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今上天皇のパラオ国への“慰霊の旅”から見えること

2015年04月10日 | 憲法・防衛・平和・人権
 戦後70年にあたり、太平洋戦争の激戦地・パラオ共和国を訪れていた今上天皇、皇后は9日夜、戦没者の慰霊を終え、帰国しました。

「宮内庁ホームページから」平成27年4月8日(水)
パラオご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)

 本年は戦後70年に当たります。先の戦争では,太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ,数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き,帰らぬ身となった人々のことが深く偲しのばれます。
 私どもはこの節目の年に当たり,戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ,パラオ共和国を訪問いたします。
パラオ共和国は,ミクロネシア連邦,マーシャル諸島共和国と共に,第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが,戦後,ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により,我が国の委任統治の下に置かれました。そしてパラオには南洋庁が置かれ,我が国から多くの人々が移住し,昭和10年頃には,島民の数より多い5万人を超える人々が,これらの島々に住むようになりました。
 終戦の前年には,これらの地域で激しい戦闘が行われ,幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで,この戦いにおいて日本軍は約1万人,米軍は約1,700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で,このような悲しい歴史があったことを,私どもは決して忘れてはならないと思います。
 この度のパラオ共和国訪問が,両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の,更なる発展に寄与することを念願しています。私どもは,この機会に,この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに,パラオ国の人々が,厳しい戦禍を体験したにもかかわらず,戦後に,慰霊碑や墓地の清掃,遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し,大統領閣下始めパラオ国民に,心から謝意を表したいと思っております。
 この訪問に際し,ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり,パラオ国大統領御夫妻と共に,ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。
 終わりに,この訪問の実現に向け,関係者の尽力を得たことに対し,深く感謝の意を表します。
 
 『一昨年の記者会見で、最も印象に残っていることとして「先の戦争」を挙げ、戦後70年にあたる今年は年頭所感の中で「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」と訴えた。今回のパラオ訪問は、戦争の記憶が風化することへの危機感を、身をもって示したと言える。
 「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」。出発の際に天皇陛下が語った言葉は、戦後を生きるすべての人に向けられた「メッセージ」と受けとめたい。』と朝日新聞記者は解説していますが、管理人はそんな感傷的な感想にはなれません。
 満州事変から日中戦争へ、そして太平洋戦争の「十五年戦争」における父親・昭和天皇の戦争責任を「象徴天皇」として言葉では表現できなことを「慰霊の旅」という形にしているのではないかと考えています。願わくば、中国大陸へ“慰霊の旅”に出かけてもらいたいですね。

 今上天皇は「パラオ共和国は,ミクロネシア連邦,マーシャル諸島共和国と共に,第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが,戦後,ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により,我が国の委任統治の下に置かれました。そしてパラオには南洋庁が置かれ,我が国から多くの人々が移住し,昭和10年頃には,島民の数より多い5万人を超える人々が,これらの島々に住むようになりました。」と世界史をなぞっていますが、角川世界史辞典から参考資料として抜粋します。

「第一次世界大戦前の列強による太平洋支配図」
 「南洋群島
 日本が第一次大戦で占領し、1919年から国際連盟の委任統治領として統治した旧ドイツ嶺。マリアナ諸島(グアムを除く)、カロリン諸島,マーシャル諸島をさす。22年に日本はパラオに南洋庁を設置し、住民に教育や医療を普及し,日本人移民による産業振興を促進した。33年の国際連盟脱退後は,軍事基地を建設し、住民に皇民化教育を強要した。40年には8万人もの民間日本人が移住し、住民を「三等民」とみなす植民地経営を行った。太平洋戦争末期には主戦場となり,住民に甚大な被害を与えた。
 
 「太平洋諸島」〔国際連合信託統治領〕
 第二次大戦後(1947)から1994年までアメリカが統治したミクロネシナ諸島で、日本統治時代の南洋群島。アメリカは、統治直後から原水爆実験や基地建設を進めるなど軍事利用を統治の目的とした。島の人々には軍事的政治制度,教育,医療,福祉の充実を進めたが、島々の生活環境や産業基盤の整備は放置された。これらの島々は信託統治領後、3つの自由連合国と1つの自治領に分離・独立した。

 管理人は南洋というと「軍国少年時代」に愛読した冒険ダン吉の物語を思い出します。この漫画は、南の島の人々が劣った人種として描かれ、それを日本人が支配するという描写は、当時の日本の南進論や、東南アジアの植民地支配、大東亜共栄圏の思想を象徴していると考えます。中学生になっても差別思想が抜けていなかった証拠に、1952年10月杉並区立荻窪中学校の運動会で、三年三組クラスの女子生徒には黒いセーターとストキングを、管理人と親友は腰蓑に槍をもった仮装行列を演出したのでした。(写真の右端)

 

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