komaの こまごまひとりごと

文章を書くのが好きな主婦の私空間。マイペースで更新しています。









「栄光の架橋」をわたって

2019年04月19日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子入学~現在)

 この三年間、中学校と小学校の両方で、たくさんの素敵な歌を聴く機会に恵まれました。
 その中でもっとも感動した歌が、これ。言わずと知れた「ゆず」の大ヒット曲です。

 ブログでとりあげるまでもない名曲なので、実は記事にするのはやめようと思っていました。
 でも冬坊が卒業してしまったいま、やっぱりこれを書かずに中学校生活は終われない!(母が・笑)

 これは去年の2月、冬坊がまだ二年生だったときに「三年生を送る会」で歌った歌です。
 2年生全員、総勢170名あまりの男女による大合唱でした。
 少年少女の生の声が、体育館全体の空気をふるわせる、その迫力。
 若さと純粋さと、たくさん練習して得たであろう自信と。
 それらが、楽曲自体の素晴らしさとみごとに溶けあっていて、心の底から感動しました。

 以前「地球星歌」の記事でも書いた気がするのですが、子どもって、純粋でも美しくもない部分をたくさん持った生き物ですよね。
 大人並みにどろどろした感情があるだろうし、合唱なんてしたくないという子だって混じっていると思うんです。練習中にクラス内でいろいろもめた、という話が伝わってくることもあります。
 それなのに。
 大人数で一つの歌を形にしたときの、このものすごい美しさは、いったい何なのでしょうか。
 

 これは私の勝手な解釈ですが……。
 きっと「音楽」というものが、歌い手の美しさや純粋さを抽出したんじゃないかと思うんです。
 音楽に限らず、絵画にしても文学にしても……「芸術」と名のつくものの役割は「抽出作業」なのではないかと、最近、思うようになりました。

 たとえば一見石ころだらけに見える場所でも、そこに埋もれていた宝石を絵としてとりあげてみたら、美しさがわかりますよね。
 もちろん抽出するのは「美」だけでなく「醜」だったり、あるいは「混沌」だったりすることもありますが。
 雑多な中から何かを取り出して、見えるようにすること。芸術の意義って、そういうことなのかもしれません。


 なんか話が大げさに……。合唱の話題に戻りますね。こちらが歌詞です。
 よく知っている歌だけど、あらためて書くとなんだか新鮮ですね。

 

 

          栄光の架橋

                  作詞・作曲 北川悠仁

 

誰にも見せない泪があった 人知れず流した泪があった
決して平らな道ではなかった けれど確かに歩んで来た道だ

あの時想い描いた 夢の途中に今も
何度も何度も あきらめかけた夢の途中


いくつもの日々を越えて 辿り着いた今がある
だからもう 迷わずに進めばいい 栄光の架橋へと…


悔しくて眠れなかった夜があった 恐くて震えていた夜があった

もう駄目だと全てが嫌になって 逃げ出そうとした時も
想い出せばこうしてたくさんの 支えの中で歩いて来た


悲しみや苦しみの先に それぞれの光がある
さあ行こう 振り返らず走り出せばいい 希望に満ちた空へ…


誰にも見せない泪があった 人知れず流した泪があった

いくつもの日々を越えて 辿り着いた今がある
だからもう 迷わずに進めばいい

栄光の架橋へと 終わらないその旅へと …
君の心へ続く架橋へと……

 

 YouTubeで、学生が合唱しているものをみつけました。
 冬坊たちは舞台にはあがりませんでしたが、合唱の雰囲気はこんな感じ。
   コチラですので、どうぞ。

 


 もうちょっとだけ。
 先月はダブル卒業式でしたが、今月はトリプル入学式で大忙しでした。
 小学校でやっていた役員(役員の中では一番楽な会計監査)の任期がPTA総会までだったので、入学式には来賓として出席しなきゃいけなかったんです。
 で、今日、その総会がありまして、無事に新役員に引き継ぎ。小学校でのお仕事も今日で終わりとなりました。
 さびしいかなと思ってたけど、総会って人前に出たりして緊張するので、全然さびしくなかったです(笑)。

 高校は合唱祭なんてないかもしれないけど、中学生の夏坊がいるので、もうしばらくは歌を聞くことができそう。楽しみです。

 

 

              ありがとうございました 

 
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ダブルで卒業、やっぱり淋しい親ゴコロ

2019年03月16日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子入学~現在)

