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随想録~つれづれなる一言日記⇒Part2はhttps://blog.goo.ne.jp/conny_mizukiにて

私こと瑞希祐作が、無秩序・無作為・無節操に自分の思いのままを書きつづってみました。楽しんでください!

つっこみどころ満載!「ぼくはくま」

2009-03-03 | ちょっと変わったお話
 以前から書きたかったのですが、きっと「いちゃもんだ!」と皆さんに言われるのが怖くてかけなかったテーマがあります。それが「ぼくはくま」なのです。この歌、ほのぼのとして子供さんにとってはとてもハートフルな曲ですごくいいと思っています。私もこの歌が好きです。きっと小さい子供がいたら歌って聞かせてあげたかもしれません。

 でもこの歌、私の中にあるほんの少しの「芸人魂」に火をつける作品なのです。まさに「つっこみどころ満載!」の歌詞なのです。今日はその辺を中心にボケとつっこみを紙上でやってみたいと思います。

*ぼくはくま、くま、くま、くま~。車じゃないよ!って当たり前やんけ! くまと車、動物と自動車とどうやったら一緒にするんや? 形がちゃうやんけ~! (笑)

*歩けないけど踊れるよ、って歩けないくせに、どうやって踊るんじゃい! くまがパラパラダンスでもするんかい?

*しゃべれないけど歌えるよ、って歌うのと歌詞をしゃべるのとはどうちがうん? それに間奏のところで、フランス語で「Bonjour! Je m’ appelle Kuma, Comment ca va?」ってしっかりしゃべっとるやん?

*ライバルは海老フライって何のライバルだよ? 前世はチョコレートでどうなったんだよ? 食われたんかなぁ・・・。

*夜は「おやすみ、まくらさん」っていって枕によっかかったら、頭が重くてまくらはねむれないでしょうが・・・。朝は「おはよう、まくらさん」ってもうそのころにはまくらさんは重くて重くてひーひーゆっとるんやないけ? だったらまくらさんにとっては、夜は「おはよう、まくらさん」で朝は「おやすみ、まくらさん」じゃないんかい!

 こんな感じで無茶難題な突っ込みができるんです。(笑) まあくれぐれも言いますが、私は宇多田ひかるさんも彼女の歌もそしてこの曲が大好きです。デビューのころからCDもほぼ全部持っていたと思います。だから他意や悪意はありません。

 ただ、聞いていると体がむずむずして節目ごとにCDに自然とツッコンでいるだけなのです。そんな私は本当にアホみたいですね・・・。(笑)

 でもこういう歌って結構あるんですよ・・・。

街の匂い

2009-02-26 | ちょっと変わったお話
 皆さんはにおいに敏感ですか? 人によって好きなにおい、きらいなものというのはいろいろとあると思います。変な話ですが、自分のにおいは許せても、人のにおいは赦せないというのもよくあることではないでしょうか?

 ところでこれと似たような感じでそれぞれの国や街ににおいがあることにお気づきですか? 旅行とかで訪れたところで、いつもは感じないようなにおいを感じるのではないでしょうか? 私も日本に住んでいるときには、出張で米国にくると決まってなんかちょっとこもったような、それでいてマンホールからにおってくるようなにおいを感じていました。ニューヨーク・サンフランシスコ・ロスアンジェルス等々その街によって匂いはさまざまなものです。でも日本にいるときは感じたことの無いつーんとした匂いをあちこちで経験したことがある人は多いでしょう。

 さて不思議なもので、こちらに4年近く住んでいると、米国の匂いが無臭化してくるのです。今は全米どこにいっても昔のようなつんつんとした匂いは感じられません。ところが日本に一時帰国すると、今度は感じたことのない匂いがするのです。

 とある聞いたところでは、日本の街の匂いは「醤油臭い」と称する外人さんもいるようです。まあ本当にそのような匂いかどうかは疑問ですが、感じるものは濃い味の匂いなのでしょう。その感覚が日本の代表的調味料である醤油の色と相俟ってそのような表現をさせたものだと思います。

 これは結局のところ、住んでいる街に自分の体が慣れたことを意味するのでしょう。その街に長く住めば住むほど、人はその場所に同化するのです。今までよそ者だったものが、同化するにしたがい、そして慣れるにしたがい、その街の匂いを自分の匂いとして認めていくのです。自分の匂いであれば、人間は許せるのです。

