goo blog サービス終了のお知らせ 

バロックヴァイオリン 佐藤 泉  Izumi SATO

「コンサート情報」や「日々の気づき」などをメモしています。

2回目のマタイ受難曲 24)

2020年08月09日 | Save La Petite Bande

かなり暑くなりました。いかがお過ごしでしょうか?

ペトロに続いてユダのその後が描かれます。

Nr.41a: Rezitativ 22:46からです。
Evangelist:

Des Morgens aber hielten alle Hohepriester und die Ältesten des Volks einen Rat über Jesum,daß sie ihn töteten. Und bunden ihn,führeten ihn hin und überantworteten ihn dem Landpfleger Pontio Pilato. Da das sahe Judas,der ihn verraten hatte, daß er verdammt war zum Tode,gereuete es ihn,und brachte herwieder die dreßig Silberlinge den Hohenpriestern und Ältesten sprach
:

(In the morning,all the chief priests and elders of the people met to deliberate about Jesus,in order to put him to death. They bound him,led him off,and handed him over to the governor,Pontius Plate. When Judas,who had betrayed him,saw that he was condemned to death,he felt remorse, and brought back the thirty silver coins to the chief priests and elders,and said: )

夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスをどのようにして殺そうか協議した。そして、彼を縛り引いてゆき、総督ポンティオ・ピラトに引き渡した。

イエスを裏切ったユダは、イエスに死罪が下されたのを見て後悔し、銀貨30枚を祭司長と長老に返そうとして言った。

Judas:
Ich habe übel getan,daß ich unschuldig Blut verraten habe, (I have done evil, for I have betrayed innocent blood.)
ユダ:私は罪を犯しました。無実の人の血を売り渡したのです。

Evangelist:
Sie sprachen: (They said:) 彼らは言った。

Nr.41 : Chor
Was gehet uns das an ? Da siehe du zu ! (What's that to us ? That's your problem! )
我らの知ったことではない。自分で始末するが良い。

Nr.41c : Reyitativ, Duett:
Evangelist :
Und er warf die Silberlinge in den Templ, hub sich davon,ging hin und erhängete sich selbst, Aber die Hohenpriester nahmen die Silberlinge und sprachen: (And he threw the silver coins into the Tempe, departed ,went away and hanged himself, But the chief priests took the silver coins and said:)

そこでユダは、銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、自分で首を吊って死んだ。しかし、祭司長たちは銀貨を拾い上げて言った。

Hohenpriester:
Es taugt nicht,saß wir sie in den Gotteskasten legen,denn ist Blutgeld. (It is not proper for us to put them into the Temple treasury,for this is blood money.)
これは、血の代金だから、神殿で浄財に加える訳にはいかない。

Nr.42 : Arie (Baß)

Gebt mir meinen Jesum wieder! (Give me back my Jesus!) 私のイエスを返せ!

Seht,das Geld,den Mörderlohn,(See ,the lost son throws)見よ、この金、人殺しの報酬を
Wirft euch der verlorne Sohn (the money ,the payment for murder,) 放蕩息子が投げ出したのだ、
Zu den Füßen nieder! (down at your feet! )あなた方の足もとに

Gebt mir meinen Jesum wieder! (Give me back my Jesus!) 私のイエスを返せ!


**************************
ユダは恐らく凍りつくほど後悔していた。

ある日本人の牧師先生が仰るには「ユダは許しを請う相手を間違えた」
ユダはイエスを殺そうと画策する人たちに、「自分が間違っていた、、」と告白しお金を返した。もし、イエスに対して悔い改めると言っていたら・・・ なるほど@の想像です。

さてバッハとピカンダーは どう捉えていたのでしょうか。

42番アリアで ユダを ”放蕩息子”(ルカの福音書15章11~32 下段参照)と例えた歌詞には、バッハとピカンダーの強い意思を感じます。

当時は公式にこの考えを表明することは、大変な批判に曝されたのではないでしょうか。 当時も今も ユダの復権など全く認められないという説も数多い。(人が自分がまさに創造主であるかの如く 他人を裁く光景はもう見飽きるほど毎日繰り広げられています。面白いのは、自分のことはすっかり棚に上げていることです

それに対して”放蕩息子” にユダを例えたバッハとピカンダーは「悲惨の中から、真の信仰を知り、悔いて神に迎えられる人」という意味をそこに込めた。それは二人の確固たる主張ではないでしょうか。

放蕩息子の話はこちら(ルカの福音書15章11~32)
 イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟のほうが父親に、『お父さん、私に財産の分け前をください』と言った。それで、父親は二人に身代を分けてやった。

何日もたたないうちに、弟は何もかもまとめて遠い国に旅立ち、そこで身を持ち崩して財産を無駄遣いしてしまった。

何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
それで、その地方に住む裕福な人のところへ身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、食べ物をくれる人は誰もいなかった。

そこで、彼は我に返って言った。『父のところには、あんなに大勢の雇い人がいて、有り余るほどのパンがあるのに、私はここで飢え死にしそうだ。
ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』
そこで、彼はそこをたち、父親のもとに行った。

ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
しかし、父親は僕たちに言った。『急いで、いちばん良い衣を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足には履物を履かせなさい。
それから、肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。
この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。

ところで、兄のほうは畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りの音が聞こえてきた。
そこで、僕の一人を呼んで、これは一体何事かと尋ねた。
僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
しかし、兄は父親に言った。『このとおり、私は何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、私が友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身代を食い潰して帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
すると、父親は言った。『子よ、お前はいつも私と一緒にいる。私のものは全部お前のものだ。
だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。喜び祝うのは当然ではないか。』」


これは現代でも議論になるかと思います。この兄に賛成の人も、弟に自分を投影する人も多い。
しかし、このたとえ話の主人公は 実は父親(神)なのだということをH,ナウエンから教わりました。そこから、我々はどんな存在なのか、、、が浮かび上がって来ます。

バッハは18世紀にすでに透徹した視点でそれを見つめていた。父の意思は何なのか、バッハが突き詰めて考え抜いていたことは、多くの作品が物語っています。

ペテロ、ユダも他の弟子達も、その12人それぞれの性格が 実は一人の人間の中に存在するのではないか!?

少しづつその割合が人によって違うだけで、ペテロの否認もユダの凍る後悔も 我々の中にあるではないか?


