随想録~つれづれなる一言日記⇒Part2はhttps://blog.goo.ne.jp/conny_mizukiにて

私こと瑞希祐作が、無秩序・無作為・無節操に自分の思いのままを書きつづってみました。楽しんでください!

5・4・3・2・1・・・ 

2008-08-31 | ちょっと変わったお話
「どうも米国人はカウントに弱い!」ということをうちの子供が言い出しました。

ちょうど外で夕飯を食べているときに、5歳くらいの女の子が私の後ろにあった熱帯魚の水槽に吸い寄せられ、中で踊っている魚たちに「きゃーきゃー」言っていました。それを見ていたその子の父親が、最初は「なあに?どうしたの・・・」とか言っていたのですが、だんだんエスカレートするので、私たちに気を使って、「こっちにきなさい!」というような注意を与えたのです。でも子供のすることですから、そんなに簡単に言うことを聞きません。最後の手段として、「こないならカウントを数えるよ! 5,4,3・・・。」と言い始めたのです。すると子供は急におとなしく言うことを聞いて自分の席に戻りました。

それを見ていて、この発言が出てきたのです。

うちの娘によると、どうも米国人はカウントを数えられると、警戒したり、相手が本当に怒っていると思うみたいなことを言っています。つまり、カウントを数えられる=相手は相当怒っている=数え終わったら罰せられる、という方程式が自然と組みあがっているようなのです。つまりカウント=最終手段という構図なのです。

これは子供のころからの学校生活で身に着けられているようです。日本では最近ちょっと?ですが、学校では先生が自分の授業に関しては責任をもって指導をします。当然その際には必ずクラスでの決め事=ルールがあります。保護者は毎年クラスの始まったころに子供が持ってくる「授業中のルール」というものにサインをさせられます。これには事細かに、授業方針、評価の仕方、罰則の規程が書かれています。何回かルールを破ったら親の呼び出しとかそういうものまで載っているものも普通です。基本ルールとは別に、授業中の「躾」の一環として、このカウント法が一般化しているようなのです。だから米国人はカウントに弱いというのです。

まあ確かに前にFed-exのところで書きましたが、「あと30秒まってくれ」「わかった、1,2,3,4…」「いや60秒にしてくれ。」という担当者とのやりとりがありましたよね? これがそれに通ずるものがあるのです。彼にしてみれば、時間稼ぎと思って言った台詞が、逆にカウントを数えられ、前述のような「カウントのトラウマ」にかかってしまったのかもしれません。

今回のこの一件はあくまで私と娘との仮説に過ぎませんが、今度チャンスがあったら試してみる価値があると思いました。ご存知の通り日本人と違い「お気楽道」を突っ走るこっちの人間を、如何に精神的に追い込むかが我々の鍵であり、その中でこの手段が有効に使えれば少なからずプレッシャーを与えることが可能になります。

こういうものは心理学的には「刷り込み」と同じものです。長い間の繰り返しにより自然と身についたものですから、自分でわかっていても体が反応してしまうのです。いわゆる「ギアス」と一緒のように精神を支配されてしまうのです。まあ大げさな言い方ですが・・・。こういうものをひとつでも知っていると知らないでいるのでは、相手に対する「戦略」に大きな違いが出てきます。そういう意味では、この何気ない娘の一言は、おもしろい発見になるかもしれません。

「でもまあ、犬じゃないんだから、カウントはいくらなんでもないだろう?」とも思います。

まあ今度何かの折に試してみましょう。うまくいったら大発見です。(笑)

2008年8月度 コメント紹介コーナー

2008-08-30 | コメント紹介コーナー
早いものでこのブログをはじめて3ヶ月近くたちました。当初はどうせ三日坊主で終わるかもしれないと思っていましたが、不屈の闘志で書いてきました。まあ読み返してみるとこうもまあいろいろくだらないことばっかし書いているような気がします。(笑)

とはいえ、ネタはまだまだ尽きせぬくらいあります。そういうのを小出しにしながらこれからも続けていきたいと思っています。お付き合いいただければ幸いです。

さて、このブログ、コメントの処理の仕方をどうしようか?と思ったのですが、やはりできるだけいただいたものには何らかの感想を述べさせていただかないと失礼にあたると思いますので、当面1ヶ月に一度くらい、紹介しながら返信をさせていただこうと考えています。(コメントが増えたらそのときにまた考えますが、まあそんなこともないでしょう。)