 こう考えれば、人間がその街に慣れたか慣れないかの判断は、住んでいる街の匂いが感じられるかどうかということでわかるといえるかもしれません。とすれば、もし今あなたが、あなたの住んでいる街の匂いを感じるようであれば、まだその街に認知されてないことを意味します。

 暖かくなってきましたので、ちょっと窓を開けてあなたの街の空気を吸ってみませんか? もしちょっと変わった匂いがしたら、それはきっともっと街に溶け込まなければならないことの現われです。

 街の匂い、それはその街における個人の住民度を示すバロメータなのです。

アンバランス

2009-01-25 | ちょっと変わったお話
人間には理性と本能があります。理性と本能の違いを考えた場合、それは何かというのであれば「Control」の一言につきると思います。常識・知識、道徳・倫理、経験・将来をものさしとして自分をうまく動かすのが「理性」である一方。食欲・睡眠・性欲、直感・感情等自分の中で自然とわきあがってくるものが「本能」であると規定できるでしょう。そして、前者は自分で「抑止力」が効くものであり、後者は「自己統制」ができないものです。故にコントロールできるかできないかが、この2つのカテゴリーを区分する絶対的な違いと言えます。

人間は地球に住む全生態系のトップに君臨しているのは、「理性」があるからだと言えるでしょう。これがなければ他の生き物と一緒です。好きなときに好きなことをし、その場限りを生きていくのです。そこには過去からの経験を活かした将来への軌跡というものがありません。動物の中には過去の経験から学ぶというのもいますが、それはあくまでも「その本人」のためだけであり、仲間や子供に教えるということはそうざらにはないことです。しかし人間はこれを「形あるもの」にして残し、それを将来に伝えていくことができるのです。「歴史をもつ生き物」であるかないかが、この地球上では圧倒的な差となって人間を押し上げているのです。

ところがよく思うのですが、「では人間は優れた生き物か?」という問いかけをされれば、それは必ずしも「Yes」とは答えられません。やはり人間も生き物ですから、「本能」が働くのです。自分の欲望を満たすために、つきすすんだり、他を犠牲にしようという気持ちが働くのです。これを押し殺すと人間は単なる「機械のような存在」になりさがってしまうのです。逆に本能のままにすきすすめば、「自分勝手」とか「利己主義」とか言われるようになってしまうのです。

一番大事なことはこの「理性」と「本能」を調和よく自分の中で保つことです。

このことは多分だれもがわかっていることだと思います。でもそれをそうすることがなかなかできないのです。まあできれば「完璧超人」みたいな人間になってしまい、そんな人々がこの地球上にあふれかえったとしたら、どうなるでしょう? 何を聞いても言っても同じことしか話せない・答えない人ばかりで全然面白くありません。この「理性」と「本能」のバランスが人によって違うからこそ、それが当人の「個性」となって現れてくるのです。これが大事なことではないでしょうか?

「個性のある人間」=「魅力ある人間」、ということがよく言われます。「魅力」とは元来自分に無いものを相手の中に認めることで起こりうる「感情」だと思います。つまり「理性」と「本能」のアンバランスが他の人からみると「自分にないバランスがある」と自然に感じられてしまうところから起きるのです。それでは、自分が「魅力ある人間」になるにはどうしたらよいか? ということを考えた場合、どこまでこのバランスを他のひとよりうまく崩せるかにかかっていると思われます。私も「魅力ある人間」になるように努力をし、このバランスの見極めをしているのですがなかなかうまく行きません。

このアンバランスさは時として人には「稀有」に映るときもあるものです。

ただ、人の意見を聞いてばかり聞いていれば、そのたびに個性が揺れ、最後には普通の一般的なところに収束してしまいます。そうなるともうそれは個性でなくなってしまいます。個性を維持するには一定の「信念」が必要なのです。これもまた「理性」から現れるものなのです。

なんかこう書いていると何がなんだかわからなくなってきましたが、人間とは「理性」と「本能」の間をいつも行き来しているような生き物であるような気がします。結論は結局「堂々巡り」なんですけどね・・・。この文章みたいに。最後は「理性」が勝つのでしょうか?それとも「本能」が勝るのでしょうか?

