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随想録~つれづれなる一言日記⇒Part2はhttps://blog.goo.ne.jp/conny_mizukiにて

私こと瑞希祐作が、無秩序・無作為・無節操に自分の思いのままを書きつづってみました。楽しんでください!

往復について考える

2010-02-24 | ちょっと変わったお話
 みなさん、どこかにお出かけをしたときに、「何か行くのは本当に遠いけど、帰って来る時は意外と速いな?」ということを感じた覚えはありませんか? 結構そういう経験をしたことがある人は多いと思います。

 でも「何でそう感じるのだろう?」と考えたことがある人はあまりいないと思います。多分そんなことを考えるのは相当の暇人かも知れません。

 そういう風に言われるのはわかっているのですが、米国に来てから車の運転をすることが多い私からすれば何度も通って慣れた道なら別ですが、初めて運転した道ではよくそんな気分になるのです。あまりにもそうなので、ある時真面目に考えてみました。

 初めて通る道には、自分の知らない情報がたくさんあります。風景・道の様子・標識等が次から次へと目に飛び込んできます。それを把握しながら我々はルートを理解していくのです。これが何度も通ったことがある道だったら事前情報があるわけですから、新規に理解する情報はあまりありません。新しいルートだからこそさまざまな情報に頭がフル回転し、汗をかいた分時間がかかったような気がするのかも知れません。

 しかしながら、実際はただそれだけで往路は遠く、復路は近く感じるというものでもないと思います。そこで私はこういう仮説をたてました。

 「往路の場合、目的地までたどり着くという目標以外に、さらに帰ってこなければならないという義務がある。最終目的地(つまり自宅等の出発点)を考えると往路は復路の2倍ある。したがって前者の方が後者よりもずっと遠く感じるのだ。」

 果たしてこれに同意される方がいるのか? はたまた「また、そんなこと言っちゃって・・・。」と言われるのかはわかりませんが、妙に納得がいく方もいるかも知れません。例えば私の場合、出張でとある空港からレンタカーを借りて遠出しその場所に戻ってくるよりも、A空港からB空港に行ってレンタカーをドロップオフするほうがかなり短く気楽に感じます。これは前述の「復路のオブリゲーション」を感じないせいだと考えています。確かにこの論理からすればトータルの運転時間は往復だと片道の倍になります。つまり見えないオブリゲーションを考えている分だけ行きと帰りで感じ方が違うのです。

 如何でしょうか? こう考えてくると何かそのような気になったような気がしませんか?

 多分これは心理学の深層心理の一部なのかもしれません。目の前のものを見て、自分の意識しない別のものを自然と考えてしまっているということだと思います。そう考えると人間の思考はやっぱり複雑です。難しいですね・・・。

 こんなこと考えること自体、ナンセンス! だと言われかねませんが、ふとした思ったときに感じた「不思議」を理論づけで考えることは大事だと思います。

 でもやっぱり私は暇人なのでしょうかねぇ? どう思います??

いきなり、2010年

2010-01-03 | ちょっと変わったお話
 皆さん、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
(一応社交辞令として・・・、笑)

 クリスマスから一週間完全にこのブログを更新できませんでした。日本にいた時も芸能人並みのスケジュールで動いており、帰米しても一日だけ自宅に戻っただけで、今度は家族旅行でニューメキシコ・テキサスに行っていました。ようやく元旦にほぼ一カ月ぶり? の落ち着いた自宅への帰還ということになり、やっとこのブログに戻ってきました。

 何でそんなに忙しいのか? と言われそうですが、本当に忙しいときは忙しいものなのです。念がら年中というわけではないのですが、物事何でもつぼにはまるとなかなかそこから抜け出せないのと同じように、一旦忙しくなると状況が落ち着くまでなかなか自由な時間というのは持てないものなのですね・・・。

 といってやっと落ち着いたというのにもほど遠く、また次の火曜日から1ヵ月の間、出張の日々が続きそうです。(苦笑)

 皆さんは今頃はどっぷりと正月気分を味わって、お楽しみのことと思います。私もいつもなら少なからずおせちを作ったり日本の正月特番を見ながらゆっくりとしているのですが、今回は元旦帰りの家族旅行を組んだものですから、どこまでが2009年でどこからが2010年かというのがわかっていない始末です。