2回目のマタイ受難曲 23)

2020年08月04日 | Save La Petite Bande


10月28日のバッハからのメッセージNo.16  神戸公演が完売との噂が出ているそうですが、嘘です 予約受付中です 

シギスヴァルトのヴィザが下りた時点でチケットの発券をと思っています。申請は進んでいるようですが、日本とベルギーの第2波もあり、案じています。

Nr.38a: Rezitativ 13:38からです 

Evangelist:
Petrus aber saß draußen im Palast; und es trat zu ihm eine Magd und sprach: (Peter, however,was sitting outside within the palace area. And a maidservant came up to him and said:)
ペトロは外の中庭に座っていた。すると、一人の召使の女が近寄って来て言った、

1. Magd: (First Maidservant)
Und du warest auch mit dem Jesu aus Galiläa. (You also were with that Jesus from Galilee. )
「あなたもガリラヤ人のイエスと一緒に居ましたね」

Evangelist:
Er leugnete aber vor ihnen allen und sprach: (But he denied it in front of them all,and said:)
ペテロは皆の前でそれを打ち消して言った、

Petrus:
Ich weiß nicht ,was du sagest. (I don´t know what you are talking about)
「何をいっているのか、私には分からない」

Evangelist:
Als er aber zur Tür hinausging,sahe ihn eine andere und sprach zu denen,die da waren: (But as he was leaving by the door,another woman saw him,and said to those who were there:)
しかし、彼が門の方に進んでいくと、他の召使の女がペテロを見て、そこにいる人に言った、

2.Magd: (Second Maidservant:)
Dieser war auch mit dem Jesu von Nazareth. (This one also was that Jesus of Nazareth.)
「この人はナザレの人、イエスと一緒にいました。」

Evangelis
Und er leugnete abermal und schwur dazu: (And he denied it again, and also swore an oath:)
ペテロは再び否定して誓って言った。

Petrus:
Ich kenne des Menschen nicht. (I do not know the man!)
「そんな人は知らない。」

Evangelist:
Und über iene kleine Weile traten hinzu,die da stunden,und sprachen zu Petro: (And after a little while the bystanders came up and said to Peter:)
しばらくして、そこに居合わせた人々が近寄ってきて、ペトロに言った、

Nr.38b:Chor
Wahrlich ,du bist aoch einer von denen:denn deine Sprache verrät dich. (Certainly you ,too, are one of those,for the way you speak betrays you.)
「確かに、お前も彼等の仲間だ。言葉の訛りで分かる。」

Nr.38c: Rezitativ
Evangelist:
Da hub er an,sich zu verfluchen und zu schwören: (Then he began to call curses upon himself and to swear:)
その時、ペトロは呪い、近いながら言った。

Petrus:
Ich kenne des Menschen nicht. (I do not know the man!)
「そんな人は知らない。」

Evangelist:
Und alsbald krähete der Hahn. Da dachte Petrus an die Worte Jesu,da er zu ihm sagte: Ehe der Hahn krähen wird,wirst du mich dreimal verleugnen. Und ging heraus und weinete bitterlich. (And at once the rooster crowed. Then Peter remembered Jesus`words,when he said to him: " Before the rooster crows,you will deny me three times." And he went out, and wept bitterly.)
するとすぐに、鶏が鳴いた。ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言う」というイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。

Nr.39: Arie (Alt)

Erbame dich, (Have mercy,)
憐れみたまえ、我が神よ

Mein Gott, um meiner Zähren willen! (O my God,for the sake of my tears!)
Schue hier, (Look here,) 
Bitterlich. (bitterly.) 
我が涙のゆえに どうかご覧ください、心と目があなたの御前に激しく泣いているのです。

Erbame dich, (Have mercy,) Erbame dich, (Have mercy,)
憐れみたまえ、憐れみたまえ


Nr.40: Choral
Bin ich gleich von dir gewichen, (Even though I have strayed from you.)
たとえ あなたから離れても、

Steil ich mich doch wieder ein; (yet I am returning,)
私は再び戻って来ます。

Hat uns doch dein Sohn verglichen (for your Son has reconciled us)
あなたの御子は、私たちを和解させてくださいました。

Durch sein Angst und Todespein, (bz his angish and pains of death,)
その悩みと死の苦痛によって。

Ich verleugne nicht die Schuld; (I do not deny the guilt;)
私は自分の咎を拒みません。

Aber deine Gnand und Huld (but your mercy and grace)
しかし、あなたの恵みと慈しみは、

Ist viel größer als die Sünde, (is much greater then the sin)
罪よりも遥かに大いなるものです。

Die ich stets in mir befinde. (which I constantly find in myself.)
我が身の内に絶えず見出す罪よりも。

************************

敬愛していたイエスを強く否認したペテロ。鶏の鳴き声と共にイエスの言葉(眼差し)を思い出し、激しく泣くペテロ。 自分の知らない自分と出会ってどれほど驚いたか。

日本では、踏み絵を突き付けられたキリシタンと重なります。
二十六聖人の様に、信仰を守り殉教した人は途轍もなく偉大です。 しかし私の様に意気地がなく、弱い人間は恐怖には勝てず、侍の刀の前では踏んでしまうのではないか、、と思います。まして、遠藤周作「沈黙」にある神父が言われたように、”踏まねば、信徒の拷問を更に残酷にする”と脅されれば、ひとたまりもありません。

しかしその時、最も崇高なもの、純粋で美しいもの、魂の糧を恐怖に負けて売り渡すことになる。 それが人間にとってどれほど悲しく、苦痛か、、自分は誰なのか、、自分の一生とはいったい何なのか・・・
 
そんなペテロの涙を(当時、血の涙を心が流すという表現がありました。)バッハはチェロのピッチカートが表現しています。そのコラールを模した音程も、ペテロの心中をそのまま音の動きに乗せたヴァイオリンソロも 歌も、全てのパートが 「憐れみたまえ」と 祈り歌う場面をバッハは書きました。これはバッハが全存在をかけて発信した音楽だと思います。

葡萄は潰されて発酵しないとワインにはならない。受難はない方が良いのだけれど、バッハも多くの受難を経験したからこそ、この作品を描けた。哀しみの杯が いつか喜びの杯に変わることをバッハは体験している。

ペテロはイエスの復活後、宣教で各地を回り、最後は殉教します。(マタイ受難曲は聖金曜日のミサの内容 イエスの死までを取り扱いますが、聖書はその後も続きます。使徒行伝や コリントの信徒への手紙などは、新約聖書の4福音書の後に記されています。)

弱かったペテロが、弟子たちが、どうしてそんなに強くなれたのか、何のために、何故変われたのか、、イエスが生きていた間の物語は伏線で、復活後にキリスト教のエッセンスがあると私は思います。

失敗なしには学べない。躓かずに痛みは分からない。弱いからこそ強い。

このペテロを初代教皇としてローマ カトリック教会は始まりました。
神の恵みを源泉として。 今でも弱い人間の集まりは、躓いてばかりかもしれませんが・・・




2回目のマタイ受難曲 22) 加筆しました。

2020年07月27日 | Save La Petite Bande


36a: Rezitativ 10:54からです 
Evanglist;

Und der Hohepriester antwortete und sprach zu ihm: (And the high priest responded ,and said to him:)
大祭司は(沈黙)に
Hohepriester:答えて言った。

Ich beschwöre dich bei dem lebendigen Gott , daß du uns sagest, ob du seiest Christus, der Sohn Gottes ? (I adjure you by the living God, that you tell us whether you are the Messiah, the Son of God.)
生ける神にかけて命ずる。答えよ、おまえは神の子キリストなのか?