 きのう、三月十五日金曜日が夏坊の小学校卒業式、そしてその前の火曜日が冬坊の中学校卒業式でした。
 三歳差なので、一気にきます。過ぎてみれば早いなあ・・・もう卒業だなんて。

 思わず、このブログで以前に書いた記事を読み返してみました。
卒園式、かなり淋しい親ゴコロ」。ついでに「入学式、ちょっと淋しい親ゴコロ」も。

 夏坊はお兄ちゃんと同じ中学に入るので、例によって中学については、そんなに感傷的にはなっていません。
 でも小学校はさびしいですねー。小学校だけのアイテム、たとえば給食のマスクとか手提げバッグ(なんと幼稚園時代のものをいままで使っていた)を見ると、きゅんきゅんしてしまいます。
 ていねいに使っていたのでまだピカピカのランドセル。二つも家にあるわけですが、どうしよう。
 名残惜しいので発展途上国とかに寄付しようかな。

 でも・・・考えてみれば、別れがさびしいと思うことは、いままでが幸せだった証拠でもあるんですよね。
 いままでの日々がつらいものだったら、別れることができてよかったと、ほっとするはず。そういう家庭だってけっこうあることでしょう。
 名残惜しいと思うのは、毎日を無事に過ごせて楽しかったことの証し。
 恵まれた時間を過ごすことができた、その証し。

 

 小学校の式では、PTA役員(会計監査)の特権で来賓席にすわらせていただきました。
 そしてダンナさんが「おやじの会」なる、親父たちが子どもたちと遊ぶ会(身もフタもない説明)の副会長だったのですが、会長さんが欠席だったための代理参加で、こちらも来賓席へ。夫婦で来賓ははじめて見たと、教頭先生から珍しがられてしまいました。

 小学校は特に女の子の服装がかわいいので、ひとりづつの証書授与を見ているのも楽しいですね。
 袴姿について、今朝の朝刊で多すぎるとかなんとか話題になっていましたが、うちの学校では数人程度。本当に着たい子が楽しく着ている感じでちょうどよかったです。
 中学校は制服のため、どれが誰やら見分けもつかず、授与がひたすら長い長い(笑)。そしていろんな祝辞も長い。
 でも生徒による送辞と答辞、退場前に各クラスが担任の先生にかけた最後の一声。それがとってもよかった。
 自分たちの言葉で表現したり伝えたりする力が、中学三年間でぐっと身につき成長するんだということが、よくわかりました。

 三歳差ということは、順調にいけば三年後も一気に卒業、その前に一気に受験でございます。
 無事にその日を迎えることができて、また感傷的になれる日がくることを願っています。

 

                ありがとうございました 

         

 

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子どもといっしょに百人一首 54

2019年03月11日 | 百人一首 黄札


 

                         
       秋風に たなびく雲の たえ間より

            もれいづる月の かげのさやけさ

 

 
 

 詠んだ人・・・左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ)

 詠んだ人のきもち・・・秋風に吹かれて
            たなびいている雲の切れ目から
            さしてくる月の光は
            なんて清らかで明るいことだろう

 

     月のかげ・・・月光

     さやけさ・・・清らかに澄んで明るいこと

 

 

 

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子どもといっしょに百人一首 53

2019年02月23日 | 百人一首 黄札

 

 

       あわじしま       ちどり
       
 淡路島 かよふ千鳥の なく声に

           幾夜ねざめぬ 須磨の関守
               いくよ         すま せきもり


 

 詠んだ人・・・源兼昌(みなもとのかねまさ)

 詠んだ人のきもち・・・淡路島へと飛びかう千鳥が
            もの悲しげに鳴く声に
            須磨の関守は、幾夜、めざめただろうなあ

 

     淡路島・・・瀬戸内海にある島

     千鳥・・・海辺などにいる小型の鳥。
          冬の鳥として和歌では多く詠まれている。

     須磨・・・兵庫県神戸市
   
     関守・・・関所を守る番人


            

 

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もと男子いろいろ、女子もいろいろ

2019年02月08日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子入学~現在)

今回は、予告したダンナさんの話、プラス友人たちのお子さんの話です。
このブログは、育児と自分自身のことだけを書きとめようと思って続けています。
でも、ここに書くと自分が忘れずにすむので、たまにはスペシャル企画もいいかな。

