双極性障害に負けないで顔晴る

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私の生い立ち②

2021-12-07 22:00:52 | 日記
作業療法士を退職してからは、トマトの収穫が始まると3ヵ月休みの無い農家、工場勤務では某モン○ールのシュークリーム・エクレア部門(機械に合わせて人間が動かないといけないので、けっこう大変でした。)、事務職は航空自衛隊の政府専用機の格納庫の中の事務補助員をしていました。

けっこう転職しましたが、その時々はストレスためながらブツクサ言いながら働いていましたが、今思い返すと、どこも良い人間環境の中で働かせてもらっていたと思います。
あの時、辞めなければ良かったなぁと感じる職場は何ヵ所かあります。

その中でも、記憶に残っているのが、2014年から、航空自衛隊の事務補助員をしていた時のことですが、そんな中、2015年9月の敬老の日に1本の電話が実家にかかってきます。
「○○町の○○だけど。」
「え?お父さん?」と思いました。
話を聞いていると、30年前に母と離婚した父の弟さんでした。
「お父さん、精神科に入院しているんだわ。アルコール依存症。」という話でした。
続けて父の弟さんは、「○○ちゃんのお父さん、お金何も助けてあげられなかったでしょう。○○ちゃんも弟の○○くんも、困ってることあったら、おじさん手伝うから。」という話でした。
その日は、突然の電話で私も動揺していたので、弟さんの携帯電話の番号だけを聞いて、電話を切りました。

私も平常心ではなかったのでしょう。
父の弟さんから電話をもらって何日後かに、母に内緒で精神科に入院中の父の元へ面会に行きました。
30年の年月の長さがなかったかのようでした。
(父は再会の3年後に、肺癌で他界しました。)

ここから1ヶ月ほど母には父に会いに行ったことは言えませんでした。
そうこうしているうちに、北海道で最後の夏祭りと言われている栗山天満宮のお祭りに母と行きました。
お祭り会場に到着した時から目眩がしていたのですが、出店の前で両手合わせて頼んだものをワクワクと少女のような目で待っている母を見ていたら、母にだまって入院中の父に会いに行った罪悪感が一気に出てきました。
そして異変は、帰りの駐車場までの人の行列の中で起こりました。
それまでは普通に歩いていたのに、左足が地面に張り付いて動かなくなってしまったのです。
やっとのことで動いたと思ったら、今度は足の指が全部引きちぎれそうに痛くなりました。
何とかその日は帰ることはできたのですが、その後何年もドクターショッピングをして、2年前にやっと線維筋痛症の主治医と出逢えることとなります。

2018~2020年の間に、父(肺癌)も父の弟さん(胃癌)も他界してしまいましたが、お金の縁はなかったけど、最期滑り込みのように関わることが出来て、私は良かったかなと思っています。
母の気持ちは複雑そうですが。

父の弟さんご夫婦に子供がいなかったため、去年私と私の弟が相続人となったのですが、私のように生活保護受給者が相続人になった場合、どうなるのかを次回書きたいと思います。

私の生い立ち①

2021-12-07 20:00:27 | 日記
私が双極性障害と線維筋痛症を発症した理由の一つに、私の生い立ちが少し影響しているように感じます。

線維筋痛症は、脳の視床~視床下部の炎症が原因で生じ、事故などの後遺症で起こることもありますが、ストレスの蓄積でも発症もします。

「機能不全家族」で育ったと表現したら、女手ひとつで育ててくれた母に申し訳ないのですが、私の両親は私が4歳の時に父の多額の借金が理由で離婚をしています。
母は、4歳の私と8ヵ月の弟を連れて、母の地元に帰って来て、生活保護を受けながら、市営住宅で生活することを選択しました。
まだ4歳だった私ですが、母を見上げながら、「この人に絶対迷惑かけてはいけない。ちゃんとしなきゃ。」と感じていたことを今でも思い出します。
今考えると、まだ小さい時にそんなことを感じていたら、それはいつか病むだろうな…と思います。
自分でも何となく記憶にあるのですが、チック症気味だったことや、長時間手を洗うなどの強迫神経症気味の時期がありました。

4年程生活保護の時期があったらしいのですが、母が正社員の事務職に就けたため、生活保護から卒業することが出来ました。
私が12歳の時に、母は自力で家を建てました。
私を作業療法士の専門学校、弟も公立の高校を出すなど、女手ひとつで大変だったと思います。
母には感謝しているのですが、母子家庭特有の母娘関係というか…母との関係も、発病のきっかけの一つになっていると感じることが今でもあります。

保育園時代も、小学校の時も、保母さんや先生や友人に恵まれて過ごすことが出来ました。小学5年生の時には、「走れメロス」のメロス役を努めるなど、充実した学校生活を送ることが出来ました。