Evangelist:
Jesus sprach zu ihm: (Jesus said to him)
イエスは彼に言われた。

Jesus:
Du sagests.Doch sage ich euch: Von nun an wirds geschehen,daß ihr sehen werdet des Menchen Sohn sitzen zur Rechten der Kraft und kommen in den Wolken des Himmels.(you are saying it. But I say to you: Henceforth it will come to pass that you will see the Son of Man seated at the right hand of Power,and coming in the clouds of heaven.)
あなたの言う通りである。しかし、私はあなたがたに言っておく。あなたがたは見るであろう、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗ってくるのを。

Evangelist:
Da zerriß der Hohepriester seine Kleider und sprach: (Then the high priest tore his clothing, and said:)
そこで大祭司は服を引き裂いて言った。

Hohepriester :
Er hat Gott gelästert: was dürfen wir weiter Zeugnis? Siehe,itzt habt ihr seine Gotteslästerung gehöret.Was dünket euch ? (He has blasphemed God! What need do we have of further testimony? See ,now you have heard his blasphemy . What do you think?)
彼は神を冒涜した。これでもまだ承認が必要であろうか。見よ、諸君は今神の冒涜の言葉を聞いた。どう思うか。

Nr.36b: Chor
Es ist des Todes schuldig! (He deserves death! ) 彼は死罪だ!

Nr.36c:Rezitative
Evengelist:
Da spieten sie ans in sein Angesicht und schlugen ihn mit Fäusten. Etliche aber schlungen ihn ins Angesicht und sprachen; (Then they spat in his face,and hit him with their fists. Several of them,however,hit him in the face.and said:)

そして彼らは、イエスの顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴った。幾人かは顔を投げつけ、言った。

Nr.36d: Chor
Weissage uns,Christe, wer ists,der dich schlug? (Prophesy for us,Messiah;who is it that hit you?)
言い当ててみよ、キリストよ、誰が殴ったか?

Nr.37:
Wer hat dich so geschlagen(Who has struck you like this,)
誰がかくも打ち据えるのですか?
Mein Heil,und dich mit Plagen (my Salvation,and treated you)
我が主よ、あなたに苦痛を与え
So übel zugericht? (so evilly with torments?)
かくもひどい目にあわせるのは、一体誰なのですか?
Du bist ja nicht ein Sünder (After all,you are not a sinner,)
あなたは、確かに罪人ではありません。
Wie wir und unser Kinder; (as we are and our children;)
私や子供たちと違って。
Von Missetaten weißt du nicht.(of wrongdoing you know nothing)
悪事は一切ご存じないのです。

*****************************************************

キリストに対する人々の態度、何千年かかってもちっとも変っていないじゃないか・・・とお思いかもしれません。本当に人間の弱さは変わらない。

自分の見たいもの、自分の範疇で理解出来るものを信じたいという気持ち。今までの自分の経験を法則にして、清く高く深く温かい世界をまだ知らない人間。

感性で見れば気が付く、魂や人生の尊さを舐め切った人間の姿。彼らに言葉が通じていない状態が続いています。

真理への呼びかけは続く。本人の自由意志によって変わるまで待つ、神の忍耐は底知れない。




2回目のマタイ受難曲 21)

2020年07月20日 | Save La Petite Bande


蝉が鳴き始めました。梅雨がなかなか明けないので、梅雨の晴れ間は大いに助かります。

色々あって随分間が空いてしまいましたが、ようやくマタイに戻れます。

Nr.33: Retitativ, Duett  5:14からです。 
Evangelist:

und wiewohl viel falsche Zeugen herzutraten, finden sie doch keins. Zuletzt traten herzu zween falsche Zeugen und sprachen : (And although many false witnesses came forward, they still did not find anything. At last,two false witnesses came forward and said:)
そこで多くの偽証人が進み出たにも関わらず、何も証拠は見つからなかった。最後に、二人の偽証人が出て来て言った。

Zeugen:
hat gesagt: Ich kann den Tempel Gottes abbrechen und in dreien Tagen denselben bauen. (Witnesses: He said " I can teat down the Temple of God and build it again in three days!)
この男は「わたしは神殿を打ち壊し、三日のうちにそれを建て直すことが出来る」と言いました。

Evangelist:
Und der Hohepriester stund auf und sprach zu ihm: (And the high priest stood up and said to him:)
大祭司は立ち上がってイエスに言った。

Hohepriester:(大祭司)
Antwortest du michts zu dem, das diese wider dich zeugen? (High Priest: Do you answer nothing to what these people are testifying against you?)

「何も答えないのか、これらの者たちがお前に不利な証言を申し立てているが、どうなのか?」

Evangeist:
Aber Jesus schwieg stille. (But Jesus kept silent.)
しかし、イエスは沈黙を守られた。

Nr.34: Rezitativ (Tenor)
Mein Jesus schweigt (My Jesus keeps silent )
わがイエスは沈黙されたもう。
Zu falschen Lügen stille, (at false lies,)
偽りの証言に対して、
Um uns damit zu zeigen, (in order to show us,by this,)
それによって我々に示したもう。
Daß sein Erbarmens voller Wille (that his merciful will is prepared)
彼の憐れみに満ちたすべての御心は
Vor uns zum Leiden sei geneigt, (to suffer for us.)
私たちのために、苦しみを受け入れようとされていることを。
Und daß wir in derglechen Pein (And also we, when in similar pain,)
そして我々が同じように苦痛を受ける時
Ihm sollen ähnlich sein (should be like him,)
主イエスと同じように 
Und in Verfolgung stille schweigen.(and keep silent in persecution.)
迫害においても静かに黙すべきことを

Nr.35: Arie (Tenor)

Geduld, (Patience,) 耐え忍ぶ

Wenn mich falsche Zugen stechen! (when false tongues pierce me!)
偽りの舌が私を刺すとき
Leid ich wider meine Schuld (If I suffer reviling and jeering) たとえ身に覚えなく
Schimpf und Spott, (contrary to my deserving,) 辱めと嘲りに苦しもうとも、
Ei,so mag der liebe Gott (ah! may our dear God then avenge) よし、その時に愛する神は
Meines Herzens Unschuld rächen. (the innocence of my heart.) 私の心の無実に報いてくださるのだ。(仇を討って下さるだろう)
********************************

Nr.33

過越し祭の夜、捕らえられたばかりのイエスを死刑にするために裁判を急ぐ。この不自然さと ここで出てくる二人の偽証人の音楽は一致している様に思う。

二人はまず カノンで「神殿を3日で建てると言った」と歌うが、苦しい口裏合わせをしているような効果が出ている。[建てる bauen] では、歌とチェロのジグザクの音型が建設工事の様子?または偽証の際の頑なさや悪だくみを思わせる。

最後に通奏低音が どや顔で終わるのは、”言ってやった!” という表情にも見える。こうした偽証がはびこるのはいつの世も一緒。頻繁に見かける顔だ。実はびくびくしているから、大げさに言い切るのかもしれないが。

面白いのは、その際本人は嘘がバレないと思い、「隠れたるは現れる」ことを忘れているところである。
(誰しも嘘をついたことがあり、その心理に覚えがあるからこそ、直観的に相手のウソは分かり、相手の信頼よりも、嘘を取った相手に悲しい恥ずかしい思いをするのだが・・・)

偽証に対してイエスは沈黙を守る。
ここゆえに ”教会がこれを手本とし信者に「泣き寝入りの忍耐」を強いて来た” とか、逆に”信者の手本だ”とされる専門書もあるが、

「沈黙」には濃厚な意味がある、と私は思う。
だから言葉を超える雄弁な沈黙にあうと 一瞬宇宙と繋がっている様に感じる。

34番では、イエスの沈黙をガンバ・ソロが表現している。ガンバ分散和音♪の直後の 毎回現れる8分休符は、沈黙を表しているという。
余談だが、シギスは昔から「休符も演奏しなさい」と言っていた。ここもその様に演奏されるのだと思う。

