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新嘗祭も神嘉殿で行われる「秘儀」である

2020年11月23日 | 天皇制・皇室問題

宮内庁公式ホームページ「主要祭儀一覧」より

11月23日 新嘗祭にいなめさい 天皇陛下が,神嘉殿において新穀を皇祖はじめ神々にお供えになって,神恩を感謝された後,陛下自らもお召し上がりになる祭典。宮中恒例祭典の中の最も重要なもの。天皇陛下自らご栽培になった新穀もお供えになる。

講談社現代新書 山本雅人著「天皇陛下の全仕事」より

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 もっとも重要な「新嘗祭」
 天皇がお出ましになる三〇を超える皇室祭祀の中でももっとも重要とされ、民間の稲の収穫祭を起源とし、宮中でも古くから行われている「新嘗祭」(毎年ーー月二三日)を中心に、祭祀がどのように行われるか、具体的に説明していこう。
 新嘗祭は、天皇がその年に採れた米などの新穀を祖先神をはじめとする神々に供え感謝した後、自らも食すもので、農耕民族の代表者という天皇の歴史的な性格が色濃く表れた祭りである。
  ーー月二三日の午後六時、冠に純白の絹の袍(からだを包む丸襟、大袖の上着)、純白の袴、底が桐でできた純白の靴、右手には笏(木製の細長い板)という、「祭服」と呼ばれる皇室祭祀の中でも新嘗祭など特別に重要な祭儀だけに用いられる装束を着けた天皇が神嘉殿(宮中三殿の構内にある、新嘗祭だけを行うための建物)に現れる。その前には、すでに住まいの御所で入浴して全身を清めること(潔斎という)をすませている。天皇の前後には同じく古式装束を着け、剣璽(天皇のシンボルである剣と曲玉で、箱に収められている。後述)を持った侍従がそれぞれつきそう。
 神嘉殿内に入った天皇は手を水で清めた後、皇室の祖先神を祭る伊勢神宮の方角に設けられた神座に用意された、ふかした新米のご飯、粟のご飯、酒、刺身のように調理された鮮魚(タイ、アワビ、サケなど)、干した魚(タイ、アワビ、カツオなど)、野菜、クリやナツメなどの果実、塩、水などを自ら一品ずつ神に供える。米や粟は全国の農家から献上されたものや天皇自身が皇居内の水田で行った稲作(317ページ参照)によって収穫されたもので、食物については天皇自ら、竹製の箸を使つて器に盛りつけていく。冷暖房などもちろんなく、灯火だけの薄暗い建物の中で、鮮魚などはひと切れずつ、果実などはひと粒ずつ盛りつけていくので、これだけで約一時間半もかかる。
 この間、宮内庁楽部(日本最古の伝統音楽である雅楽を継承している組織)の楽師らが古式歌謡の神楽歌を前庭で歌う。これは神に食物(神饌という)だけでなく、音楽も奉納するという意味である。
 続いて天皇は拝礼し、「~かしこみかしこみ・・・・」といつた、独特の宣命体いう文体でできた「お告文」(一般でいう祝詞)を読み上げる。その内容は、収穫への感謝と、今も豊作であることを願うなどのものであるという。その後、天皇もご飯を召し上がる。
  この計約二時間の祭儀が「夕の儀」と呼ばれるもので、新嘗祭では、夕の儀の後、さらに同日午後ーー時からまつたく同様の祭儀が「暁の儀」としてもう一度行われる。天皇自ら食物を供えたりお告文(祝詞)を読み上げることなど、まさに天皇が、神社の宮司のように、祭りを自ら行っていることを示している。
 また、この祭儀には皇太子も古式装束を着け拝礼する。お出ましの祭は、皇太子のシンボルである「壺切剣」を持つた侍従がつく。
 関係者によると、現在の天皇陛下は、新嘗祭の前には、神前に供える食物の順番や所作を確認するため、数回にわたってリハーサルを行われるほか、長時間の正座に慣れるため、住まいの御所で夜、テレビを見ながら正座の練習をされるという。
 参列したことのある大臣経験者によると、着席している場所からは、前庭ごしに見える神嘉殿内部の様子はうかがい知ることはできず、かすかに建物内に明かりのともる障子に、人の訪く影がたまに映る程度だった、という。「夜の闇の静寂の中、前庭に響く楽師の神楽歌に合わせて鳴らされる和琴の低い響きと、庭でたかれるかがり火のパチパチとはぜる音が印象に残っている」と話してくれた。

宮中三殿、右から神殿、賢所、皇霊殿、左奥に新嘗祭の行われる神嘉殿

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「注」天皇は現在の上皇。皇太子は皇嗣。「折口信夫説」によれば暁の儀は、浄闇の中で「同衾」が行われている。

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天皇が正殿内で行う「秘儀」

そしてまた不思議なのは、正殿の内陣中央に設えられた寝具の存在だろう。

この神座は文献によっては寝座(しんざ)とも表記されているのだが、儀式の中心となる神饌供進のための神座は内陣の脇で、寝具が中央に置かれているのはなぜだろうか。この寝具の解釈については今から約30年前、平成の大嘗祭のときに大きく話題となっている。

新嘗祭にしても、そして大嘗祭にしても、正殿内における祭儀の詳細はすべてが明らかにされているわけではない。

そこで民俗学者にして古代学研究の折口信夫(おりくち・しのぶ)は、昭和の大嘗祭の直後、大嘗宮正殿内の寝具は『日本書紀』で高天原から降臨する瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)がくるまれた真床覆衾(まとこおふすま)に比せられるものであり、これに籠もることによって天皇霊もしくは稲魂が天皇に憑いたのではないかとする仮説を発表した。

天皇霊とは折口によれば、天皇としての威力の元となる霊魂であり、稲魂は新しい歳を支配する威霊である。やがて、大嘗祭において天皇は寝具に籠もる秘儀を行うという理解が、定説のように拡がった。

このような状況に対して、平安期以降の文献からは天皇が寝具に関わるとの理解は得られないことを検証し、折口説否定を強く打ち出した反論が注目を集めた(岡田莊司『大嘗の祭り』平成2年)。しかし文献のみに依拠した否定は、失われている古代の意義を様々な事例から探ろうとする民俗学への無理解だといった批判(松前健など)もなされている。

折口の説は、折口自身が「今はどうなさって居られるか、我々には訣(わか)らない」「容易に一面からのみは説明することが出来ない」という仮説でありながら過剰に評価されたため、反動による拒否感も強まったが、ひとつの学説としての価値は失われていないと個人的には考えている。

だが少なくとも現状では、確実な史料に拠らない推論を補強する学問的な進展はないようで、残されている史料に拠る限りは、あくまでも神饌供進が祭儀の中心であって、寝具は祭神の天照大神がお休みになる場で天皇は触れることもない、と実証主義の学問的成果としては考えざるをえないようである。

中世の文献には神饌供進が「大事」で「秘事」と記されており、大嘗祭に秘儀があるとすれば、このことになるのかもしれない。ただ、現在の大嘗宮での実際が部外者には知るよしもないという意味で、謎は依然として謎のままといえよう。

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(了)

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