皆さんは自分を分析した場合、「理性寄り」の人間ですか? 「本能寄り」の人間ですか? 一度考えてみると面白いかもしれません。

またつまらないものを買ってしまった・・・

2009-01-05 | ちょっと変わったお話
お正月に入り、ずーーーーとお酒を飲んでいます。西海岸の旅行で結構失くしたはずのウェイトをここぞとばかりに挽回するほどに。正月初日はおとそ気分からそのまま引き続き「八海山」を。2日はオフィスに顔を出して、まあまともな一日を過ごしたわけですが、昨日は友人宅で新年のご挨拶&焼酎をいくらかいただき、今日は同僚の誕生日(1月1日)を遅ればせながらお祝いするという名目で大好きなジントニックを何杯も・・・、と言った感じで、お酒に関しては十分日本同様の正月気分を味わっています。(笑)

さて、今日同僚の誕生パーティーという名目をのたまわった以上、何かプレゼントを買わなければなりません。ということで、一人ちょっとお出かけをしました。意外かもしれませんが、私はこういう買い物が好きです。どういうのを買ったら喜ぶか、意外性があるか等々考えるのがおもしろいのです。相手の反応がそれに近ければ近いほど、おもしろみも増します。したがって、買うときはいろいろなことを考えながら買います。

所詮米国で売っているものですから、日本のと比べればちゃちいものかもしれません。だから選ぶものは、1.なかなか日本ではなさそうなもの、2.アイデア・目の付け所が日本人とは違うところ、3.自分で買うのは何だけど、人からもらうとうれしいもの、等々の観点から選びます。今回はBrook Stone社のハイカラな時計にしました。スタイリッシュでとっても斬新なのですが、更に青く光るところが、ちょっと日本では見かけないかな? というものだったので選びました。プレゼントしたところ、同僚もまあまあ想像通りの反応だったので、うれしかったです。(笑)

ところが、実はこれを選んだ理由がもうひとつありました。この店で$30以上買うと、小さな時計が安値で買えるのです。実は私はこれに少しそそられていたのです。ちょっと欲しかったのです。元々Brook Stoneという会社はなかなかアイディアのあるようなものを売りに出します。値段はそれほど安くはないのですが、その斬新性はなかなかのもので、いつも注目をしているのです。ついつい割引という言葉に誘われてしまいました。ということで、彼へのプレゼント&自分の欲望という形でうまくベクトルがあってしまったので、選んでしまいました。でもよくよく考えるとつまらないものを買ってしまったかもしれません。

更にその帰り、今日のすき焼きパーティーの材料を買いに近くのスーパーマーケットによりました。その時、ここの花屋をちょっとのぞいたのですが、確かちょっと前までは切り花がおいてあったはずが今日はバラの鉢植えが売っていたのです。その中にまだかわいいつぼみがたくさんあるものがありました。思わず、「いいなぁ・・・」と感じてしまった瞬間、手にとって買ってしまっていたのです。

「また、つまらないものを買ってしまった・・・。」

私にはこのように衝動買いの癖があるのです。値段が4桁も5桁もするものを衝動買いしたことは今までにほんの数度なのですが、こういう小さくて安いものはしょっちゅうなのです。困ったものです。お店によればよるほど、気が惹かれてしまいます。日本であればそんなものでもちょっとした価格なので、あまり買いあさることはないのですが、米国の場合、日本と比較して安く、日本だったら買わないようなものでも買ってしまうことがあるのです。いやはや、何とも言えません。買ってから家に帰るまでの道すがら、「さて、どう言い訳するか・・・。」と考えてしまいます。

ちなみに今日のバラはそのまま何も言わずに、さりげなく机のところに飾りました。きっと花が咲く頃に、「あれ? これなあに?」と聞かれるのでしょうけど・・・。


だしが命!

