反応するせいだったりして。
 でも、子どもの容態は急変するって言うし。
 お医者さんだって、よく言うじゃありませんか。「なんでもっと早く連れてこなかったんですか?」って。
 素人判断だけじゃ、なんだか危ない気がするんですよね・・・。

 
      ★ 急性中耳炎

 
 最後は、幼児の病気としてはとってもポピュラーな、これ。
 耳が痛くなるのは、冬坊にとって初めての経験で、本人にもどこが痛いんだかわからなかったらしく往生しました。

 年少さんの秋のことでしたが、早生まれなのでまだ3歳。言葉では全然表現できなくて。
 「おなかが痛いの?」
 「頭が痛いの?」
 「のどが痛いの?」
 「もしかして、お耳が痛いの!?」
 ようやくビンゴ!

 でも午前中にわかればよかったんですが、あいにく土曜日の午後だった。
 総合病院なら、時間外でも内科外科のお医者さんはだいたい常駐していますが、耳鼻科って、まずいないんですよね。
 年末年始なんかには特に、ほんとに困ってしまいます。


 この時は、あちこち電話して、夕方までやっている耳鼻科がなんとかみつかりました。
 で、連れて行ったのですが、そこのお医者さんの診察の仕方にびっくり。
 ベッドに子どもを寝かせる。そして、親と看護士さんで両側から腕を押さえ、先生が馬乗りになって耳垢をとる!
 いつも行ってる耳鼻科は椅子だったから・・・やー、ほんとに驚いた。
 これって、子ども相手では一般的なことなのかな?

 痛みのほうは、お薬ですぐによくなりました。
 その後、痛くない滲出性中耳炎もやりましたが、最近は丈夫になって縁がありません。
 よかったよかった。


 子どもの病気には、ほかにも、マイコプラズマ肺炎とかヘルパンギーナとか、いっぱいありますよね。
 どれも、子どもがいないときには病名も知りませんでした。
 インフルエンザの流行だって、気にしたこともなかったし。
 それがこんなに身近なものだったとは・・・。育児の世界、おそるべし!ですね。             

                      

  ところで・・・。

 いろいろ並べてきましたが、私は正直に白状すると、看病がとっても苦手です。
 苦手と言うのは、やらない、という意味ではなく、むしろ逆で。
 心配しすぎ、かまいすぎ。
 重病なんじゃないかと考えすぎたり、栄養不足のせいじゃないかと(偏食兄弟なので)おちこんだり。
 前回もちょっとお話したとおり、純粋に病気が「こわい」という感覚もあって・・・。
 自分のほうが食欲なくなっちゃうタイプです。

 特に相手が小さい子どもの場合だと。
 自分の症状をうまく表現してくれないから、どこがどう具合悪いのか、なかなかつかむことができなくて。
 熱はないけど・・・気分が悪いの? 機嫌が悪いだけなの? どっち? 
 もっとも下の子の場合は、こちらもなれてきて、かなり推測できるようになりましたけれど。


 そんな私の理想は、ちょっとやそっとの熱では動じず、どーんと構えていられるようなおかあさん。
 ほんとは風邪なんて、家で3日も寝てれば治るかもしれない。病院に行くことで、かえってこじらせてしまうかもしれない。
 私は、その3日ががまんできないんですが・・・。


 あ、でも。
 うちの場合、とくに冬坊は熱にめちゃめちゃ弱い子で、37度台でもばったりぐったりなことが多いんです。
 38度台なのに元気に歩いてるお子さんを、よく病院でみかけますが、やっぱり子どもの態度によっても、親の対応がちがうかも。

 それに、心配性だからこそ、子どもの異変に早く気づくことができるはず。
 いちばん頼りになるのは「母のカン」だっていうのは、よく言われることだから、母の判断を頼りにしてもいいはず。

 だから、うちはこれでいいのかも。
 いいよね、うん、いいことにしておこう・・・。

 とはいえ、よけいなことに気を回しすぎて、肝心なことが抜けてしまう、典型的A型の(笑)私なので、そのへんは冷静にいかなきゃいけないんですけどね。

  

         おわり。どうもありがとうございました。

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  おまけ。MAMApicksという育児サイトで
  共感できる記事
を偶然見つけました。
           コチラです 

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謹賀新年

2014年01月01日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子入学~現在)

 明けましておめでとうございます。
 そして、
新年早々こちらに立ち寄ってくださったかたがた、どうもありがとうございます。

 この1年が、皆さまにとって、のびやかで晴れやかなもの
になりますように。

 今年もよろしくお願いいたします。

 
 
 新年の抱負。
 少しづつ書いてきた育児編を、なんとか終わらせたいと思っています。
 上の子が6歳までの心境をつづったものですので、一応自分の中では、「ここまで書けたら終わり」という区切りがあるんですね。
 最近ようやく、終わりのめどがたってきたので、早くちゃんとした形にしたいなあ・・・と。

 ちなみにプチうつ編にも区切りがあるんですが、こちらはまだまだ先が見えない感じですね。

 

 話は思いきりとびますが・・・。
 いま、上の挨拶文で「のびやか」「晴れやか」と書きましたが、どんな言葉を使おうかと、書く前にいろいろ考えていまして。

 「おおらか」がいいかな?とか「ゆたか」がいいかな?とか。そのとき気づいたことがあるんです。
 「か」がつく言葉って、すてきなものが多いですよね。


 はなやか。きよらか。きらびやか。

 さわやか。しなやか。しとやか。

 おだやか。あたたか。・・・まだまだありそう。


 悪い意味の言葉が、浮かんでこないけど・・・あ、冷ややか、というのがありますね。
 しめやか、ささやか・・・これは悪いってほどではないかな。
 こういうことって、ちゃんと調べれば法則とかわかりそうですが・・・時間かかっちゃうので、やめておきます・・・。


 「か」のつく言葉には、なんとなく、空間的な広がりがある気がします。
 女の子の名前では、「はるかちゃん」とか「さやかちゃん」とか、「か」で終わるものが今も昔も人気がありますよね。
 広がっていく感じが、魅力的なのかなあ、と思います。

 

  前ページ    ありがとうございました 
  

    

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