バロックヴァイオリン 佐藤 泉  Izumi SATO

「コンサート情報」や「日々の気づき」などをメモしています。

It is not Japan ~♪

2016年03月30日 | Save La Petite Bande
続きです。

3月20日はベルギー・ ルーヴァン(本拠地)の教会でのコンサートでした。

プロジェクト最後の日でもあり、マネージャーのGeert (ヘルト)から 「絶対にアムステルダムのホテルを8:30きっかりに出発するから、くれぐれもそのつもりで!」と念を押されていた私たちは、ロビーに全員集合。

日本人の私は、ついつい 8:10にロビーへ降りたので一番乗り。
しかし、待てど暮らせどバスは来ず、またもや皆が 口々に「日本じゃないからね~♪」と言いに来てくれること40分。
写真は新鮮な空気を求めて皆 ホテル前に出ちゃったところ。


するとバスは何と誰も待っていないホテルの裏へ到着。
(つまり私は一時間立っていたことになる。) 

”これって普通なの?” と つい聞いたら、「うん!」 と答えてしまったチェロ奏者。
彼女と友人から、「普通じゃないだろう!」と突っ込まれていました。
「ま、よくある」の間違いだったらしい。


日本だったら大変なことになると思うのに、誰も文句も言わず、平然とバスへ。
もちろん運転手も謝まったりしない。楽しげにバスの中で、最長90分もオルガン奏者と議論し続けるシギスヴァルト。


その後も 席を順番にずらして、それぞれとおしゃべり。
よく 「疲れた・・・」とはいうのですが、どう考えてもバスで眠っているのを見たことがないし、一日も完全なオフなど
ない様子。。。

2時間15分後 なぜか予定通りにルーヴァンに着いたバス。
なぜだかよく分からない・・・


ルーヴァンの教会に着いたら、ミサの途中で13:30まで 待ち時間。
開演は15:00
ゆっくり食事して休憩して、待っているところです。

小型チェロを ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラの様にして弾いてみるシギスヴァルト。
休憩中もこうして何か面白いことをしていて、ぼーっとしていることがない。
調整出来ている楽器とは思えないけれど、シギスの音がする。

続く

Life goes on !

2016年03月28日 | 日記
ご無沙汰しています。

マタイ公演の報告をさせて頂くつもりでしたが、22日ブリュッセルの空港に向かう直前に最寄り駅で事故を知りました。そのまま友人宅に引き返し、ようやく昨日帰国致しました。
そのために、ご報告とバッハの贈呈本の送付が遅れています。何卒ご了承頂ければ幸いです。


同行していた姪が大学で習ったそうですが、こうした場合、”正常性バイアス”とやらが働くので、人間大したことないと思おうとするのだそうです。ニュースを見るまでは、半信半疑で、先ずは体力、、と食事までしましたが、しかしその後ニュースを見て本当に言葉がありません。

ただ、首相が外出を控える様にとテレビで訴えても、誰もそんなことは聞いておらず、普通に市民が街中に行き交い、「Life goes on ! Life has to go on !だからな!」
と言うことで、パーティーまでして私と姪を励ましてくれました。
お店は満員で、皆今後の世界が益々混乱することを知っていながら、いつもどおりに行動していて、それがかえって余計に痛みを感じることにもなりました。

プティットバンドの報告です。

今回15カ国籍の演奏家が集っていたラ・プティット・バンドのマタイ受難曲公演でしたが、
私を除いて他のメンバーは、3月21日のフライトでそれぞれ自宅に戻っていたのが幸いでした。

その15カ国とは ベルギー、フランス、イタリア、スイス、ドイツ、メキシコ、ハンガリー、フィンランド、アメリカ、オーストリア、オランダ、スペイン、イスラエル、スエーデン と日本。

しかし リハーサル第一日目シギスヴァルトは「今回は皆フランス語話すメンバーだね!」と言ってリハーサルが始まりました。
とはいえ、ちらほら 理解してなさそうなメンバーもいるので、右を向いてはフランス語、左を向いてはオランダ語やイタリア語、英語に切り替え、まるで呼吸の様に対応するシギスヴァルトの語学力にも 改めて心底感心しました。
そしてどんな文化的背景の違いがあっても、バッハのもとに一つになれる音楽の素晴らしさもまた実感したのでした。

メンバーも何よりもまずは演奏を楽しんでいるのが、伝わって来ます。
日本では、まず迷惑かけないように・・・が先に立つので、見習いたいと思った一面でした。


遅くなりましたが一連の公演写真をぼつぼつご紹介して行きます。

まずは19日のアムステルダム公演について。
言わずと知れた名高いホール。期待を胸に到着・・・のはずが、

まずはバスでベルギーから アムスのホテルに到着すると、チェックイン可能な部屋がほとんどなく、皆40分以上ロビーやレストランで待機。
ほぼ全員が私に対して 口々に 「ここは日本じゃないからね~♪」とのこと。
皆文句も言わず それぞれ有意義に過ごしておられました。(慣れているからかもしれないが、偉い@)
チェックインは遅れましたが、そのホテルは色々な心使いが豊富な素晴らしいところで、快適な滞在となりました。

