アテネでも知名度ナンバーワンの大物ソフィスト、プロタゴラスと30代半ばの若きソクラテスとの対話
青年ヒッポクラチスは、有名なソフィストであるプロタゴラス先生がアテネにやってきたので「どうしても話を聴きたい。有力な人間になるための知恵を教えてほしい」と興奮気味で、「プロタゴラス先生の教えを乞う事が出来るよう話してもらえないか」とソクラテスを訪ね、青年ヒッポクラチスが頼んできた。
ソクラテスは、「いったい君は、自分がこれから行こうとしている人物がどういう人だと考え、また、自分が何になろうというつもりで行くのかね?」と問い、「たとえば、医者のところに教えを乞いに行くのは、医者になろうとするから、彫刻家の教えを乞うのは彫刻家になろうとするからだろう。ということは、ソフィストになろうというのか、ソフィストとはどういう人なのかわかっているのか」とヒッポクラチに問いただす。さらにソクラテスは、「ソフィストたちは徳とか善といったものは簡単に教えられるものではないのに、自分はよくわかっている、青年たちに教えることが出来ると言ってお金をとっている人たちだ。若者をだましている詐欺師のようなものだ。」
「徳とは何か」といった教えを受けると言う事は、自分の魂の世話を人にゆだねるような、自分自身の根幹に関わる問題だ。いま自分は、何のために、何をしようとしているのか、その目的意識を鮮明にしなさいと青年ヒッポクラチスに語りかけている。
総会長、会長、地区長、教区長、教会長、あなたのアベルといわれる人達は、いったい何者なのか、よくよく知るべきだろう。
青年ヒッポクラチスは、有名なソフィストであるプロタゴラス先生がアテネにやってきたので「どうしても話を聴きたい。有力な人間になるための知恵を教えてほしい」と興奮気味で、「プロタゴラス先生の教えを乞う事が出来るよう話してもらえないか」とソクラテスを訪ね、青年ヒッポクラチスが頼んできた。
ソクラテスは、「いったい君は、自分がこれから行こうとしている人物がどういう人だと考え、また、自分が何になろうというつもりで行くのかね?」と問い、「たとえば、医者のところに教えを乞いに行くのは、医者になろうとするから、彫刻家の教えを乞うのは彫刻家になろうとするからだろう。ということは、ソフィストになろうというのか、ソフィストとはどういう人なのかわかっているのか」とヒッポクラチに問いただす。さらにソクラテスは、「ソフィストたちは徳とか善といったものは簡単に教えられるものではないのに、自分はよくわかっている、青年たちに教えることが出来ると言ってお金をとっている人たちだ。若者をだましている詐欺師のようなものだ。」
「徳とは何か」といった教えを受けると言う事は、自分の魂の世話を人にゆだねるような、自分自身の根幹に関わる問題だ。いま自分は、何のために、何をしようとしているのか、その目的意識を鮮明にしなさいと青年ヒッポクラチスに語りかけている。
総会長、会長、地区長、教区長、教会長、あなたのアベルといわれる人達は、いったい何者なのか、よくよく知るべきだろう。
一言で言えば、創造目的完成、天国創建を目指された筈であって、この天国は、全体目的と個体目的が相互に保証される筈です。
少なくとも基元節を口にするなら、既に撤廃された蕩減ではなく、天国実現の方向性で語られるべきでしょう。
ところが、一握りの幹部の栄華のために全食口が奴隷になる教会を標榜し、その実体は、天国とは何ら関係のない、地獄、借金地獄、エンドレス献金地獄になっており、全体目的は奪われ、個体目的は蚕食されています。
>総会長、会長、地区長、教区長、教会長、アベルといわれる人達・・・
これらが最終的に不要になるのが訓読家庭だったはず。
彼ら及び教会幹部は失職を恐れ、既得権益を失うのを恐れて「み旨」に反逆した。
中世、ローマ法王は、軍事力を持っていなかったため、それに代わる武器として「聖務禁止」と「破門」を行使した。信者に対しては「贖罪と地獄の存在を強調」し、権威と権力を行使した。しかし、13世紀、アッシジのフランチェスコを始め、キリスト教は「厳しく怖ろしいものではなく、愛の教えである」と説き、やがて権威と権力によって支配されていたものは、宗教改革により、崩れ去る。
教会の実態は、中世の「権威と権力」に支えられたキリスト教社会に酷似している。
一人ひとりが、受動的な信仰姿勢から、「自分にとってなにが一番大切か」魂の世話を人に委ねるまえに、考えていかがなものか。