2009-01-03 | ちょっと変わったお話
そういえば正月料理で思い出したのですが、以前日本にいたときは結構料理をやっていました。前にも何度か書きましたが、やはり一番の得意は「パスタ料理」です。よっぽど暇な時は自分で麺も作っていました。でも料理するのは何もイタ飯ばかりではありません。麻婆豆腐のような中華料理、正月料理だってやります。カレーライスだって、粉から作ることもできます。(とはいえ、うちの連中はバーモンドカレーのような甘口が好きなので、そういうこったものを作っても味わってくれません。) 他にもいろいろとできるのです。これはやっぱり自分で食べたおいしい料理を自分で再現したいと思うから故なのです。それは日本にいようがいまいが関係のないこと。おいしいものをいつもおいしく食べることが一番大事なのです。

話を元に戻しますが、思い出したことというのは、やはり「料理の基本は“だし”である。」ということです。以前は料理をするときに、特に日本料理を作るときは自分でだしを作っていました。だしと言っても、極めて簡単なものです。昆布を水に入れて煮出し、そこに鰹節を加えてひと煮立ちさせるようなシンプルなものです。煮干とか小魚をいれればもう少し味わい深くなるのでしょうが、どうも私はあまり魚くさいだしは嫌いなもので、昆布と鰹節という極めて質素なものが好きなのです。これを久しぶりに作ったのです。(ちなみに、1番だしだけではもったいないので、2番だしまで作りました。) これを他の料理-年越しそば・煮物とかお雑煮-に入れてもらったのです。そうするとやっぱり味わいが違うのです。日本料理は「手間をかければかけるだけおいしい」というのは本当のことです。この僅かな努力が、単なるインスタントに比べると本格的な味わいを醸し出すのです。

やっぱり「だしは命!」という言葉がよくわかりました。

「手を抜かない」とか「仕込みが必要」というのは、何も料理だけではなく仕事でも同じことです。米国のように大方のことはトップダウンでやってしまうのに対し、日本の場合はすべてこういう下ごしらえがあってこそうまく行くのです。その辺をこっちの人間はわからないものですから、日本人とビジネスを進めていく上でトラブルが生じるのです。短期的に「ドラスティックな変化」を要求しても、「コンサバティブな変化」を美徳とする日本人にはなかなか伝わらないのかもしれません。私の仕事でもしょっちゅうこういうことは起きます。まあこういうトラブルを未然に解決するために、我々のような駐在職はあるんですけどね・・・。とはいえ、うちの場合は自分のATフィールドで頑張る日本人が多いので、こっちが一生懸命お膳立てをしても、「石橋をたたいて壊す」癖があるので、ちょっと考えものなんですがねぇ・・・。

どっちもどっちです。正直なところ・・・。

まあ米国人とうまく付き合う方法はいずれまたお話したいと思いますが、彼らにも良き「日本文化」をわかってもらいたい反面、日本人には「如何に早く、適宜内部調整をして、対応していくか?」ということを学んで欲しいものです。いやはや、海外にいると、政治外交でもそうですが、日本(人)の対応の遅さにうんざりすることもあります。

あれ? 私はどっちの味方なのでしょうか? 支離滅裂になってしまいました。(笑)

とにかく、日本人は日本人なりのいいところ・文化を残しながら、「だし」を作り、世界に通用するようなスピードで「おいしい料理」を世界に提供して欲しいものです。政治にしろ、仕事にしろ、正月料理にしろ、みんながおいしいのが一番大切なことですから・・・。

まあこれって、結構矛盾があって難しいかも? 酔った席の世迷言、第2弾でした。

お気楽道まっしぐら・・・・

2009-01-03 | ちょっと変わったお話
皆様、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

ところで、2008年は激動の年でした。ご存知のようにサブプライム問題から端を発し、リーマンショックで全世界的経済ショックが起き、その余波が今もなお続いているような気がします。ここしばらく大事が起こらず、浮かれ気分に鉄槌を食らわされたような印象を受けたのは私だけだったのでしょうか?

さて2009年となり、会社の予算のように「リセット」できればまだ良いのですが、この状況を引きずりながらの出発はちょっと苦しいものもあります。まあでも「苦あれば楽あり」という言葉もありますので、ここはポジティブに生きていこうではありませんか? 「山あり谷あり・・・、そしてクレパスもあり」なんて考えれば考えるほど、「ずーん!」と沈んでしまうのですから・・・。「お気楽道をまっしぐら!」というのが今年のキャッチフレーズとして一番なのではないでしょうか? (こんなこと言うの自分だけかもしれませんが・・・。)