 さて、米国での正月ですがほとんど味わいがありません。元旦のみお休みで2日からすぐに仕事モードに突入します。前にも書きましたが、サンクスギビングが所謂日本で言う盆暮れの帰省シーズンであり、クリスマス休暇もあるものですから実質上元旦は一年の中の単なる「通過点」にすぎないのです。今年は幸いなことに2-3日が土日なので、日本と同じだけ「三が日」があるのです。でもいつもであれば、すぐに2日から戦闘開始モードになるのです。

 考えてみると欧米・アジアでも正月の扱いは日本人が考えているほど「神聖」ではないのかも知れません。近場の東アジア圏もどちらかというと太陰暦を中心とする「旧正月」を大事にしてその期間休むわけですし、欧米では前述の如くサンクスギビングとかクリスマスが主体になっています。「年の変わり目だから、どこの国も同じように正月を満喫しているだろう!」と日本人は考えがちかもしれませんが、一歩外の世界に出ると感覚が全く違うことに驚かされてしまうかも知れません。そういう意味では、暦に対する「文化の違い」が如実に感じられる一つの例かもしれません。

 でも私も日本人ですから、どこにいようと「日本人らしさ」を味わいたいのです。ここ最近毎年ですが、日本に行くと決まって干支の人形を買ってきます。去年は「牛」でしたので、今年は「寅」。何ともかわいらしいというか、間の抜けた「猫」のようなものを飾ることにしました。旅行してきた関係上、昨日が一日遅れの大みそかで、録ってあった紅白歌合戦を見て、今日は朝から正月の音(CD)を鳴らしています。これから雑煮を食べておとそを飲んで・・・、といった感じで2010年はスタートすることになります。

 確か去年もそうでしたが、新年最初の文章はいつもだらだら気味になってしまいました・・・。まぁ、お酒がちょっと聞いていると思って勘弁してください。

 それでは、皆さんも残り少ない正月休暇を楽しんでください。

所詮、同じ穴の貉だよ・・・

2009-11-11 | ちょっと変わったお話
 皆さん、特に出張の多い方は旅費清算とかどうしていますか? 私はこれが実に苦手なのです。
今回もしばらく旅に出てオフィスに戻ってみると仕事の山。もちろんその一方で長い旅に出ていた分だけ旅費清算も山になっているのです。もちろん溜まった仕事を先に片付けなくてはならないのですが、立替費用もどんどん積み重なるわけでして、早いところ処理しないと自分自身の運転資金が底をつくような事態になるのです。

 とはいえ、私はそれほどマメな人間ではありません。毎日毎日その日のレシートやら何やらをきちんと整理して分類して、いざ清算を開始しようと思ったら直ぐに片付いてしまうような柄ではないのです。どちらかというと、旅先ではそういうこまごまをするくらいならお酒をかっくらって寝てしまうような人間ですから、レシートは次から次へと財布の中に詰め込むのが関の山です。だから戻ってくると、財布の中でくしゃくしゃになって原型をとどめていないものまで出てくる始末です。

 だから月一回のこの清算が大変なのです。

 昨日、大方の仕事を終えたので、今日はまずこの清算から仕事に入りました。まぁ、出てくること出てくること・・・、次から次へと忘却の彼方に行ったレシートが現れてくるのです。それを一件一件処理しながら、ファイルして、清算書を書いて・・・、ってやってたら結局午前中丸まるかかってしまいました。やっているときにいつも「少しくらいちゃんと仕分けしておけばよかった・・・」と後悔するんですけどね。でも直ぐに忘れてしまうのです。(笑)

 でも逆に良いこともあります。

 出てくる領収書を見ながら、「あ、この日何をしたんだっけ・・・。」とか「これはどこでいくら使ったのかな?」と言う風に、過去の記憶を呼び起こすのです。これが対アルツハイマー予防に効くのです。自分はあの時あそこで何をしたっけ? とか考えたっけ? そしてどう行動したかを細かく呼び起こすのです。ある意味記憶呼び覚ましトレーニングのようなことを毎月必ずするのです。そうしないと、正確な清算書ができないのです。で、それができなければ私のところにお金が戻ってこないのです。お金が戻ってこないと私としては困るのです。だから必死になって記憶を呼び戻すのです。ある意味非常にスリルのある仕事かもしれません。

 でもそんなこと言っても、それは単なる言い訳にすぎないことはよくわかっているのです。

 ちゃんとした人であれば、毎日きちんと使用金額と内容をこまめにメモっておき、日にちごとにファイルに入れて持ち運べば、あとはそれを整理するだけでいいのです。めんどくさがってはいけないのは重々わかっているのです。でもそれができないんですよね?

