笑日和

わんこと楽しく

笑ちゃんの父ちゃんの事。[25]

2023-07-28 18:28:45 | 笑ちゃんの父ちゃん。

家族葬の希望があった、つよしでした。

出席する人も決めていました。

が、死人に口なし。

母ちゃんがつよしの言った通りに伝えても。

その約束を守ってあげられない人もいました。

 

亡くなった人の意思を尊重してあげられないなんて、

悲しい人です。

 

いろいろあった葬儀でした。

 

火葬場へ向かう霊柩車。

『これが2人の最後のドライブだな』

母ちゃんの後ろにいる棺の中のつよしへ声をかけました。

 

霊柩車の運転手さんは、

これまでのつよしの話を、

火葬場に着くまでずっと聞いてくれました。

有り難かった。

 

苦しんだとき、それを見るのも辛かった。

息を引き取るときも辛かった。

棺を閉じられるときも辛かった。

そして何より、火葬へと運ばれ、

扉が閉じるとき、1番辛かった。

『つよしー、つよしー、つよしー』と、

ずっと声をかけていた母ちゃんでした。

 

病気が発覚したときから覚悟はしてきた母ちゃん。

でもその覚悟は、

100しなければいけない覚悟のうちの、

たったの、3くらいの覚悟であった。

 

亡くなってその後にそう感じました。

 

親族の死、親の死、友人の死、

様々経験してきましたが、

伴侶の死は、全く別物でした。

 

いろいろあった葬儀を終えて、

やっと大好きな家に帰って来たつよしです。

 

四十九日までの間に、

いつも座っていた椅子に連れてきたり。

 

 

寝ていた布団に連れてきたりしました。

何をしても、悲しさだけでした。

 

家族葬にしたので、ポツポツと人が来てくれました。

 

四十九日になる前に、どうしてもお礼をしたい人がいました。

 

剛がいつも座っていた席を取りました。

 

今回はミニ骨壷のつよしです。

 

つよしが亡くなってから、

眠れない、食べられない。

そんな母ちゃんだったので、栄養ドリンク飲みながら。

 

2ショット撮りながら。

 

3月だったので途中は雪もたくさんでした。

 

到着する直前は、車内で涙が溢れました。

この前はつよしも一緒に来たのになあと思いながら。

 

つよしのために、用意して下さいました。

 

お花や陰膳まで。

 

笑ちゃんの薬の時間もあり、

日帰りで金沢へ行った母ちゃんでした。

帰りもいつもの席を取りました。

 

方向音痴の母ちゃんにはありがたい、

東京駅から自宅3分のところまで、バスがあります。

なんとか無事に行って帰って来れそうです。

 

実の親には恵まれなかったつよしでしたが、

実の親以上に、本当に可愛がって頂いたつよしでした。

なんで、金沢のお父さん、お母さんより先に、

逝ってしまったのか。

 

本当に悲しいだけです。

 

 

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[24]

2023-07-21 20:42:34 | 笑ちゃんの父ちゃん。

↑ 前回の父ちゃんの既読の最後は、母ちゃんからの音声LINEでした。

『炭酸水とZEROコーラも持っていってあるからねー、飲めるときに飲むんだよー。頑張るんだよー。何もしてあげられなくてごめんねー。頑張るんだよー。』

という母ちゃんからの音声を聞いたのが最後でした。

2/7

  ↑、CTを撮った父ちゃん。急性胃炎を認めました。直ぐに抗菌薬を投与。しか    し急性胃炎をきっかけに脱水。この日から尿は出なくなりました。

 

2/8 11:51

母ちゃん仕事中に病院から電話あり。『ICUへ入るのですぐ来て下さい。』声をかけても意識が無い状態。採血結果で腫瘍崩壊症候群を起こしており透析必要になりICUへ。母ちゃん駆けつけ『つよしー‼️分かるーーー‼️』医師、看護師が父ちゃんのベッドを囲む中、大きな声で叫びました。苦しそうに肩で息をしていて意識が無い中、1秒にも満たない、ほんの一瞬、母ちゃんに目線をくれました。そのほんの一瞬が父ちゃんが母ちゃんを見てくれた最後でした。直ぐに目は白黒し。その苦しさを見ていられず。『早く人口呼吸器して下さい』と、ICUを出た母ちゃんでした。その後人口呼吸器装着。

