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読書の森

ゆこかもどろか 最終回



駅前公園の一隅で、尚人は泣きじゃくる伊予を抱きしめていた。
このまま柔らかで温かな女の体に埋もれていたい。

しかし、自分のためにも彼女のためにも、別れるのがベストなのだ、と僅か残った理性で思う。

東郷尚人が若年性アルツハイマー病と宣告されたのは半年前だった。
本社の役員に抜擢の人事が決まってから、早々の時だった。
彼は何かの間違いではないか、と一瞬思った。
次に地の底が抜けて堕ちていく感覚を味わった。

彼が診断を受けた理由は、最近自分の知的な能力が著しく衰えてきたのではないかと不安になったからである。

ある日、社内会議の議事録を覗こうとして、間違ってアイコンを押した。
記録は一瞬の内に消えた。
それだけでない。
日常的に使ってるパソコンの操作がどうしても分からなくなった。
真っ白になった頭で、会議に出席する部員にフォローしてもらい、事なきを得たがゾッとした。

年齢を重ねれば物忘れが多くなるのは当然だ。
しかし、ごく当たり前の作業が思い出せなくなっている。
さすらいの唄を口ずさめたように、遠い昔に覚えた記憶は未だ明確にあるのに、今日した事があっという間に記憶から消えてしまった。
放置しておけなかった。

仕事上では、頗るつきの順調な人生を歩んできた彼はそれでも楽観視していた。
「過労が原因です。頑張り過ぎたんですよ。一週間程休養が必要という診断書書きましょうか」
にこやかな顔の医者が親切に処理してくれると高を括っていた。

ところが、精密検査を重ねた結果は、惨めなものだった。
温厚そうな医師は言葉を選んで、かつ明確に彼の脳の病を告げた。

待たせ過ぎた感はあるが、伊予にプロポーズしようかと考えていた矢先の、青天の霹靂の出来事だった。



伊予とのデートは常に糸を張り詰めた彼の神経が、唯一緩み和らぐひと時だった。

会えば他愛ないオヤジギャグばかり飛ばしている。


昔、流行った遊びの思い出やら何処かの街角にあった駄菓子屋のラムネについてやらで二人は盛り上がったのである。

二人だけの誰も侵す心配のない話を出来る相手が伊予だった。

伊予なら残りの人生を一緒に暮らせるのではないか、俺も年貢の納めどきだと尚人は決めていた。

その甘い予測が根底から崩れたのである。



医師は「決して絶望する必要はないが、今までと同じように仕事を続ける事は出来ない」と彼に告げた。
治療薬が開発されて、今でも薬によって進行を食い止める可能性があること、但し個人差があるとも言われた。

会社に事情を話し楽な仕事に就く事は出来るかも知れない。
しかし、それによって事実を周りが知る事になる。
彼にとって耐えられない未来だった。

彼は風の様にカッコよく愛しい人の前から去りたかったのだった。

伊予を自由にする事が愛情と独り決めしていた。


しかし今、尚人の腕の中にある愛しい生き物が息づいている。
ま逆にに自分を抱きしめて縛るかのようだった。


「ゆこか もどろか、オーロラの下を」
さすらいの唄がゆっくり耳許で鳴ったようで、尚人は当てもなく灰色の空を見上げた。

追記:
この時私は瀕死の母親を介護してました。日を追うごとに頭も体も弱っていく母親の姿を見るのは非常に残酷な事でした。
若い日の輝きも全く失せて、機敏な仕草も出来ない母はその自分の状況がもどかしくてもどかしくて仕方ないようでした。
知的機能が衰えた人がボケを自覚してないなどと言うことはありません。
どんな悔しかったかと思います。

たとえ痴呆でも人としての尊厳を最後まで持たせて欲しかった、と今も訴えているようで苦しいです。
どうか介護にあたる方々辛い毎日を工夫してお過ごし下さいませ!




読んでいただきありがとうございました。

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