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バロックヴァイオリン 佐藤 泉  Izumi SATO

「コンサート情報」や「日々の気づき」などをメモしています。

ログハウスのスープカフェ

2018年07月29日 | 日記
お気に入りだったカフェ El・Liston が移転してしまってから3か月。今日ようやくお邪魔出来ました。

店内は全て木材。本当に木に囲まれるのはいい気持ちですね。お店に着くと同時に「豪雨情報」が入り大雨となりましたが、やがてログハウスの窓からこんな風景が。



丁寧に手作りされたデザートを頂きながら、久々に静かで ひたすら幸せな午後でした。

11月17日のコンサートのチラシ、もうすぐお届け出来ます。色々盛沢山にしてしまって時間がかかっております。
もう暫くお待ちくださいませ

続 Less is More

2018年04月04日 | 日記



桜は堪能されましたでしょうか? 例年と違って今年は青空と共に観られて嬉しかったです。

久しぶりに出て来たCD を聴き入っておりました。


モーツアルトのレクイエムが 弦楽四重奏に編曲されています。(youtubeにもありました)

この曲は勿論シギスヴァルト指揮ラ・プティット・バンドで何度もコンサートされCDにもなっているのですが、その内容をシギスヴァルト自身のヴァイオリンが語るので、エッセンスのみの凝縮した内容になっています。
これもLess is More の一例かと。

最近はヴィーラントがもう楽器を弾いていないそうなので、寂しい限り。[彼以上のバス弾きはいない・・・] とシギスヴァルト&バルト。一層貴重な録音に思えます。本当に凄いバス

こちらがオリジナルのオーケストラ・合唱ヴァージョン










Less is More

2018年01月14日 | 日記
2週間遅れの新年のご挨拶で失礼致します。

新しい年いかがお過ごしでしょうか。きりっと気持ちいい寒さの週末です。(瀬戸内だけかもしれないが

私は昨年の秋の膨大な学びをまだ消化出来ずにいますが、少しづつ事態が呑み込めて来たところです。

昨年を総括すると、シギスヴァルト・クイケンの持論「Less is More!」実体験の連続でした。

そもそもは、福岡古楽祭での公開レッスンで彼がある受講者に「弓の毛(馬の尻尾)が多すぎて弾きにくそうだね。発音しにくいでしょう?」と仰ったことがきっかけでした。「沢山の弓の毛を張ると、それぞれの毛が重なるから、一本づつのテンションが下がる。しかし重ならない様に一列に張ると、それぞれのテンションがマックスになるから、発音がクリアになる。Less is More ということや」 とのこと。
(私の中では シギスの言葉は何故か関西風、バルトは関東風に聞こえる)

長年アーティキュレーションに苦労していた私はと耳を疑いました。
そうか! 楽器や弓をバロックのスタイルにしておきながら、弓の毛だけはそんなこと考えたこともなかった・・・盲点だった
しかしブリュッセルではそんな話師匠が仰ることはなかったから、よくぞ今言って下さった。と思ったことでした。(いやいや自分で考えなさいよ

早速うちのルティエと実験。
まずは張り替える前に 少しづつ今の弓の毛を切って減らし、その都度弾いてみる。
そうすると自然に発音がはっきりし、軽やか かつ高温の伸びが透明感のあるものになりました。
職人さんもへえ~~~っと面白がってくれ、ある程度の量になった時「これで毛替えしましょうか!」と皆納得したのでした。

シギスヴァルトの音が決して大きくないのに、ホールの後ろまで楽々通る理由の一つが分かったのでした。

でも長所は短所で、大きな音を出すのは難しくなります。
これだと不必要に大きな音はならないので、伸び伸び弾いてもトラヴェルソやチェンバロの繊細さをぶち壊す心配もなくなり、なるほどと喜んでいます。
反対にまだフォルテを出すには苦労していますが。

そういえば、ビルスマが1980年代に古楽器だと小さな音はどんなにでも小さく意味を持って演奏出来るが、フォルテは不得意・・・って仰ってたなあ。。。と思い出し、18世紀前半までの音楽が必要とする要素と19世紀以降の音楽が必要とする要素の違いに改めて思い至ったことでした。


