今年の桜は早かった。
つよしの居ない桜の散歩は、
全くもって楽しくない。
四十九日まであと少し。
3月27日、
お友達が来てくれるそう。
駅まで笑ちゃんとお迎えに行きました。
改札口で笑ちゃんと待っていました。
こんにちは。
つくしちゃん。
つくしちゃんのパパのときには、
母ちゃん、行かなかったのに、、、
同じ経験をしたママさん。
今の母ちゃんの気持ちがよく分かる。
つくしちゃんのママの言葉には、
傷つくワードが含まれないので、
安心して会話ができました。
今の母ちゃんの精神状態が、
どんなかは、すごくよく分かってくれていて、
有り難かったです。
つよしが闘病中も、同じ病院の同じ科の先生のとこでも、
いろいろと心強く、応援してくださいました。
本当に感謝。
つくしちゃんLOVEの笑ちゃんは、
ずーっと、つくしちゃんを追いかけ回していて。
こんなに楽しそうな笑ちゃんを見るのは、
久しぶりでした。
今年はジューンベリーの花も早かったです。
『俺、花なんかいらないよ』
そう言っていたつよしでしたが、
四十九日までに数回花を変えて、
じゃんじゃん飾ってしまった母ちゃんでした。
ごめんね、つよし。
つよしに、って言うより、
お焼香に来てくれる人のためにね。
4月1日。
四十九日。納骨。
2月12日に亡くなってから、
これまで、
これは夢なのか?
悪い夢なら早く覚めてくれ。
胸の奥が常に苦しく、
ふわふわとした毎日。
流れに沿って四十九日に納骨をしましたが、
もう少しゆっくり考えれば良かったな。
大嫌いな父親と一緒の墓に、今は2人きり。
そのうち、もっと嫌いな母親も入るだろう。
『なんて事するんだよー』とも聞こえてくるし。
『もう、どうでもいいよ』とも聞こえてきそうな。
ごめんね。つよし。
納骨は4月1日の四十九日にしてきたつよしでしたが。
つよしの身体の一部は、大学病院でお仕事をしています。
癌が多くあった、肋骨、背骨を中心に、
内臓も。
なんで死んじゃったんだろ。
こんなに若くして。
毎日、辛く苦しく。
それがいつまで続くんだろう。
行きたいところも、無くなりました。
欲しい物も、無くなりました。
食べたい物もありません。
『待ってないで先に食べてていいよ』
そう言っても、
『2人で食べたほうがいいじゃない』
と待っていた、つよし。
笑ちゃんとつよしで散歩をしたあと。
『やっぱり奥様がいたときの方が楽しいよ』
と言っていた、つよし。
きっと今も、天へと登らなくてはいけないのに、
母ちゃんの側をうろうろしているに違いない。
笑ちゃんを見送ったら、
早めに迎えに来てください。
それだけが今の願いです。
半年、1年過ごせれば。
幹細胞癌の手術をしたときに、そう言われた笑ちゃん。
残された母ちゃんのとこが心配なのか?
つよしが、『もう少し母ちゃんの側にいてあげな』
そう言われているからか?
言われていた1年を過ぎました。
あと何日、母ちゃんと居てくれるか分かりませんが、
笑ちゃんの明るさが、救いです。
長く父ちゃんの事ブログでしが。
これからは、父ちゃん居なくなってしまったブログです。
そうは言っても、父ちゃんの残り香が少しずつ登場。
いつも覗きに来てくれて、
ありがとう。