そんな中で、記憶に深く残っているのは、私が小学校2年生の時に、保育園児だった弟に学習障害の疑いがあり、作業療法を受けていたことです。
私も弟のリハビリに病院について行っていました。
私が作業療法士を目指すことになったきっかけとなる出来事でした。
「手に職をつけたほうが良い。」という母のすすめもあり、私は8歳の時から「作業療法士になる。」ことを目標に、専門学校までを過ごすこととなります。
私は、ウツ病が酷くなり、3年勤めた病院を辞め、実家に戻り、農家で働いていた時期があるのですが、母からは作業療法士をせずに農家で働いていることを責められたことがありました。
27歳の時なのですが、私は「作業療法士になったのは、お母さんがすすめてきたから。自分でなりたくてなったわけじゃない。」と母を責めました。
かなり喧嘩になりました。
39歳になった今でも、作業療法士になったのが、母がすすめてきたからなのか、自分がなりたかったのかはわかりません。
こんな歳になってまで、わからないなんて、恥ずかしい限りですが。
ただ、今は将来、障害者雇用での就職を希望しているのですが、看護助手やリハビリ助手の仕事に就けたら良いなと思っています。

潜在意識の部分は、母のすすめに関係なく、「人の役に立ちたい。」という部分はあるのかもしれませんね。

今の私の生活は、朝11時頃に起きて、体調の良い時に家事をしたり、テレビか動画を観たり、天気が良い時は30分程度のウォーキングをして過ごしています。
来年1月から、月水金曜日の10時~15時のペースで就労支援施設に通所する予定なので、もう少し早く起床する練習をしなければいけないのですが…。

話は戻りますが、私の生い立ちですが、私の母方の祖父にあたる方は、母が7歳の時に自死しています。
母の兄は、てんかんとアルコール依存症(今は落ち着いています。)でした。
実の父も(両親の離婚後30年経って再会したのですが。今は他界しています。)、アルコール依存症で精神科に入院歴がありました。
私の家系は、精神的な病気になりやすい家系なのかもしれません。

今後も、生い立ちなどを振り返りたいと思いますが、けっこう波瀾万丈な人生でしたが、前を向くしかないので、くじけずに日々過ごしたいと思います。

はじめまして!akimilk613です

2021-12-07 17:21:26 | 日記
はじめまして!
akimilk613と申します。

このブログは日記をメインに書きたいと思い始めました。

よろしくお願いします!

私は、双極性障害と線維筋痛症という疾患を持ちながら、生活しています。
現在、39歳ですが、19歳の時に作業療法士の専門学生の時の精神科実習の時に、初めてウツ状態になり、その後、無事に卒業は出来て、3年間作業療法士として、ウツを抱えながら病院勤務していました。
3年前まで、福祉施設や農家、工場勤務、事務職員など、一般職で勤務していましたが、現在は生活保護を受給しながら、独居をしています。

今年の2月の始めに、急に重い躁状態になってしまい、海で溺れたり、アパートの中の家具を壊したり、ガラス類を割ったり、ノートパソコンを壊してしまったり、破壊行動をしてしまいました。

「男の人が私を襲いにくる。」という被害妄想も出てしまい、一晩中トイレの鍵を閉めて1人でとじ込もっていました。

海で溺れた時に、スマホが水没してしまい、3日程連絡が取れないことに異変を感じた母が、アパートに来てくれて、部屋中ぐちゃぐちゃになっている事と、明らかに様子がおかしい私を連れて、一度実家へ行きました。

母だけでは対応に困ってしまい、近隣に住む母のお姉さんが来てくれたのですが、奇声を発したり、支離滅裂な被害妄想の話をする私は、ウツで通院していた入院病棟のある精神科へ連れられて行きました。

病棟から来てくれた看護師さんと何を話したのかは、今となっては記憶が曖昧なのですが、一通り話した後、一緒に病棟へ行きました。
そして、医療保護入院となりました。

病室で点滴治療を受けた後、間もなく平常心を取り戻した感覚になったのですが、病室の家具を壊してしまったり、被害妄想が落ち着かなかったので、保護室へ移動になりました。

一度、保護室を出て閉鎖病棟の個室へ移動になったのですが、暴れてしまうなどの行為が出てしまい、また保護室へ戻るという、なかなか病状が安定しない状態が続きました。

結局、3ヵ月半の入院となり、5月末に退院となり、今に至ります。

躁の後のウツ期が辛いというのが、双極性障害の特徴らしく、今も軽度~中等度のウツ状態で、何とか一人暮らしをしています。

線維筋痛症のほうは、初めて発症したのは、2015年で、何度か再発しているのですが、今は痛みや痺れは無いので、薬は飲んでいません。

来年1月末頃から、就労支援施設に通所する予定でして、今準備中です。
いずれは、障害者雇用で働きたいというのが、今の目標です。

病気を抱えながらの生活の様子などを、これから投稿していきたいなと思っております。
どうぞよろしくお願い致します。