このガンバの分散和音が全部で39個。 これが旧約聖書の詩篇39を差すとスメントが書いている。

詩篇39
「私の道を守ろう、舌で過ちを犯さぬように。
神に逆らうものが目の前にいる。私の口にくつわをはめておこう。
私は口を閉ざして沈黙し、あまりに黙していたので苦しみがつのり、心は内に熱し、呻いて火と燃えた。
私は黙し、口を開きません。
あなた(神)が計らって下さるでしょう」


バッハとテキストを書いたピカンダーが沈黙の意味をこう解釈した?と思える箇所である。
こうした詩篇や数象徴との一致を考えすぎだという意見も多いし、実際無理のある解説も多い。しかし、毎日毎日生涯一日も欠かすことなく礼拝で詩篇を唱えていたバッハが、無関係にミサ曲を作曲するとも思えないのである。


35番 Geduld (忍耐)のアリア。

全曲中このアリアだけが、通奏低音のみに支えられている。他の美しい楽器のオブリガート・ソロがここにはない。それもこの苦しい場面の意味を伝えてくれる。

ガンバのスラーは ”くつわ”の象徴であるとも言われる。付点音符の刺すような音型は、「Schimpt 辱め」「Spott 嘲り」「rächen 仇を討つ」といった言葉を強調することから来るそうだが、

沈黙を守っているイエスの胸中をバッハが思う時、イエスも我々と同じように偽証や嘲りが心に刺さり、怒りも傷みもあったことを この刺すようなリ付点ズムで、

また スラーで口を結ぶ様子が 耐え忍ぶことを 表したのではないか。


***身に覚えのない偽証が我々を刺す時、その時は神が仇を討って下さる、、、***

「怒りは神の権限である」という考えは、実は弱い人間を守ることにもなる。
偽証にはっきり反論する・・・のも大切な時があるが、民主国家でなければ、それは死に繋がるし、民主国家でも自分の怒りが自分も攻撃するので、実際は巧みに足を捕られてストレスで病気になったりする。怒りはあちこち焼き尽くすのだ。

また「神は滅びた方が良いほどの悪人には、正気を失わせる」とも聞く。

しかし、そうなる前に早く気が付いて欲しいと 誰よりも強く、無尽蔵の愛情で切望されるのが神である。

だとすれば、イエスは偽証している人たちのことも、他の全ての人のことも心配しているに違いない。








2回目のマタイ受難曲 20)

2020年07月06日 | Save La Petite Bande
昨年の豪雨被害の傷も癒えぬまま、先日は熊本で、今は長崎、福岡、佐賀で豪雨の真っ最中。先日の香港問題に続き何という受難。何とかご無事で。

続けます。

Nr.31: Rezitativ 3:35から。

Evangelist:
Die aber jesum gegriffen hatten ,führeten ihn zu dem Hohenpriester Kaiphas, dahin die Schriftgelerten und Ältesten sich versammlet hatten. Petrus aber folgete ihm nach von ferne bis in den Palast des Hohenpriesters und ging hinein und satzte sich bei die Knechte,auf daß er sähe,woes hinaus wollte. Die Hohenpriester aber und Älten und der ganze Rat suchten falsche Zeugnis widerJesum,auf daß sie ihn töteten,und funden keines.

(But those who had arrested Jesus led him to the high priest Caiaphas,where the scribes and elders had assembled. Now Peter followed him at a distance,up to the palace of the high priest;and he went in,and sat down with the servants,so that he might see how matters would go.And the chief priests and elders,and the whole council,sought false testimony against Jesus, so that they could put him to death:and they found nothing. )

人々はイエスを捕らえて、大祭司カイファのもとに連れていった。そこには律法学者や長老たちが集まっていた。ペトロは遠く離れて、大祭司の屋敷の中庭までイエスの後を追い、事の成り行きを見届けるために中庭に入り、下役たちと一緒に座っていた。祭司長たちや最高峰院全体は、イエスを処刑に処するために、イエスに不利な証言を求めた。多くの偽証が出たにも関わらず、何も証拠は見つからなかった。



Nr.32: Choral

Mir hat die Welt trüglich gericht, (With lies and false allegations,)
世は私に欺きを仕掛けた。
Mit Lügen und mit falschem Gdicht, (the world has deceitfully set)
嘘と偽りの作り話によって
Viel Netz und heimlich Strikke. (many nets and hidden snares for me.)
多くの網と隠された罠によって
Herr, nimm mein wahr in diser Grahr, (Lord, be aware of me in this danger,)
主よ、この危機にあっても私を顧み
Bhüt mich für falschen Tükken! (protect me against false malice !)
偽りの企みから私を護って下さい。


*******************

イエスが捕らえられ 引き渡されたこの第2部から 本当の受難が始まる。

”ナウエンと読む福音書” に 受難について書かれてあったのでご紹介したい。

H.ナウエン:(1932~1996)オランダ生まれのカトリック司祭。イエール大学、ハーバード大学、で教えた。その授業は教室に溢れるほどの学生を集め、涙を流しながら聴き入る学生も多く、ハーバードではめったにみない光景であったという。しかし、その最高学府の激しい競争社会をあとにし、名声を約束された地位を捨てる。亡くなるまでの10年間、カナダの知的ハンディを負った人と暮らす共同体「ラルシュ・コミニュティ」の牧者を務め、執筆と講演活動をした。晩年の代表作に、レンブラント絵画との出合いが書かせた「放蕩息子の帰郷=父の家に立ち返る物語」がある。

***********

 中略・・・・イエスがご自分の使命を、自分がなしたことによって ではなく、 自分になされたことによって成就なさったことに気づくことは、私にとって重要なことだった。他の誰もがそうであるように、私の人生の殆どの生活は 受難、つまり、物事が自分に対してなされたことによって決定づけられる。

そしてほとんどの生活は受難、私が何を考え、何を言い、何をするかで決定出来ることは、わずかしかない。私はこれに抵抗し、全ての行動が自分に端を発するものにしたいと願う。しかし私の人生は、自分のとる行動より はるかに大きな部分を受難が占めているのが真実である。

この事実を認めないことは、自分を欺くことであり、愛をもってそれを迎え入れないのは、自分を拒否することになる。

イエスが受難へと引き渡され、それを通して神から託された地上の務めが果たされたという知らせは、全体性の回復を一心に探求している世界にとって、良き知らせ(福音)である。

イエスがペテロに語った言葉で思い出すのは、もし私たちがイエスの生き方に従いたいなら、行動から受難への移行が必要になる、ということです。 

イエスはこう言われました。「あなたは、若い時は、自分で帯びを締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年を取ると、両手を伸ばして、他の人に帯をしめられ、行きたくないところへ連れて行かれる」(ヨハネ21・18)

私もまた、自分が「引き渡される」ことに任せねばなりません。そうしてこそ、私の召命がまっとうされるからです。

2回目のマタイ受難曲 19)

2020年07月04日 | Save La Petite Bande


お待たせしました。第2部開始します。

随分間が空いてしまった一番の理由は、ある一冊の本(既に絶版)の到着を待っていたからですが、漸く届きました。これで始められます♬ (この本を読むと第一部も書き直さなければ・・・と思うことが満載。時間が許せば後程訂正します。)

