雨で肌寒い聖金曜日となりまた。 いかがお過ごしでしょうか。
今日は、久しぶりに 聖金曜日 礼拝のために書かれた J.S.バッハ 「マタイ受難曲」を聴こうと思っています。 2020年にこのブログ書いたマタイについての投稿を読んでみると、へぇ~~~ なるほど、、、と人の文章の様に読んでいる。 すっかり全部忘れているじゃないですか

でも、今の老眼では、こうした記述も資料の読解も楽ではないので、書けるうちに備忘録として書いておくもんだな、、と思った次第。
2月24日に始まったウクライナ侵攻は、収まるどころか拡大の一途の様相。にわか勉強で知った事実を整理すると、不穏な出来事が一本に繋がって見えます。聖書の中の出来事が現在の戦争にもつながっていて、つくづく途方にくれます。
そうなると、バッハが当時の危機をどう捉えていたのか、聖書から得たことを血肉として、その信仰をどのように音楽に注ぎ込まれたのか、
悲惨な現実の中で、バッハがこの途轍もない強い音楽を作曲出来たのは、何故なのか、、考えてみたいと思います。
今日は、久しぶりに 聖金曜日 礼拝のために書かれた J.S.バッハ 「マタイ受難曲」を聴こうと思っています。 2020年にこのブログ書いたマタイについての投稿を読んでみると、へぇ~~~ なるほど、、、と人の文章の様に読んでいる。 すっかり全部忘れているじゃないですか



でも、今の老眼では、こうした記述も資料の読解も楽ではないので、書けるうちに備忘録として書いておくもんだな、、と思った次第。
2月24日に始まったウクライナ侵攻は、収まるどころか拡大の一途の様相。にわか勉強で知った事実を整理すると、不穏な出来事が一本に繋がって見えます。聖書の中の出来事が現在の戦争にもつながっていて、つくづく途方にくれます。
そうなると、バッハが当時の危機をどう捉えていたのか、聖書から得たことを血肉として、その信仰をどのように音楽に注ぎ込まれたのか、
悲惨な現実の中で、バッハがこの途轍もない強い音楽を作曲出来たのは、何故なのか、、考えてみたいと思います。