ところで、米国には年末年始という概念はあまりありません。ただ単に年が変わっただけ、という印象が強いです。もちろんカウントダウンはやります。これはこれで全米至るところでTV中継したり、花火をあげたりと大騒ぎします。でもその時だけです。カウントダウンが終わって、翌日休んでしまえば、今日2日からまたスタートなのです。しみじみと正月気分に浸る日本人からすれば、なんとあっさりとしたものなのか? と思ってしまいます。

先週は私はずっと旅行に出て休暇を使ってしまいましたので、この年末年始はこちらの現地人同様に仕事をしています。とはいえ、日本は休暇に入っていますし、米国人も今年は今日(2日)が金曜日であることから、休みを取って、少し長いホリディーを満喫しているようです。いやはや何とも静かな仕事初めです。

こうなると、ちょっとさびしくなってきます。「誰か私をかまってくれー!」と・・・。

仕方がないので、普段できない旅費の清算とか雑務を少し片付けようかと思っています。(笑)

ところで、皆さんはどのよな正月をお過ごしでしょうか? 私の場合は結局のところTV三昧と言った感じでしたかねぇ・・・。うちの細君が一人で見てた「紅白歌合戦」をこちらの大晦日の同じような時間に合わせてみたりとか、昨日は箱根駅伝の中継とかを見てました。(腹立つけど、往路でうちの学校がいつになくえらく苦戦しているのには、ちょっと「どうしたの?」という感じでした。まあ復路で頑張ってくださいね!) また、前に話しをした正月用CDをかけて、無駄と思いつつも気分を少し高めようか? とも努力をしていました。 まあそれと、簡単な正月料理を味わっていましたねぇ。今年はなます、きんぴらごぼうとチャーシューを私がつくりました。元々料理は好きなのですが、最近ヒマがなくて全然やっていなかったものですから、結構腕がなまってしまいました。それでもまぁ日本でスーパーマーケットで買ってくるのと比べれば、一応自家製ですし、それなりにできたという満足感もあります。おせちというほどではないですが、他に雑煮・くりきんとん・煮物等々を作ってくれたので、「それなりに見てくれはまあまあの」正月料理となりました。

後はお酒さえあれば、どうにでもなるのです。(笑) ちなみに昨日は八海山で乾杯でした。

ということで、まあ正月になって、料理を食べて、TVを見てといったようにちょっとした正月気分を感じて、私の2009年はスタートしました。 何か半分酔っているたわごとでの出だしですが・・・。(笑)

駐在者友の会

2008-12-25 | ちょっと変わったお話
駐在職をやっていると、自然に横の輪が広がって行きます。同じ会社の人だけではなく、違う会社の人たちともいろいろなところで共通の話題ができるものです。待遇の話・会社の愚痴・生活での問題・娯楽教養その他もろもろの情報交換等、その内容はさまざまです。でも日本の会社から離れて一人や数人で現地に出張っていると、やはりそれなりのご苦労はあるわけでして、それをどこかで何とかしなければならない、うまく消化してしまわなくてはいけないという気持ちが誰しも出てくるのです。そういうときにこの「駐在者友の会」が非常に役に立つのです。

私の場合は、自分の会社関係の駐在がアジアに集中しており、自分だけが米国なものですから、なかなか時差とかあって、自由に連絡がとれません。その分メールとかで話をすることが多いのですが、たまにこういうご苦労話が入ってくると、「あー、あの人も頑張っているんだなぁ・・・。私も頑張らなくちゃ!」という気になります。またたまに落ち込んでいたり愚痴を言いたくなるときに、そっとそういう人たちにメールを出して慰めてもらうのも、また精神的に貴重なケアになるのです。

日本に居る人は、現地でやっている人のことを結構気にしてくれる人もいればそうでない人もいます。気にしてくれる人はだいたい駐在職の経験者です。そういう人は自分も苦労しているわけですから、結構気にしてくれます。(まあ中には駐在職時代のことを忘れてしまう人もいるようですが・・・。)日本でいろいろと相談に乗ってくれればこちらとしても本当に心理的にも余裕を持って仕事ができるのです。でも後者の人となるとそうはいきません。まあ日本での仕事がいそがしすぎて、なかなかこっちまでかまってもらえないのは(相手の立場に立てば)わかることなのですが、かといって出たとこばったりで仕事を振られても、こちらではうまく対処ができません。要は本当に中枢でコントロールしている人の出来不出来によって我々の環境も大きく変わってくるのです。