基本情報。
ダンナさんは私と同学年で根っからの理数系。
食べることが大好きでバイキングに行けば全皿制覇。
エピソードはすべて食べ物ネタです。

エピその1。

親戚の法事から、お返しが入った紙袋をぶらさげて帰宅した彼。
お返しにしてはどっしり重いが、この重さからして中身はお茶や海苔ではないだろう。
期待を胸に、彼は袋から箱を出した。
「何かな、ジュースかなー」
呟きつつ開けてみると、中に入っていたのは、おっしゃれーな瓶のドレッシング詰め合わせだった。
のぞきこんできた夏坊に、彼はこう尋ねずにはいられなかった。
「これ、ジュースだよな?」
「ううん、ドレッシング」
「ジュースだと言ってくれ」
あのね・・・気持ちはわかりますけどねー。

エピその2。

親戚のお通夜から(こんなのばっかでスミマセン)夜遅く帰宅した彼。
疲れたのか、めずらしくやけに暗い顔をしている。
職場から実家に寄り、母親を車に乗せて斎場へ。その後再び実家に送りとどけてから我が家へ。
ハードスケジュールで、さぞや疲れたことでしょう。
何か食べたの?と同情しながら私は訊いた。
食べたという口調も元気がなかったので、さらに何を食べたのかと、やさしく尋ねた。
すると彼は、憤懣やるかたない声で、こう答えた。

「寿司はあったけど、唐揚げがなかった!」
「えっ?」(意表をつく答えにたじろぐ妻)
「ふつうあるじゃない? 唐揚げ」(やりきれない様子の夫)
「え・・・ないこともあると思うけど・・・」
「いや! あるでしょ、唐揚げ」
えーと。
ハードなスケジュールよりも悲しいお通夜よりも、カラアゲがなかったことがショックだったようです。

エピその3。

こんなダンナですが、実はめったなことでは動揺しません(これでも)。基本的にいつも冷静です。
ですが先日、かつてなくせっぱつまった声が、突然居間に響きました。
「あっ、聞きそこねた!(夏坊に)いま、なんて言ってた!?」
彼は夏坊といっしょにテレビを見ていたのですが、ほかのことに気をとられて、大事なとこを聞き落としたらしい。
そのテレビの内容とは・・・。
【バイキングに行ったとき、知っておくと得すること】

血相変えて訊くことか? 
いくらバイキングを愛しているとはいえ。
ちなみに夏坊の答えは「バイキングで一番高いのは実はくだものだから、くだものをいっぱい食べると得をする」でした。
うーむ、そんな答えをオレは求めたわけじゃない。もっと肉や野菜に関するすばらしい情報を期待したのに・・・(心の声を代弁)。

あ。彼の名誉のために付け加えますと、よく食べるからといって、けして太ってはいません。
マラソンとかして、ちゃんと体型維持しております。

 

続きまして、友人の話も書きますね。
大学生の息子の部屋がきたない、とかいう話題だったのですが、友人の対処法に驚きました。

「まったく部屋がぐちゃぐちゃで掃除もしなくて、やんなっちゃう。中で何してるか全然わかんないしさ。頭にきたから、子供部屋のドア、はずしちゃったわよ」
「ドアを!?」
 ちょっと耳を疑いました。開けた、ではなく、はずした?
「ドアってはずせるの・・・?」
おそるおそる訊いてみると、友人はケロリとして
「ちょうつがいを、ネジまわしではずせば、できるよ」
目からウロコ・・・大学生の息子さんもタジタジだったことでしょう。母は強し。

もうひとつ、別の友人の話も。
この友人は、子育ての記事にも登場したMちゃんですが、年子の姉妹がいます。
中学生のころは姉妹ゲンカがとても激しかったそうですが、友人は働いていたので、子供だけでお留守番させることもありました、
そんなある日、例によってケンカ勃発。争う姉妹。
怒り心頭に発した妹は、ついに電話して「姉にいじめられているんです」と訴えた。
なんと、警察に。

「えっ!?」驚きますよねっ?
その後、家にかけつけたおまわりさんが、姉妹から事情徴収したそうな。
二人いっしょだと正確な状況がわからないから、別々の場所で話を聞いてくれたらしい。
ひとりは居間で。そして、もうひとりはパトカーの中で・・・。
さすがニッポンの警察官、たとえ子どもの通報でも、事件性はないと判断するまでちゃんと確認するんですね。
友人は、警察から職場にかかってきた電話で、それを知ったそうです。
びっくりしたでしょうねえ。私に語ってくれたのは、その後何年もたってからだったので、落ち着いてましたが。
そんな姉妹も、いまでは姉がキャビン・アテンダント、妹は女子大生。
仲良く協力できる、しっかりした女性に成長しました。
良かったね!


