【アルルにて】
子連れ旅行を夏にするにあたって、
夫への配慮は欠かせない。
結果として夫は参加しないので、「何言ってんだ、結局、
夫をおいてっいってるくせに」と非難されそうだ。
でも、勿論、夫が一緒の方が楽しいので、「たまには一緒に来てよ」と
懇願すらしているのに、いうことを聞いてくれないのは夫の方なのだ。
その証拠に、必ず、エコノミーだけど3人分のマイレージが貯まっていて、
夫さえその気になれば、いつでも家族全員のエアは用意できる状態になって、
はじめて無料航空券の手配を始める。
ところが夫は、ここ数年ほとんど参加してくれていない。
どうしてかって? 夫には夫なりのちゃんとした理由がある。
そのことは、母子だけで旅行をするようになった経緯とも絡んでいるので、
まずは我が家に起こった6年前の出来事を話しておくべきだろう。
6年前の春のこと、夫が暗い面持ちで私に言ってきた。
「この夏は旅行どころじゃなくなったよ・・・。お金が戻ってこないんだ」
私は返す言葉も見つけられず、あまりのショックでポカンと
口を開けてしまった。
夫はそんな私の顔を見ることができない。
やっとの思いで言葉を発して、
「え、もうホテルとか全部予約しちゃったよ。エアだって・・・・」
「でも、仕方ないだろ。お金が戻って来ない以上、無理だ!」
夫は畳み掛けるように、語調を荒げてきた。
「わ、わかった、今年は家族旅行ないのね・・・・」
私はしょんぼりして、そう言うほかなかった。
・・・・・・。しくしくしく・・えんえんえん・・・・。
私は夫との会話のあと、自分の部屋にこもり
声を押し殺して人知れず泣いたのだ。
ところが、あとになって夫から聞かされたのだが、
夫はその様子を目にしてしまったらしい。
その隠れて泣く姿があまりにも不憫で、
「俺は行けないけど、お前とエイミ(娘)だけで
どっかいってこいよ。でも、できるだけ安上がりにな!」
とつい夫は口をすべらしてしまったのだ。
何千万ものお金が戻ってこないと分かったのは、
無事希望する私立小学校に娘が入り、
お受験のストレスからようやく解放されて
心おきなく旅行ができるとほっとした矢先のことだった。
はりきって家族でスイスへと旅行をする計画を立てていたのだ。
ツアーではなく、自分で全部手配していく個人旅行で!
毎晩、コンピュータに向かっては目の下にクマを作っていた。
エアも3人分、スイスのチューリッヒまでの便を
マイレージの無料航空券で押さえてあったのだ。
さて、夫のいう我が家の経済状況というのはその時点での
「生きるか死ぬかの問題」というより、
あてにしていた資金が戻ってこなくなり、
膨大なローンをいっきに返せなくなったということを意味していた。
それは老後に当てる資金が借金返済のお金に回り、
老後の計画が大幅に変わってしまったことでもあった。
相変わらず、神さまは私たちに生きる糧を与えていてはくれていたので、
私には計画が狂っただけで、節約すれば旅行は可能だということは
分かったいた。節約すれば、ね。
でも、慎重に何でも計画的に進める夫は
計画通りいかなくなった以上ストイックに
旅行する気になどなれない様子だった。
夫は私より14歳も歳をとっている上、定年を間近にしていたので、
当たり前の分別を見せたとも言える。
しかも、今となっては皮肉なことに
最も授業料の高い私立の小学校に娘を入れてしまったのだ。
人生何が幸せかは本当に分からない。
もし、娘が受験に失敗していたら、私たち夫婦は
その時起こった事態を鑑みて、落ちたことを心から感謝しただろう。
もともと私立に入れたがったのは夫の方で、
私はそれに合わせたところがあっただけに、このことは2重に私には
辛い状況だった。今も続いているけどね。
でも、私はいつも楽天的。遅れているだけで、
必ずお金は戻ってくると信じていた。いや、今も信じている。
といっても一般的にはこのことは「だまされた」というべきことなのも
わかっている。わかっていても、信じている。
しかも、私ったら老後の心配などケセラセラ、と意に介さない。
50歳を目前にしてこの頃はふと娘の教育費の心配をすることはあるが、
自分の老後はやっぱり何とかなると、
いつもどこか心の真ん中で楽観してしまうから・・・・。
相変わらず、”今”目の前にある旅行計画とそのための資金繰りに
あくせくしている。
6年前のその時、老後の計画が狂ったと、だから旅行は中止!
