家族葬の希望があった、つよしでした。
出席する人も決めていました。
が、死人に口なし。
母ちゃんがつよしの言った通りに伝えても。
その約束を守ってあげられない人もいました。
亡くなった人の意思を尊重してあげられないなんて、
悲しい人です。
いろいろあった葬儀でした。
火葬場へ向かう霊柩車。
『これが2人の最後のドライブだな』
母ちゃんの後ろにいる棺の中のつよしへ声をかけました。
霊柩車の運転手さんは、
これまでのつよしの話を、
火葬場に着くまでずっと聞いてくれました。
有り難かった。
苦しんだとき、それを見るのも辛かった。
息を引き取るときも辛かった。
棺を閉じられるときも辛かった。
そして何より、火葬へと運ばれ、
扉が閉じるとき、1番辛かった。
『つよしー、つよしー、つよしー』と、
ずっと声をかけていた母ちゃんでした。
病気が発覚したときから覚悟はしてきた母ちゃん。
でもその覚悟は、
100しなければいけない覚悟のうちの、
たったの、3くらいの覚悟であった。
亡くなってその後にそう感じました。
親族の死、親の死、友人の死、
様々経験してきましたが、
伴侶の死は、全く別物でした。
いろいろあった葬儀を終えて、
やっと大好きな家に帰って来たつよしです。
四十九日までの間に、
いつも座っていた椅子に連れてきたり。
寝ていた布団に連れてきたりしました。
何をしても、悲しさだけでした。
家族葬にしたので、ポツポツと人が来てくれました。
四十九日になる前に、どうしてもお礼をしたい人がいました。
剛がいつも座っていた席を取りました。
今回はミニ骨壷のつよしです。
つよしが亡くなってから、
眠れない、食べられない。
そんな母ちゃんだったので、栄養ドリンク飲みながら。
2ショット撮りながら。
3月だったので途中は雪もたくさんでした。
到着する直前は、車内で涙が溢れました。
この前はつよしも一緒に来たのになあと思いながら。
つよしのために、用意して下さいました。
お花や陰膳まで。
笑ちゃんの薬の時間もあり、
日帰りで金沢へ行った母ちゃんでした。
帰りもいつもの席を取りました。
方向音痴の母ちゃんにはありがたい、
東京駅から自宅3分のところまで、バスがあります。
なんとか無事に行って帰って来れそうです。
実の親には恵まれなかったつよしでしたが、
実の親以上に、本当に可愛がって頂いたつよしでした。
なんで、金沢のお父さん、お母さんより先に、
逝ってしまったのか。
本当に悲しいだけです。