
今日は4)に続き5)も消えないうちに

マタイの福音書26章3~5
Nr.4a . Rezitativ
Evangelist (福音史家)
Da versammleten sich die Hohenprister und Schriftgelehrten und die Ältesten im Volk in den Palast des Hohenpriesters, der da hieß Kaiphas,und hielten Rat, wie sie Jesum mit Listen griffen und töteten. Sie sprachen aber
(Then the chief priests and scribes and the elders of the people gathered in the palace of the high priest , whose name was Caiaphas. And they held a council about him to death. Then they said: )
その頃、祭司長、学者や長老たちはカイファという大祭司の官邸に集まり、イエスを罠に陥れ殺ろす策略を相談していた。しかし彼らはこういった。
Nr. 4b: Chor (Chorus)コーラス
Ja nicht auf das Fest, auf daß nicht ein Aufruhr werde im Volk. (Definitely not during the Feast, lest there be a riot among thr people. )
「祭りの間はやめておこう。民衆の中に暴動が起きるといけない。」
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福音史家に応えて、合唱がユダヤ教の祭司、学者、長老の悪だくみの様子を再現します。
こういう陰謀、策略は、いつの時代も変わらないですね。(過ぎ越しの期間には、人口3万人のエルサレムに10万人の巡礼者が犠牲の羊を屠るために羊を連れて集まったそうで、ごった返していました。)
バッハは祭司長や長老、学者たちの邪悪なエネルギーが渦巻く様を二つの合唱を使って描きます。彼らの頑なな意思が連打される音符で表現され、暴動というAufruhr (riot) という言葉は旋回する様な音型で描かれます。
ここで重要なことは ユダヤ教の祭司長、学者、長老、民衆を 二つのコーラスが演じる曲が10曲あるのですが、バッハがその配置を下記の様に左右対称に配置したことです。(#が曲の番号。 1~10は 製本するなら、こう対称して製本するという目安です) 何のために??
中心には、49番のトラヴェルソ・ソロとソプラノアリア「Aus Liebe」(愛より)が置かれています。
これは冒頭の曲での問い「どうしてイエスは自ら十字架での死を受け入れたのか」に対する答えであり、キリスト教神学の中心だからに他なりません。
その中心に向かってこれらの弾劾や批難 嘲りが迫って来ますが、その喧噪の中 その答えが天から真っすぐ縦に貫かれています。絵画的ですね。
1 #4b 民衆の中に暴動が起こっては --- 人々を欺くことに #66b 10
2 #36b 神の子なのか? --- 彼は神の子だと言っている #58d 9
3 #36d 誰が殴ったか言い当ててみよ --- 神殿の予言(自分を救ってみよ)#58b 8
4 #41b これは血の代金 --- その血の責任は我々と子孫にある#50d 7
5 #45b 彼を十字架につけよ --- 十字架につけよ #50b 6
「#49 愛から」
バッハは耳で聞く音楽も、目で見る楽譜においても十字架を具現化(聴き手の想像力の中で実現する3D)しようとしたのではないでしょうか。目で見る楽譜を神に捧げるというのは、中世以来の伝統でもありました。一筆一筆 神に対する渾身の捧げものを作り続ける様子が見えて来ます。
(バッハの書く音譜は、しっかりとした筆圧でしかも優雅に、細かく、注意深く丹念に書かれています。)
8:50から4曲目です。