↑ 前回の父ちゃんの既読の最後は、母ちゃんからの音声LINEでした。
『炭酸水とZEROコーラも持っていってあるからねー、飲めるときに飲むんだよー。頑張るんだよー。何もしてあげられなくてごめんねー。頑張るんだよー。』
という母ちゃんからの音声を聞いたのが最後でした。
2/7
↑、CTを撮った父ちゃん。急性胃炎を認めました。直ぐに抗菌薬を投与。しか し急性胃炎をきっかけに脱水。この日から尿は出なくなりました。
2/8 11:51
母ちゃん仕事中に病院から電話あり。『ICUへ入るのですぐ来て下さい。』声をかけても意識が無い状態。採血結果で腫瘍崩壊症候群を起こしており透析必要になりICUへ。母ちゃん駆けつけ『つよしー‼️分かるーーー‼️』医師、看護師が父ちゃんのベッドを囲む中、大きな声で叫びました。苦しそうに肩で息をしていて意識が無い中、1秒にも満たない、ほんの一瞬、母ちゃんに目線をくれました。そのほんの一瞬が父ちゃんが母ちゃんを見てくれた最後でした。直ぐに目は白黒し。その苦しさを見ていられず。『早く人口呼吸器して下さい』と、ICUを出た母ちゃんでした。その後人口呼吸器装着。
※腫瘍崩壊症候群とは、癌細胞が一気に壊れるとその死骸の成分が腎臓へと溜まり腎不全を起こす現象です。父ちゃんは前にも経験あり。
2/9 9:46
母ちゃん仕事中、病院から電話あり。『今朝から容態が悪いのですぐに来て下さい。』『本日採血で極めて重度の肝機能障害を来している。腫瘍崩壊症候群、サイトカイン放出症候群の影響もあり、原因の特定は困難。胃粘膜の障害で、胃に入っている管からも出血が続く。リスクを承知で移植投与を行っているが、それによる副作用が強く出てしまっている状態。』『ステロイド大量療法や感染症治療の強化など出来る限りの治療を行って行くが、本人の状態は極めて厳しく、救命が困難な可能性も高い。今日、明日が山。』
前日は苦しそうにしていたが、人口呼吸器によりそれは治まる。だけどもう意識はない状態。この日も声かけが出来た。『サンディーズに行くんでしょー‼️元気になったらサンディーズへ行くって言ってたでしょー‼️』看護師がいる中、大きな声で父ちゃんに叫びました。振り返ると看護師、、、泣いていました。救命の為の大量の薬の投与によって、父ちゃんの顔面は2倍に腫れ上がり、肝機能障害により黄色くなり、眼球も飛び出していて。その姿を前にして、『よく頑張ったよ、もういい、もう頑張らなくていいよ。』そう声をかけた母ちゃんでした。
2/10
山だと言われてじっとしていられず。仕事は休みをもらって。ずっと病院で待機していました。もう、これくらいしかやってあげる事がないのだから。良くも悪くも病院から連絡があるといいのだが、それが無かった。山と言われた2日が過ぎた。
1人で病院へ向かったのを聞いた母ちゃんの弟が、仕事終えてから駆けつけてくれました。この写真も父ちゃんのスマホへ送って。元気になったら、こうして病院で応援していたんだよって伝えるつもりでいました。
2/11
この日も朝からずっと病院で待機していた。山を越えたのか?つよしの最後の頑張りだったのかもしれません。
2/12
この日も朝から病院で待機。10:40、ついに携帯が鳴った。『もうダメかも』みんなに連絡しました。『もう血圧も測れなくなっているので来て下さい。』病院の駐車場で待機していた母ちゃん、父ちゃんのところへ急いで走って行きました。顔のむくみ、目の飛び出しは収まり。でも意識は無く。脈は113。あとは心臓止まるのを待つだけ。足全体に紫斑も出ており。最後の最後の時間でした。弱りゆくつよしの脈、『パンツ10枚注文したのが明日届くんだよー‼️どうするのー‼️』母ちゃん叫びました。耳は最後まで聞こえてるとよく聞きますが、どうやら本当。母ちゃんの叫び声に反応して脈はまた復活。しかし、しばらくしてそのときはきました。14:21。つよしの心臓が止まりました。
多発性骨髄腫。(血液の癌)2年6ヶ月。
抗がん剤治療、自家移植、CHOP療法、アベクマ移植、
最後は、急性胃炎(5日間)、腫瘍崩壊症候群(5日間)、サイトカイン放出症候群(5日間)、急性肝障害(3日間)これの影響で最後は敗血症。
副反応の厳しい治療と分かっていました。
『耐えてみせるぜ。』そんな事を言っていたつよしでした。
自分の身体の状態から、諦め半分。
完治とは断言できないが、完治を目指せる治療と聞いて、期待半分。
最後は大変苦しみました。
また、母ちゃんと笑ちゃんと旅したい、その一心で最後まで頑張りました。
亡くなったときのその顔は、とても穏やかとは程遠く。
走って、走って、走って、
ゴールのテープに手を伸ばし、あと1ミリのところでテープに指先が届かなかった。
その悔しさが滲み出た。そんな顔でした。
両親の夫婦喧嘩が毎日続く、そんな幼少期でした。
同じ経験をしていた母ちゃんと出会いました。
仕事から帰って来ると、『家はいいね。家が1番だね。』毎日そう言っていました。
同じ経験をしてきた父ちゃんと母ちゃんは、夫婦喧嘩などしませんでした。
喧嘩のない普通の生活が出来た20年でした。
もっと、もっと、幸せな毎日が続くと信じていました。
54歳は早過ぎた。
2022年 12月27日に入院したまま帰って来ませんでした。
笑ちゃんは久しぶりに父ちゃんと会いました。
抑えていないと、棺の中へ入って行く勢いの笑ちゃんでした。
火葬場が混んでいて、冷蔵庫宿泊が10日もあった父ちゃんでした。
きっと笑ちゃんは、父ちゃんをペロペロするだろう。
大丈夫なようにエンバーミングしてもらいました。
一生懸命にペロペロしていた笑ちゃんでした。
金沢のお母さんを参考にして、つよしの守り神を手に。
↑これは、家に置いておき母ちゃんの心の支えにしています。
生前に決めていた家族葬にしました。笑ちゃんも特別に参加しました。
お通夜の日には、笑ちゃんもお泊まりしました。
新緑の旅が好きでした。棺には若草のものを選びました。
わんこブログなのに、父ちゃんのことばかりでごめんなさい。
いつもありがとうございます。