日常にバカンスを!

お台場に住むakkiitaner(アッキーターナー)のまったりな日常とぼやきっぷり、っぷり。

映画「沈黙-サイレンス」は何を伝えたいのか?

2017年02月18日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
映画「沈黙-サイレンス」

Akkiitaner: 観たいようで観たくなかった映画を見てきた。

Yoshii: どっちなんだい‼️

A: まぁ、クリスチャンだからさあ、江戸初期のキリシタン弾圧の話なんて、ちょっとゾッとするじゃん。スコセッシじゃなきゃ、見なかったな。

Y: そういえば、クリスチャンだっけ?

A: そうよ、家族全員がクリスチャン。カトリックじゃないよ、プロテスタント‼️

Y: どう違うのかも知らん!

A: 笑笑
いや、笑ってる場合じゃないわ‼️

まっ、原作者の遠藤周作はカトリックだからさあ。映画はポルトガルから日本を訪れたイエズス会の話ね。つまり、カトリック❣️

Y: ふーん、まっ、どっちにせよクリスチャンの話ね? で、どうだった。

A: うーん、クリスチャンの話じゃないよ。一緒にして欲しくない‼️

Y: おっ、なんかいつになく、マジになってない?

A: いやはや、確かに❗️オトナゲなくムキになってまった🐽

キリシタン弾圧のむごい話、仏教の国だった当時の日本が西洋からの押し付けを嫌ったということだな。
かえすがえす、命を無駄にした。踏み絵なんて、踏むべきだったな。踏んだから、て信仰がない、なんてことにならない。

Y: えっ、そうなん?

A: そうよ、偶像礼拝はいけない、てモーセの十戒の中にもあるのに。だから、踏んでもよかったんだよ。偶像礼拝、つまり形あるものを拝む事を聖書が禁じてるんだもん。

踏んだっていいんだよ。信仰があればむしろ、踏めた。道徳的、習慣的に踏みつけるのにはもちろん、抵抗はあるけどね。

神は心を見られるのよ。もう最近では、神と呼ぼうが、光と呼ぼうが、宇宙の大いなる力、あるいは、弥勒と呼ぼうが兎に角、なんでもいいじゃん的な認識だけどね。

ヨハネの福音書15:5
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。

このイエスの言ったことが伝わってなかったんかあ、て愕然とした。

五島の島の隠れキリシタン達がね、アンドリュー•ガーフィールド演じる神父が身につけてる物を欲しがって群がるシーンがあってさ。その神父は日本に根付いたキリストの教えが、どこか正しく伝わってない事に気づいて、戸惑いながら十字架などを与えていくの。そのシーンが象徴的だった‼️



Y: いや、よぉわからんけど、そうなんだあ〜〜☺️💧

A: うん、まぁ、映画としては面白かったけどね。何を言いたくて作ったのかな?
て疑問に思っちゃった。

Y: ち・ん・も・く!

A: ちんもく、て言ってんじゃん☺️

Y: ....................!😓


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2月16日(木)のつぶやき | トップ | ラジウム鉱石の威力、蕾も咲... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