以上、長くなりましたが、スペシャル企画でした~。

         
          ありがとうございました 

      
 

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男子いろいろ

2019年01月09日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子入学~現在)

 サブタイトルが気にくわないけど、ほかに思いつきません(笑)。
 今回は、出すあてもなくためていたネタを放出します。

 

夏坊 その1 

 かわいいネコの寝顔をテレビで見て、ひとこと。
「ウメボシみたい」
 ん? 梅干しとな?
「だって、まんなかにキューって」
 なるほど……たしかに目も口もヒゲも、ラインがすべて鼻に向かってますねー。

   その2

 寝る前に、横にいる私に向かっていろいろ質問。
 よくわかんないような謎の質問が多いんだけど、なかでもびっくりしたのがこれ。
「うちにあるノリの面積って、全部でどれくらい?」
 ノリ? 海苔? 
 四つ切の海苔が入った袋は常備してますが、トータル面積なんて発想、どこから出てくるのやら。

    その3

 テレビ見てたら、日産のゴーン元会長が保釈されるというテロップが流れた。即座に反応して、
「おお、保釈かー! よかったな、ゴーン!」
 ……うちの息子は、ゴーンさんと友達だったらしいですよ。
 元会長のニュースに興味があったとは知らなかったけど、その後保釈取り消しになったときも、憤慨しておりました。ほんとに友達なのかも~。

 

冬坊 その1

 私の顔をじーっと見て、うれしそうに呟く。
「ふため」
 ?
「ふため」
 ?? なんのことかと思いつつ、私が「もしかして二重(ふたえまぶた)のこと?」と訊いてみると、
「あ、そう言うのか」
 ……冬坊、中学三年生。受験勉強ただいまラストスパートです。

    その2

 しかし、受験のわりには気楽な様子をくずさないのが冬坊のいいところ。
 お風呂場で鼻歌をうたっているので、何を歌ってるのかと思ったら、ゴジラのテーマ曲でした。
 ちょっとエンドレス……。

    その3

 サンタクロースって、何歳くらいまで信じているものなんでしょう。
 うちにはいまだにサンタさんが来ますが、正直言って中学生なら、真実を知っているのが当然と思っておりました。
 ところが。プレゼントは何がいいかという話を、冬坊とふたりでしているとき、彼がふとたずねていわく。
「誰が持ってくるの?」
 ん? 一瞬迷ったものの、もういいだろうと思いながら答えた私。
「ママサンタだよ」
「きみなの?」(私のことを、きみと呼ぶ少年)
「うん」
「きみが持ってくるの?」
「うん。……誰が持ってくると思ったの?」
「………市役所の人とか……」

 半分笑いながらの発言でしたが、半分は絶対本気だったにちがいない。
 しまった、サンタって言ってあげればよかったなあ。
 でも、その話を後日、ダンナさんにしてみたら、友達にからかわれるとかわいそうだから、教えておいたほうがいいと言われて。
 なるほど……そうだよね。でもちょっと残念(笑)。
 小学6年の夏坊のほうは、すでにちゃんと知っているような気がします。
 結局「ほしいものは特になし」という、物欲のない兄弟のために、今年のサンタさんは「カタン」というボードゲームを持ってきてくれました。
 我が家にまたひとつ、アナログゲームがふえました♪

 

     ゆるーいネタで恐縮です。次回はめずらしくダンナさんのネタでも……。
 

 

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歌の力(寒ブリのうた)

2018年11月21日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子入学~現在)

 毎年楽しみにしている小学校の音楽フェスティバルが、先日行われました。
 6年生の夏坊にとっては最後のフェスティバル。どんな歌を歌うのかと、事前に聞いてみたところ、返ってきた答えが「かんぶりのうた」でした。

 は? 例年の合唱とはかなりテイストのちがうタイトルですね。演歌か民謡みたい。
 楽譜をもっていたので見せてもらいましたが、見た瞬間、目が点になりました。
 こっ、この歌詞は・・・!

