◎野口雨情
<碑文>
とんぼなにゆく 富士の宮さして いろは習ひに 月田校へ 雨情
前橋市粕川町月田 月田小学校校門脇
粕川の東寿寺の住職で童謡詩人である青柳花明の招きで、近戸を歩き六編の詩を残しました。そのときの一編とある。
<碑文>
近戸ののんのさま さゝらすき さゝらはうたすき 笛がすき
前橋市粕川町月田 近戸神社
近戸を歌った野口雨情の作詞した郷土詩です。「童謡は、童心より流れて童心をうたう自然詩である」 「民謡は、民族生活の情緒をつたふ唯一の郷土詩であり、土の自然詩である」 「詩とは、言葉の音楽である」は、野口雨情の言葉です。とある。
以上、確認したい・・・
<碑文>
とんぼなにゆく 富士の宮さして いろは習ひに 月田校へ 雨情
前橋市粕川町月田 月田小学校校門脇
粕川の東寿寺の住職で童謡詩人である青柳花明の招きで、近戸を歩き六編の詩を残しました。そのときの一編とある。
<碑文>
近戸ののんのさま さゝらすき さゝらはうたすき 笛がすき
前橋市粕川町月田 近戸神社
近戸を歌った野口雨情の作詞した郷土詩です。「童謡は、童心より流れて童心をうたう自然詩である」 「民謡は、民族生活の情緒をつたふ唯一の郷土詩であり、土の自然詩である」 「詩とは、言葉の音楽である」は、野口雨情の言葉です。とある。
以上、確認したい・・・
・詩人
・1894年(明治27年)~1980年(昭和55年)
・福島県生まれ
・本名吉之助
・銀行勤めのため各地を転勤
・昭和4年第一書房「青い夜道」、翌年「海の見える石段」を刊行
・1894年(明治27年)~1980年(昭和55年)
・福島県生まれ
・本名吉之助
・銀行勤めのため各地を転勤
・昭和4年第一書房「青い夜道」、翌年「海の見える石段」を刊行
・童話作家
・本名木村雄三
・1895年(明治28年)~1963年(昭和38年)
・佐波郡赤堀村(現伊勢崎市)に生まれる。
・赤城山中の分教場などの教員をつとめたのち上京、編集者生活を送る。
・「童話雑誌」「金の星」などに童話を執筆。
※資料「あ々これ山」(赤城山文学紀行)
・本名木村雄三
・1895年(明治28年)~1963年(昭和38年)
・佐波郡赤堀村(現伊勢崎市)に生まれる。
・赤城山中の分教場などの教員をつとめたのち上京、編集者生活を送る。
・「童話雑誌」「金の星」などに童話を執筆。
※資料「あ々これ山」(赤城山文学紀行)
・詩人
・1884年(明治17年)~1924年(大正13年)
・西群馬郡棟高村(現高崎市)に生まれる。
・本名土田八九十
・伝道師として布教活動
・詩集「雲」
☆作品「赤城山」
・赤城亭という宿が昔あったようだ。
・紅雲分村、細井村、箕輪村という村名が出てくる。
・楢、湯の沢、滝沢の不動等とあるがどこだろう?
(「暮鳥随想」昭和16年7月春陽堂)
※資料(あ々この山)
・1884年(明治17年)~1924年(大正13年)
・西群馬郡棟高村(現高崎市)に生まれる。
・本名土田八九十
・伝道師として布教活動
・詩集「雲」
☆作品「赤城山」
・赤城亭という宿が昔あったようだ。
・紅雲分村、細井村、箕輪村という村名が出てくる。
・楢、湯の沢、滝沢の不動等とあるがどこだろう?
(「暮鳥随想」昭和16年7月春陽堂)
※資料(あ々この山)
『赤城山』
その湖畔を半円形に下ると、そこが大洞で、赤城本社のあるところ。一軒の旅舎(はたご)がある。・・・赤城亭といふ。※赤城亭?
その湖畔を半円形に下ると、そこが大洞で、赤城本社のあるところ。一軒の旅舎(はたご)がある。・・・赤城亭といふ。※赤城亭?
群馬県ゆかりの文学資料があるということで後日伺うことにします。赤城山と「詩人・歌人・作家」の資料があればいいのですが・・・
<所在地>
〒370-3533 群馬県高崎市保渡田町2000番地
Tel:027-373-7721(代表)
<開館時間>
9時30分~17時(観覧受付は16時30分まで)
<休館日>
・火曜日(祝日の場合は翌日) 、
・年始年末(12月29日~1月3日)
・燻蒸などの臨時休館日
<所在地>
〒370-3533 群馬県高崎市保渡田町2000番地
Tel:027-373-7721(代表)
<開館時間>
9時30分~17時(観覧受付は16時30分まで)
<休館日>
・火曜日(祝日の場合は翌日) 、
・年始年末(12月29日~1月3日)
・燻蒸などの臨時休館日