今、米国はクリスマス休暇です。仕事は一切進みません。その中で「Urgent Issue」で対応しろと言ってもそれは無理なことです。それは米国の文化に反する行為です。それを当たり前のようにさせようというのにははなはだびっくりしました。日本にいればクリスマスイブもクリスマスも公には休みではありませんので、仕事が継続するわけですが、その常識をそのまま他の国におしつけるというのはやはり国際的感覚を失しているといわざるをえません。いやはや、どうしてそういうことになるのであれば、もっと事前に綿密に計画を立てて話をさせるということをしなければなりませんが、なかなかできないんですねぇ。そういうことは、学校できちんとならったはずなのですが、大人はやはり忘れてしまうのですね・・・。まあこういう愚痴のはけ口にこの「駐在者友の会」は有効なのです。誰かに聞いてもらえると助かるのです。

また一方で、会社外のつながりと言えば、やはり情報でしょう。どこのお店が食事はおいしい、この商品が欲しければここにあるよ、とか困ったときに誰に聞けばよいか? というのは、現地で一人でいると人恋しくなるものです。そういうさみしさから誰もが自分と同じ境遇の人間に出会うと、仲良くなるのも早いです。そういう関係を積み重ね、横のつながりを作れば作るほど、そういう情報がわかります。この意味からも「駐在者友の会」は有効です。

皆さん、「友の会」に参加しませんか?(笑)

そういうことを考えてくると、やはり人間関係というのは大事なんだなぁ、と思います。世の中「Give & Take」こそ物事の基本であり、相手の立場に立って考えることが大事なのです。そうすることによってよりよい大きなネットワークを作っていくことが必要なのでしょう。

最近私は失敗をしてしまいました。もう少し相手の気持ちに立って考えてあげなければいけないところを十分にできなかったのです。それで反省しているところなのです。今、友人からのメールをもらい、今一度自分でも思うところがありました。ちゃんとしなくては・・・。


夢分析Ⅱ

2008-12-22 | ちょっと変わったお話
昨日夢を見ました。とっても変な夢でした。TVか何か画面を見ているような感じでした。そこには最初1匹の蛇がいたのですが、次から次へと目の前に蛇が出てきました。ところが、それがまともなものではなく“奇形”なのです。双頭の蛇とか前後に4つの頭を持つものとか・・・。そういうのがうじゃうじゃ出てくるのです。そして最後に大きなお腹の蛇が出てくるのです。その口から蛇の頭が出てきて、さらに出てきた口から蛇の頭が・・・、と言った具合に繰り返し次々と出てくるのです。それが全部分かれることなく、ひとつにつながっているのです。すごくグロい画像で、自分で夢を見ていてかなりひきました・・・。

前にも夢分析のテーマで書いたと思うのですが、夢は自分の現在・過去・未来と何らかの形でつながっていると私は考えています。今まで何十年といろいろな夢を見てきましたが、その中にも「過去にすがる自分」や「未来への憧れ」とかその時その時見た夢の中で自分を分析してきました。まあ「過去にすがる自分」というのはあまりいやなのですが、時として昔の甘い思い出に浸るのもありとは思いますし、逆に「未来への憧れ」はそれを予知夢と言い聞かせて自己催眠をかけることで、自分自身を奮い立たせることにもつながります。

まあ夢というのは必ずしも良い夢だとは限りません。私が見た夢で怖かったのは、突然暗闇の中を落ちていうようなもの(多分これは高所恐怖症の暗示でしょう)とか変な人が急にふらふら近寄ってきて、刃物で刺されたというもの(これはある時期、死ぬことを極端に恐れていたからでしょう)とか、はたまた今は亡き母親が夢に出てくる(墓参りにご無沙汰をしているという申し訳なさから、きっと呼んでいるんだろうなぁと考えてたからでしょうね?)ものがありました。冷静に考えれば考えただけ、何か自分の思っていることに思い当たるのです。そういう意味では夢分析をすることはイコール自分の深層心理を探る旅にもなるのです。