秋のマタイ受難曲公演、大阪は完売ですが、東京はまだ販売されていません。間際まで開演出来るかどうかベルギーと日本の状況次第ですが、「ゴールよりもそこへ至る過程の方が大事」 気にせず続けます。 

第二部
第一部の冒頭、新約聖書から取った 「教会の花婿」(イエスのこと)という表現から始まりました。第2部冒頭は旧約聖書の雅歌から取られた「恋人」という表現でイエスを表しています。

この両者を合わせた 極めて個人的でロマンティックですらあるほどのイエス観は、当時典型的なルター派の牧師と 正統ルター派の間に緊張感を生むものだったそうですが、

バッハとピカンダーがこのテキストにどのような意味を込めたのか・・・作業の様子が垣間見えます。ちなみにバッハは神学の造詣も深く、牧師の書いた歌詞を直してしまったりするほどで、当時の身分制度の中では相当波風が立ったと思われます。でも、誰のために、どっちを向いて作曲するのか、バッハは間違わなかった。だからこの受難曲が300年経っても世界中で響く

最後の行、アルト・ソロの問いに 応えは沈黙しています。「イエスはどこへ行ってしまったのか?」
一部冒頭「なぜイエスは自分から十字架刑を受け入れたのか?」「何のための忍耐なのか?」に続き、バッハは問いから始めます。全ての聴衆に対して・・・

Nr.30: Arie (Alt,Chor)
 (クリックで第二部冒頭へ)

Ach,nun ist mein Jesus hin! (Ah,now my Jesus is gone!)
ああ、私のイエスが行ってしまわれた!

Wo ist denn dein Freund hingegagen, (Where has our Beloved gone then,)
  あなたの恋人はいったいどこに行ってしまったのか、
O du Schönste unter den Weibern? (O you fairest among women?)
  おお、女たちのうちで、最も美しい者よ。


Ist es möglich , kann ich schauen? (Is it possible ,dare I look ?)
こんなことがありうるでしょうか、見届けられるでしょうか。

Wo hat sich dein Freund hingewandt ? (Which way has your Beloved turned?)あなたの恋人はどこに向かった?

Ach! mein Lamm in Tigerklauen, (Ah! my Lamb in tiger´s claws !)
ああ、私の子羊は虎の爪にかかってしまった!

Ach! wo ist mein Jesus hin? (Ah! where has my Jesus gone? )
ああ、私のイエスはどこへ行ってしまった?

So wollen wir mit dir ihn suchen. (So we wish to search for him with you.) それなら、あなたと一緒に探しましょう。

Ach! was soll ich der Seele sagen.(ah,what am I to tell the soul,)
ああ、魂に何と言ったらいいのだろう。

Wenn sie mich wird ängstlich fragen? (when it anxiously asks me?)
不安げにこう問われたら。

Ach! wo ist mein Jesus hin? (Ah, where has my Jesus gone?)
私のイエスはどこへ行ってしまった? と。


2回目のマタイ受難曲 18)

2020年05月29日 | Save La Petite Bande

緊急事態宣言が終わり、日常が戻りつつあります。

今日は少し長くなりますが一部の最後まで行きます。53:26から26番です。

Nr.26 : Rezitativ
Evangelist:

Und er kam und fand sie aber schlafend,und ihre Augen warenvoll Schlafs. Und er ließ sie und ging abermal hin und betete zum drittenmal und redete dieselbigen Worte. Da kam er zu seinen Jüngern und sprach zu ihnen;
(And he returned ,and again found them sleeping,and their eyes were full of sleep.And he prayed for the third time,and said the same words.Then he came to his disciples and said to them:)
再び戻ってご覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。そこで、彼らを離れもう一度向こうへ行って、3度目も同じ言葉で祈られた。それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。


Jesus:
Ach! wollt ihr nun schlafen und ruhen? Siehe,die Stunde ist hie,daß des Menschen Sohn in der Sünder Hände überantwartet wird. Stehet auf,lasset uns gehen;siehe,er ist da,der mich verrät.
(Ah,do you really want to sleep and rest now? Look! the hour is here when the Son of Man will be given over into the hands of sinner. Get up : let us go,Behold,the one who betrays me is here.)
ああ、あなたがたは今そんなに眠り休みたいというのか。
見よ。時は近づいた。人の子は罪人の手に引き渡される。起きなさい。行こう。見なさい、私を裏切る者が来た。

Evengelist:

Und als er noch redete,siehe ,da kam Judas,der Zwölfen einer,und mit ihm eine große Schar mit Schwerten und mit Stangen von den Hohenpriestern und Ältesten des Volks. Und der Verräter hatte ihnenein Zeichen gegeben und gesagt: " Welchen ich küssen werde,der ists,den greifet!" Und alsbald trat er zu Jesus und sprach:
(And while he was still speaking,behold,Judas,one of the Twelve,came and with him a great crowd from the chief priests and elders of the people,with swords and sticks. And the betrayer had given them a sign,saying: " The man whom I 'm going to kiss, that's the one ,seize him" And at once he went up to Jesus and said:)

イエスがまだ話しておられると、12人の弟子の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。イエスを裏切ろうとしていたユダは、「私が接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。ユダはすぐイエスに近寄り言った。

Judas:
Gegrüßet seist du ,Rabbi! (Greetings to you, Rabbi!)
ごきげんよう、先生!
Evangelist:
Und küssete ihn,Jesus aber sprach zu ihm: (and kissed him.But Jesus said to him:) と接吻した。しかしイエスは言った。
Jesus:
Mein Freund, warum bist du kommen? (My friend,why have you come? )
「友よ、なぜ来たのだ?」
Evangelist:
Da traten sie hinzu und legten die Hände an jesum und griffen ihn. (Then they approached, laid hands on Jesus,and arrested him.)
すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。

Nr27a: Arie (Sopran,Alt; Chor)

So ist mein jesus nun gefangen.(So my Jesus is now made captive.)
こうして、私のイエスは、今捕らわれた。
    Laßt ihn, haltet,bindet nicht! (Let him go! Stop! Do not bind him!) 放せ!止めろ!縛るな!

Mond und Licht (moon and light) 月も光も
Ist vor Schmerzen untergangen, (have set for sorrow,) 苦痛のあまり沈んだ。
Weil mein Jesus ist gefangen. (now that my Jesus is made captive.) 私のイエスが捕らわれたのだから。

      Laßt ihn, haltet,bindet nicht! (Let him go! Stop! Do not bind him!) 放せ! やめろ! 縛るな!

Sie führen ihn,er ist gebunden. (They lead him away;he is bound.) 彼らはイエスを曳いてゆきます。イエスは縄ににつけられて。

Nr.27b: Chor
Sind Blitze,sind Donner in Wolken verschwunden? (Have lightnings and thunders vanished into the clouds?)
稲妻よ、雷よ、雲の中に隠れてしまったのか。

Eröffine den feurigen Abground,o Hölle, (Open the fiery abyss, O Hell!) 奈落の炎よ、口を開け、大地獄よ!
Zertrümmre,(Crush,) 砕け、
verderbe,(destroy) 滅ぼせ、
verschlinge,(engulf) 呑み尽くせ
zerschelle(shatter) 踏み砕け
Mit plötzöicher Wut (with sudden fury) 噴出する怒りをもって
Den falschen Verräter,das mördrische Blut! (the false betrayer, that murderous blood!) あの腹黒い、裏切り者を、あの人殺しを!