考えてみると、これは至る所で当てはまると気が付きます。
俳句や短歌もそうですが、

*食べ過ぎると鈍くなるのに、小食にすると五感が鋭敏になる。内臓も快調に働き始める。

*情報も多すぎると時間が奪われるだけで(つまり命である時間が減る)ばかりで消耗する。

*親や先生が延々と説教しても、誰も聞いていないけど、ヴィーラント・クイケンの様に寡黙だが熟考される人の一言は、宝物の様な内容だ。

*プティットバンドが指揮者も合唱も使わずマタイを演奏した時の様に、ソリストが合唱パートも歌うことで、各パート内部の忖度がなくなり(隣より先に出たらいかんとか。)よりダイレクトで思い切った歌い方になり、歌詞がパワフルに伝わるのもそうだし、演奏家も指揮者の都合でなく、自主的に演奏することで100%の力を出す。
全体の音量は減るが多声部がどれも重要。。。というバッハのフーガがクリアに聴こえる。

などなど。

他にも沢山ありそうです。

長々書きましたがブログもLess is Moreかも。。。  

どうぞ今年も宜しくお願い致します








バルトルド・クイケン インタビュー

2017年12月25日 | 日記
いかがお過ごしでしょうか?

イシハラホールのオーナー脇田 貞二社長のご厚意により、11月24日大阪公演で紹介された
「バルトルド・クイケン:来日公演についてのインタビュー」を紹介させて頂きます。

”これは素晴らしい内容なので、是非沢山の方々にも読んでもらって!」と脇田社長が沢山コピーを持たせて下さいました。寛大なご配慮心に沁みました。ご一読頂ければ幸いです。

I wish you a Merry Christmas and a Happy New Year !



来年もどうぞよろしくお願い致します。


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今年の蓮

2017年08月02日 | 日記




暑中お見舞い申し上げます。

昨日の豪雨にも関わらず、今年も無事満開を迎えています。

雨のお蔭で少し涼しい風も吹き、一息ついています。

写真では全く納まりきらず、全体と詳細が見える人間の目って凄いと改めて思います。

では、良い夏を御過ごし下さい


日向の匂い (沈黙の原題)

2017年02月09日 | 日記
雪空です。キリリと寒いのもいいものですね。


先日の「沈黙」ですが、原稿に書かれた題名は「日向の匂い」だったそうです。
編集者が「これでは迫力がない」 と”沈黙”を推薦されたそうですが、

のちに”神は沈黙しているのではなく語っている”という「沈黙の声」という意味を込めての題名が
「神の沈黙を描いた作品」と誤解を受ける原因となったのだそうです。

遠藤さんはそれを悔やみ、「日向の匂い」という抑制の効いた題名の中で、小説のテーマを読み取ってもらいたかった・・・「屈辱的な日々を送っている男が、あるとき自分の家のひなたの中で腕組みをしながら、過ぎ去った自分の人生を考える。そういうときの(日向の匂い)があるはず・・・言い換えれば(孤独の匂い)。。。
と仰っていたそうです。

世の中表面的な受け取りが蔓延して、誤解を受けることの方が多いけれど、
これは特に、誤解を解いておきたいと思っておられるだろう・・・とお察しします。


遅まきながらプログラムを見てみると、あまりにも違和感のない、自然な演技だったので(演技かどうかも考えないほどの)役者が上手いとか 達者だ・・・など全く気付かせなかった俳優の面々が、どれほど凄い名優だちだったのか、今頃気が付きました。。。

名演奏家と同じで、誰が演奏しているかを忘れさせる、音楽だけが立ち上る演奏、
統治していることを感じさせない最高の君主、などに似ています。

何より監督がどれほど原作に忠実に、深く尊敬して注意深く寄り添い、細かい配慮を重ねに重ねて撮影されたかも知りました。

これはもう一度、映画としての醍醐味を観に行きたいと思ったら、今週いっぱいで上演終了のところもあると分かり、慌ててもう一回行ってきます!