「いつもニコニコ現金払い」と「義理と人情で渡世を生きる」というのが私のモットーなもので・・・。

さて、今月いただいたコメントは、8月23日掲載の「息抜き」に関して、谷中初音町さんからいただいた肩こりに関するものでした。谷中さん、いつもかどうかわかりませんが、私のくだらないブログを読んでいただきありがとうございます。

さて、内容は以下の通りです・・・。


私は、以下の方法を毎日就寝前に行うことで重度の肩こりがとれました。
  1、枕をはずして仰向けに寝る。
  2.両手を組んで、組んだ手を枕がわりに頭の下に置く。
  3.この状態を3分間続ける。
上記方法を始めて約1ケ月で肩こりが和らぎ、現在は肩こり知らずです。継続は力なりです。
朝・昼・夕・晩と実施回数を多くすることで、より効果がでます。  谷中初音町


これ、早速試してみました。確かに効きます。特に組んだ手を頭の下に置くと自然とわきの下ところが引っ張られるのです。それがここにある肩のつぼに程よく「痛キモ」状態で刺激されます。なるほど、といった感じです。ぜひこれは続けてみたいと思います。

私にとって肩こりは本当に生涯をともにしている天敵みたいなものです。よく美容室でカットをしてもらうときにサービスでマッサージをしてもらうのですが、それが全然効かないのです。いくら一生懸命押してもらっても、まるで鉄板を押しているようなのです。だからやっていただいているのに全然ダメなのでいつも申し訳なく思っています。よく日本にいるころはマッサージにも行きましたがここでも「こりゃダメだ!」とダメだしされる始末で、本当に如何ともしがたい状態です。やっぱりこれはストレスが原因なんでしょうね? それに運動不足もあるけど・・・。もう少し自分の生活改善をしなければいけませんね。谷中さん、貴重なご意見どうもありがとうございました。

多分来月コメントがなければ直ぐにつぶれるコーナーと考えています。でもまた来月あったら同じようにやりたいと思います。自分でも期待はしていませんが・・・。

それではみなさん、これからもよろしくお願いいたします。 
By; Alford.J.Claud



ロケーションフリーTV

2008-08-30 | ライフスタイル
「会社や外では海外生活、家に一歩はいったらそこは日本の生活」というのが私のモットーです。だから自宅の中は例え海外と言えどもできるだけ日本と同じことができるような環境にするよう努力しています。

前にも書きましたが、食事に関しては日本の食材がまあまあ手に入ります。CDはインターネットで、本は一番苦労しますが、それでも出張の度に日本の書籍店によってなんとか調達しています。いやぁ、やってみれば意外とできるもので、日本の生活とさほど違わないようなことが可能であることがわかりました。

考えてみればやはりインターネットの普及は大きいです。昔、20年くらい前の駐在の方は、電話・Fax・テレックスというようなもので対応していましたが、今は「ネットでGo!」みたいな感じで、ニュースから娯楽まで楽しむことができます。また欲しい情報もタイムリーに取れることもあり、時代の進化を如実に感じることができます。

その中で我が家の「日本生活」に大きな戦力となっているのが「ロケーションフリーTV」なるものです。以前からインターネットを経由して日本のTV番組を送るシステムがあったのですが、なかなか画像がよくありませんでした。これはやはりアップロード・ダウンロードスピードによるものですが、昨今は米国側もだいぶスピードが増してきたので、以前ほど不便さを感じなくなりました。私の感じですが、日本の送信側30M bps.こちらの受信側5M bpsくらいあればそこそこ見ることができるような気がします。

米国に来てから1年半くらいまではこちらの生活を楽しもうと全くそういうもの無しでの生活で頑張ってきました。でもやはりいろいろな情報はリアルタイムで欲しいと思うようになり、こちらの日本語放送(TVジャパン)とロケーションフリーを試すことにしました。どちらかというとロケーションフリーは接続の面で不安があったので、TVジャパンのほうを保険にして始めたわけです。

さて、このロケーションフリーTVですが、まずは日本にベースステーションなるものを設置します。私の場合は実家がなかったので、日本出張の折に細君の家にこれをセットしました。それからコンピューターにソフトを組み込み、マニュアル通りにセットアップしました。この際、HDDレコーダーを一緒にいれました。これは日本との時差を考慮して見れない番組は全部録画しようという腹でした。実際にインターネットで経由し、日本での性能を確認した後、米国に帰国して試したところ、うまくいきました。最初は難しいのかな? と思っていましたが、マニュアル通りにやれば意外と問題なくできました。