 しかし気を取り直して、ピアノでちょっと音取り。
 すると・・・ん?出だしから、予想外にきれいなメロディです。
 あれ、もしかして、この歌好きかも。あら、すごく好きかも~!
 では、ある意味驚愕の歌詞を、どうぞお読みくださいませ。
 

 

      寒ブリのうた
               作詞 宮沢章二
               作曲 岩河三郎

 
 時雨(しぐ)れて 時雨れて 氷見(ひみ)の海
 雪降る 雪降る 氷見の海

☆ ぶん ぶん ぶん ぶん ブリ ブリ
  ぶるん ぶるん ぶるん ぶるん ブリ ブリ

 氷見の海は ブリの海だよ

 

 真冬の暗い空に ブリ起こしの雷が
 荒れて とどろいて ブリを呼ぶ


 ブリたちが来る むれをなして来る
 来る 来る 来る 来る 来る むれをなして来る 

 氷見の海原は ブリの通り道
 押し合いへし合い 押し合いへし合い 押し合いへし合い 押し合いへし合い
 ブリたちの大群が 寄せて来る 来る 来る 来る

 

 海の生命(いのち)が溢れて 生きてる跳ねてる寒ブリ
 こぼれる涙もあるだろうに 大きな目玉を見開いて
 力いっぱい 力いっぱい 
 冷たい海を 冷たい海を
 泳いで育った 越(こし)の寒ブリ 越の寒ブリ

 

 冷えるよ 冷えるよ 氷見の海
 雪降る 雪降る 氷見の海


 氷見の海は ブリの海だよ ソレ!

 氷見の海は ブリの海だよ

 ブリの海だよ

 

   次に、すばらしい合唱をYouTubeでどうぞ。コチラです。

 

 歌詞に慣れたら(笑)画面を見ないほうが、さらに歌を楽しめると思います。
 リズミカルな部分、何度聞いても身体を揺らさずにはいられません。
 もう脳内はブリ一色。ブリブリ~!

 夏坊たちの合唱を実際に聴きましたが、ピアノが美しく(幼稚園時代から知ってる6年女子が演奏)合唱もとてもきれいで、歌詞で笑うような雰囲気はまったくありませんでした。
 夏坊もなんの抵抗もなく練習していたし、本番も楽しめたみたいです。最後のフェスティバル、がんばりました!

 でも・・・あえてひとこと言わせていただくと、ちょっとお行儀がよすぎたかな。
 この先は私の個人的な見解なので、読み飛ばしてくださいね。


 私としてはこれ、聞き終わったときに「きれい」よりも「元気」という言葉が浮かぶ歌い方のほうが、ふさわしいと思うんです。
 だって、この歌はどうみても、あふれる生命を喜ぶ歌ですよね。
 雨が降っても雪が降っても、それを吹き飛ばす大自然の生命力。そしてきっと、大漁を迎えた漁師たちの喜びや活気、熱気までも、歌いあげてる歌だと思うんです。
 
 それを、いままさに生命のまっただなかにいる子どもたちの集団が、力を合わせて歌うんだから・・・。
 遠慮しないで、もっとはじけろ! もっともっと楽しんで、おなかの底から歌っちゃえ!

 これは中学の合唱祭でも感じることなのですが、先生方はたぶん、上の学年になるほど、大人っぽく美しく歌うように指導しているんですよね。
 それはそれですばらしいのですが、ときどき「もったいないなあ」と思ってしまうのは私だけでしょうか。
 せっかく若いんだもの。たまには美しさだけでなく、ゴスペルのように身体を揺らして、思いっきり歌うような歌もいい。
 みんなでそういう歌を歌う楽しさも、味わえればいいのにな。
 
 と、つねづね思っていたので、今回、楽譜にフォルティッシシモ(フォルテ3つ)の表示を見たときは、思わず期待してしまいました。
 でもまあ、むずかしいよね、百人以上いる子どもたちに、元気かつ美しく歌わせるなんて・・・。
 
 そういうわけで、以下は私の勝手な妄想です。題して「もしも私が歌唱指導および演出したら、こうなるでしょう劇場(笑)」。

 

 まず子どもたちはミノを肩にかけて登場(雨なんで)。
 そして冒頭を美しく静かに歌う。
 その後のリズミカルなとこは、はずみながらも控えめに。
 次にピアノが、かっこよくグリッサンドで駆けおりますね。それに合わせて、ぱっとミノを肩から落とす子どもたち。
 その下には、波頭のもようも鮮やかな、祭りばんてんの衣装が!(妄想中)