Nr.28: Retitativ
Evangelist:
Und siehe, einer aus denen,die mit Jesu waren,rekkete die Hand aus,und schlug des Hohenpriesters Knecht und heib ihm ein Ohr ab. Da sprach Jesus zu ihm:
(And see, one of those who were with Jesus stretched out his hand,struck the servant of the high priest, and slashed off his ear. Then Jesus said to him: )
そして、見よ、イエスと一緒だった一人が、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。そこでイエスは言われた。

Jesus:
Stekke dein Schwert an seinen Ort; denn wer das Schwert nimmt,der soll durchs Schwert umkommen. Oder meinst du ,daß ich nicht könnte meinen Vater bitten,daß er mir zuschickte
mehr denn zwölf Legion Engel? Wie würde aber die Schrifterfüllet? Es muß also gehen.
(Put your sword in its place! For whoever takes the sword shall perish by the sword. Or do you think that I could not ask my father to send me more than twelve legions of angels? But then, how would the scripture be fulfilled? Therefore, it must happen this way. )
剣を鞘に納めなさい。剣を取るものは剣にて滅びる。あるいは、私が父に12軍団(1legion=5000名。12X5000=60000の兵力)以上の天使の軍勢を お願い出来ないとでも思うのか。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉が どうして実現されよう。

Evangelist:
Zu der Stund sprach Jesus zu den Scharen. (At that time Jesus spoke to the crowd:)
またその時、イエスは群衆に向かって言われた。

Jesus:
Ihr seid ausgegangen,als zu einem Mörder, mit Schwerten und mit Stangen,mich zu fahen:bin ich doch täglich bei euch gesessen und habe gelehret im Tempel, und ihr habt mich nicht gegriffen. Aber das ist alles geschehen, daß erfüllet würden die Schriften der Propheten.
(You have come out to capture me with swords and sticks,as if for a murderer. Yet I have sat daily among you, and have taught in the Temple ,and you did not seize me, But all this has happened so that the writing of the prophets would be fulfilled.)
あなた方は、まるで人殺しにでも向かうように、剣や棒を持って私を捕らえに来たのか。私は毎日あなたたちと共に座り、神殿で教えていたのに、あなたたちは私を捕らえなかった。この全てのことが起こったのは、預言者たちが書いたことが実現するためである。

Evangelist:
Da verließen ihn alle Jünger flohen. (At that moment all the disciples forsook him and fled.)
この時、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。

Nr.29_ Choral

O Mensh ,betwein dein Sünde groß, (O mankind, bewail your great sin,)
人よ、汝の大いなる罪を嘆き哀しめ。
Darum Christus seins Vaters Schoß (for which Christ came forth)
それゆえにキリストは
Äußert und kam auf Erden; (from his Father's bosom,and came to earth.)
父の懐から出て、地上へと下りたまいて
Van einer Jungfrau rein und zart (Of a virgin gentle and pure)
清く優しい一人の乙女から
Für uns er hie geboren ward, (he was born here for us;)
彼は私たちのために、お生まれになった。
Er wollt der Mitler werden. (he desired to become our Mediator.)
彼は人と神の調停者になろうとして
Den Toten er das Leben gab (To the dead he gave life.)
死者に命を与え、
Und legt darbei all Krankheit ab,(and thereby did away with all disease,)
全ての病を癒された。
Bis sich die Zeit herdrange, (until the time came)
しかし時は迫り来て、
Daß er für uns geopfert würd, (that he would be scarified for us,)
彼は我らの犠牲として屠られ
Trüg unser Sünden schwere Bürd (and bear the heavy burden of our sins)
我らの罪の重荷を
Wohl an dem Kreuze lange.(patiently on the cross.)
十字架の苦しみもて背負われる。

********

時が満ち、ユダが大勢の武器を持った兵と一緒に現れました。
裏切りが起こる場合、理由は複雑で、長い間のすれ違いや誤解が重なっているように見えます。
しかし時が経ってみると、意外と最初からその芽があったことに気が付きます。根本的な部分での価値観「いかに生きるか」に相違があるのに、我慢して、または無意識に近づき過ぎた場合、自分のアイデンティティを護るために相手を裏切ることがあります。 

理由は分かりませんが、ユダはイエスよりもお金を選択した。

イエスは 3度の祈りによって迷いがなくなり十字架への覚悟が固まり、全人類のために十字架につこうとしている。 反対にユダは祈りよりも自分の小さすぎる頭で、自分の感情や思い込み、主張を練って来た。こういう時人間は自分への言い訳の達人です。

この対比もはっきり効いていますね。神と人間ですから、桁外れにスケールが違うのは当然なのですが、やはり自分の小さな視野でしか見えないのが人間なのですね。


27番a: イエスが捕らえられたことを嘆くソプラノ・ソロの部分には、通奏低音がありません。その理由について、色んな説がありますが、足元の支えが無くなった不安定なようで、宙に浮くようなこの響き。(第2部の49番も通奏低音のないソプラノ・ソロですが)バッハが特別な空間と心情を描いていることだけは間違いなさそうです。

そのまま27bの二つの合唱とオーケストラによって怒涛の怒りがユダに対して爆発します。

28番では、有名な「剣を持つものは剣にて滅びる」の場面です。自分が相手にしたことは、ブーメランのように戻ってくる。それはよく経験することですね。
そして弟子たちは全員逃げ去ってしまいます。(死んでも付いていくって誰か言ってましたよね。。。)

29番では、現代のミサでも毎回唱えられる「使徒信条」に酷似した内容が歌われます。この十字架から、喜ばしい赦しの保証と復活への希望が既に溢れつつあります。

コンサートでは、ここで休憩となります。

分かりにくい拙い解説をお読み下さり感謝です

第二部開始まで、しばし準備の時間を頂きます。

良い初夏を御過ごし下さい!

2回目のマタイ受難曲 17)

2020年05月22日 | Save La Petite Bande


緊急事態宣言が関西圏でも解除となりました。もっと悲観的な予想があったことを思うと幸運でした。

続きます。

イエスはもう一度祈りに向かいます。イエスと言えども、やはり信仰の一丁目一番地「祈り」なしに 自分の力だけで十字架刑を受け入れ、そこに意味を見出し、乗り越える力を得るなど、出来ることではないのですね。



51:21から24番です。


Nr.24: Rezitativ
Evangelist :
Und kam zu seinen Jüngern und fand sie shlafend und sprach zu ihnen:(And he came to his disciples and found them sleeping; and said to them)
それから、弟子たちの所って来られると彼らが眠っていたので、彼らに言われた。


Jesus:
Könnet ihr denn nicht eine Stunde mit mir wachen? Wacht und betet,daß ihr nicht in Anfechtung fallet! Der ist willing,aber das Fleisch ist schwach.(Can't you keep watch with me even for one hour? Watch,and pray that you do not fall into temptation.The spirit is willing ,but the flesh is weak.)
あなた方はただの一時間も目覚めていられないのか。目覚めていなさい。そして祈りなさい。誘惑に陥らない様に。心は燃えていても肉体は弱い。