ところが、当初細君の家のアップロードが1M bps、米国の家のインターネットはダウンロードが3M bpsと日本の常識から比べるととっても遅かったのです。だからアニメとかはまあ良かったのですが、ドラマとかスポーツは直ぐに画像が止まってしまいました。これを改善すべく、細君のほうも自分の家もパワーアップを図りました。日本側のアップロードは簡単に上がりましたので、次に米国側のダウンロードを5M bpsにしました。この段階で状況はかなり改善され、ドラマも十分見ることができるようになりました。ちなみに今は都市部に移ったのでダウンロードスピードも公称16M bpsといった具合で、これでまあ普通のTVに近づくほどとなり、満足しています。

ただ、引っ越した先のサテライトの電波が極めて弱かったこともあり、TVジャパンのほうはうまく映らなくなってしまいました。そうなると今まで家族はずっとTVジャパン主体でしたが、いきなりロケーションフリーに移行してきて、その使用頻度が高くなってしまい、私の見る時間が極めて限られるようになってしまいました。とんでもない落とし穴があったのです・・・。無念!

このロケーションフリーTVですが、専用のステーションをこっちのTVに備え付ければ、大画面のTVでも見ることができます。わざわざPCで見なくても良いのです。こうなるともう普通のTVとそんなに変わらないなぁ、と思います。

ちなみに値段ですが、ベースステーションとPCのソフトが最低条件ですが、3万円くらいあればOKです。但しこっちのTVで見たいとかHDDを日本においておきたいと考えるとそれなりにかかりますが、まあ10万円もあれば全部セットアップできます。ちなみにTVジャパンはイニシャルのセットアップで150USD、月25-30USDくらいかかりますから、まあ3-4年もあれば十分元は取れると思います。それに地上波放送が全部見れるわけですから、それだけでも大きいですね。ちなみに私は近い将来デジタル放送対応を考え、新しくHDDレコーダーを入れる予定で考えています。

どんどん世界は狭くなってくるという印象をこの分野では如実に感じますね!
もう海外にいてもそんなにさびしくはならないと思います。

まあこういうことで悩んでいる方がいらっしゃったら、やるだけやってみることをお勧めします。

SONY ロケーションフリーベースステーション LF-PK20

ソニー

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おにぎり

2008-08-29 | Cooking, Drinking
出張に行くと日本食レストランを探します。これはやはり日本人の性なのか仕方ないことなのかもしれません。でもまあ大都市部だとそれなりのところはあるのですが、田舎町の日本食となるとこれまた本当の「日本料理」かどうかあやしいものがかなりあります。日本人が経営している店というのは意外と少なく、韓国や中国の方がオーナーであるケースが多々あります。別に彼達の「日本料理」がまずいと言うわけではありませんが、やはり長い伝統と歴史が生み出してきた食文化を簡単に語られるのはいささか面白くありません。「中国三千年の歴史」があるように日本にも遠く平安時代からの「食の歴史」があるのです。それを単に「日本食ブーム」とか「ヘルシーな料理」というだけでもてはやし、もうけを追求し、本物とは程遠い「日本料理」がこの地ではまかり通っているのが残念です。もう少し「日本国お墨付きの日本食レストラン」という認定制度を作ったほうがよいのではないか? と思います。

さて、日本食レストランを探すもうひとつの理由は、「おにぎり」なのです。この日本の伝統的文化が生み出した食べ物は本当に良いと思います。単純にご飯を握って、その中に梅、おかかなどのちょっとしたものを入れます。さらにそれにのりを巻くだけの単純なものですが、なかなか長持ち(半日から1日くらい)しますし、素朴でいて且つおいしいのです。まあこれも子供のころ、遠足や運動会で母親が握ってくれたあの懐かしい味であるからかもしれません。それが体の中にしみついているのも確かでしょう。また「米文化」に浸りきってきた食生活がそうさせているのかもしれません。いろいろな要因がこの1個の「おにぎり」に集約されているのです。前述のような外国人経営による日本食レストランでは、「おにぎり」は見ることはできません。あくまでも「日本人の日本人による日本人のための1品」なのです。それだけ単純でも味わいが果てしなく深いのです。