そこで今回の夢を考えてみました。蛇というのは、ある意味「怖さ」や「忌み嫌う」ものという風に考えれば、きっとあんまり最近仕事や飛行機でトラブル続きだったので、それに対する嫌悪感や恐怖であったのかもしれません。反面、蛇は「お金」みたいなものを確か表すようなものだったような(あいまいな)記憶があります。そう考えればきっと「吉兆」なのかもしれません。まあ基本的に夢というのは、飲み込まれてしまうのではなく、自分の都合の良いように解釈すれば、それは自分自身の力にもなるわけですから、ポジティブに捕らえることが大事なのです。

ただ・・・今回の夢はちょっと(というかかなり)異常でした。自分でも非常に怖かったです。あんなグロいものがどうしてたくさん出てきたのか? 更に「奇形」ということと「口から次々でてくる」というところがわからないのです。目が覚めたとき、あまりの異常さと怖さに自分自身枕の上に突っ伏してしまいました。しばらくの間、自分をあまりコントロールできなかったのも事実です。

今になってやっと少し冷静になってきて、自分自身でいろいろと考えているのですが、どうもあんまり良い感じがしません。数がたくさん出てきたことを考えると、やはり「ひとつ」だけではなく、次から次へということか、数多くのことを意味していると思います。また蛇は「神の使い」ということで考えれば「予兆」という解釈もできます。ただ、もし予兆とすれば、TVか何かの画面を見てたことから考えると自分自身に降りかかることでなく、きっと回りに何らかの変化がこれからあるのかもしれません。

一匹の大きな白蛇だったらきっと良い託宣だったのでしょうが・・・。ただただ今は、これが悪い「予兆」にならないことを祈るだけです。

何かホラーストーリーでも書けるような気もします・・・。本当にこわかったんですよぉ~!




Lucky Day

2008-12-17 | ちょっと変わったお話
私のいる街では、このところ寒い日々が続いています。まだまだ本格的とはいきませんが、雪も降りましたし、道路が凍結するような事態が続いています。寒気の流れが悪く、日本から帰ってきたときもジェットコースターで落ちるようなタービュランスにも遭遇しました。この時期は本当に浮かない日々です。まあ別に先週のつきの無さを引きずっているわけでもないですけど・・・。

でも今年はどうしたわけか、「寒い!」です。大体夏が暑ければ冬は寒い、夏がほどほどなら冬もそこそこというのが私の見方でした。だから今年は「寒い冬」という意識が全くなかったのです。ところがここ2-3日、完全な真冬日であり、マイナス5-10度Cをいったりきたりしています。これはもうスキー場の気分です。どうせならもっと雪が降って、その辺でスキーでもさせて欲しいものです。今住んでいるとこrは結構坂があるので、クロスカントリーには最高の環境かもしれません
。でも雪ではなくアイスなのです。だから凍るのです。寒いだけなので、たまりませんねぇ。

ところで昨日ラッキーというか、でも考えると非常にぞっとするようなことがありました。下手をすると命を落としかねないようなことだったかもしれません。オフィスに行く途中のHighwayでの出来事ですが、前方のトラックがちょっと遅かったので、左から制限速度内で追い越しをかけました。まあ道路が結構Icyだったので、制限速度内と言っても、かなり緊張はしました。でもあまりにも遅かったのでそれはそれで仕方がなかったと判断したのです。でもこれが良かったのです。

追い越しをしてものの20秒くらいたったときのことです。バックミラーからもはっきりと見える距離でした。恐らく100メートルかそこらにそのトラックが走っていたのですが、次の瞬間、左に曲がったのです。高速道路を曲がってそばのブッシュの中に消えていったのです。最初、この車はなんでこんなところで高速を脱したのだろう? と思ったのでした。というのも、米国の高速は日本と違い、別に柵なんかはないのです。人間がそこを横断することは全く考えられていません。というかそういうところを人間がいるような考えで作られていないのです。まあだから動物たちが交通事故にしょっちゅう合っていてかわいそうなのですが・・・。まあそういう具合なので、たまにですが、いきなり高速から出て行くドライバーもいるのです。

でも状況を冷静に分析すると、そういうことはありえないのです。つまり、私は曲がったと思ったのが実はスピンをして、そのまま道路のそばに落ちていったというのが実態だったのです。当然遅い車でしたから、後続車もいるわけです。幸いにも後続車は巻き込まれること無く、無事に通りすぎましたが、元々私がそのトラックの後ろにいたわけでして、もしかしたら、そのスピンに巻き込まれていた可能性だって否定できないのです。そう考えると、何と幸運だったのでしょうか? 命拾いができたわけですから・・・。

まあそこまで言うのも何ですが、そういう悪天候のときの運転は本当に気をつけなくてはいけないと身にしみました。

日本の皆様は忘年会シーズンまっさかりでしょうが、くれぐれも飲酒運転やスピード違反には気をつけくださいね?

