2007年12月2日(日) ジェンダー史学会第4回年次大会
東京女子大学
小山有子
「服装史とジェンダー ―村上信彦『服装の歴史』再考―」
* * * * *
とにかく村上信彦についてがっぷり四つに組みたいと思いました。
うまく説明できませんでしたが(頭の悪さ炸裂でした)これは絶対なんとかしなくちゃ何にもならない!とちょっと焦っています。
でも今レジェメを見直したら曜日が間違っていて、そういうのもちゃんとしなくちゃいけないと思われたことでした。
東京女子大学は初めて行きましたがすてきな大学でした。
あのような雰囲気は死守すべきです。
どうして日本女子大はそれができないのか…。
東京女子大学
小山有子
「服装史とジェンダー ―村上信彦『服装の歴史』再考―」
* * * * *
とにかく村上信彦についてがっぷり四つに組みたいと思いました。
うまく説明できませんでしたが(頭の悪さ炸裂でした)これは絶対なんとかしなくちゃ何にもならない!とちょっと焦っています。
でも今レジェメを見直したら曜日が間違っていて、そういうのもちゃんとしなくちゃいけないと思われたことでした。
東京女子大学は初めて行きましたがすてきな大学でした。
あのような雰囲気は死守すべきです。
どうして日本女子大はそれができないのか…。
実は私も高群逸枝全集読むうちに村上信彦の本探していますがあまり見つかりません。
村上信彦に取り組むのは、わたしの研究分野である日本女性服装史において、ジェンダーと絡めて体系的に論じているのは(村上はジェンダーという言葉は用いていませんが)、今のところ彼一人だからです。
村上信彦の本はなかなか探してもないと思いますが、女性センターなどにはきっと配架されているはずですし、『明治女性史』はヤフーオークションに出品されています。
また、八王子のまつおか書房には村上著書がいくつか販売されています。ご参考まで。
わたしも『服装の歴史』をドキドキしながら一気に読みました。恥ずかしながらたぶん修士1年、奈良女の図書館のものでした。
それ以来、ずっと村上を追っています。彼の論理の鋭さにしびれてもいますが、わたしなりの違和感をうまく表現することができません。
わたしはズボンをはくことで女性が解放されるのだという論に若干の不満を持っています。それは、男性=人間(man)になることによってしか、女性は解放されないのだろうか?という疑問があるからです。
これはおそらくわたしの世代がそう思わせるのかもしれません…。うまく表現できないのですけど。
なんとしてでも、単なる賛美ではない、彼へのオマージュを書きたいと思っています。
来年にも村上論を発表する予定です!
(宣言!)
村上信彦の論理はそのような浅薄な物ではありません。世界的な女性の地位向上の結果、第二次世界大戦後にようやく、女性がズボンを堂々と履いても迫害を受けることが無くなった。従って堂々と履いてよろしいと言う論理だったと理解しております。
>男性になることによってしか、女性は解放されない
男も女も足は2本あるのに女性だけ1つにくるむのは活動性、機能性、保護の面で不合理であるというのが彼の理論で、例えば試しに宇宙服をスカートで作れるかと言えば絶対できない。何故なら真空中にスカートでは生きていけない(笑)からです。
足を1つにくるむのが合理的であれば、女は手も1つにくるめと言う笑い話ができそうですが、それでは男に都合のよい女としても使い物にならないから、そのような「服装」は「歴史上」出てこなかったと思われます。
彼が徹底的に「服装」と言う言葉にこだわり、決して自論の説明に「服飾」と言う言葉を使わなかったと言う所の理解が甘くないでしょうか?
村上論 期待してます、がんばって下さい。
ありがとうございました。
村上信彦は人気ありますね!