「どうも米国人はカウントに弱い!」ということをうちの子供が言い出しました。
ちょうど外で夕飯を食べているときに、5歳くらいの女の子が私の後ろにあった熱帯魚の水槽に吸い寄せられ、中で踊っている魚たちに「きゃーきゃー」言っていました。それを見ていたその子の父親が、最初は「なあに?どうしたの・・・」とか言っていたのですが、だんだんエスカレートするので、私たちに気を使って、「こっちにきなさい!」というような注意を与えたのです。でも子供のすることですから、そんなに簡単に言うことを聞きません。最後の手段として、「こないならカウントを数えるよ! 5,4,3・・・。」と言い始めたのです。すると子供は急におとなしく言うことを聞いて自分の席に戻りました。
それを見ていて、この発言が出てきたのです。
うちの娘によると、どうも米国人はカウントを数えられると、警戒したり、相手が本当に怒っていると思うみたいなことを言っています。つまり、カウントを数えられる=相手は相当怒っている=数え終わったら罰せられる、という方程式が自然と組みあがっているようなのです。つまりカウント=最終手段という構図なのです。
これは子供のころからの学校生活で身に着けられているようです。日本では最近ちょっと?ですが、学校では先生が自分の授業に関しては責任をもって指導をします。当然その際には必ずクラスでの決め事=ルールがあります。保護者は毎年クラスの始まったころに子供が持ってくる「授業中のルール」というものにサインをさせられます。これには事細かに、授業方針、評価の仕方、罰則の規程が書かれています。何回かルールを破ったら親の呼び出しとかそういうものまで載っているものも普通です。基本ルールとは別に、授業中の「躾」の一環として、このカウント法が一般化しているようなのです。だから米国人はカウントに弱いというのです。
まあ確かに前にFed-exのところで書きましたが、「あと30秒まってくれ」「わかった、1,2,3,4…」「いや60秒にしてくれ。」という担当者とのやりとりがありましたよね? これがそれに通ずるものがあるのです。彼にしてみれば、時間稼ぎと思って言った台詞が、逆にカウントを数えられ、前述のような「カウントのトラウマ」にかかってしまったのかもしれません。
今回のこの一件はあくまで私と娘との仮説に過ぎませんが、今度チャンスがあったら試してみる価値があると思いました。ご存知の通り日本人と違い「お気楽道」を突っ走るこっちの人間を、如何に精神的に追い込むかが我々の鍵であり、その中でこの手段が有効に使えれば少なからずプレッシャーを与えることが可能になります。
こういうものは心理学的には「刷り込み」と同じものです。長い間の繰り返しにより自然と身についたものですから、自分でわかっていても体が反応してしまうのです。いわゆる「ギアス」と一緒のように精神を支配されてしまうのです。まあ大げさな言い方ですが・・・。こういうものをひとつでも知っていると知らないでいるのでは、相手に対する「戦略」に大きな違いが出てきます。そういう意味では、この何気ない娘の一言は、おもしろい発見になるかもしれません。
「でもまあ、犬じゃないんだから、カウントはいくらなんでもないだろう?」とも思います。
まあ今度何かの折に試してみましょう。うまくいったら大発見です。(笑)
ちょうど外で夕飯を食べているときに、5歳くらいの女の子が私の後ろにあった熱帯魚の水槽に吸い寄せられ、中で踊っている魚たちに「きゃーきゃー」言っていました。それを見ていたその子の父親が、最初は「なあに?どうしたの・・・」とか言っていたのですが、だんだんエスカレートするので、私たちに気を使って、「こっちにきなさい!」というような注意を与えたのです。でも子供のすることですから、そんなに簡単に言うことを聞きません。最後の手段として、「こないならカウントを数えるよ! 5,4,3・・・。」と言い始めたのです。すると子供は急におとなしく言うことを聞いて自分の席に戻りました。
それを見ていて、この発言が出てきたのです。
うちの娘によると、どうも米国人はカウントを数えられると、警戒したり、相手が本当に怒っていると思うみたいなことを言っています。つまり、カウントを数えられる=相手は相当怒っている=数え終わったら罰せられる、という方程式が自然と組みあがっているようなのです。つまりカウント=最終手段という構図なのです。
これは子供のころからの学校生活で身に着けられているようです。日本では最近ちょっと?ですが、学校では先生が自分の授業に関しては責任をもって指導をします。当然その際には必ずクラスでの決め事=ルールがあります。保護者は毎年クラスの始まったころに子供が持ってくる「授業中のルール」というものにサインをさせられます。これには事細かに、授業方針、評価の仕方、罰則の規程が書かれています。何回かルールを破ったら親の呼び出しとかそういうものまで載っているものも普通です。基本ルールとは別に、授業中の「躾」の一環として、このカウント法が一般化しているようなのです。だから米国人はカウントに弱いというのです。
まあ確かに前にFed-exのところで書きましたが、「あと30秒まってくれ」「わかった、1,2,3,4…」「いや60秒にしてくれ。」という担当者とのやりとりがありましたよね? これがそれに通ずるものがあるのです。彼にしてみれば、時間稼ぎと思って言った台詞が、逆にカウントを数えられ、前述のような「カウントのトラウマ」にかかってしまったのかもしれません。
今回のこの一件はあくまで私と娘との仮説に過ぎませんが、今度チャンスがあったら試してみる価値があると思いました。ご存知の通り日本人と違い「お気楽道」を突っ走るこっちの人間を、如何に精神的に追い込むかが我々の鍵であり、その中でこの手段が有効に使えれば少なからずプレッシャーを与えることが可能になります。
こういうものは心理学的には「刷り込み」と同じものです。長い間の繰り返しにより自然と身についたものですから、自分でわかっていても体が反応してしまうのです。いわゆる「ギアス」と一緒のように精神を支配されてしまうのです。まあ大げさな言い方ですが・・・。こういうものをひとつでも知っていると知らないでいるのでは、相手に対する「戦略」に大きな違いが出てきます。そういう意味では、この何気ない娘の一言は、おもしろい発見になるかもしれません。
「でもまあ、犬じゃないんだから、カウントはいくらなんでもないだろう?」とも思います。
まあ今度何かの折に試してみましょう。うまくいったら大発見です。(笑)