「え、米国でスピード違反前科3犯のお前に言われたくないって?」 でも命あってのものだねですからお互いに気をつけましょうね!

宴のあとに・・・

2008-11-07 | ちょっと変わったお話
一昨日長かった大統領選挙が終わりました。結果的にはオバマ氏の圧勝といった感じで、多くの波乱を起こしてきた選挙戦の割に最後はあっけない幕切れであったような気がします。

まあ元々は今回の選挙は民主党の順当勝ちという結果のはずだったわけですが・・・。

まずは民主党の大統領候補者の皆様が序盤戦で戦略上のミスでオバマ氏とクリントン氏に絞られてしまったことからはじまります。これがそもそも混迷を招いたきっかけでした。黒人初の大統領かもしれないオバマ氏と女性初の大統領かもしれないクリントン氏の間でそれこそ熾烈な選挙選が、泥仕合が演じられてしまったのです。本来であればある程度のところで手打ちをし、一本化されるべきはずがどちらも譲らず、最後の最後まであきらめなかったのです。その間に民主党内でも嫌気さした人もおり、その間隙を縫ってマケイン氏が台頭してきた感も否めません。

さらに「人種か?性別か?」、 この問題も米国民に対し根本的な問題を提起したものでもあるでしょう。

結局オバマ氏が長い選挙戦の結果大統領候補に指名されました。この段階でクリントン氏も潔く「副大統領として応援するわ!」とでも言えば、まさに雨降って地固まるではありませんが、民主党の圧勝であったことは間違いありません。その時点で大統領選挙は終わりでした。でもプライドの高い彼女にはそのようなことができるはずもありません。もちろん政策や意見の違いもあるでしょうけど・・・。

さて、このような長期戦を勝ち残ったオバマ氏にさらに追い討ちをかけたのがロシアのグルジア侵攻です。ここで一気にマケインが「国家愛護論」をぶちあげ、攻勢に出たものですからさあ大変。ここでのマケインの選挙戦戦略は結構攻を奏していたと思います。保守派や女性支持者の取り込みからペイリン氏を副大統領候補にしたりと、9月時点ではブッシュ政権のツケはあるものの、「民主党よりはましか?」というどっかの国とおなじように与党に流れるような流れになってしまったのも事実です。

しかしマケインもここで運を使い果たしてしまったのですね・・・。

「リーマンショック」が共和党にもマケイン氏にも与えたダメージはかなり強烈でした。カテゴリー5クラスのショックに見舞われたのです。その後投票1週間前には10%くらいの支持率差まで広がり、挽回することができませんでした。最終的には約360対170と2倍以上もの差をつけられてオバマが3カウン堂々のフォール勝ちという結果になりました。

まあ最後は当初予定通りの結末になったわけですが、今回のこの選挙戦の過程は非常にいろいろな要素を含んでいました。よく日本では米大統領選のことを「一大エンターテイメント」のように言いますが、(確かにあたっていますけど、)いろいろな事情によりその場その場が揺れ動く政治の様を肌で感じるような過程が今回は要所で見受けられたのではないでしょうか? そういう意味では非常に思い深い選挙戦であったと思うのですが・・・。

とにもかくにもこれで当面4年の大統領は決まったわけですし、若いオバマ氏がどのように舵取りをしていくかが焦点になります。特に外交・軍事面での力量は早い段階で問われることになると思います。

もうひとつ、今回の選挙で一番赴き深いことは、米国民が「人種の壁を越えた」記念すべき大統領であることです。そういった背景の中、今後米国がどのような信条で国を形成させていくかがもうひとつの興味深いところであるとも思えます。

皆さんはどのように今回の選挙戦をふりかえりますか?