※腫瘍崩壊症候群とは、癌細胞が一気に壊れるとその死骸の成分が腎臓へと溜まり腎不全を起こす現象です。父ちゃんは前にも経験あり。

 

2/9  9:46

母ちゃん仕事中、病院から電話あり。『今朝から容態が悪いのですぐに来て下さい。』『本日採血で極めて重度の肝機能障害を来している。腫瘍崩壊症候群、サイトカイン放出症候群の影響もあり、原因の特定は困難。胃粘膜の障害で、胃に入っている管からも出血が続く。リスクを承知で移植投与を行っているが、それによる副作用が強く出てしまっている状態。』『ステロイド大量療法や感染症治療の強化など出来る限りの治療を行って行くが、本人の状態は極めて厳しく、救命が困難な可能性も高い。今日、明日が山。』

前日は苦しそうにしていたが、人口呼吸器によりそれは治まる。だけどもう意識はない状態。この日も声かけが出来た。『サンディーズに行くんでしょー‼️元気になったらサンディーズへ行くって言ってたでしょー‼️』看護師がいる中、大きな声で父ちゃんに叫びました。振り返ると看護師、、、泣いていました。救命の為の大量の薬の投与によって、父ちゃんの顔面は2倍に腫れ上がり、肝機能障害により黄色くなり、眼球も飛び出していて。その姿を前にして、『よく頑張ったよ、もういい、もう頑張らなくていいよ。』そう声をかけた母ちゃんでした。

 

2/10

山だと言われてじっとしていられず。仕事は休みをもらって。ずっと病院で待機していました。もう、これくらいしかやってあげる事がないのだから。良くも悪くも病院から連絡があるといいのだが、それが無かった。山と言われた2日が過ぎた。

1人で病院へ向かったのを聞いた母ちゃんの弟が、仕事終えてから駆けつけてくれました。この写真も父ちゃんのスマホへ送って。元気になったら、こうして病院で応援していたんだよって伝えるつもりでいました。

 

2/11

この日も朝からずっと病院で待機していた。山を越えたのか?つよしの最後の頑張りだったのかもしれません。

 

2/12

この日も朝から病院で待機。10:40、ついに携帯が鳴った。『もうダメかも』みんなに連絡しました。『もう血圧も測れなくなっているので来て下さい。』病院の駐車場で待機していた母ちゃん、父ちゃんのところへ急いで走って行きました。顔のむくみ、目の飛び出しは収まり。でも意識は無く。脈は113。あとは心臓止まるのを待つだけ。足全体に紫斑も出ており。最後の最後の時間でした。弱りゆくつよしの脈、『パンツ10枚注文したのが明日届くんだよー‼️どうするのー‼️』母ちゃん叫びました。耳は最後まで聞こえてるとよく聞きますが、どうやら本当。母ちゃんの叫び声に反応して脈はまた復活。しかし、しばらくしてそのときはきました。14:21。つよしの心臓が止まりました。

 

多発性骨髄腫。(血液の癌)2年6ヶ月。

抗がん剤治療、自家移植、CHOP療法、アベクマ移植、

最後は、急性胃炎(5日間)、腫瘍崩壊症候群(5日間)、サイトカイン放出症候群(5日間)、急性肝障害(3日間)これの影響で最後は敗血症。

 

副反応の厳しい治療と分かっていました。

『耐えてみせるぜ。』そんな事を言っていたつよしでした。

自分の身体の状態から、諦め半分。

完治とは断言できないが、完治を目指せる治療と聞いて、期待半分。

最後は大変苦しみました。

また、母ちゃんと笑ちゃんと旅したい、その一心で最後まで頑張りました。

亡くなったときのその顔は、とても穏やかとは程遠く。

走って、走って、走って、

ゴールのテープに手を伸ばし、あと1ミリのところでテープに指先が届かなかった。

その悔しさが滲み出た。そんな顔でした。

 