 以前のブログの中で、「部屋を片付けられない女性」の話をしたことがあります。私は外見上はきれいにするのが得意なのですが、引き出しとか棚の中の整理はうまくありません。それがこの「清算事業」にも現れているのです。とにかく財布に入れてしまえ・・・、後で何とかしよう! というそれだけなのです。でもその分、記憶力はあるのです。また、よく片付けられない人でその人の部屋をいじること(片付けること)を極端に嫌う人間って意外と多くありませんか? 彼らは部屋は散らかっていても、どこに何があるかがわかっているのです。だから、下手に他の人に片付けられるとその記憶が無駄になってしまうので、嫌がるのです。

 要はその人に記憶力があるかないかの問題なのではないでしょうか?

 事の大小の差はありますが、こう考えてくるとそういう人たちと私は結局はあまり変わらない人間なのかも知れません。そこをいつもうちの(片付けられない)細君は私に言うのです。「見た目がきれいな分ましだよ!」と私は反論するのですが、じっくり考えてみるとやっぱり変わらないことに気がつきました。

 この論理からすれば、片付けられない人ほど記憶力が良いということになります。ということで、皆さんの周りのこういう人は、果たして記憶力がいいのか悪いのか、一度検証してみたら如何でしょうか? 面白いかもしれません。

変な感覚

2009-09-23 | ちょっと変わったお話
 私は飛行機に乗り込むと、直ぐに寝てしまう癖があります。でもそれも飛び立つまでのほんのわずかなひと時です。離陸の轟音で起こされてしまい、国内線の場合はそのまま着陸までまず寝付けることはありません。ちなみに国際線の場合は薬を飲んで寝てしまいますが・・・。

 ほんの僅かな瞬間ですが、眠りに落ちるそのひと時が好きです。

 でもいつも座席に座ってうとうとしているうちに飛行機が動いたような感じに襲われます。なんとなくですがゆっくりと後方に引かれていくように思えるのです。「あー、出発かな?」と思ってちょいと窓の外をのぞくと、全然動いていないのです。そしてまたうとうとっとするとまた同じ感覚が襲ってきます。でも動いていないのです。

 何となく不思議な感じです。で、そのうち「どーん!」と揺れて本当に動き出すのですが・・・。

 こういうのはどうして起きるのかな? と考えてみたのですが、おそらくは長年の経験からそのようになることを体が覚えていて、「疑似体験」のような指令を脳から体に出してしまうんでしょうね? 「多分これからこうなるよ!」ってことを言いたいのだと思います。

 まぁ、これは私の特殊な感覚なのかも知れませんが、人間長いこと生きているといろいろと変な経験をすることがあります。よく聞くのは、誰かが死んだときに遠いところでその人の声を聞いた、とか予知無を見るとか、嫌な予感・良い予感がするとかそういうものです。デジャブなんかも一種のそういう感覚なのかもしれません。

 こういうものって、基本的には2つの理由があると思います。一つは前に話した経験則がいろいろとつながり、めぐりめぐって知らせること。この場合そのつながるルートがダイレクトではないため、その人自身はその事象との関連性が見極められません。だから不思議な感じがするのです。もうひとつは、その事情の事実を確認してから、それまでに起こったことを無意識のうちに関連付けてしまい、自分で納得してしまう場合です。「あー、あれがその前触れだったのか~!」とか「そうじゃないかと思ったんだよね・・・。」という風に自分自身で納得してしまい、それを無理やり予見したことで考えてしまうのです。平たく言えば、「経験からでたもの」か「自分でこじつけたもの」ということになります。