私はこのおにぎりをメニューで見つけると必ずテイクアウトします。そして翌日の朝ごはんにするのです。海外のホテルで食べる朝食は非常に豪華です。これでもかと言うくらい、朝ご飯なのにボリューム満点です。おまけにとってもオイリーなのです。こんなのを毎日食べるから、あーいうビアダル体型ができるのもうなづけます。私自身は元々「朝は食べない派」でして、それこそ本当にコーヒーと食パンだけがあれば十分という人間です。いっぱい食べたらそれこそ消化しきれずに直ぐに胃痙攣を起こしてしまうのではないか? というくらい、気持ち悪くなってしまいます。そういう私にとっては、この「おにぎり1個」がささやかな朝食にぴったりなのです。

ところで、こちらに来て思ったのですが、テイクアウトすると決まってのりだけ別にサランラップか何かにつつみ、それを食べるときに出して「ぱりぱり感」を残すようにするお店が多いのです。初めから巻いたままテイクアウトさせるところは意外と少ない気がします。よく日本で見るコンビニのおにぎりは、あのラップを自分ではがすことにより、ぱりぱりした食感を楽しむことができます。その手法がこの地でも生かされているのには少しびっくりしました。でも人によっては「ぱりぱり感」よりも、ご飯がしみた「じめっと感」が好きな人もいるようです。(うちの細君はじめっと派です。)確かにじめっと感のほうが「おふくろの弁当」という感慨に浸れることがあるとは思いますが・・・。

米国でもセブンイレブンがあります。たまにこういう思いにふけると、「おにぎりないかなぁ?」とお店をのぞくこともあります。でも無いんですよねぇ。聞いた話だと、東海岸・西海岸の都市ではあるようですが、中西部にはあることはありません。残念ですねぇ・・・。でもきっともしこの「おにぎり」が店頭に並んだら、人気商品になるのではないのかな? と思います。ついでに、「おでん」と「肉まん」があると最高なんですけどね・・・。

「おにぎり」の話をしていたら、日本のコンビニが本当に懐かしくなりました。いいなぁ・・・。

Casino

2008-08-28 | 趣味の話
この間の週末のことですが、日本から仲間が来ていたこともあり久々にCasinoに行きました。日本ではギャンブルはパチンコや競輪・競馬等々に限られており、カードとかルーレットのような所謂「本場のギャンブル」を味わうことができません。でもこちらでは合法化されていますので、堂々とできます。但し本場モノはそれなりにお金がかかりますので、飲み込まれると本当に大損をします。

日本にいたころ、政治家や有名人がCasinoに行って稼いだとかすったとかそういう記事がありましたっけ? まあ彼達だって人間ですから興味本位でそういうところに行くのはわかりますし、たまたま勝った負けたがあるわけです。ただ金銭感覚が我々庶民と1桁2桁違うだけの話です。そういう意味では本人の自己責任であるわけですからとりたてて騒ぐこともないといつも思います。

さて私自身は、ギャンブルはほとんどと言っていいくらい興味がありません。日本にいたときもたまにパチンコに行っては3,000円だけ玉を買って、それが出たら「良し!」っということで、でなかったらそれでおしまい、といった感じでした。こちらでもおおよそ50ドルくらいを目処に一線を引きます。でもあのCasinoの雰囲気は一種独特で私はとても好きです。特にブラックジャックをビール片手にやりながら、「もう一枚」とか「Stop!」とか気障にやっていると、何か普段と違った感じがします。でもカードをするためには元手がいります。だからいつもはスロットとかをちょっとやって、そこで元手を稼いでからそっちのテーブルに移るというようにしています。スロットの場合、そんなに大勝できませんが、大抵1回2回くらい当たります。そのときに「もう少し」なんて思わずにすぱっとやめてカードに移るのです。それでそこまで稼いだ金額をすったら終わりとするわけです。そういう意味では借金を作るまでおぼれるということはありません。

最近はあまりできないのですが、以前は友人宅にカードが好きな連中が集まり夜中までポーカーに興じたこともありました。それが一種のホームパーティーみたいなものなんですね・・・。ホストがみんなからいくばくかの参加料を取り、それでPizzaやビールを用意するのです。男性だけではなくその奥さん、彼女や子供(といっても大きいですけどね)を連れてきて楽しむのです。何ともそのアットホームなところが良かったです。

