先住民族の権利保護について―自決権と集団の権利を中心に
孫 占 坤
はじめに
本報告は2007 年秋に国連総会で採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を手掛
かりに、国際法における先住民族の権利保護の現状について検討を行うつもりである。報告に入
る前にまず、用語について少し説明させていただく。
先住民族について、英語では、Aborigine、Indigenous population(s)、Indigenous People(s)等が使
われている。対して、日本語では先住民、先住民族或いは先住人民等が使われている。これらの
用語の問題も先住民族問題を考える上で重要なイシューではあるが、本報告はこの問題に深入り
せず、日本語として基本的に「先住民族」を使わせていただく。但し、既に固定訳の場合等を考
慮し、「先住民」や「人民」と使う場面もあるので、ご理解いただきたい。
第2 次世界大戦後における国際的人権保護の大きな流れの中で、遅ればせながら、先住民族問
題も国際社会から重視されるようになった。現在、途上国の開発促進における世界銀行等の融資
姿勢や、マーボ判決、二風谷
にぶだに
判決のように伝統的国際法原則の否定或いは現代国際法原則の援用
を通した国内裁判、更に、様々な国内立法等によって、先住民族の権利保護が強調されつつある。
国際機関における取り組みの中で、最も早く先住民族問題に注目したのはILO(国際労動機関)
といえよう。そこでは、既に1957 年に第107 号条約(「独立国における土民ならびに他の種族民
および半種族民の保護および同化に関する条約」)が採択された。同条約では、先住民族がいま
だに所属国に十分「同化」されていないことを前提に、当該政府に先住民族を保護、漸進的同化
をさせるための第1 次的責任を明記し(第2 条)、先住民族を独立した存在としてではなく、単
なる「保護」の対象としか見なさなかった。89 年に採択されたILO 第169 号条約は1980 年代以
降の国連における先住民族議論の動向も受け、旧条約のようなパターナリズムと同化主義的考え
方こそ除去し、先住民族の土地や資源に関する権利を認めたものの、政策の実施レベルにおいて
は旧条約の国家主導というアプローチを継承したままであった。
一方、国連においては1970 年代の10 年間に及ぶ特別報告者による調査・研究の上、82 年に、
差別防止小委員会の下に「先住民作業部会(WGIP)」が設置されることになり、国連における
先住民族問題の組織的取組みのスタートを告げることになる。幾たびの修正を経て、93 年に
「先住民族権利宣言案」は作業部会で採択され、翌年に差別防止小委員会でも採択される。その
後、人権委員会の下で政府代表主導の「先住民族の権利宣言草案作業部会(WGDD)」における
10 年以上もの難産期間を経て、2006 年6 月に新設の国連人権理事会で可決されることになった。
更なる議論、攻防を経て2007 年9 月13 日に賛成143、反対4、棄権11、欠席34 で国連総会で
ようやく採択されることになった。これは82 年の組織的取り組みから数えると、実に25 年もの
歳月が流れていた。
宣言の全文は46 条におよび、土地と資源、文化的、宗教的、言語的アイデンティティ、生
存・安全の権利、教育・公共情報、経済的および社会的権利等、多岐に渡る先住民族の権利を規
定している。以下、宣言採択の中で最も議論された二つの問題であり、一般原則といえる「集団
の権利」と「自決権」を中心に報告を進めさせていただく。
宣言第1 条では、先住民族は、「集団又は個人として」、国際連合憲章、世界人権宣言および国
際人権法に認められている全ての人権と基本的自由の十分かつ効果的な享受に対する権利を有す
ると明記している。第3 条では、「自決の権利を有する」と自決権を明記し、先住民族はこの権
利に基づき、自らの政治的地位を自由に決定し、並びにその経済的、社会的および文化的発展を
自由に追求するとも規定している。
このような、先住民族に対する人権保障としての「集団の権利」、また、人民としての自決権