 だいたいのことはこういうことで説明がついてしまうのですが、たまにこの論理に当てはまらないことも起きるのです。これが結構気持ち悪いのです。そういうものを人間は「霊」のような現存しないようなものや「奇跡」というような言葉で片付けようとするのです。これも一種の「納得」に近い技だとは思いますが、「万物みなその現象には理がある」というこの世界の法則に対して、唯一無二の「夢=非現実」の象徴かもしれません。でもこういうことがあることにより、人間は「来世」に救いを求めたり、「希望」を抱けるのです。所謂生きるモチベーションとしてすがる何かが必要なのかもしれません。

 現存する世界の法則に未だ見ぬ世界の法則を掛け合わせることにより、これらの非現実はどんどん説明されていくでしょう。その先にあるのは単に「来世」や「希望」を失う世界なのか? それとも新しい「夢」を創造する世界なのか? はまだわかりません。

 う~ん、今日は何か哲学的なことを書いてしまいました。でも、一体何の意味があるのでしょうか? 些細な戯言として聞いていただければ、今日は十分かも知れません。(笑)

雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ

2009-08-27 | ちょっと変わったお話
 いつもは出張に出てると、1日2-3時間は暇があってその間にいろいろと通常の仕事をしたり考え事ができるのですが、今回に限り家を出てからほとんどそういう時間がとれませんでした。移動時間が長いのと、夜はそれぞれディナーミーティングがあり、部屋に入る頃には疲れてしまっているのが原因なのですが・・・。まぁようやく今回のツアーも一息つけたので、ブログを更新する気になりました。

 ところで最近少し嫌気がさしていることが2つあります。「噂」と「先入観」です。今日はこれについて述べたいと思います。

 日本人というのはとかく「噂」好きです。これは昔から日本人は周りを見ながら生きてきており、自分だけが傑出した存在になるのがいやで、常に横を見ながら生活してきたことが根底にあると思います。飛び出した存在になりたくないので、周りと常に情報を取りながら過ごしてきたのが原因だと私は思っています。これを具体的な「制度」という形で歴史上存在するのが、江戸時代の「五人組制度」というやつです。こういう過去からの歴史の積み重ねが教育に反映され、今の組織的な日本人の性格を構成してきているのは、以前のブログでも述べてきました。これが日本人を噂好きな民族に仕立て上げた要因のひとつだといえるでしょう。

 正確な情報のみが伝えられれば良いのですが、困ったことにそれぞれの人に思惑や嫉妬とかの様々な要素が加わり、情報はいつしか「噂」に変化してしまうのです。良い噂であれば誰も悪い気はしないでしょう。でも、往々にして良い噂というものはあまり広まりません。それは相手の傑出を容認してしまうからです。周りと常に同じ距離を保ちたい日本人からすれば、自分以外の人が飛びぬけることは認めがたく、それを押さえるために、また時として自己満足のために悪い噂を流してしまうのです。多分本人は悪い噂とは思っていないのでしょう。ただそれぞれの人の内的要因によってそのように変化してしまうのです。それをまたきちんと解釈しないで、人に伝えるものですから、どんどん培養されていくわけです。まさにウィルスと同じような感じなのです。

 さて、そういう「噂」が回りまわって自分に聞こえてくるころには、もう収拾がつかないような状態になっています。自分が良かれと思ってした行為さえ、何箇所もの思惑を経由することによって、自分の意図したものと全く逆の評価となった「噂」になっていくのです。こうなるとそこからの消火作業が大変です。それこそ何台もの放水車を使って沈静化させないと、とてもじゃありませんが正確な情報に回帰できないのです。その是正が終わるまでにとてつもない力を使わなくてはならないのです。これが疲れるのです。

 さらに日本人には「先入観」というものが他国の人と比べるとかなり強いような気がします。Easy Goingの米国人は、比較的過去の悪いことを認識すれば、未来は楽観的に考えることが多いです。でも日本人は歴史的にあったことをしつこく覚えていて、繰り返すことが多いと思います。自分の近い周りだけをみて、世界を見たような気になっている日本人がよく目につくことがあります。「自分が成功したから正しい、だから他の人も自分と同じことをしなければならない。」という考え方を持った人に出会った経験はありませんか? 他人への押しつけを好み性格の人には、こういう「先入観」の強い人が多いと思います。これもまた悪しき日本の歴史的な制度が、「自分の見える範囲以外のもの」は認めないという、狭いものの見方を植えつけているのかもしれません。