ところでポーカーですが、こちらでは普通のポーカーではなく、「テキサスポーカー」が主流です。手札が2枚渡されて、その後親が場に1枚1枚出していくのです。それと組み合わせて役を作っていくのです。手札が2枚で残り3枚が共通ということなのです。お互いの駆け引きがまさに勝負を決するのです。私はこの手のものは最初のうちは良いのですが、次第に痺れを切らしてしまう傾向があります。だからあるところで一発勝負して、「ドボン!」がよくあるのです。この辺は性格の問題ですかね? だからブラックジャックのほうが好きです。

さてさて、Casinoは楽しいところですので、一度社会勉強の為に行ってみるのも良いかと思います。但し、くれぐれも自分の中での「節度」は決めておいてください。「破産」しないようにね!

Casinoとかけて人生と解く、その心は・・・、「勝負時と引き際が肝心です。」 
お後がよろしいようで・・・。

Would be? Could be? Should be?

2008-08-27 | 比較文化論
最近あまりまともなことを書いていなかったので、ちょっと今日は使えると役立つ英語表現について書きたいと思います。

普段日本での英語ではあまり使わないのですが、こちらにいると日常会話とかで“Would be””Could be” “Should be”というのが良く使われます。意味は、「そうだと思うよ・・・」という意味あいなのですが、実はこの3つの言い回しにはちょっとした違いがあります。それは「可能性・確立」の問題なのです。

“Would be”であれば、おおよそ50-60%程、”Could be”であれば、60-80%くらい。“Should be”になれば、80%以上の確率で物事が起こるようなイメージです。いつものことですが、これは当人(私)比です。

例えば、“Will he come here?”(彼はここに来るのかな?)という質問に対して、
“He would be…”であれば、「多分くるんじゃないかな?」
“He could be…”であれば、「来るとは思うけどね・・・」
“He should be…”なら、「うん、来るはずだけど・・・」、と言った具合です。

これをうまく利用すれば、答えた相手がどのように状況を考えているのかがわかりますので、それに応じた心構えができます。

ところで、これに似たケースで日本人よく“Maybe”(多分ね)という単語を良く使います。でも日本人の感覚と米国人のそれはかなり違っています。日本人はこれを肯定的に使っており、(確実じゃないけど)「まあ多分そうなるね!」と言った意味合いで話をします。ところが米国人の場合、「もしかしたらそうじゃない?」という感じです。程度から言えば30%くらいの実現可能率くらいしかないのです。だから日本人が「多分ね(大丈夫だよ)」と言っているつもりが「もしかしたらそうなるかも?」という程度にしか捕らえられていないのです。だから、もし日本人が使う”Maybe”のイメージで相手に話をしたいのであれば、彼達には“Probably”(半々程度)くらいの表現で言うのが適当かもしれません。

日本語を使っていると結構繊細な表現が多いですが、そこまでいかなくても英語でも多少の「程度」のニュアンスがあるのです。「お願いします・・・」という表現にも丁寧な言い方や謙譲表現があります。これはいろいろな人の話すのを聞いて、微妙な違いを見つけてください。

そうそう、ひとつ日本人がよく犯しがちな間違いとして、「・・・したほうがいいよ」というサジェスチョンの言い方があります。中学校では、“You had better…”を習うのですが、これはあくまでも目上の人間が下の人間に言う言い方です。「・・・しなさいよ!」というような表現なのです。例えば親が子供とかに言うのはいいのですが、これを普通の人に対して使うと、相手は怪訝な顔をするかもしれません。まあ使っている人間が日本人だから笑って理解してくれるとは思いますが、場合によっては相手のプライドを傷つけるかもしれません。だから決して目上の人にはつかってはいけません。怒られるかもしれませんので・・・。こういった場合には、“You should do that.”みたいな使い方、「そうすべきだよ!」と言うのが良いかもしれません。更にその後に、“What do you think?”「あなたはどう思いますか?」という言葉を続ければ、立派な表現になり、相手も”I think so.”「私もそう思うよ!」という返事が返ってくると思います。これも会話のテクニックかもしれません。

こういうことはある日突然ひらめくようにわかるものですし、その時はとっても良い気分になれます。

一度誰かに聞いてみましょう・・・。”Will it be fine tomorrow?”って。

さあ答えはどれでしょうかねぇ?(笑)