渡辺 和子シスター

2017年01月01日 | 日記
新年あけましておめでとうございます

中々更新出来ないにも関わらず、時々チェックして頂きありがとうございます。

今年も頻繁には更新出来ないのですが、これに凝りませず、どうぞよろしくお願い致します


穏やかな年明けですね。

昨年末訃報が相次いでいたのですが、12月30日には渡辺 和子シスターが帰天されたと知り、
とうとう旅立たれたかと寂しくなると同時に

その生き方そのものが、次世代への慈しみ深いメッセージとなっていることに厳粛な気持ちになりました。


考えて見ると、どんな人の生き方も 次世代への教訓であり、メッセージでもあると気づかされます。

誰もの背中を、いろんな人が見ている。

特に本人が意識していない何気ない行動に見るその人の本質に

きっと私の背中は反面教師としてなら役に立つのかもしれないけれども


大衆をコントロールしようとする情報が増える中、

渡辺 和子シスターの著作や講演で教えて頂いたことを生活の中で生かすことが今年の目標になった年明けでした。

亡くなるとその方の存在の大きさが 香り立つように見えてくる。

2017年 その瞬間 瞬間に 次世代のための判断が出来る一年になりますように願わずにはいられません。



マザーテレサの秘策

2016年12月02日 | 日記
冬にしては、まだ少し暖かい日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?

先週マザーテレサの写真展の立ち番をしていて、暇なので資料をじっくり読みました。

今までも沢山本やDVDで話を聞いたような気になっていましたが、なるほど!そういうことだったのか、と腑に落ちたことがありました。

世界中に神の愛の宣教者会を持つマザーテレサは、毎日多くの書類にサインをしていたそうですが、次々サイン出来るように、横でシスターがインクを入れたペンを持って待っていたそうです。

つまり時間に追われていたのでしょう。

しかし、マザーはいちいち ペンのインクが新しくなる度に、「使わせて頂いてもよろしいですか?」 と神に尋ねたそうです。

シスターは「いい加減にしてほしい」 という顔をされたそうですが、この意味を知ったとき、
凡人と聖人の 果てしない違い(天文学的?)に驚いたことでした。

私の勝手な理解でいうと、
そもそも心臓や呼吸を自分の努力で動かせる人がいないように、
また自分で水や太陽の光、夜の闇など作れる人間もいないのだから、すべては与えられた恵みであると骨の髄まで理解しているのが聖人の視線で、よく分からないのに自分の力で生きていると勘違い出来るのが俗人なのではないか・・・ということでした。

心がけてみると、これが1分も続かない俗人である自分を発見します。


だから!・・・と納得出来たのは、マザーテレサが子供の時に兄弟姉妹と先生の悪口を夜話していると、
お母さまが激怒して「そんなことのために使う時間も電気もありません!」といって電灯のスイッチを消され真っ暗になったとのこと。それ以来悪口を言わなくなったマザーも凄いですが、

これは単に悪口が非生産的だというだけでなく、切実に凡人の勘違いを指摘しています。

「批判ばかりしていると愛する時間がなくなる。」とマザーテレサが仰る通り つまり人生がやせ細るということなのですね。しかし、90%恵まれていても残りの10%の不満を言うのに時間を使っているのが人間です。
これでは、自分で不幸になっていく。


最後にマザーのこんな言葉をご紹介します。
紛争地域に入る時、国境で「何か武器を持っていますか?」と聞かれて
「はい。 祈りの本を持っています」 と答えた豪傑マザーテレサ。

マザーテレサの秘策は、これだったのですね。

**********

もしあなたが、がっかりしたのだとしたら、
それはあなたのうぬぼれの表れです。
それはあなたが、
あなた自身の力を信じていることを表しているからです。

あなたの自己充足感、あなたの自己中心、あなたの知的プライド、

これらは、
神があなたの心の中に訪れて下さることを抑えてしまうでしょう。
神はすでに いっぱいのものを満たすことは出来ないからです。

それは本当に単純なことなのです



晩秋

2016年11月20日 | 日記
一か月以上ご無沙汰してしまいました。

すみません。。。

晩秋となりましたが、いかがお過ごしでしょうか?

先日は時期をずらして種が蒔かれたコスモス畑を訪ねました。

一か月遅れかと思うのですが。



来年のコンサートの予定を

随分前から準備しているのですが、時間がかかっています。

でも一歩一歩 ぼつぼつ 進んでいるところです。

もう少々お待ちくださいまし