 まぁ、一番最悪なのは、この両方が「合体」したケースでしょう。もはやこうなると、最凶のコンビネーションで、人を陥れることになるのです。こういう人にはなりたくないと思うのですが、やはり日本人的な考え方をしていると、知らず知らずのうちにそういうことをしているかも知れません。

 一番大切なことは、「自分の耳で聞いたものを、直接確認し、それを客観的に咀嚼して正しいものかどうかを判断する」ことだと思います。これは、当たり前のことかもしれませんが、結構ハードルが高い行為だと思います。

 皆さんもふとした瞬間に自分を見つめなおしてみませんか? 果たして自分のもっているのは「情報」なのか「噂」なのか? そして自分でそれをきちんと正しく理解できているかどうか? そういう認識が大切だとは思いませんか??

 と言っている自分が果たしてそんなことが言えるほどちゃんとできているかどうかは全くもって疑問なところではありますが、やっぱりそういう人間にならなくてはいけないと思っています。

 「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ・・・」という境地に達するにはまだまだ遠いです。

どろどろでっせぇ~

2009-08-20 | ちょっと変わったお話
 いやはや昨日は飲みすぎました。ひさびさに日本ライクな飲み方をしました。今週は前半がアイダホからサンフランシスコに抜け一回自宅へ、後半はデトロイトへの往復と言った感じで2セットの出張だったのです。で、サンフランシスコでお客さんたちと何とかうまく仕事が終わったので、打ち上げの飲み会。で、最初においしい(多分サンフランシスコでもベスト5には入るような)シーフードレストランへ、そこでおいしい海の幸とソノマ(ナパバレーのそばのカリフォルニアワイン名産地)の白ワインを堪能しました。その後Bar,カラオケとはしごして、ホテルに戻ったのが午前2時を軽く過ぎていました。さすがに朝はつらかったです。フライトが午後一番だったのですが、二日酔いで朝9時すぎまで起きることもできず、何とか準備して空港へと言った感じでした。

 空港についてからも睡眠不足もあり、ラウンジで「ぐた~」っとしていると、やがてフライトの時間。飛行機に乗り座席についたら直ぐに寝てしまいました。

 でも出発するときには起きるんですよね・・・。飛行機は苦手な人間の性です。

 まぁ、そんなに飲まなけりゃいいじゃない? って誰もが言うんですけどね。皆さんもお分かりのように一人で飲むよりもやっぱり仲間と飲んだほうがおもしろいじゃないですか? 話題も弾むし。日本で生活していたころにはしょっちゅうそういうことをしていたのですが、米国では機会がないのは以前にもお話したとおりです。今回はちょっとうれしいこともあり、気の会う仕事仲間でもあったことから、久々に爆裂してしまいました。

 たまにはこういう「後悔」するような飲み会も大事だと思います。人間徹底的にやるときはやる! というのが基本ですから・・・。これだけどろどろに飲めば、お客さんであれ仲間であれ自分がさらけ出されるわけで、その中から共有意識が芽生えるわけです。それが日本人のチームワークにつながっていくんですね! こういうのは日本の文化で非常によいものの一つだと思います。

 「中途半端でなく、徹底的に相手とやる!」 これが私のモットーなんです。だから「どろどろでっせ~!」という言葉は、翌日つらいけど好きなんですよ! 変ですよね? (笑)

現代風「魔女狩り」

2009-08-12 | ちょっと変わったお話
 最近の報道を見ていると、芸能人の麻薬問題が巷をにぎあわせております。人としてやってはいけないことをしたのですから、それはそれで糾弾されても仕方がないことだと思います。まぁ、およそ芸能人たるもの、我々とは別世界にいるわけであり、その分売れれば栄華を極められるわけです。ただそういう風に有名になるまでには想像を絶するストレスがあるわけですから、きっと頂点に達した時には考えられないような行為をすることがあるかもしれません。そういう意味では彼らの「奇行」については理解できないわけでもないときがあります。