Evangelist:
Zum andernmal ging er hin,betete und sprach;(For a second time he went away and prayed.saying;)
更に二度目に向こうへ行き、祈って言われた。

Jesus:
Mein Vater,ists nicht möglich,daß diser Kelch von mir gehe,ich trinke ihn denn,so geschehe dein Wile.(My father, if it is not possible for this cup to pass me by unless I drink it,then you will be done. )
父よ、私が飲まない限りこの杯が過ぎ去らないのであれば、御心が行われますように。

Nr.25: Choral

Was mein Gott will, das gschen allzeit, (Let what my Got wills always happen!)
神の御旨がいつも成就しますように。

Sein Will, der ist der beste,(His will is the best)
御旨こそ最上のもの。

Zu helfen den'er ist bereit,(He is ready to help those)
神は常に助けを備えておられます。

Die an ihn gläuben feste.(who firmly believe in him. )
彼を固く信じる者たちへの助けを。

Er hilft aus Not,der fromme Gott,(He, our faithful God,helps us out of distress,)
慈しみ深い神は、苦難から救い出して下さる。

Und züchti get mit Maßen.(and chastises with restraint)
そして応分に懲らしめて下さる。

Wer Gott vertraut,fest auf ihn baut,(Whoever trusts in God and builds on him firmly,)
神に寄り頼み、神に堅固な土台を据える者を

Den will er nicht verlassen.( he will not forsake.)
お見捨てになることはない。


*****************

ここで、3人の弟子たちは寝てしまった  イエスの祈りが(次の25番で3回目) およそ1時間 X 3回だとすると、最低3時間暗闇の中で待っている。眠いの分かる~~~ しかし、ここは恐ろしく重大な局面です。寝てしまえるというのは、やはりイエスと一緒で安心していて、しかも事態が飲み込めていないからかもしれません。
目が開かれ全てがわかるのは、イエスが亡くなって復活されてからですから。

”3人が寝ていたのなら、誰がこの記述を伝承したのだ?” という疑問が昔からあるようですが、いきなり眠った訳ではないと思います。聖書で”一時”と訳されたために5分10分と勘違いされたのかもしれません。それなら、皆起きていたはずです。

「心は意思がみなぎっていても、肉体は弱い」と仰った時、イエス自身も人間の肉体が、いかに暑さ寒さ、傷みや痒み、疲れ、ストレスに敏感で、それが繊細な生命維持装置になっていることを痛感されてのお話だと思いました。

いくつかの聖書邦訳、マタイ受難曲訳で、”おまえたちは一時も起きていられないのか!” とイエスが弟子たちの体たらくを呆れた様に書かれているものがありますが、 バッハの描くイエス像を聴いていると、とてもそんな単純な方だったとは思えない。

それにしても、この重大局面で寝られることを楽観主義ともとれますが、現代でも武漢ウイルスで世界中がこんな事になるとは、1月の時点では誰も思っていなかったのですから、常に人間の目は昏く、一寸先は闇なのですね。

でもその先には希望があることを知っている、、、そのバランスが素晴らしいですね♪
危機の中で祈るうちに、それもちゃんと与えられるのだと思います。


2回目のマタイ受難曲 16)

2020年05月20日 | Save La Petite Bande


「長い自粛は大変だったけれど、今まで出来なかったことに取り組めた」というお話も聞こえてくるようになりました。

マイナスの分だけプラスはある。厳しいことですが、同時に恩恵もあり、バランスが取れる様になっているのですね。

続きます。
3人の弟子とゲッセマネの園に向かったイエス。そこでイエスはひれ伏して祈り始めます。

45:19から21番です。

Nr.21 :Rezitativ
Evangelist:

Und ging hin ein wenig,fiel nieder auf sein Angesicht und betete und sprach: (And he went off a short distance,fell down upon his face,and prayed,saying:)
イエスは少し進んで、うつ伏せになって祈られた。


Jesus:
Mein Vater,ists möglich,so gehe dieser Kelch von mir;doch nicht wie ich will, sondern wie du wilt.(Me father ,if it is possible,then let this cup pass me by; yet not as I will, but as you will.)
父よ、出来ることならこの杯を私から遠ざけて下さい。しかし私の願いではなく、あなたの御旨のままに。

Nr.22: Reyitativ (BaßⅡ)

Der Heiland fält vor seinem Vater nieder; (The Savior falls prostrate before his Father;)
救い主は父の御前にひれ伏したもう。

Dadurch erhebt er mich und alle (though this, he raises me and everyone)
それによって主は、私と全ての人間を

Von unserm Falle(out of our fall again.)
堕落の淵から引き上げて下さる。

Hinauf zu Gottes Gnade wieder.(upward to God's grace.)
再び神の恵みに預かるまで。

Er ist bereit,(He is prepared) 彼は心を定められた。

Den Kelch,des Todes Bitterkeit Zu trinken,(to drink the cup,the bitterness of death)
その苦き死の杯を飲み干すことを。

In welchen Sünden dieser Welt (into which sins of this world)
この世の罪が注ぎ込まれ、

Gegossen sind und häßlich stinken,(are poured and give off a hateful stench)
悪臭を放っているその杯を。

Weil es dem lieben Gott gefällt.(because it is the will of our dear God.)
なぜなら、それが我々の敬愛する神の御意思なのだから。

Nr.23: Arie (Baß)

Gerne will ich mich bequemen,(Gladly will I commit myself)
喜んで私も覚悟を決め
Kreuz und Becher anzunehmen,(to accept the cross and the cup)
十字架と杯を受け入れて
Trink ich doch dem Heiland nach.(since I drink it after the Savior.)
救い主に従って飲み干そう。

Denn sein Mund,(For his mouth) なぜなら、主の御口は
  Der mit Milch und Honig fließet,(which flows with milk and honey,) 乳と蜜が流れる口、主はその口をもって
Hat den Grund(has sweetened the dregs) 
Und des Leidens herbe Schmach(and the bitter disgrace of suffering) 
  苦しみのどん底と源泉、そして苦い恥とを先に飲み干し甘くして下さったのだから。
Durch den ersten Trunk versüßet.(by drinking of it first.)