両親の夫婦喧嘩が毎日続く、そんな幼少期でした。

同じ経験をしていた母ちゃんと出会いました。

仕事から帰って来ると、『家はいいね。家が1番だね。』毎日そう言っていました。

同じ経験をしてきた父ちゃんと母ちゃんは、夫婦喧嘩などしませんでした。

喧嘩のない普通の生活が出来た20年でした。

もっと、もっと、幸せな毎日が続くと信じていました。

54歳は早過ぎた。

 

2022年 12月27日に入院したまま帰って来ませんでした。

笑ちゃんは久しぶりに父ちゃんと会いました。

抑えていないと、棺の中へ入って行く勢いの笑ちゃんでした。

火葬場が混んでいて、冷蔵庫宿泊が10日もあった父ちゃんでした。

 

きっと笑ちゃんは、父ちゃんをペロペロするだろう。

大丈夫なようにエンバーミングしてもらいました。

一生懸命にペロペロしていた笑ちゃんでした。

 

金沢のお母さんを参考にして、つよしの守り神を手に。

↑これは、家に置いておき母ちゃんの心の支えにしています。

 

生前に決めていた家族葬にしました。笑ちゃんも特別に参加しました。

お通夜の日には、笑ちゃんもお泊まりしました。

新緑の旅が好きでした。棺には若草のものを選びました。

 

わんこブログなのに、父ちゃんのことばかりでごめんなさい。

いつもありがとうございます。


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[23]

2023-07-14 17:13:59 | 笑ちゃんの父ちゃん。

 

 

 

 

 

 

(ブログ上では、父ちゃんと呼んでいますが、

家では父ちゃんなんて呼んだ事はありません。)

(つよし。と呼んだり。)

(ご主人さま。と呼んだり。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(洗濯する気満々だった母ちゃん。)

(考えてみたら、そりやそうだよな。)

(なんてバカなLINEしたんだろ。)

 

 

 

 

2023年 2月7日。16:56。

いた苦しい

 

これが父ちゃんからの最後のLINEでした。

 

自家移植のときの何倍もの副作用。

比べものになりません。

そう言われていたアベクマ移植の副反応でした。

 

どうして、いた苦しかったのか。

後に分かりました。

 

16:56が、父ちゃんからの最後のLINEで。

17:23が、既読の最後でした。

 

意識が遠のく27分前まで、

必死に繋がりを持とうとしていた、つよしでした。

必死に生きている事を伝えようとしたつよしでした。

 

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[22]

2023-07-07 17:56:42 | 笑ちゃんの父ちゃん。

 

 

 

前回の、お部屋の写メを撮影していた父ちゃん。

洗面台を撮ったとき、

自分も写ってしまったようです。

こうして撮って、母ちゃんに送ってくれてたんだなあと、

愛おしく思います。

 

 

 

 

 

(笑ちゃんの動画を送りました)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

血液が作られなくなった父ちゃん。

輸血すると血管が見えて。

嬉しそうでした。

 

 

 

 

 

(この移植の治療が終了した時点で、

元の病院へまた転院する事が決まっていました)

(※たかあき、主治医を下の名前で呼び捨てにする我が家でした。)

 

 

 

(※LD-IF値、血中で測れるがん細胞の量です)

(腫瘍の塊は、また別扱い)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(他愛もない話を、3分48秒しました。

これが2人で会話をした最後でした。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(正直、この写メが来たときには、

本当の覚悟をしなくちゃいけない時が来たかな。)

(そう感じた母ちゃんです)

(もう腎機能が、、、)

(父ちゃんも、分かっていたのかもしれません)

(先代ケン坊の最後の日、

前日に補液したのに、吸収されずに皮膚に出る、

それを父ちゃんも見ていたのだから)

 

 

 

 

 

あはつあふ、さ

 

どうしていいか分からないよ。

 

側にいてあげたかったですね。

 

なんでも2人で話し合いながら生きてきたので、

1人が心細いんだと思いました。

 

本当に残酷な病気でした。

 

日にちが経ち、

失意と混乱の中過ごしてきたので、

記憶もあっているのか分かりません。

文面もバラバラで、、、

それなのに、

 

いつも覗きに来て下さり、

ありがとうございます。

 

2023年 2月3日の事を載せてみました。

 

父ちゃんと会話した最後の日でした。

自分で何か感じる事があったのか?

翌日から容態は急変していきました。


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