 すべては「理性」と「本能」のバランスなのですけどね・・・。

 ところで、私が今回とりあげたいのはこういう麻薬問題というよりも、報道体制のあり方についてなのです。以前にも豚インフルエンザのときにとりあげましたが、今回もまた日本の報道の仕方を見ていると、どうも納得がいきません。

 まるで「魔女狩り」のようです。

 それなりのことをしたので、誰もが興味を覚えるのは仕方がないことかも知れません。ただ、何故刻々とその話題を追い続けるのか? もっと大事な話だってあるんじゃないの? という時に、おもしろおかしくやっているように見えてならないのです。

 まるでRPGをやっているかのように・・・。次の展開を期待させるのです。いよいよか、いよいよか? と期待させて続くという形にするのです。また独自調査といいながら各局がそれぞれのネタを出すのです。これが正しいうちはいいです。でも時間が経つにつれ内容にかなり推測の面が入りだすと、どこまでが真実でどこまでが嘘か見分けがつかなくなります。こうなると問題です。

 更に報道体制を見ていると皆でよってたかって相手を袋叩きしているんじゃないの? という感じもしてきます。別に容疑者に対して「甘く」する必要はないのですが、もう少し時間が経ってもいいから「確実な情報」を伝えるのが役目なのではないでしょうか?

 国会の問題、北朝鮮の問題等々、本当は国民にもっとわかって欲しい、理解して欲しいものがたくさんあるのです。確かに栄華を極めたスターの没落劇はおもしろいかもしれません。全員が「一般大衆」である日本人からすれば、こういう飛びぬけた存在をうらやましがり、妬んでいる影の一面が多いのです。だから転落しようものなら「調子に乗っているからだ」とか「やっぱりそういう人だったんだ」という言葉を投げつけるのです。

 ここ最近始まった裁判員制度は客観的な視点から裁判をする上では大事なことだと思います。ただ欧米人と比べて日和見がちな日本人に果たして「客観的な視野」にたった判断ができるかどうかは疑問です。性別、年齢や地域によりそれぞれの見解が違ってくるでしょう。でもその見解の根底に「印象」というのが非常に大きく影響を受けるのが日本人なのです。現在は万民が注目しており、緊張しているせいか、良い形での制度に進んでいるように見えますが、これが時間が経ち、なれてくると果たしてそのままうまくいくのだろうか? という不安はあります。

 日本にいると周りが日本人だらけなのでわからないかもしれませんが、こっちにいると結構日本がおかしく見えることってあるんですよ。皆さんは、日本に住んでいて、どこかおかしなところに気がつかれたことはありますか?

私が米国を選んだわけとは?

2009-07-25 | ちょっと変わったお話
 今日の話はあまりきれいではありません。ですからもし食事をしながら読む方がいたら、そうしないようにお薦めします。(笑)

 私が米国に赴任する前、他の場所での駐在を希望するかどうか聞かれたことがあります。その際、「米国以外のところは駐在するつもりはありません!」という回答をした記憶があります。理由は、英語さえおぼつかないのに、他の言葉をしゃべっている国に行って、果たして満足な暮らしができるかどうか不安だったからです。正直なところ、米国じゃなければ絶対いやか? といわれれば必ずしもそうではありませんでした。でも家族を連れてとなると、やはり全く言葉がしゃべれない国にいくよりは、英語を標準語で話す国のほうが、まだ意思疎通が図れるだろうという考えがあったのです。

 でもこれは自分の公式的な見解であり、本当はこれだけの理由ではなかったのです・・・。

 私が他の諸国に行きたくない理由は、「トイレ」にあったのです。(笑) 自宅やホテルとか、お客さん相手の場所は別にして、「公衆トイレ」というものはあまり入りたくありません。最近の日本はどうなったかわかりませんでしたが、私がいた頃にはだいぶ改善されたとはいえ、公園や一般のものは、あまりきれいなものではありませんでした。人間ですから、ちゃんと準備して外出したにも関わらず、不意のことというのはよくあります。そういう時に、近くにきれいな場所がないと、大変です。私の感覚ですが、日本でこうですから、近隣のアジア諸国や発展途上国ではもっと悪いと思います。「公衆トイレの清潔・不潔」はイコール「公衆衛生」の度合いであると考えていただいて良いと思います。