時限爆弾と心の伝道師

2008-08-26 | 比較文化論
最近体の中のストレスという名の「時限爆弾」がよく爆発します。仕事柄日本からの指示を受けてこちらでのアクションを行うわけですが、相手(日本側)は如何せん現場の事情がよくわかっていないのです。まあこれはどこにでもある話で、いちいち目くじらを立てることはないとは思います。でも積もり積もってくるとやはり忍耐にも限界が出てきます。こういう場合、自分のメンタリティーのケアからもはけ口が必要になってきます。やはりその場合、一気に「大爆発」するよりは、小規模なものを少しずつ爆発させていくほうが健康的にも良いと思います。地震と同じですね。

こちらに来て米国人の対応には次第に「母が子供をいつくしむような目」で見るほど寛容さが増してきましたが、自分が日本人である以上「このくらいわかってもらわねば、日本人として恥ずかしい!」という思いが強くなり、逆に彼達(日本人)に対する寛容さがなくなってきているような気がします。これはこれでとっても良くないことなので、自分でもできるだけ大きな目で見ようと思っているのですが、やっぱり時として限界が来てしまうのです。

「事件は会議室で起こっているんじゃない!現場で起きているんだ!」

どこかで聞いた台詞ですが、まさにそうなのです。日本では当たり前ですが日本人だらけです。だからある意味共通の意識をなぁなぁの中で感じあっているのです。一方遠くはなれた異国の地は彼達にとってたとえ同族がいたとしても想像の共有化が難しいのです。故に「遠くの親戚より近くの他人」的傾向があるのです、私はこのような「日本人の意識」にはかなりのウェイトで歴史的背景が絡んでいると思っています。これについてはまたの機会に自分の考えを述べたいと考えています。

ところで、こちらでのストレスは人にもよりますが、負担はかなりあると思います。いくら英語ができたところで、社会に馴染むにはその文化を理解しなければなりません。日本人相手であれば「Tu-Ka」でわかることが、米国人相手だと一から細かいことを説明しなければなりません。それが面倒くさいのです。ストレスが溜まるのです。かと言ってこの「時限爆弾」をしょっちゅう米国人に向けて爆発させてしまうとこちらでは生活が難しくなります。でも我慢をしてて、さらに日本から理不尽なことを言われれば、それで精神的に参ってしまいます。結局のところ袋小路にはまってしまいます。そうなるとそういう状況を避けるべくとる方法が、可哀そうですがまずは日本人から爆発させていかなければならないと思うこともあります。まあその前に「大人になれよ!」とつっこまれますが・・・。(笑)

でも、米国人に一から説明して、日本人の心がわかってもらえたときはうれしいです。もちろん自分の英語が通じ、語学レベルアップが自分で認識できるのは素晴らしいことですが、何より例え米国人でも日本人と同じ感覚・心情を共有できるのだということがわかったときはまさに新しい世界が開けたような感じがします。常にそういうことができるようになればストレスは無くなっていくのかもしれません。

我々はこっちにいる者は、日本の「心の伝道師」を目指さなくてはいけないかもしれません。それが「時限爆弾」を解除するひとつの手段だと思います。

ルパン三世 VS 水戸黄門

2008-08-26 | 漫画・アニメーション・TV・演劇・舞台諸々
宮崎駿と言えば、日本を代表するアニメーションの大監督さんです。ナウシカから始まり、トトロ、キキ、もののけ姫、そしてポニョなど多くの名作・名キャラクターを生み出してきました。日本のアニメを支えてきたアニメーターの一人だと言っても過言ではないと思っています。

元々ある程度のフリークであれば、彼が昔関わった作品として、「アルプスの少女ハイジ」とか「未来少年コナン」があるのを当然ご存知のはずです。彼にもいろいろと下積みがあったわけで、その結果として現在があるのです。

でも彼の出世作は何? と問われれば、私は間違いなく「ルパン三世」を押すでしょう。彼の作風や作品を考えるとどうも結びつきにくいのですが、第2シリーズ(通称赤ルパン)のTVシリーズの中でも何作か担当をしていました。それもあってか、ルパンの映画作品の中でもっとも良い代表作(と本人は思っている)「カリオストロの城」も彼が演出・監督を担当していました。あの中に出てくるヒロインのクラリスも、そのおじいさんもどう見ても「カルピス名作劇場だ!」という漢字がするのではないでしょうか?

