葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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新国立競技場計画の“黒子”は東京都都市整備局長安井順一と睨んだ!

2015年07月13日 | 東京都政・東京五輪・新国立競技場・神宮外苑開発
 スポーツ評論家・玉木正之さんが東洋経済に「新国立競技場、船頭なき"大艦"の視界不良」を投稿されていますが、現時点に於ける的確な批判記事だと思われます。
 副題に「なぜ建設費が2520億円に膨らんだのか」とありますが、文中に「300億円もかけて遮音用の開閉式屋根を建設する価値があるのか。」との記述があるのですから「なぜ建設費は2820億円に膨らんだのか」と正確にして欲しいと思います。これは一般メディアにもいえる事ですが・・・。
 手わたす会(神宮外苑の国立競技場を未来に手わたす会)が「新国立競技場問題年表年表」を編纂してくれました。安倍総理は、民主党辻元議員の質問に答えて「国際コンペは民主党政権時代に行われた」と批判をかわしましたので、■2009年10月政権交代して鳩山首相がIOC総会に出席。■2011年12月野田内閣が「2020年オリンピック競技東京招致」を閣議決定。 ■2012年11月新国立のザハ案決定し、12月に第二次安倍内閣成立。■2013年1月ザハ案の招致ファイル作成。■9月7日安倍総理がザハ案のファイルを振りかざしたこと等の事項を挿入してもらうことによって、森喜郎元総理、石原慎太郎、猪瀬両都知事、河野一郎JSC理事長、建築家安藤忠雄、東京都都市整備局長安井順一の「五輪利権相関図」が浮かび上がってくると思います。
216年オリンピック・パラリンピック東京招致ファイルに描かれた、安藤忠雄氏のメースタジアムパース

 東京都は1日、横溝良一技監兼建設局長が勇退し、後任に安井順一都市整備局長兼都市整備局技監が就任する人事を発表しました。16日付で発令。安井氏は77年早大理工学部卒、79年東京都入庁。04年都市整備局参事、10年都市整備局理事、11年都市整備局技監、14年都市整備局長兼都市整備局技監。という石原都知事時代から都市整備局の実権幹部を歴任して圏央道、晴海開発など規制緩和の東京を造ってきた人間です。神宮外苑地区都市計画も渋谷区・港区・新宿区と談合しながら進めてきた責任者だと見ています。これまで高さ制限20メートルだった神宮外苑地区に、高さ70メートルの高さを許容した国際デザインコンペの設計基本をJSCと安藤忠雄氏に提言したのも安井氏と睨んでいます。2012年11月にザハ案が決定されたことを見計らったように、高さを75メートルにした神宮外苑地区計画を、東京都都市計画審議会に提案します。この計画案の意見を求められた新宿区都市計画審議会は深い論議もなく決定となります。(新宿区都市計画審議会議事録の閲覧
 ザハ案は、高さ80メートルなのに最優秀作品になり、その後に安藤氏とザハ事務所が協議をして、二本のスカイデッキを止め、高さを70メートルに修正した基本設計となりました。

 公益社団法人日本都市計画学会発行の「都市計画308号」は「21世紀初頭のトーキョー Ⅱ ―世界都市トーキョーにおける都市計画制度の役割
」と題した特集記事なっています。【鼎談】「21世紀初頭の東京の都市計画の役割と今後の展望」で安井順一氏が語っていますが、何を語っているのかは、国会図書館で閲覧をしてみます。
 『汐留や品川駅東口の旧国鉄操車場跡地は,1980年代の中曽根民活の一環として創設された再開発地区計画の 適用により,2000年代前半には東京の新しい業務集積地に変貌した。また,2000年代前半の小泉都市再生と並 行して,大手町・丸の内・有楽町ではオフィスの更新や増床が加速し,国際的なビジネス拠点としての機能強化が進 行している。さらに渋谷駅周辺では,都市再生特別地区を適用した都市開発と連動して,100年に一度とも言われる 抜本的大改造が始動したところである。
 再開発地区計画や都市再生特別地区などに代表される都市計画規制の緩和制度の充実により,21世紀初頭 (2000年~2014年)は民間デベロッパーによる都市開発が活発化した時期といえる。本号は,前号に引き続き21 世紀初頭の東京を特集したものであるが,前号では「エリア化する都市開発と暮らし」に着目したのに対し,本号で は,世界都市“トーキョー”にダイナミックな都市開発をもたらしている都市計画制度に着目する。
 規制緩和=経済合理性の追求という構図により,都市計画の観点からは規制緩和の功罪について多くが語られ てこなかったように思われるが,本号では改めて,都市計画制度を都市政策の要として捉え,都市計画規制の緩和 制度が充実した背景に迫るとともに,経済,都市,交通,防災の各方面から,世界都市トーキョーにおける都市計画 制度の役割を議論する。(担当編集委員:安西崇博)』
特集目次
トーキョーの都市政策:都市計画規制の緩和の背景とねらい 人口密度から見た21世紀初頭の東京都区部
 出口 敦・宋 俊煥
都市計画規制の緩和制度の系譜と東京の構造変化
 明石 達生
首都東京における都市づくりの大転換
 河島 均
都市再生本部等の取組
 内閣官房地域活性化統合事務局
トーキョーにおける都市計画制度の役割 経済学からみた都市計画規制 -規制緩和がもたらすメリット
 唐渡 広志
不動産収益の変化と土地利用転換 -動態的土地利用規制のすすめ
 清水 千弘
「グローバル化」・規制緩和と「エリア化」・マネジメント
 小林 重敬
容積率規制の緩和と交通計画 -戦略的交通アセスメントのすすめ
 森本 章倫
巨大都市の災害リスク -災害リスクを回避する都市計画制度や技術
 廣井 悠
鼎談】 21世紀初頭の東京の都市計画の役割と今後の展望
 中井 検裕×安井 順一×出口 敦

プロジェクトノート 臨海部と都心を結ぶまち「汐留」-貨物ターミナル跡地から東京の新しい貌へ
 三宮 隆
六本木・虎ノ門・新橋地区の街づくり -街を創り、街を育む
 太田 慶太
日本橋室町東地区開発計画 -残しながら、蘇らせながら、創っていく
 有田 鎮
始動 渋谷の抜本的大改造 -都市再生特別地区を活用したまちづくり
 奥木 卓司

手わたす会」が編纂した年表に「2006年3月18日 明治神宮が神社本庁離脱直後に急浮上した外苑再開発計画。推定1兆円以上 週刊金曜日が報道」との記述があることに管理人は注目しました。何故ならば明治神宮にとって、神宮外苑聖徳記念絵画館は皇居宮中三殿と結んだ地図線上に位置づけられている程、大日本帝国時代の重要な施設なのです。(日本青年館の話)
(クリックで拡大)
 週刊金曜日の記事から推測しますと、総理大臣の時に「日本は神の国」と失言をした森喜郎氏と港区表参道開発を設計した安藤忠雄氏が宗教法人明治神宮と談合をしている構図も見えてきました。そして重要なのは安井順一氏が黒子としての役回りをキッチリと果たしているのだと考えられます。



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