 もうずいぶん昔のことですが、中国、それも北京とか上海だけではなく、もっと奥地の僻地に出張にいったことがあります。今でも覚えていますが、私はこのときこの公衆衛生にかなりセンシティブでした。出発前の日本の某国際空港で「本当に大丈夫かな?」と考えるあまり、そこのトイレからトイレットペーパーをひとつ、拝借してきた経験があります。実際現地に行ってみたら、かなりたいへんでした。なかなかそういうところがないのです。もちろんペーパーだってありません。だからこのトイレットペーパーひとつが私にとっては本当に貴重な存在でした。これさえあれば、どんなところだって平気さ、と思えるだけでずいぶん精神的に安心したものです。(ちなみに、このときご一緒したほかの会社の方も、私と同じことを考えて、空港でいただいてきた人がいました。)

 この公衆衛生に関しては、米国はかなりきれいです。街はおろか、公園・ハイウェイのレストエリアのどこに行っても、きれいなのです。よっぽどのど田舎とか衛生管理の悪いところや貧しいエリアに行かない限り、まずどこも安心できるところだと思います。何度も米国に出張するたびに私はその清潔さに驚かされました。だからもし、駐在するとするなら、米国が一番だな! と思っていたのです。

 こちらに来てからそういう意味では苦労をすることはありませんでした。まぁ、たまにいろいろなところに行けば、「おい、ここちゃんと衛生管理しているのだろうか?」というところにもごく稀にぶつかりますが、大抵の場合安心できます。そういう意味では米国に旅行に来る方は、何も空港でトイレットペーパーをひとつ、拝借してくる必要はありません。(笑)

 実際、この20年近くでどこの国も公衆衛生に関してはずいぶん進歩を遂げたと思います。だから私のこのような考えは既に古い思います。ただ、私のなかにはそれが残っているものですから、米国の「公衆トイレ」思想が根強いのかもしれません。

 人間誰しもきれいなところにいたいものですから・・・。

信じられん! 

2009-07-09 | ちょっと変わったお話
 どこの国でも特徴があるのが、車のサイレンです。ひとたび聞けば、どういうことが起こったかわかるように、いろいろと工夫されています。音色は万国共通ではありませんが、日本と米国を比べてみると、少し違いはないでしょうか?

 日本のサイレンは、比較的通りやすい音(遠く届きやすい音)を使っています。これに対してこちらのは、ひたすら、派手でうるさい音が使われています。特にこの「うるさい」というのがとってつもなく大きい音なのです。

 どこからともなく突然耳をつんざくような音響で、街中を車が走っていきます。通りの人はその音量に耳をおさえてしまうようなことが多々あります。そうすることによって、「事件・事故」の存在を明確化し、その緊急性を知らしめているのがその理由です。

 そういう意味では、緊急車輌であるが故の「アピール」をしなければならないところなのでしょう。

 ところが、今日、私は恐ろしい事実に気がついてしまいました。大音響とともに現れた消防車が私の脇を通過していったのですが、その車に乗っている人がみなヘッドホーンをしていたのです。

 「え、本当?」と最初思ってみました。まさか音を出している張本人が、ヘッドホーンをしていようとは・・・?

 確かにあのうるさい音です。ふつうだったら誰でもヘッドホーンをするのがあたりまえかもしれません。でもその音を出している張本人がヘッドホーンをして、うるさく感じていないのに、何でどこでもわかるのにそこまで大きな音をだすのでしょうか? 誰だってわかっているのですから、どうせなら日本みたいにもっと聞きやすい、通りやすい音にしたほうが、周りの人の耳にも優しいのではないでしょうか?

 最初はこれ一台だけ? と思ったのですが、後続車を見たらみんな同じヘッドホーンをしているのです。これで疑問は確証にかわりました。確かにその気持ちはわかります。でもそんなにうるさいって自覚しているんだったら、もう少し工夫してわかりやすくて、且つ誰もが納得できる音量にするのが一番ではないのでしょうか?

 自分は聞こえないのに人には大音響をプレゼントするというのは本当にどうなんでしょうかねぇ? もう少し工夫をしてもらえないでしょうか? と思ったその瞬間でした。

 ちなみに、日本でも同様なのでしょうか? どなたか調べてもらえませんか?

