なんか最近は本部公文が出ないというブログ記事を見かけますが
昨日の礼拝のお知らせの時間に教会長は以下のような精誠条件をもって基元節に向かうように連絡した
天一国基元節入籍祝福式
全ての祝福家庭が参加する完成期の祝福
精誠条件
1、教育 本体論教育参加が条件 基元節までに参加すること (清平4泊5日推奨)
2、条件 120日間 訓読会・120拝敬拝 144数を復帰するのが重要
3、伝道 一名以上の祝福候補者を立てる
4、献金 140数の祝福感謝献金 難しい人は40数を準備して祝福式に臨むように
以上のチェックを経て参加受付をする
ほかの教区でも発表されましたか?
昨日の礼拝のお知らせの時間に教会長は以下のような精誠条件をもって基元節に向かうように連絡した
天一国基元節入籍祝福式
全ての祝福家庭が参加する完成期の祝福
精誠条件
1、教育 本体論教育参加が条件 基元節までに参加すること (清平4泊5日推奨)
2、条件 120日間 訓読会・120拝敬拝 144数を復帰するのが重要
3、伝道 一名以上の祝福候補者を立てる
4、献金 140数の祝福感謝献金 難しい人は40数を準備して祝福式に臨むように
以上のチェックを経て参加受付をする
ほかの教区でも発表されましたか?
公文(文書)をメールやFaxなどで現場の食口までは流さないようにという指示があるようです。
教区から現場食口に伝えられるのは口頭でのみということでしょう。
ですから、公文が流れないという話は現場の食口までは流れないという意味だと思います。
日本も同じ基準で何故ダメなのか?
声を上げるのがダメだと言うのなら(信仰的ではないとか)、日本以外の国のシックが声を上げるのは何故OKなのか、はっきりさせましょう。
日本は罪がある?
それはそうかも知れませんが、ならば、何故献金が慰安婦救済や、韓国の生活困窮者救済(孤児救済)など、日本との恨みを解く方向に活用されてこなかったのか?私には不思議でならない。
日本の場合、逆に幹部が下げさせない感じですね。
祝福献金と母国としての摂理献金は別の意味があります。
ですから本来なら基元節の祝福献金は世界同一にして、
別に日本は摂理献金とした方が受け入れやすいでしょうね。
本来なら祝福献金は140の条件でも少ない内容です。
それほど祝福の価値は大きいのですが、赦されて少ない条件にされていると捉えるべきです。
そうすることで感謝の心が大きく出てきます。
一方、摂理献金は世界の為に生きる献金ですから、
公的な精神が誘発されます。
二つを同一視すると本来、献金を通して復帰される心情が違ってくると思います。
ただ日本と他国の違いの説明は聞いてないので、
何ともいえませんが…
教会はあくまで個人の目標をいってくるだけです。
ほかの事に使われてしゃくにさわるのなら、しなければいいだけの話です。私は心に従って献金させてもらいます。
佐賀の聖殿建設の話はどのように進んでるのですか?
祝福うけても天国なんかじゃないでしょう?
うそとごまかしの信仰生活です。
今やるべきことは解散です。
献金は本人に任せるべきものです。
7男さん以外は爆破者とおとうさまがいわれたのなら、お母様がそうではないですか?おとうさまはすべて見通しておられたとしたら。今回の祝福は詐欺でsう。
公文で発表された内容は精誠条件、もしくは参加条件としています。けっして目標ではありません。
例えば、何か物を購入する場合には、そのもの代金を支払うという条件のもとに購入ができます。
もし、支払う代金が1円でも足りなければそのものを受け取ることができません。
目標で物を購入することができますか?
目標とするならはっきりと言うべきではないですか?
献金に金額指定があるのがおかしいのではないのですか?
はたして責任者が140円でOKするでしょうか?
試しにやってごらんなさい。
そして結果を皆さんにお知らせください。