**********************************
21番 福音史家の語りは、イエスがひれ伏して祈る Betete を悲痛な音型で歌い、チェロもそれに哀しい音で答えます。イエスの語りでは、möglich (可能ならば)Kelch(杯) が強調されています。

ここでは、「出来ることなら、この受難を避けられないでしょうか、、」とイエスが、父に尋ねています。神の子というと、我々とは何もかも違うと思いがちですが、イエスも避けられたら、、、と思っておられたのですね! しかしその後「しかし私の願いではなく、あなたの御旨のままになります様に」と祈られます。

祈りというと あれこれ、こちらのお願いばかり述べることになります。しかし 幼稚園の頃から何か変だな、、、と思っていました。神様は我々の召使いではないのですから、お祈りの言い方は丁寧でも一方的な要求はお門違いではないのだろうか? そもそも、あちらは何を望んでおられるのだろうか。。。 

イエスは神と親子なのですから、よく分かっておられるけれども、神の思い、摂理に従える力を今一度お与え下さいという意味なのではないでしょうか。(違うかもしれないが

22番 バッハはイエスのひれ伏す様子を 弦楽器が下り坂を降りる様な音型で示しています。ずっと下降音型が続いた後、「神の恵みへと高めてくださる」のくだりで一度だけ 7つの音符で上昇音型を響かせる。シンプルながら、絵画的に書かれています。

23番も このひれ伏すにちなんで、バス歌手が音域も低く低くとどまるアリアです。何度もKreuz(十字架)が出て来ます。

イエスについていく覚悟を示す12人の弟子が暗示されているのか、12小節フレーズで書かれています。Gerne(喜んで)も12回現れます。12ということはユダも入っていますね バッハの懐の広~い 深~い温かさと、排除しない哲学がここにも表れているかと。

そして バッハBACH を逆から読んだ HーCーAーB(シ♮~ド~ラ~シ♭)という音型もバス歌手が Ich (私)と歌う直後にヴァイオリンに出て来ます。

メッセージをこっそり織り込む。バッハのセンスが光ります

”私が13人めの使徒とは、自分から畏れ多くて決していえないが、その心意気は負けませんぜ” といった決意表明かも (実際負けてないし)。



2回目のマタイ受難曲 15)

2020年05月17日 | Save La Petite Bande

緊急事態宣言が8都道府県を除き解除されて最初の週末となりました。いかがお過ごしでしょうか。

オリーブ山での賛美を終えて、イエスと弟子たちはゲッセマネの園に到着しました。
36:58 から18番です。

Nr.18: Rezitativ
Evangelist :
Da kam Jesus mit ihnen zu einem Hofe, der heiß Gethsemane,und sprach zu seinen Jüngern:(Then Jesus came with them to a place that was called Gethsemane,and said to his disciples:)
イエスは弟子たちと共に、ゲッセマネという所に来ると、弟子たちに言われた。

Jesus :
Setzet euch hie,bis daßich dort hingehe und bete.(Sit here,while I go over there and pray.)
私が向こうに行って祈っている間、ここに座っていなさい。

Evangelist:
Und nahm zu sich Petrum und die zween Söhne Zebedäi und fing an zu trauern und zu zagen.Da sprach Jesus zu ihnen: (And he took with him Peter and the two sons of Zebedee;and he began to grieve and to be afraid.Then Jesus said to them:)
そしてペテロとゼベタイの二人の子を伴われ、悲しみおののき始められた。イエスは彼等に言われた。

Jesus:
Meine Seele ist betrübt bis an den Tod,bleibet hie und wachet mit mir.(Me soul is troubled ,even to death;remain here,and keep watch with me.)
私の魂は、悲しみのあまり死ぬほどである。ここにと留まり目覚めていなさい。

Nr.19:Rezitativ (Tenor), Choral

O Schmerz! (O anguish!) おお苦痛!
Hier zittert das gequälte Herz; (Here the afflicted heart trembles;) 苦悶するする心がうち震えている。
Wie sinkt es hin,wie bleicht sein Angesicht! (how is sinks down ,how his face grows pale!) 何と打ちひしがれた心、何と青ざめた御顔!

Was ist die Ursach aller solcher Plagen?(What is the cause of all these torments?) 全ての苦痛の理由は何なのですか。

Der Richter führt ihn vor Gericht.(The judge brings him to trial;) 裁きの主が、彼を法廷に引き出されたのだ。
Da ist kein Trost ,kein Helfer nicht.(there is no comfort ,no helper !) そこには慰めも、助けるも者もいない。
Ach! meine Sünden haben doch geschlagen:(Ah ,my sins have stricken you.) ああ!私の罪こそがあなたを打ち据えたのです。

Er leidet alle Höllenqualen, (He suffers all the horrors of hell;) 彼は、地獄の苦痛を耐え忍ばれる。
Er soll vor fremden Raub bezahlen. (he has to pay for others crimes.) 他人の罪を贖われる。

Ich ,ach Herr Jesu , habe dies verschuldet, Was du erduldet.(O Lord Jesus , I am the cause of what you have suffered.)
主イエスよ、私が負うべき罪であるのに。

Ach Könnte meine Liebe dir,(Ah, my Salvation, if only my love)
救い主よ。もし私の愛が
Mein Heil ,dein Zittern und dein Zagen (could lessen for you ,or help you bear ,)
あなたが耐え忍ばれる
Vermindern oder helfen tragen (your trembling and your fear,)
おののきと恐れを少しでも減らし、助けることが出来るなら
Wie gerne blieb ich hier! (how gladly I would remain here! )
私は喜んでここに留まろう。

Nr.20 Arie: (Tenor,Chor)

Ich will bei meinem Jesu wachen,(I want to keep awake near my Jesus;)
イエスのお傍で目覚めていよう。

So schlafen unsre Sünden ein.(that way our sins fall asleep.)
そして我らの罪は眠りにつくのです。

Meinen Tod (The anguish of his soul) イエスの魂の苦難が
Büßet seine Seelennot; (atones for my death) 私の死を贖い
Sein Trauren machet mich voll Freuden. (his grieving makes me full of joy.) 彼の悲しみが私を喜びで満たす。

Drum muß uns sein verdienstich Leiden Recht bitter und doch süße sein.( And so his meritorious suffering must be quite bitter,and yet sweet for us. そして彼の俗世での苦しみは全く苦いものだが、我々には甘美なるもの。

Ich will bei meinem Jesu wachen,(I want to keep awake near my Jesus;)
イエスのお傍で目覚めていよう。

So schlafen unsre Sünden ein.(that way our sins fall asleep.)
そして我らの罪は眠りにつくのです。

***************

イエスは11人の弟子のうち ペテロとゼベダイの二人の息子(ヤコブとヨハネ) の3人を伴って ゲッセマネの園で祈る。神の子でありながら、人間に生まれたイエスが、十字架にかけられる前、死ぬほどの悲しみと苦悩を抱いていることを18番は告げる。

旧約の神は厳しい罰する神の印象も強いけれど、新約聖書に現れた人間イエスが、神の御旨と人間の苦悩 その両方を全身全霊で感じていることを、バッハのスコアが教えてくれる。

19番では、いきなり慌ただしい動きが通奏低音とオーボエ ダカッチャ、リコーダーが イエスの脈や呼吸が速くなり、全身の痛みや血圧の高さ、冷や汗 そしてその悲しみや苦痛を生々しく描写するからだ。バッハはこの場面の聖書をこの様に読んでいた・・・

イエスが何のために十字架につけられたのか、というテーマに対する答えも、ここではっきりと書かれている。

20番では、イエスへの気持ちが かくも美しく痛切に 福音史家役のテノールによって歌われる。
そのソロの合間に第二オーケストラと合唱がコラールを挟む。バッハと当時の教会信者があたかも この場面にタイムスリップして、イエスの傍でたたずんでいるかのようである。

すると この受難曲全体が、今この瞬間も世界中で起きている悲惨な状況(表には表れない多くの鎮痛な声なき声)と重なって聞こえる。
目に見えない音楽で、人々の気持ちで、実はこの空間全体が繋がっていると感じさせてくれるバッハ。

バッハ本人は 「自分の力ではない。音楽を生んだ神の業に過ぎない。SDG 神のみに栄光♬」と、仰るに違いないが。。。

良い日曜日を!