久々にHome townに帰ってきました。今回の出張では私と同じように世界に駐在するお仲間と会えて楽しいひと時をすごさせていただきました。特に主催者のF先輩や大陸棚の向こうで頑張っているM氏とは有意義な時間をすごさせていただいたことを感謝しています。といってここに書いてそれを読んでくれるかどうかは疑問ですが・・・。まあわかる人にはわかる会話もたまにはいいでしょう。(笑)
さて、こういう楽しい時間を過ごしているとき、ふと気づくことがあります。歳をとるにしたがって、人間誰しも「心」を隠すようになります。これは格好良く言えば、「大人になる」ということなのでしょうが、自分に対し「素直になれなくなる」ということでもあるような気がします。もちろん家族や恋人の前では皆さんは素直になれるでしょうが、相手・場面・状況によって自分を殺さなければならないことが多くなります。それがどんどん増えれば増えるほど、本当の自分を見失いがちになってしまうかもしれません。
今回親しいお仲間と話をしていて、なんかほっとしました。プライベートな時間は別にして、仕事に関してだけ言えば米国で若いお兄ちゃんと2人でやっているわけですし、時差も距離もあれば、同じ仕事をしている仲間が居ても、自分の存在が不安になることがあります。また人間いい人ばかりではありませんし、いつどこで何を言われているかわかったものでもありません。そういう不安が募れば募るほど、自分の気持ちが曲がってきます。これを維持するには自分の中の自分を見極めることとそれをしっかりと維持していく強い精神が必要ではないでしょうか?
さて、ここでいう「自分の中の自分」とは、その人間を構成する人格です。別に心理学の講釈をたれるつもりはありませんが、私の中には「白い自分」と「黒い自分」だけではなくいろいろな色の人格がいて、それが重なり合って形成されてると思っています。白とは素直(というかきれいだと思っているよう)な自分であり、黒とは憎しみとか妬みとか所謂心のダークサイトのことです。これ以外の色というのは、何かに熱中したり、感動したり、漠然と思ったり、人によって対する感情の向け方等がそれぞれ違う色をもっているような気がします。自分が多重人格もどきを意識しだしたのは、仕事とプライベートな自分以外に音楽をやっているときで、このときは何も考えずにひたすら集中しているときにふと自分の第3の人格を意識しました。ちなみにその時の写真があるのですが、結構「マジ」です。「へぇ・・・、自分でもこんな顔するんだ!」ということに気づかされたのです。これは一例ですが、映画を見て涙を流したり、何もすることがなくただぼーっとしていたときにはっと気づくこと、親や恋人、友達に接するときの顔は必ずしもひとつではないと思います。人は誰しも「多重人格」なのだと私は考えています。
でもそうなると「精神分裂なのでは?」といわれる方もあるかもしれません。そういう意味ではなく、それぞれの人格には色がありその色が混ざり合ってひとつの「心の色=人格」を形成しているのだと私は思います。そうでなければ、表裏ばっかりある人間で、この世は本当に怖い世界になってしまいます。そうならないのは、絶えず変化するそれぞれの色が混ざり合って形成されていくからではないでしょうか? 故にそれぞれの「色」がお互いを強調・反発をすることなくひとつにまとまっているのでしょう。
でも最近の暗い事件を聞くと、このような色のバランスがとれていない人間がだんだん多くなってきているような気がします。これは一時の感情に押し流されて、ひとつの「色」を出しすぎるからではないでしょうか? 常に自分の中で自分を冷静に見つめて見極めていくことが「心の葛藤」であり、「成長する」ということだと思います。
今回いろいろな人とお話する機会があってひさびさに自分の中にあるハートフルな「トリコロールブルー」が見つけられてうれしかったです。ちなみに私の言うこの色は、「心の平和と安定及び爽快感」を示しています。何かここだけ見ると自分がとってもきれいに見えますが、きっと実際は違うと思います。きっと私を実際に知っている人であれば、「この偽善者が何を言う!」と爆笑してしまうでしょう。(といいつつ自分でも可笑しくてしょうがない・・・。)