という夫から「節約旅行=貧乏旅行=予算は30万円」を条件に
最低限の譲歩を引き出せたのだ。人知れず流した涙のおかげで!
さて、ヨーロッパで母娘が30万の予算で行ける街があるのだろうか?
(本来行くはずだったスイス旅行では150万円見積もって計画を立てていたので大きく予算削減です)
そして、私は再びネットでいろいろ調べ、検討を重ね、
スイスからなじみのあるパリへと行き先を切り替えたのだった。
当時JAL(日本航空)はヨーロッパ内なら行き先を変更できたので、
無料のマイレージ航空券をパリ旅行にそのまま使えることができた。
30万の予算でも何とかなったのはエアー代がかからなかったことが大きい。
とまあ、こんな感じで家族旅行が母娘旅行に変わっていったのだった。
夫は留守番を快くは思っていないけれど、
淋しいに決まっているのだけど、
娘の成長に母娘の貧乏旅行がどれほど大きく寄与しているかも
分かっていて、子を思う親の思いで許してくれている。
子どもに貧乏旅行がどれほどに良い影響を与えてきたのか、
実のところは私の筆力では伝えきることはできそうもないが、
それでも等身大の旅行の有様をゆっくりとつづっていこうと思っている。
負け惜しみじゃなくて、
お金があり余っているより足りないくらいの方が、人間学ぶべきを学べて
実に味わい深い旅行ができるのであった。
でも、やっぱり負け惜しみかなあ。
お金があったらなあ、と素敵なホテルの横を
娘と恨めしげに通り過ぎている、そんな旅行ばかりしているってわけだ。
子連れ旅行を夏にするにあたって、
夫への配慮は欠かせない。
結果として夫は参加しないので、「何言ってんだ、結局、
夫をおいてっいってるくせに」と非難されそうだ。
でも、勿論、夫が一緒の方が楽しいので、「たまには一緒に来てよ」と
懇願すらしているのに、いうことを聞いてくれないのは夫の方なのだ。
その証拠に、必ず、エコノミーだけど3人分のマイレージが貯まっていて、
夫さえその気になれば、いつでも家族全員のエアは用意できる状態になって、
はじめて無料航空券の手配を始める。
ところが夫は、ここ数年ほとんど参加してくれていない。
どうしてかって? 夫には夫なりのちゃんとした理由がある。
そのことは、母子だけで旅行をするようになった経緯とも絡んでいるので、
まずは我が家に起こった6年前の出来事を話しておくべきだろう。
6年前の春のこと、夫が暗い面持ちで私に言ってきた。
「この夏は旅行どころじゃなくなったよ・・・。お金が戻ってこないんだ」
私は返す言葉も見つけられず、あまりのショックでポカンと
口を開けてしまった。
夫はそんな私の顔を見ることができない。
やっとの思いで言葉を発して、
「え、もうホテルとか全部予約しちゃったよ。エアだって・・・・」
「でも、仕方ないだろ。お金が戻って来ない以上、無理だ!」
夫は畳み掛けるように、語調を荒げてきた。
「わ、わかった、今年は家族旅行ないのね・・・・」
私はしょんぼりして、そう言うほかなかった。
・・・・・・。しくしくしく・・えんえんえん・・・・。
私は夫との会話のあと、自分の部屋にこもり
声を押し殺して人知れず泣いたのだ。
ところが、あとになって夫から聞かされたのだが、
夫はその様子を目にしてしまったらしい。
その隠れて泣く姿があまりにも不憫で、
「俺は行けないけど、お前とエイミ(娘)だけで
どっかいってこいよ。でも、できるだけ安上がりにな!」
とつい夫は口をすべらしてしまったのだ。
何千万ものお金が戻ってこないと分かったのは、
無事希望する私立小学校に娘が入り、
お受験のストレスからようやく解放されて
心おきなく旅行ができるとほっとした矢先のことだった。
はりきって家族でスイスへと旅行をする計画を立てていたのだ。
ツアーではなく、自分で全部手配していく個人旅行で!