の明記は、国際法上一体どのような意義を持つのか。これについて、これまでの先住民族問題の
扱われ方を説明することでより理解することが出来る。
1 集団の権利について
「マイノリティ権利宣言」や「外国人権利宣言」、「国連移住労働者権利条約」、「ジェノサイド
条約」等のように、国際条約・宣言の中で、ある種の「集団」に関する規定が見られない訳では
ない。しかし、「権利」という言葉をキーワードに現代国際法を眺める時、その主体として浮上
するのは基本的に次の二つであろう。一つは国家である。もう一つは、戦後大きな潮流となって
いる国際的人権保護における「個人」である。主権国家と個人が基本的権利主体と想定されるシ
ステムの中で、先住民族の権利保護は「国際人権規約(自由権規約)」第27 条の下で扱われてき
た。
同条は「種族的、宗教的、又は言語的少数者」といった「集団」に着目し、これらの集団に
「属する者」は「集団の他の構成員とともに自己の文化享有、宗教の信仰と実践又は自己の言語
使用の権利が否定されない」ことが明記されている。規約の起草過程が示すように、ここで保障
される対象は基本的に少数者という集団ではなく、その集団に属する「個人」である。即ち、先
住民族の集団を含めて、「種族的、宗教的、又は言語的少数者集団」は、第27 条の下では事実的
存在であるに過ぎず、法的集団とはなりえなかった。
第27 条のこのような性格は規約発効後の規約委員会の示した「見解」またはその通報事件の
処理にも現れている。規約委員会は第27 条が「少数者に属する個人に与えられる権利である」、
同条で「意図された人々はある集団に属し、ある文化、宗教また言語を共有する者である」と述
べている。
人権規約の発効後、先住民族関連の通報が複数件あり、うち、集団的権利に関わる事件として
はベルナルド・オミナヤク(Bernard Ominayak)事件が代表的ケースといえよう。これは、カナ
ダ政府の許可した開発が部族の生活環境や経済基盤を破壊したとして、同国のルビコン湖部族の
首長であるオミナヤクが部族を代表して、自由権規約第1 条違反の通報を行った事件である。規
約委員会は1987 年7 月に当該通報を許容し、その理由として、通報者が人民に与えられる権利
である自決権侵害の犠牲者として選択議定書を利用することは出来ないが、規約第27 条やその
他の規定に基づいて問題を提起するかもしれない、その限りにおいて、通報が受理されると述べ
ている。これは、自決権にも関わる言及であるが、委員会は、次のことも述べ、権利の集団性に
関する読者の想像を掻き立てしまう。即ち、「選択議定書は、個人がその権利を侵害されたこと
を主張しうる手続を規定している」が、「類似の影響を被った個人の集団が、集団的に通報を提
出することに対していかなる異議も存在しない」、と。このように、委員会は第27 条が保護され
る権利は個人の権利であることを確認したと同時に、そのような個人の権利の侵害に対して、集
団的に通報することも認めた。後のアピラナ・マフィカ(Apirana Mahuika)事件では、委員会
は、「共同して影響を受ける個人の集団がその権利違反について通報を提出することに異議がな
い」と述べ、オミナヤク事件での立場を確認した。更にJ.G.A.ディガード(J.G.A.Diergaardt et
al.v.Namibia)事件でもこのような立場が繰り返されている。
これらの事件について、これまで、第27 条が「実質的に集団の権利に対する違反の申し立て
を認めることとなった」1、「結果として、第27 条が集団の権利を保障する側面もあることを認め
た」2、更に、「明らかに個人の人権保護とは異なる少数者集団に固有の権利が読み取れる」3 とい
った指摘があり、委員会が第27 条の権利に「集団的」性格を認めているかのように解釈してい
るが、報告者は、これらの事件を寧ろ次のように理解すべきであろうと考える。即ち、いずれの
事件においても、規約委員会は第27 条に掲げる権利を「集団的」なものとして捉えようとした
のではなく、個人の権利に対する違反の「集団的申し立て」を認めたに過ぎないのではないか。