初志貫徹

2009-06-22 | ちょっと変わったお話
 いやいや、先週末も結構えらい目にあいました。ニューヨークに行ってからというもの、もう思う通りに事が運ばないことこの上もありませんでした。

 まず朝、目覚めると前日飲んだお酒でHung Upしていました。まぁこれはいつものことなので良いのですが、外を見ると雨が降っています。できればチェックアウトする前にちょっと買い物に出かけたかったのですが、傘をもっていなかったのでしばらく様子を見ていました。ところが雨が止みません。そうしているうちに時間になってしまいました。私は仕方なく外にでました。

 その瞬間雨は土砂降りになってしまいました。あまりにも強いので、これは買い物にいくのはやめようかと思いました。いきなりくじけそうになったのです。でも昨日、とりあえずそうしようと心に決めていたので、頑張ることにしました。初志貫徹です。

 ホテルから出るに出られず入り口でうろうろしていると、そこに「マッチ売りの少女」ではなく、「傘売りのおじさん」がいました。仕方なく大きな傘を10ドルで買い、荷物を転がしながら雨の街へとでました。それがスタートでした。

 まず買い物をする為に6-7ブロックほど歩きました。ところが、雨が土砂降りでがらがらと引いている小型のスーツケースはやがて雨にぬれて重たくなってきます。更にさっき買ったばかりの傘もさすが「米国製」と言わんばかりに、雨漏りしてくるのです。

 それでもまずは買い物を済ませ、今度は昼飯へ。「吉野家の牛丼」へと向かいました。ところが相変わらずの雨、なので地下鉄で行こうとしました。ところが米国の地下鉄は「やさしく」はありません。エレベータがどこにあるわけでもなく、重たい荷物を抱えて階段を上ったり降りたりしなければなりません。「やっぱり牛丼は食べなくてもいいかなぁ?」とも思いました。でも乗り口を間違って降りては上り、上っては降りてを繰り返すうちに、雨は少し小止みになります。

 しかたないので、再度意を決して10分程度の道のりを歩くことにしました。これも初志貫徹です。

 何とか昼食を食べると、ちょうど打ち合わせに地下鉄で向かうには良い時間。で、一旦電車に乗ったのですが何か気持ちが悪くなってきました。ちょっとまずいなぁ、と思いつつ電車を降りて一休みしました。ところが、休んでいるうちに打ち合わせの時間が刻々と近づいてきます。仕方がないので、電波のつながる外に出て、遅れる旨の連絡をしました。ここでも荷物が重い・・・。

 時間に遅れるのは自分的に気まずかったのですが、体調は仕方がない。そのうちに良くなってきたので、30分遅れで何とか目的地につきました。

 ようやっと通常スケジュールに戻り、打ち合わせ開始。これでうまく転がり始めるかな? と思った瞬間に携帯に電話。航空会社から飛行機が遅れるとの連絡が・・・。2時間くらい遅れる連絡があり、これではもうその日中には帰ることはできません。いや、遅れるのはいいのですがふと頭をよぎったのは前の週のデンバーの出来事。遅れた上にキャンセルで、空港泊まりだけは避けたくなりました。

 昨日の段階で予感があったのです。もしそういう事態になったら、今夜は「お清めだ!」と決めていました。図らずもそうなってしまい、初志貫徹です。ということで、飛行機を翌日にずらし、ホテルを取り打ち合わせのお仲間と飲み会に突入してしまいました。(笑)で、結局朝の2時まで飲んでしまいました。

 最後のは果たして初志貫徹か意思貫徹かどうかは疑問でしたが、この一日、自分で最初に決めたことを貫き通したのです。

 さて翌朝、変更をかけた便が早かったので、とってもふらふらな状態でしたが何とか空港まで行って飛行機に乗りました。これが私の「初志貫徹」のツケです。でも飛行機に乗ってからこのふらふらさのおかげで、いつになく寝てしまい、結構揺れていたにも関わらずそんなに怖いことはありませんでした。

 やがて気がつくと空は真っ青で気持ちいいほど晴れていました。私のこれまでのトラブルもここでやっとすっきりしたように感じました。来週の出張は多分大丈夫でしょう!