毎晩、コンピュータに向かっては目の下にクマを作っていた。
エアも3人分、スイスのチューリッヒまでの便を
マイレージの無料航空券で押さえてあったのだ。
さて、夫のいう我が家の経済状況というのはその時点での
「生きるか死ぬかの問題」というより、
あてにしていた資金が戻ってこなくなり、
膨大なローンをいっきに返せなくなったということを意味していた。
それは老後に当てる資金が借金返済のお金に回り、
老後の計画が大幅に変わってしまったことでもあった。
相変わらず、神さまは私たちに生きる糧を与えていてはくれていたので、
私には計画が狂っただけで、節約すれば旅行は可能だということは
分かったいた。節約すれば、ね。
でも、慎重に何でも計画的に進める夫は
計画通りいかなくなった以上ストイックに
旅行する気になどなれない様子だった。
夫は私より14歳も歳をとっている上、定年を間近にしていたので、
当たり前の分別を見せたとも言える。
しかも、今となっては皮肉なことに
最も授業料の高い私立の小学校に娘を入れてしまったのだ。
人生何が幸せかは本当に分からない。
もし、娘が受験に失敗していたら、私たち夫婦は
その時起こった事態を鑑みて、落ちたことを心から感謝しただろう。
もともと私立に入れたがったのは夫の方で、
私はそれに合わせたところがあっただけに、このことは2重に私には
辛い状況だった。今も続いているけどね。
でも、私はいつも楽天的。遅れているだけで、
必ずお金は戻ってくると信じていた。いや、今も信じている。
といっても一般的にはこのことは「だまされた」というべきことなのも
わかっている。わかっていても、信じている。
しかも、私ったら老後の心配などケセラセラ、と意に介さない。
50歳を目前にしてこの頃はふと娘の教育費の心配をすることはあるが、
自分の老後はやっぱり何とかなると、
いつもどこか心の真ん中で楽観してしまうから・・・・。
相変わらず、”今”目の前にある旅行計画とそのための資金繰りに
あくせくしている。
6年前のその時、老後の計画が狂ったと、だから旅行は中止!
という夫から「節約旅行=貧乏旅行=予算は30万円」を条件に
最低限の譲歩を引き出せたのだ。人知れず流した涙のおかげで!
さて、ヨーロッパで母娘が30万の予算で行ける街があるのだろうか?
(本来行くはずだったスイス旅行では150万円見積もって計画を立てていたので大きく予算削減です)
そして、私は再びネットでいろいろ調べ、検討を重ね、
スイスからなじみのあるパリへと行き先を切り替えたのだった。
当時JAL(日本航空)はヨーロッパ内なら行き先を変更できたので、
無料のマイレージ航空券をパリ旅行にそのまま使えることができた。
30万の予算でも何とかなったのはエアー代がかからなかったことが大きい。
とまあ、こんな感じで家族旅行が母娘旅行に変わっていったのだった。
夫は留守番を快くは思っていないけれど、
淋しいに決まっているのだけど、
娘の成長に母娘の貧乏旅行がどれほど大きく寄与しているかも
分かっていて、子を思う親の思いで許してくれている。
子どもに貧乏旅行がどれほどに良い影響を与えてきたのか、
実のところは私の筆力では伝えきることはできそうもないが、
それでも等身大の旅行の有様をゆっくりとつづっていこうと思っている。
負け惜しみじゃなくて、
お金があり余っているより足りないくらいの方が、人間学ぶべきを学べて
実に味わい深い旅行ができるのであった。
でも、やっぱり負け惜しみかなあ。
お金があったらなあ、と素敵なホテルの横を
娘と恨めしげに通り過ぎている、そんな旅行ばかりしているってわけだ。