日常にバカンスを!

お台場に住むakkiitaner(アッキーターナー)のまったりな日常とぼやきっぷり、っぷり。

憧れの淀川美代子さま 2022/10/24

2022年10月24日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
つくづく思う。
もう会えない、ということは、、、
その人との過去は凍結されたまま、
ということ。

父を亡くし、母も亡くし、、、
気にしないように生きているが、
ふと佇んでその事を心に浮かべると、
やはり、冷たい感触が
自分をおおいかぶす。
考えないのが身のため。
だって、もうご贔屓さんが私にはいない、
て結構、寂しい。

2ヶ月前かな。
元勤めていた会社の友達から、、
元上司の訃報を聞いた。

どこかで又、
お会いできると思ってたので
ショックだった。
いつもは2食食べる大食いが、
1食になる程度だけどね 💦😅

が、死因もいつ他界されたのかも、
ほとんどの人が知らなかったという。
孤独死とかでもなさそう!

ご本人の意向だったそうだ。

最後はマガジンハウスの
『クウネル』という雑誌で、
編集長をしてらした。
会社は死亡の事実を
3ヶ月余りふせて公表した。

淀川美代子、
と言えば、業界では、
「日本版プラダを着た悪魔」
的な、鬼編集長!
いや、仕事ができ、
その誌面を通してファッション界に
影響を持つ人として有名だった。

私は28才から30才までの間、
雑誌『アンアン』の編集者で、
彼女が私の怖い怖い上司だった。

ある時は、私の書いた絵コンテを
「何、この少女漫画のような絵」
と鼻で笑い、
ある時は、
会社の会議室で薔薇の花束を
カメラマンと撮っていた私に、
「何、経費の無駄遣いしてんのよ」
ときつく注意してきた。

えっ、節約してスタジオではなく、
会議室で撮ってるんですけど、、、
と弁解などさせてくれる隙間なし。

素直に彼女のオーラ
屈したものだ。

その彼女を前に、

「会社を辞めて、
ニューヨークに行きます」

と話した時、、、

あれが実に本当に全くもって、
私の人生の大転換だった。

もう時効かと思うので書くが、
当時、社内に婚約者がいた。
その婚約者が淀川さんに、
私と結婚する事を伝えてしまった。

淀川さんは、
「結婚しても、もったいないから
仕事は辞めさせちゃダメよ。
もっと楽な部署に(あなたの将来の
お嫁さんを)異動させてあげるから」
と話してくれたそうだ。

ありがたやー!

そんな私情をご存知だった
淀川さんが、
私を引き止めて下さった。

「あともう3ヶ月、
辞めるかどうか考えてみて!
それでも辞めるというなら
認めるから」

淀川さんには、
会社を辞めるということ、
ニューヨークに行くということが、
社内の交際相手と
別れる決意をしたことと
映ったことだろう。

3ヶ月後に、
ステーキランチをご馳走に
なりながら、
アッパーパンチをくらった。

「あなたは、愛してなかったのね、
愛を知らないのね」

私のナイフを握る手が、
一瞬、止まった。

そして、私は会社を辞め、
婚約破棄をし、
ニューヨークに飛んだ。

かなりはしょってしまったが、
まあ、そんなかんなで、
本当に淀川さんは、
私にとって忘れられない、
出来ればもう一度お会いしたいな、
そんな風に時々、
思わせるような人だった。
恐れ多くて、、、
こちらから出向くことすら
出来なかったんだけどね💦😅

淀川さんの元で
働けた事を「勲章」のように思う。

あんな才能のある怖い女、
そうそういない。

背があまり高くなく小柄で、
コムデ・ギャルソンの
紺や黒、グレーを
素敵に着こなし、
ボブが似合う美人だった。


常に辛辣で厳しいが、
時おり笑ってくれるんだよね、
その落差にこちとら
心がキューンとなって、
やられちゃう💦😅

そんな感じだ。
とても、モテる人だった。

もしできることなら、
淀川さんの所に行って
「もう一度、あなたの元で
働かせて下さい」
と言ってみたい。

「何よ、今さら! バカじゃない」
と鼻で笑うだろう。

ああ、あの感じ、、、

そうあの感じが、
私の心の中で、
凍ったまま永久保存されてしまった💦


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