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徳冨蘆花没後90年並びに生誕150年記念事業についての陳情

2015年07月12日 | 世田谷日誌

東京都知事 舛添要一殿
2015年7月10日
〒157-0071 東京都世田谷区千歳台
長谷川 順一
徳冨蘆花没後90年並びに生誕150年記念事業についての陳情
要旨
 徳冨蘆花は昭和2年(1927)9月18日に永眠しましたので、来る平成29年(2017)が没後90年となります。また明治元年(1868)10月25日(新暦12月8日)に生まれましたので来る平成30年(2018)が生誕150年となります。これまでも、都立蘆花恒春園サービスセンター等が中心となって様々な催事が行われてきましたが、東京都が主体になり、世田谷区立文学館や世田谷教育委員会等と連携をした没後90年並びに生誕150年記念事業を企画をして下さい。
さらに、記念館は建築後50数年なので老朽化が激しく、耐震上からも公共施設として如何なものかと存じます。よって改築をし、保存されている貴重な文献と史資料を広く研究者、愛好者らに活用させる施策が求められています。
理由
 蘆花恒春園は、「不如帰」、「自然と人生」、「思出の記」、「黒潮」、「順礼紀行」「寄生木」、「みヽずのたはこと」、「黒い眼と茶色の目」、「新春」、「富士」などの名作で知られる明治・大正期の文豪徳冨健次郎(蘆花)が愛子夫人と、明治40年(1907)40歳のときから20年間、晴耕雨読の生活をしながら作家活動をした場所です。昭和2年(1927)9月蘆花は静養先の伊香保で亡くなりましたが、昭和11年(1936)蘆花没後10周忌に愛子夫人は現状の維持と故人の生活状態を偲びうるようにという条件のもと、土地、住宅、樹木、墓地、書籍、原稿、書画、生活用具その他遺品一切を東京市(現東京都)に寄付されました。蘆花恒春園は、昭和13年(1936)2月に面積12,624.52㎡で都市公園として開園。その後拡張整備を重ね、現在は80,304.43㎡(開園時の6.3倍)の広さとなっています。
 東京都は、昭和36年(1961)に「蘆花記念館」を建設。蘆花の作品、原稿、その他の遺品等を収蔵。その一部を展示し、無料公開しています。最近は、NHK大河ドラマ「八重の桜」で紹介されたことからも参観者が増加しております。
 これまで蘆花恒春園サービスセンターと蘆花会が中心となって、「蘆花を偲ぶ集い」、「蘆花文学セミナー」、「かやぶきコンサート」など様々な催事が行われてきましたが、没後90年並びに生誕150年を契機にして、世田谷文学館、世田谷美術館、粕谷区民センター、みみずのたわごと懇話会、粕谷図書館、区立芦花小・中学校、都立芦花高校並びに京王電鉄・京王百貨店の京王グループとコラボレーションするような企画・立案をして下さい。
以上   
尚ご回答をお待ちしております。

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