 そのあとはもちろん、だんだん音量をあげながら歌いあげます。
 中盤の聴かせどころです。
 そしてふたたび、冷え冷えと美しいメロディに戻りますが、またも魅力的なリズムがあらわれるので、ここは最初のときよりずっと元気にいきましょう(誰に話しているのか)。

 そしていよいよ「ソレ!」の掛け声とともに、遠慮を吹っ飛ばす時間の到来です。
 その直前の拍で、指揮者は片手でこぶしを握って、気合いをいれるポーズをしてください(妄想中)。
 掛け声と同時に、両脇の数人が同じようにこぶしをあげて、指揮者にこたえましょう。
「ソレ!」はもちろん、腹の底からお願いします。
 合唱団のはけっこうおとなしいですが、皆さんは(誰だ)合唱団ほど上手くないぶん、気合いでカバーですよ!
 身体も動かしちゃいましょう。
 もうラストなので、手をつないで、一列目と三列目は右から、二列目と四列目は左から揺れてね。(うちの学校は5列くらいの人数がいた)
 ほら、波みたいでしょ。
 あ、揺れるのはブリブリまでにしてください。
 最後は両足踏ん張って、笑顔で高らかに歌ってね。
 このとき、後ろから担当の子たちが大漁旗をあげます。すごく盛り上がりますよ。
 
 元気に歌うのはもちろんだけど、音をはずしたりどなったりしないように気をつけてね。
 むずかしいけどがんばりましょうね~。 
 

 

             どうもありがとうございました  
 

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はるか昔に読んだ万葉の歌

2018年11月08日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子入学~現在)

大島弓子さんのなつかしのイラストピンナップです。
万葉集の一首とともにどうぞ。

  

 

       しろがね くがね
     銀も 金も 玉も 何せむに
             まさ                                やまのうえのおくら
             
優れる宝 子にしかめやも       山上憶良

   

           
   (銀も金も宝玉も、どうしてすぐれた宝といえよう。子どもの宝にまさるものがあるだろうか)

 

 


 以前このブログで「万葉のうた」というイラスト集をご紹介しました(記事はコチラ)。
 上の写真は、それに折り込まれていたピンナップをうつしたものです。

 年代物の感じが出てますが、いま見ても、とってもかわいいですよね~。
 和歌に合わせて描き下ろした絵なのか、もとからあった絵に和歌を合わせたのかわかりませんが、下のローマ字が「迷子一時預かり所」となっていて、遊び心もあります。 
 かわいいので、かつてはピンナップを切り取って、部屋に飾ったりしてました。

 といっても、イラストや和歌が好きだっただけで、当時、現実の幼児が好きだったわけではございません。てか、はっきり言って苦手。接する機会もなかったしね。
 しかし、あれから百年・・・(笑)。
 先日、冬坊の国語の教科書の中にこの歌を発見したときは「わあ・・・」と思いました。
 なつかしい! 
 そして、なんていい歌! 当時はピンときてなかったけれど・・・。 

 なんで教科書を見たのかというと、期末試験の成績を上げなければいけなかったからです(涙)。
 冬坊は、私の子とは思えないほど国語が苦手。まあ父親も絵に描いたような理数系だし、これはもう、勉強でどうにかなるものでもないでしょう・・・。
 などとのんきにかまえていたのですが、受験前のこの時期、さすがにのんきにはできない事態になりまして。

 それであわてて教科書を見てみたら、テスト範囲がちょうど「和歌に親しむ」だったんですね。
 あ、これなら私でも何とかできるかも。そう思い、久々に親子で顔つきあわせてお勉強していたときにみつけたのが、上の一首でした。

 もう、思わず冬坊に意味を力説しましたよ。ついでにピンナップをさがして引っぱり出して(お勉強はどうした)当時の自分についても説明しました。
 遠い遠い昔の歌人の歌が、いま生きている人たちの心にも通じている。その不思議さや感動についても説明しました。
 冬坊は、まったく感動しませんでした。

 まあ、いいんです。私だって、わかったのはつい最近なんだもの。
 もちろん、子育てがきれいごとではすまないことも、この年齢になればよーくわかっております。でも、だからこそ、こういう純粋な歌によけいに感動するんですよね。ここのところは冬坊には言いませんでしたけどね。

 

