双極性障害に負けないで顔晴る

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私の生い立ち①

2021-12-07 20:00:27 | 日記
私が双極性障害と線維筋痛症を発症した理由の一つに、私の生い立ちが少し影響しているように感じます。

線維筋痛症は、脳の視床~視床下部の炎症が原因で生じ、事故などの後遺症で起こることもありますが、ストレスの蓄積でも発症もします。

「機能不全家族」で育ったと表現したら、女手ひとつで育ててくれた母に申し訳ないのですが、私の両親は私が4歳の時に父の多額の借金が理由で離婚をしています。
母は、4歳の私と8ヵ月の弟を連れて、母の地元に帰って来て、生活保護を受けながら、市営住宅で生活することを選択しました。
まだ4歳だった私ですが、母を見上げながら、「この人に絶対迷惑かけてはいけない。ちゃんとしなきゃ。」と感じていたことを今でも思い出します。
今考えると、まだ小さい時にそんなことを感じていたら、それはいつか病むだろうな…と思います。
自分でも何となく記憶にあるのですが、チック症気味だったことや、長時間手を洗うなどの強迫神経症気味の時期がありました。

4年程生活保護の時期があったらしいのですが、母が正社員の事務職に就けたため、生活保護から卒業することが出来ました。
私が12歳の時に、母は自力で家を建てました。
私を作業療法士の専門学校、弟も公立の高校を出すなど、女手ひとつで大変だったと思います。
母には感謝しているのですが、母子家庭特有の母娘関係というか…母との関係も、発病のきっかけの一つになっていると感じることが今でもあります。

保育園時代も、小学校の時も、保母さんや先生や友人に恵まれて過ごすことが出来ました。小学5年生の時には、「走れメロス」のメロス役を努めるなど、充実した学校生活を送ることが出来ました。

そんな中で、記憶に深く残っているのは、私が小学校2年生の時に、保育園児だった弟に学習障害の疑いがあり、作業療法を受けていたことです。
私も弟のリハビリに病院について行っていました。
私が作業療法士を目指すことになったきっかけとなる出来事でした。
「手に職をつけたほうが良い。」という母のすすめもあり、私は8歳の時から「作業療法士になる。」ことを目標に、専門学校までを過ごすこととなります。
私は、ウツ病が酷くなり、3年勤めた病院を辞め、実家に戻り、農家で働いていた時期があるのですが、母からは作業療法士をせずに農家で働いていることを責められたことがありました。
27歳の時なのですが、私は「作業療法士になったのは、お母さんがすすめてきたから。自分でなりたくてなったわけじゃない。」と母を責めました。
かなり喧嘩になりました。
39歳になった今でも、作業療法士になったのが、母がすすめてきたからなのか、自分がなりたかったのかはわかりません。
こんな歳になってまで、わからないなんて、恥ずかしい限りですが。
ただ、今は将来、障害者雇用での就職を希望しているのですが、看護助手やリハビリ助手の仕事に就けたら良いなと思っています。

潜在意識の部分は、母のすすめに関係なく、「人の役に立ちたい。」という部分はあるのかもしれませんね。

今の私の生活は、朝11時頃に起きて、体調の良い時に家事をしたり、テレビか動画を観たり、天気が良い時は30分程度のウォーキングをして過ごしています。
来年1月から、月水金曜日の10時~15時のペースで就労支援施設に通所する予定なので、もう少し早く起床する練習をしなければいけないのですが…。

話は戻りますが、私の生い立ちですが、私の母方の祖父にあたる方は、母が7歳の時に自死しています。
母の兄は、てんかんとアルコール依存症(今は落ち着いています。)でした。
実の父も(両親の離婚後30年経って再会したのですが。今は他界しています。)、アルコール依存症で精神科に入院歴がありました。
私の家系は、精神的な病気になりやすい家系なのかもしれません。

今後も、生い立ちなどを振り返りたいと思いますが、けっこう波瀾万丈な人生でしたが、前を向くしかないので、くじけずに日々過ごしたいと思います。


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