姫路の仁豊野教会前のポスターです。
もう何十年も前に帰化されたヴェトナム人の女性が書かれています。
外国で生活する際の心もとなさは、大昔身をもって経験したことですが、彼女のお陰で少しづつ思い出しています。
同じ言葉が通じ、 ライフラインが提供され、ご近所や仲間がいる母国の環境がどれほど恵まれたことか、特に1年目は身に沁みました。
「ひゃ~~~」と嘆いていると、父は一言「そちらでも人間が暮らしているのだから、なんとかなる」
基本はそりゃそうだ!と 納得しながらも まずライフラインの手続きからして四苦八苦。 水道以外は しばらく待たねばならず、電気も日本の様にすぐには来ない。。。入試前に日本人のご家庭でお世話にならなかったら試験も通らず、そのまま帰国したかもしれません。そのご家庭にお世話になるにしても、
そもそも 地下鉄の駅名が フランス語とオランダ語二つ表記なので(まず読めない・・・) おたおたして こちらからメトロで動けなかったりして、結局迎えに来て頂いたり、、、、今思っても冷や汗もののサバイバルでした。 そういう時に色んな方に親切に助けて頂いたことは、一生忘れないし、大変だったことよりもずっと光って覚えている。
治安が良いとは言えないので、背中に目がある様な行動になったのも、この頃。 でも 8年間無事に過ごせたことは、今思うと 何かに護られていたとしか思えません。
具体的に覚えているのは、何とも頼りない一学生に 丁寧に、親切にして下さった カトリック教会の方々、先生方、先輩、友人の温かさ、誠実さでした。最初雑巾さえなくて、ハタ。。。と困っていたら、チェロの友人が色々もって来てくれたのですが、それは帰国の際にも持ち帰り、時々使っています。
その友人が車で迎えに来て、「実家に寄るけど、、、」と言うので、「うん、」と外を観ていたら、何だか広い門から入って行く。 「これはお城じゃないの?」というと、「うん、11世紀にはね」 という。
馬小屋が うちの数十件分くらいありそうだった。 でも 彼女は日本では走っていないくらい くたくたになった車に乗っていて、学校ではまったくそんな素振りは見せない。楽しくおしゃべりして冗談ばっかり言っていた。
自分も新入生なのに、言葉が分からない私のために 授業中まるで手話をするように、必死で仏語を英語に訳してくれる友人もいた。(その英語も全部は分かっていなかった@@)
日本では友人と喧嘩したことがなかった大人しい?私が、ガチで大喧嘩出来る友人と出会ったのも留学中だった。自分でもその応酬中に自分の英語が堪能なのに驚いた! 本気で怒るとこんなに脳が活躍するのか!と。不思議なのは、大喧嘩した人とは一生の付き合いになっていること。 しっかりぶつかるというのは、信頼しているから出来ることらしい。 めんどくさい喧嘩を受けてくれたのも、親切の一つなんだと今分かる。
さりげない親切、これほど人生を温かく、美味しくするものはないと思う クリスマスです。
キリストが一番喜ばれるのは、そうした隠れた素朴な思いやりなのではないか。。。
勿論「友のために命を捧げることほど尊いものはない」と究極の愛の説明が聖書にあるけど、その第一歩は こうした親切から始まると思う。何故なら、その時に初めて お互いの存在がどれほど尊いか知るからだ。
そしてそんな 愛と慈しみのある所に神はおられるという。