 調べてみたら、山上憶良は、奈良時代の660年あたりから733年あたりに生きた人で、遣唐使でもあったらしいです。
 自分自身の歴史を見ただけでも、なんて昔に読んだ歌なんだろうって思ったというのに、660年生まれとは・・・。
 なんてなんて大昔。
 そして、人間ってなんて不思議。1000年どころではない大昔なのに、全然いまと変わっていない。

 ちなみに・・・小倉百人一首の第一首の作者である天智天皇は、626年生まれ。百首目の順徳院は、1197年生まれの方でした。
 悠久の時の流れの不思議さも、同時に感じさせてくれた、貴重なお勉強時間になりました。

 

 

             ありがとうございました 
 

 

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子どもといっしょに百人一首 52

2018年10月12日 | 百人一首 黄札

 

 

       大江山 いく野の道の 遠ければ  

                            あま はしだて
                 まだふみもみず 天の橋立

 

 

 詠んだ人・・・小式部内侍(こしきぶのないし 女性)

 詠んだ人のきもち・・・大江山を越え、いく野を通って行く
            道のりは遠いので、まだ天の橋立には
            行っていませんし、母からの文も
            見ていません。

 

   大江山・・・京都府にある山

   いく野・・・生野。京都府にある地名。
         「いく」は「大江山いく(行く)」という
         意味も掛けている。

  ふみもみず・・・ここでは「踏み」(天の橋立の地を踏む・到着する)も
          していない、という意味と
          「文」(手紙)を見てもいない、という意味を
          掛けている。
 

  天の橋立・・・京都府宮津湾にある、景色がよくて有名な場所

 

 

小式部内侍の母は、文才がすでに有名だった和泉式部。
その母が丹後の国(京都府宮津市。天の橋立のあるところ)に行っているとき、小式部内侍だけが歌合わせに呼ばれて参加した。
すると中納言定頼が「お母さんがいなくて心細いですね。歌の相談の使いはやりましたか。使いは手紙を持って帰ってきましたか」などとからかった。
その定頼をひきとめて、その場で詠んでみせたのがこの歌・・・だそうです。私も今回はじめて知りました(笑)。
二組の掛詞(かけことば)を即座にとりいれたテクニックで、母ではなく自分自身に才能があるのだということを、定頼に認めさせたわけですね。
こういう事情は、歌についている詞書(ことばがき)に書いてあるんですが、事情がわからないと意味不明な歌って、けっこう和歌には多いですね。

 

 

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子どもといっしょに百人一首 51

2018年09月12日 | 百人一首 黄札

 

 

           おと
        滝の音は たえて久しく なりぬれど

       名こそ流れて なほ聞こえけれ

 

 

 詠んだ人・・・大納言公任(だいなごんきんとう)

 詠んだ人のきもち・・・滝の水が涸れて音が絶えてしまってから
            ずいぶんたつけれど
            その評判だけは伝わって
            いまも聞こえ続けて
いるんだなあ

 

     滝・・・京都市右京区嵯峨の大覚寺(だいかくじ)
         にある滝のこと

     名・・・評判。名声。

 

 

(涸れてしまった滝を、見たままに詠んだ歌で、修辞的なテクニックが読みどころのようです。
 上の句の「滝」「絶えて」「音」に対して、下の句でそれぞれの縁語「流れ」や「聞こえ」をもってくる。「な」の音をいくつも重ねる、といった部分ですね。でも、それはそれとして・・・。

 大覚寺というのは、平安時代に嵯峨天皇の離宮だったものを、崩御後の876年に寺として改めた名刹だそうです。でも、その庭園にあった滝は、大納言(藤原)公任のころにはもう涸れていました。
 公任が生まれたのは966年だから、彼の目から見た大覚寺は当時すでに「昔からあるお寺」、滝は「ずーっと前に涸れた滝」
だったんだろうと思います。

 そして今は、それから千年以上たった2018年・・・。
 大覚寺は立派に存続していて、時代劇のロケにもよく使われる有名な場所となっています。庭園の滝の跡地は、公任の歌のおかげで「名古曽の滝」と呼ばれるようになり、石碑も建ちました。
 もちろん歌のほうも、百人一首として今なお輝いているわけで・・・。

 この歌こそが、まさしく「名こそ流れてなほ聞こえけれ」になったんですね。人の命は短いですが、心をこめて作ったものがこうして受け継がれ続けているのをみると、とても長いものをみている気分になりますね)

 

 

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