さっきあまりにも👆のブログが凄くて、
ついツイートしてしまった。
政治問題、歴史問題には
極力首を突っ込まないようにしてるのに💦
天皇家のお話、、、
今となってみれば、
もうお聞きしたくてもお聞きできない、
他界されてしまった私の
文章のお師匠さんを思い出す。
大学生の時、
共同通信でバイトしていて、
人事部から
「来年から女性記者を
20年ぶりに雇うことになったから、
文章をこの人に教えてもらうといいよ」
と紹介された。
その人が
故橋本明氏だ。
最後に橋本さんとお会いしたのは、
銀座ブルガリタワー8階で開催された
団DANSというグループのアート展
にお誘いした時だ、、、。
確か2011年1月中旬のことだった。
私は主催者とのご縁で、
そのアート展の受付を手伝っていた。
そこに私に会いがてら、
アート展に来てくださったのだ。
橋本さんは、
現上皇のご学友なので、
天皇がらみのコメンテーターとして
いつもテレビなどから
引っ張りだこだった。
だから私と私の友人と、
橋本さんとの3人で
ブルガリタワー近くのカフェで
お茶をした時も、
もっぱら天皇家の話になってしまった。
今になって思うと、
その時、橋本さんは
細心の注意で最大の仄めかしを
してくださったのだ。
「天皇家には近づきすぎてはダメなんだ。
近づきすぎると抹殺される」
その会話の中では具体的に
近づきすぎてしまった文化人の名前を
挙げて説明してくださったが、
名前は忘れてしまった、、、、💦😅
その人が実際に
殺されたのではなく、
言論界から総スカンをくらい
その世界で生きていけなくなった、
程度に勝手に解釈していたが、、、
もっとやばい仄めかし
だったのかもしれない。
とふと👆の記事から思ってしまった。
今の天皇が雅子さまとご一緒だと
人が変わってしまう、
というような話もされていた。
残念なことに、
その会話から6年後に他界されてしまった。
(橋本さんから
懇親会のお誘いがありつつ、
気後れして出席しなかったことが
悔やまれる)
橋本さんは、
それでも上皇(その会話の時はまだ
天皇でらした)が
「ただ、私の意見は気になるらしく、
時々電話が直接くるんだ」
とも話されていたかな。
どっかのお寺だか神社だかに
ご一緒したとか云々、、、
ずいぶんと近しい感じの間柄に
お見受けしたんだけど、、
ほどよい距離感を保たれていたのだろう。
橋本さんが今もご存命なら、
天皇家について👆のブログにあるような
話をぶつけて、
反応を伺ってみるのに、、、!
あー、残念でならない。
私がジャーナリスト志望だっだった頃、
「ジャーナリストというのは、
人に話せないことを
いつも抱えている仕事なんだ、
君は今、彼氏がいるという情報が、
いかに君にとって不利になるかも
判断できなかった。
それではジャーナリストにはなれないよ」
と橋本さんから説教されたのを思い出す。
共同通信の採用試験で、
試験、面接と通り、
健康診断にまで呼ばれ、、、
呼ばれた4人の女子学生の中から
女性合格が2人で、
その中の1人に選ばれた、
と当の橋本さんから情報を受けながら、
「君に彼氏がいることを人事部に
今から話したら、せっかく内定が出たのに
君は落とされるよ」
と忠告され、
橋本さんの言葉どおり、
私は共同通信の記者にはなれなかった。
内定取り消しとなった。
結局、女性は1人しかその時に採用されなかったのだ。
痛い目にあったその時になって
やっと、
人事部に紹介された当初から、
橋本さんは厳しいリクルーターだった
にすぎず、私の恩人ではなかった
ことを思い知る。
確かに私は状況を読めない、
おたんこなすで、
自らの発言で自らを
おとしめてしまったのだ。
口は災いの元、
ジャーナリストなら墓場まで
持っていかねばならない秘密が
山ほどあるのだろう。
だから、、、
ブログに書かれているようなことは、
半永久的に真偽など出てこない、、、
のだろう。
いつだってジャーナリストは
自分の立場を保持する為に
発言する。
決して真実をうっかり正直には伝えない。
みーんな、
ポジシォントークしてるだけに
すぎなかったりするからね。
それがプロ、てやつ?💦
早いうちにジャーナリストの資質が
私にはないことを教えてくれた恩師、
橋本明氏には感謝しかない。
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