カズユキの世界

天野一之日本共産党大東市議会議員のブログ。

諦めず「不屈」で行こう。大東市委員会名護支援記3

2018-02-18 21:03:29 | 日記
(3日目)1月24日
名護大東支援センターより活動②

 支援センターでの朝の打合せ前、センターの入り口で立っていたところ一台の予約表示のタクシーが到着。後部扉が開き降りられたのは山下芳樹参議院議員です。同月14日の大東新春のつどいでは来賓で来て頂きました。大東(だいとう と おおひがし)連携の醍醐味といえる取り合わせ思うのは私だけ?
 午前はセンターから北西に位置する大中地域へ支持を訴える政策チラシの配布。予想より肌寒い一日でした。
お昼は昨日に続き新山そば。
 午後は、車で県道84号線沿いに山間部、市内北部の中山地区にコンコン訪問行動へ。県道から路地に入ったところにもいくつかの集落が点在する地域です。宣伝が追い付いていない地域ということもあり、もの静かな感にも受け取りました。

 夕方からは、本日の行動提起の醍醐味。帰宅時間に合わせ、これまで対話の出来ていないお宅にターゲットを絞ったコンコン訪問とハンドマイク宣伝が構成され、市街地南部海沿いの港地区へ訪問を開始。夕食の支度中や帰宅直後の様子もありましたが、短い対話もでき、参考になる行動になりました。


早速返信に感謝!改憲NO署名自宅ポストに

2018-02-18 20:31:15 | 日記
 昨日から今日にかけて安倍9条改憲NO署名の案内を、わが居住地、大東町に全戸配布しています。今回の案内の特徴?は、居住ご当地・限定版として、返信先を我が家「天野家」(と申し上げるほど由緒ある家でもなんでもございませんが…)のポストへの投函を呼びかけている点があります。当然、初試行で、わが日本共産党、志位委員長のポスターを目印と明記し案内しました。
 さて、1日経って、夕方ポストを開くと、Oh!
はがき2枚、4名の方からの賛同の署名と一言コメントがありました。早速のご近所からの賛同、激励に気持ちが熱くなります。
 明日から議会準備に。ご近所からの生活相談もあります。しばらくかなり忙しくなりそうですが、議会に、市民生活・福祉の向上に、憲法を活かすためにも踏ん張りどころですわ!
引き続き、天野家(くれぐれも由緒ある豪邸ではありませんが…)臨時私書箱?の署名返信をお待ちしています。ありがとう、よろしくお願いします です

諦めず「不屈」で行こう。大東市委員会名護支援記②

2018-02-11 18:12:54 | 日記
(2日目) 1月23日  
「コンコン」訪問行動開始~名護市大東(おおひがし)支援センターより活動~


 23日夕方からの稲嶺ススム総決起集会の最大参加を呼び掛けての訪問行動に取組みました。支援センターの朝の打合せでは、前日の相手陣営の決起集会に約2000人の参加。集会で知人・縁故繋がりに「死にもの狂いで支持拡大する」と支持政党からのアピールがあったことが報告されました。わが稲嶺陣営は今夜の決起集会に相手陣営を超えた参加で成功させることが目標です。


 大東支援チームは2班に分かれ、センターから更に約1キロ東に位置する東江地域へ決起集会の案内と支持拡大に訪問活動を展開しました。地図の訪問支持確認状況はおよそ三分の一。留守もありましたが、対応して頂いた人の大半は一緒に頑張ろうと快く歓迎してもらえました。

 昼食は近くの新山そばへ。不破前委員長も立ち寄られ、色紙もあると聞いて沖縄そばを食べました。色紙ありました。「基地のない沖縄を」94年。感銘。しかし、20年以上経って同市の辺野古へ強引に基地建設を始めるとは、民意を踏みにじっているとしか言いようがないです。けしからん。ところで支援チームの2名さん、そばの薬味に島唐辛子エキスをかけすぎでは?やはり辛すぎるようでした。かつおだしのスープとチャーシューの取り合わせが絶品でしたのにね。

 午後からは、センターから西に位置する大南地域へコンコン訪問行動を展開。
 夕方からは21世紀の森屋内運動場で行われた決起集会に参加。翁長沖縄県知事、稲嶺市長の沖縄の基地問題を訴え、勝利を目指す訴えに会場の熱気は最高潮に。若い世代から支持を訴えるスピーチは明快にわかりやすく絶賛の声援と拍手に包まれました。参加数3500人でした。
 本日の大東支援チームは、対話90件超、一人当たり約1800歩でお腹もすいた。
昨日好評の海ブドウを食べたい意見で昨日同様、名護十字路近くの名護市営市場さくら食堂へ。支援は明日も続きますよ。

諦めず「不屈」で行こう。大東市委員会名護支援記①

2018-02-10 18:00:04 | 日記
(1日目)1月22日
大阪→那覇→普天間基地→名護

名護市長選 稲嶺ススム氏の選挙支援に大東後援会から4名が名護で活動しました。

那覇からレンタカーで宜野湾市の沖縄国際大学前へ向かいました。米軍普天間飛行場に近く、2004年8月に米軍のヘリコプターが校舎の一部に接触、墜落炎上した場所です。当時炎上し焼け焦げたアカギのモニュメントが当時の悲惨さを静かに語っていました。実際に現地に立つと民家、保育所など密集しているのがよく分ります。ここに今も軍用機が頻繁に飛び交い、墜落など事故の過去と、続く危険性。現地を後に車で出た矢先、ヘリコプターが着陸前とみられる低空で飛んでいました。目に映る街並みは、何ら変わりない日本の景色ですが、この空と軍に関わることは、私たちの考える常識は通用しない占領の歴史が続いていると云えます。


次に普天間飛行場ゲート前に行き、基地フェンス沿いに小道を進み中の様子を確認。軍用ヘリが2機確認できました。別に大きなプロペラのようなものが見えますが、オスプレイかと思いながらも本体が見えず不明でしたが、その全容は後に明らかに。

嘉数台公園からは普天間飛行場滑走路が正面から眺められます。一目瞭然、市街地の真ん中に滑走路が広がります。写真を撮って画像を拡大するとオスプレイがズラリ並んでいるのが確認できました。横のヘリと比較してもかなり大型です。並ぶ姿は不気味に感じられます。上空には頻繁にヘリが旋回。話し声が聞き取りにくい状況です。


夕方、名護市到着。大東(おおひがし)支援センターを挨拶に訪れ、大東市委員会で皆さんから預かった支援カンパを手渡しました。さあ明日から支援頑張るぞ!