そういえばルパンも今年で40周年になりました。私は第1シリーズ(通称緑ルパン)が一番好きでした。他の作品はどうも視聴率を意識した作りになっているのに対して、このシリーズは少しハードにそしてアダルトに当時はできていた作品です。そういう意味ではもっとも原作に近い作品だったはずです。これは最近の「ゲゲゲの鬼太郎」の原作が、実はちょっとブラックな「墓場鬼太郎」であったのと同じような感覚です。

元々漫画というのをアニメーションにするのは非常に難しいことです。昨今はいろいろな漫画がアニメーション化されることが多くなりましたが、やはりその作品的クオリティーはどうしても原作に及ばないものが多かった気がします。それでも最近は絵のクオリティーや表現がかなり工夫されていますので、漫画が好きな方もかなり楽しめるようになってきたと思います。また作者や会社によっては、敢えて原作と同一視することなく、「こういうのもありかな?」という違った展開を持ち出すケースもあります。でも一番良いのは、ジブリのように漫画の原作ではなく、キャラクター・シアリオからすべてアニメーション用のオリジナルで作るほうが良いと思います。

話は戻りますが、「カリオストロの城」のエンディングで銭形軽侮がクラリスに向かって、「ルパンはあなたの大事なものを盗みました。それはあなたのこころです。」(原文は忘れましたが・・・)というような台詞を「落ち」に持って来ています。日本人的情緒がある含蓄のある台詞だなぁ、と思う反面、なかなか出てこないものであるとも思います。ストーリーの流れが、すべてこの一言に収束するようにできているところは非常に心憎いと思います。何度見ても思わず涙が出てきてしまいます。日本人の心を打つ作品であると私は思っています。(あくまでもいつものことですが、この見解は私個人のものですので、「いや、自分は違う!」と言う方には、すいません。)

ただ、日本のアニメーションはその作品の素晴らしさゆえ、海外に広く輸出されていますが、果たしてその繊細な「感情や心」の部分まで必ずしも輸出し、理解してもらっているとは思えないところもあります。もちろん絵とか脚本・演出のクオリティーが優れており、また細部にわたる緻密な構成が海外で受け入れられるのはとてもうれしいことですが、できればその「感情や心」の部分までしっかりと理解されるような環境になってくれないかなぁ? と心ひそかにいつも思うわけです。

昨今中国等に作品の外注をしている会社もありますが、やはりこういう貴重な技術はすべて日本で作りあげるようにしなくてはいけないのではないか? と思います。後世への技術伝達・クオリティーの維持は大事なことだと思います。

ところで、「ルパン三世」と「水戸黄門」には共通点があります。何かわかりますか? 偽者が本物になってしまうのです。(笑) 意味がわかる方は通ですね!

ビフテキ

2008-08-26 | Cooking, Drinking
昔ビフテキと聞くと高級料理で、庶民の子供の私にはめったに食べることのできないものであったような気がします。米国では全くもって高級料理ではなく庶民の食事なのですが、いやはやその量たるやびっくりするほどのものがあります。

日本では150-200gあれば「ジャンボサイズ」というようなものでしょうが、こちらでは、300-400は当たり前。20Ozに至ってはまさに3-4人前分のジャンボサイズとでも言うのでしょうが、それが平気で食されています。

「ビフテキ=ビーフステーキ」は確かに本場ものはおいしいです。脂の乗り具合、質感とも申し分ありません。日本人が日本の魚がおいしいというのと同じくらい、米国人にとってビフテキは素晴らしいごちそうなのです。狂牛病とかどういう肉が使われているか疑問符がつきますが、それでも良いお店で食べていれば大丈夫!と思い、時々食べるようにしています。

ところで、アメリカンサイズのビフテキは本当に食べ応えがあります。でも問題なのは最初から最後まで「おいしい」と言って食べきることは不可能です。日本人は体が小さい=胃袋もちいさい(例外的な人間もいますが・・・)故に食べられる量も限られます。直ぐに味に飽きてくるのです。おいしい気分をひたすら維持することはとても難しいです。最初はホースラディッシュ、次にバーベキューソース、そして最後の手段の醤油という取り合えせで乗り切るのもひとつの手段かもしれません。

サイズ的に20Ozと言えばこちらのジャンボのスタンダードサイズです。ところが、これがまた地域によって見た目が全然違うのです。私の住む地域(セントラルの上部)では、上から見るとそれほど大きくありません。ちょうど良いくらいの大きさに見えます。ところがテキサスステーキはぞうりのわらじ、それも足型30cmの大きさにでも感じるようなとてつもなく大きなものに感じます。でも今度は横から見ると厚さが全く違うのです。前者が半端じゃなく分厚く、後者はそれほどでもないのです。要は体積はいっしょなのですが、ヴァーティカルかホライズンタルかがでかいのです。まあ同じ“20Oz”ですから、あたりまえと言えばあたりまえのことですけどね・・・。