かの有名なコンセルトヘボーにバスが到着したのが17:00 (開演は19:30。。。)
するとホール内は掃除とセッティングの真っ最中で、オルガン奏者自らが必死でその中で調律し、リハーサルを簡単に終えたのが、19:10!
開演までのたったの20分で食事(しかも日本の様に用意されていないので、楽屋内の食堂でそれぞれ購入している・・・)と着替えを済ませるメンバーも少数いました。

こうなると、やはり 演奏中に あちこちで、”あれ? おかしいな? え?? ”というハプニングがあるものです。
とはいえ、全体には無事演奏し、聴衆の方々はスタンディングオーベーションで迎えて下さいました。
でも、あの日本での様な深い反応は感じられませんでした。


つくづく実感したのは、日本ではホテルも主催ホールも、楽器運搬や字幕調整や舞台設定の方がた、交通機関、
そしてお客様、すべての関係者が万全の用意をしてお迎え下さったので、あの演奏が可能だったのだという事実です。 

楽屋でもあちこちから、「日本では、こうだった。ああだった・・・・」といかに対応が素晴らしかったか、話しているのが遠くからも聞こえました。
本当に改めて日本全体に 皆が感謝した公演となりました。

プティットへの寄付も、アムス公演ではゼロだったとか。
これまた驚いたことでした。

しかし、コンセルトヘボウ ホールの美しいこと。。。

なのに何故 ステージへの階段が客席の最前列にあり、
全員その急な階段を登って行かなければいけないのかは、到底理解出来ませんでした。
楽器を片手に 長いドレスの裾を踏み踏み、冷や汗もので登る私が失笑を買ったのは、当然のことでした。

続く


マタイ受難曲公演 ご来聴ありがとうございました

2016年03月11日 | Save La Petite Bande


3月5・6・8日のコンサートご来聴ありがとうございました!

バッハのマタイ受難曲でしか起きないと言っても過言ではない、
聴衆の方々の感動がこちらにも伝わり、演奏後 舞台袖のスタッフも演奏家も、泣くのを我慢した表情で、皆静かに深くその感動を共有させて頂きました。

誰の目にも見えないのに、そのエネルギーの大きく暖かかったこと。驚きました。整えられた音楽が響くときそこに神が臨在する」という言葉を読んだことがありますが、まさにミューズも神も、バッハも我々とともに留まって下さった・・・”ような空気でした。

リハーサルの時、シギスヴァルトがその著作にあるとおりに  リハーサルを行ったのですが、他のどのアンサンブルでもそれとは反対の要求がされることが多いので、実は私は半信半疑でした。

しかしその結果、その場にいた誰もが共有した事実を振り返るとき、シギスヴァルトの見識は真実だったのだと確信したのでした。本人にそう言うと、”今頃分かったのか?! ”というような苦笑いをされました。(不甲斐ない弟子ですみません‘‘‘)

300ページにも及ぶ「バッハよ、我らのもとにとどまりたまえ」から、一部を転載することのリスクは承知の上で、ここにその部分をお読み頂きたいと思います。他にももっと適した場所があるのですが、とても長くなるので。。。

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バッハのヴァイオリン作品 ・・・中略 ・・・・バッハがヴァイオリンを通常とは異なる方法で用いることがとても多いことにはすぐに気づく。

同時にバッハがこの楽器の可能性を完璧に調査したこともはっきりと分かる。
バッハのもとでは、音楽の内容が何より優先であり、ヴァイオリンはその内容を表現し、供給する道具でしかない。

そのため、演奏家として自分が表に立つことに慣れているヴァイオリニストや、そのような視線の中で教育されてきたヴァイオリニストは、バッハに居心地の悪さを感じることがとても多い。そして彼らは別のレパートリーへと向かうことを好む。中略・・・・・

 私はここで、ヴァイオリン教育が今もなお、演奏する内容にはほとんど構わず、ヴァイオリニストが自分を輝かせる義務があるということにこだわりすぎている、ということを指摘しないわけにいかない。

ヴァイオリニストの野心的なエゴに当てこみ、コンサートの聴衆の大多数の趣味にも応えている、それはたしかだが、

ヴァイオリニストが自身のエゴをとりわけ際立たせる代わりに、一つの楽曲の内容を、技術と信念と趣味をもって表現する時、
この聴衆がやはり感動するのだということ、それももっと深く感動するのだということを、私は断言したい。

もちろんこれは音楽のタイプによる部分が大きい。控え目であることが、精彩のない、色あせた演奏につながることがあってはならないのは当然だ。
快活さが必要な時には、それも表現できなくてはならない! 
しかしきらきらと輝く音楽は、気取った誇張がなくとも、効果的で生き生きと、魅惑的なものになりうる。**********

写真は日本公演のリハーサルの様子です。

それからオルガンを提供して下さった梅岡さんのブログにも「こんなマタイ見たことがない・・」と書かれていました。