さて、皆さんはこうやって考えると自分の色は何色かわかりますか? ご自分で考えてみると良いかもしれません。まあ多分仙人のように「純白だ!」と答えられるひとはいないでしょう。(笑)
さて、こういう楽しい時間を過ごしているとき、ふと気づくことがあります。歳をとるにしたがって、人間誰しも「心」を隠すようになります。これは格好良く言えば、「大人になる」ということなのでしょうが、自分に対し「素直になれなくなる」ということでもあるような気がします。もちろん家族や恋人の前では皆さんは素直になれるでしょうが、相手・場面・状況によって自分を殺さなければならないことが多くなります。それがどんどん増えれば増えるほど、本当の自分を見失いがちになってしまうかもしれません。
今回親しいお仲間と話をしていて、なんかほっとしました。プライベートな時間は別にして、仕事に関してだけ言えば米国で若いお兄ちゃんと2人でやっているわけですし、時差も距離もあれば、同じ仕事をしている仲間が居ても、自分の存在が不安になることがあります。また人間いい人ばかりではありませんし、いつどこで何を言われているかわかったものでもありません。そういう不安が募れば募るほど、自分の気持ちが曲がってきます。これを維持するには自分の中の自分を見極めることとそれをしっかりと維持していく強い精神が必要ではないでしょうか?
さて、ここでいう「自分の中の自分」とは、その人間を構成する人格です。別に心理学の講釈をたれるつもりはありませんが、私の中には「白い自分」と「黒い自分」だけではなくいろいろな色の人格がいて、それが重なり合って形成されてると思っています。白とは素直(というかきれいだと思っているよう)な自分であり、黒とは憎しみとか妬みとか所謂心のダークサイトのことです。これ以外の色というのは、何かに熱中したり、感動したり、漠然と思ったり、人によって対する感情の向け方等がそれぞれ違う色をもっているような気がします。自分が多重人格もどきを意識しだしたのは、仕事とプライベートな自分以外に音楽をやっているときで、このときは何も考えずにひたすら集中しているときにふと自分の第3の人格を意識しました。ちなみにその時の写真があるのですが、結構「マジ」です。「へぇ・・・、自分でもこんな顔するんだ!」ということに気づかされたのです。これは一例ですが、映画を見て涙を流したり、何もすることがなくただぼーっとしていたときにはっと気づくこと、親や恋人、友達に接するときの顔は必ずしもひとつではないと思います。人は誰しも「多重人格」なのだと私は考えています。
でもそうなると「精神分裂なのでは?」といわれる方もあるかもしれません。そういう意味ではなく、それぞれの人格には色がありその色が混ざり合ってひとつの「心の色=人格」を形成しているのだと私は思います。そうでなければ、表裏ばっかりある人間で、この世は本当に怖い世界になってしまいます。そうならないのは、絶えず変化するそれぞれの色が混ざり合って形成されていくからではないでしょうか? 故にそれぞれの「色」がお互いを強調・反発をすることなくひとつにまとまっているのでしょう。
でも最近の暗い事件を聞くと、このような色のバランスがとれていない人間がだんだん多くなってきているような気がします。これは一時の感情に押し流されて、ひとつの「色」を出しすぎるからではないでしょうか? 常に自分の中で自分を冷静に見つめて見極めていくことが「心の葛藤」であり、「成長する」ということだと思います。
今回いろいろな人とお話する機会があってひさびさに自分の中にあるハートフルな「トリコロールブルー」が見つけられてうれしかったです。ちなみに私の言うこの色は、「心の平和と安定及び爽快感」を示しています。何かここだけ見ると自分がとってもきれいに見えますが、きっと実際は違うと思います。きっと私を実際に知っている人であれば、「この偽善者が何を言う!」と爆笑してしまうでしょう。(といいつつ自分でも可笑しくてしょうがない・・・。)
さて、皆さんはこうやって考えると自分の色は何色かわかりますか? ご自分で考えてみると良いかもしれません。まあ多分仙人のように「純白だ!」と答えられるひとはいないでしょう。(笑)