日本人のお仲間が会議でこちらに来ると必ず、初めての人間はこの20Ozのビフテキを食さなければなりません。これが「伝統」になっています。逃げると「チキン」と呼ばれます。そう呼ばれたくないのと、過去の話を聞いて自分も挑戦しよう!という両方の意思があいまって、年に数人がこれにトライします。でも当然ステーキに行き着くまでには前菜やらサラダやらといろいろ食べさせられます。その結果として、大体の感じですが、大よそ半分くらいが挫折をし、残りが何とか合格ラインに達するような状態です。余裕で食べられるようや太いやつは、まあ2-3年に1人現れれればよいかな? という程度です。

今日から会議でお仲間が何人かこっちに来ています。そのうち2人は新人なので、「祭りごとのいけにえ」にきっとなるでしょう。それを心ひそかに楽しみにしている人間が私だけでなく、何人もいるはずです。さてと結果はどうなるでしょうか?

やっぱりビフテキもひつまぶしと同じように、いろいろな食べ方をすればおいしく食べられると思います。





Are you Hungry? Did you do your best?

2008-08-24 | スポーツ
もうすぐ北京オリンピックもおしまいです。始まる前からいろいろと問題はあった祭典も何事もなく無事終わりそうなので、よかったと思います。

ただ今回のオリンピックは日本人にとっては結構考えさせられるところが多かったように思います。これはあくまでも私個人の意見ですが、何か大事なものを今の選手は忘れてる人もいれば、しっかり持っている人もいる、と思うのです。それは何でしょうか?

「ハングリー精神を持ち、ひたむきにベストを尽くすこと」だと思います。

期待された男子サッカー、野球は期待通りの活躍ができませんでした。コンディションやルール改正、いろいろな理由があるかもしれません。また中国と言う環境が精神的に「アウェー」をよりセンシティブに感じさせるものであったかもしれません。またマラソンは男子・女子とも試合の始まる前に棄権をするという事態もありました。選手の状況を考えればやむをえないかもしれませんが、それでも出られなかった人のことを考えれば、せめてスタートラインに立つくらいのことは当然の義務としてしなければならなかったのではないでしょうか? そこまで体調管理ができないというのは選手だけではなく、コーチや協会の管理不行き届きに原因があると思います。

一方で女子サッカーやソフトボールは、不屈の闘志を見せ、ぎりぎりのところから這い上がりました。サッカーはメダルはとれませんでしたがその姿勢には感動した人が多かったと思います。ソフトはまさかとれるのかな? と思った人も多かったかもしれませんが、やはりがんばった分だけ結果につながったのは本当に良かったのではないでしょうか?

ここに来てふと思ったことがあります。恵まれている選手ほどハングリー精神がなく、闘争本能を忘れているのではないか? きれいさだけの勝負を求めていませんか? 中には結果を真摯にうけとめず、他の理由に摩り替えてしまうインタビューもありました。インターネットを見てても、やっぱりそういうところにはみんなの目は結構厳しいものがありました。逆に例え良い結果が残せなくても、頑張ったものが見えたところには、「賞賛」というメダルをコメントとして残している肩もありました。やはり日本の皆さんが期待するものは、「頑張るということ!」であり、その結果としてメダルが取れれば素晴らしい、ということだと思います。取れなくても頑張った姿が美しいのです。そういうところがやはり「日本人気質」なのかもしれません。

今回いろいろな選手のインタビューがありましたが、「頑張らなかったこと」に対する真摯なコメントが意外と少なかったような気がします。これは選手だけではなく、その関係者や協会等からもです。このままなぁなぁで済んでしまったら、この先進歩はなくなってしまうかもしれません。例えオリンピックに出れなくとも、泥臭く頑張っている人たちもいるのですから、ぬるま湯につかっている選手ばかりを厚遇するのではなく、きちんとした目で今後は強化を図っていってもらいたいものです。

やっぱりきれいごとだけではだめです。人間あくせく頑張らないと世界には立ち向かえないことをわかって欲しいなぁー、と思う今日この頃です。