秋 田 奇 々 怪 会

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO等不思議大好きの会です

      「奇 々 怪 会」 とは、どういう会なのか


昭和30年前後にイギリスのネス湖で恐竜ネッシーの存在が話題となり(湖面を泳ぐ姿が目撃され、写真に撮られたりした)、ヒマラヤで雪男の足跡が発見された等などが新聞やテレビで話題になりました。
こうした話題は昔から私達の興味を引く出来事だったようです。

いや、もっともっと旧くには・・・
秋田出身の国学者・平田篤胤は異界・幽冥の世界の有様をまとめて、1822年(文政5年)に『仙境異聞』を出版しています。
実は文政3年秋の末、篤胤45歳の頃、江戸で天狗小僧寅吉の出現が話題となっていたそうです。
寅吉は神仙界を訪れ、そこの住人たちから呪術の修行を受けて、帰ってきたというのです。
篤胤は、天狗小僧から聞き出した異界・幽冥の世界の有様をまとめて、出版したのが『仙境異聞』であります。これが当時大きな話題となったと伝えられています。
ことほど左様に”不思議な話”は、いつの時代でも人の興味を引き付けるのだと思われます。

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO、UMA、ツチノコ・・・・・
身近では霊的な場所、遺跡、神社、お寺、巨木等なども私達の興味を引き付ける様です。


奇々怪会は、こうした事に興味を持つ人の集まりです。
新規の入会を希望する方は下記までご連絡ください。
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逝きし世の面影で語られる旧き良き日本3

2018年03月11日 | 本・雑誌から
「古い日本は妖精の棲む小さくて可愛らしい不思議の国であった」
「地上で天国(パラダイス)あるいは極楽(ロータスランド)に最も近づいている国だ」

ここまで言われると面映いが、これは幕末~明治の日本について語ったものだ。スピーチは多少のお世辞が混じっているとしても、妖精が棲むとまで言われる程、魅力的であったらしい。
西洋人の東洋に対するあこがれ(オリエンタリズム)と見れなくもないが、次の様な著述もある。

同じイギリスの日英修好通商条約の締結使節団の一員オズボーンは
「この町で(長崎)もっとも印象的なのは男も女も子どもも、みんな幸せで満足そうに見えるということだった」
彼は日本訪問を終えたあと、母親に当てた手紙に
「日本人は私がこれまで会った中で、もっとも好感の持てる国民で、日本は貧しさや物乞いのまったくない唯一の国です。私はどんな地位であろうともシナへ行くのはごめんですが、日本なら喜んで出かけます」
少なくても最後の文章は私信だ。お世辞もオベンチャラも必要のない母親宛の手紙だ。
ここで語られているのは・・・・・封建時代であった江戸時代だ・・・・・・・・

妖精が棲む・・・・とまで言われる我が国、日本。オズボーンと共に来たオリファント(イギリスの旅行家・著述家)は、次の様に網羅して語っている。

「日本人の衣服や装飾の趣味の優雅さ、幕府の役人の洗練された紳士ぶり、気違いのようになって買い漁らずにおられない美しい品々、錠も鍵もない部屋に物を置いて一度も盗まれた事がないとか、女の口汚く罵る声を聞いたことがないのは不思議だとか、子どもが虐待されるのを見たことがないとか、その他数々の好意的観察を並べ立てている」

ヤング・ジャパンの著者ブラック(新聞発行業)は
「思うに、他の国々を訪問した後で日本に到着する旅行者たちが、一番気持ちのよい特徴の一つと思うに違いないことは、乞食がいないことだ」と書いている。

オズボーンも幕吏や富裕な町人は着飾っているし、女たちの着物の生地が上等である事を認めた上で、しかしその色彩への好みはしぶくて品がよいと言っている。そしてそれは、趣味の洗練とみなしている。
でこれは、ヨーロッパの夫人の基準とそう乖離がないらしい。
オリファントは「我々の部屋には錠も鍵もなく開放されていて、宿舎の近辺の人は誰でも出入りできる。そこに誰でも欲しくなるようなイギリスの珍奇な物をいつも並べておく。それでもいまだかって、まったくとるにたらないような品物でさえ、なくなったことがない」
他の一人はこう言っている。
「たえず財布の入ったポケットを押さえていたり、ベンチに置き忘れた洋傘をあきらめたりしないでいい国に住む幸せを味わい続けた」

また、日本の家の清潔さを「汚れた長靴で立ち入るのがはばかるほど」という人だけでなく、イザベラ・バードに至っては日光の町に立ち寄った時、街路が掃き清められて、あまりに清潔なので、泥靴でその上を歩くのが気が引けたとまで言っている。

さて、細々と彼らの記述をあげてきたが取りまとめるとこう言う事らしい。
文明としては西欧文明のほうが当然ながら優位に立っている。
しかし、極東の島国に来た時にそれら西欧文明と全く基準の違う文明に接した。その文明の下では、環境・行動基準等々は西欧文明とは言わば対極にあり、しかし人々は幸せで満足しているらしい。
こうした小さい、かわいらしい、夢の様な文明がありうるということは彼らにとって啓示ですらあった。

なぜなら、当時彼らが到達していた文明は、まさにそのような特質とは正反対の重装備の錯綜した文明であったのだ。

十九世紀半ば、日本の地を始めて踏んだ欧米人が最初に抱いたのは、他の点はどうあろうとも
この国民はたしかに満足しており、幸福であるという印象だった。
オールコック(イギリス・初代日本領事)は「日本人はいろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる」といい、」ペリーは「人々は幸福で満足そう」と言っている。もっともっとこの種の記述がある。

1860年に来日したプロシャのオイレンブルク使節団
「どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいかもしれない」

水道設計で来日のイギリス人ヘンリー・S・パーマー(伊香保温泉の湯治客を見て)
「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったりと融けあう。彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見つけてじっと感心して眺めている時以外は、絶えずしゃべり続け、笑いこけている」

オズボーン江戸上陸当日「不機嫌でむっつりした顔にはひとつとして出会わなかった」
オイレンブルク使節団のベルク
「彼らは話し合う時冗談と笑いが興を添える。日本人は生まれつきそういう気質があるのである」

イギリスの大学教授ディクソン
「上機嫌な様子がゆきわたっているのだ。西洋の都会の群集によく見かける心労にひしがれた顔つきなど全く見られない。頭をまるめた老婆から赤子にいたるまで、彼ら群集はにこやかに満ち足りている。彼ら老若男女を見ていると、世の中に悲哀など存在しないかと思われてくる」
東京外大でロシア語を教えたメーチニコフは来日当初「のべつまくなしに冗談をとばしては笑い転げる我が人足たち」に見とれずにおられなかったそうである。
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