言い換えれば、規約委員会は第27 条に規定される権利の性格に新味を加えることで集団として
の先住民族の保護を図ったのではなく、第1 選択議定書第1 条の弾力的解釈を通してそれを試み
たといえよう。
いずれにせよ、先住民族の通報問題において、集団的権利の承認という問題に関しては、規約
委員会は大変慎重であることは間違いない。
こうした慎重な姿勢に較べると、米州地域における先住民族の集団的権利の承認には、より積
極的な傾向が見られる。先住民族問題に関する米州人権委員会報告において、「先住民族共同体
の集団的権利あるいは法的地位の付与において、委員会は常に集団の権利概念を受け入れてい
る」。1990 年以降に起草されている米州先住民族宣言権利草案に盛り込まれた集団的権利の規定
についても、「集団と個人の権利が対立するものではなく、寧ろ、それぞれが完全かつ効果的人
権享受の原則の一部である」、「先住民族共同体は宣言における権利の保持者である」等を述べ、
集団としての先住民族の法主体性を認める立場をとっている。
勿論、委員会が集団的権利に前向きなのは、過去において、残念なケースがあったことが背景
の一つとなっているといえるかもしれない。1980 年代初期のMiskitos 事件において、ニカラグ
ア政府に強制的に移住させられたMiskito 部族に対して、米州人権委員会は米州人権条約の権利
が専ら個人的なものであることに拘り、集団としての先住民族の保護について効果的意見を示す
ことが出来なかった。
時代の推移に伴い、米州における集団の権利の承認が益々強くなっていく。米州における集団
的権利保護として最も評価すべき裁判は、やはり、2001 年に米州人権裁判所が下したアワス・
ティングニ(Awas Tingni v.Nicargua)事件の判決であろう。ここでは、国際的な司法裁判所とし
て、初めて明確に先住民族の集団としての権利を認めたのである。事件の発端は1995 年にアワ
ス・ティングニ部族祖先伝来の土地を、ニカラグア政府が韓国系の木材会社に譲渡する契約を結
んだことである。アワス・ティングニ部族は、この土地に対する登記等近代的土地所有の手続は
全くしていない。本来、個人的所有しか想定していなかった米州人権条約第21 条の財産権概念
について、裁判所は次のように述べる:同条の財産権は、共同財産(communal property)という
枠組みの中における先住民族共同体の構成員の権利が含まれる。「共同財産」について、裁判所
が念を押すように「このような法概念は国際的法概念として国内法と異なった独立した意味を持
っている」と述べている。この事件以降、米州人権委員会と裁判所からそれぞれ複数の事件に関
する意見または判決が下され、いずれもアワス・ティングニ判決の立場を引用または踏まえてい
る。この判決は、国際慣習法における先住民族の権利形成、とりわけ、集団的権利概念の確立に
とって大きな意味を持っていると評価されている。
このような環境の中で、先住民族の権利宣言における「集団的権利」概念が導入された。当初
は「集団的生存権(the collective right to exist)」、「集団的自治の権利(the collective right to
autonomy)」等の表現があり、日本も含めてフランス、オランダ等の国から、国際法におけるこ
のような人権概念が存在しない、或いは個人の権利を脅かす等の理由で反対されたり、危惧され
たりしたが、先住民族自身また途上国の支持で最終的には宣言に残されることになった。
2 先住民族の自決権
先住民族権利宣言におけるもう一つの一般原則ともいえる自決権の問題について検討させてい
ただく。自決権は植民地支配や外国占領、アパルトヘイト体制に対する抵抗といった状況の中で
国際法上の権利として確立され、その後、「全ての人民が自決権を有する」という展開の中で、
「内的自決」が特に重視されるようになった。自決権のこのような展開過程の中で、先住民族に
も自決権が認められるということは一体どういった意味を持つのか。これを浮き彫りにするため
にも、まず、ILO 第169 号条約と人権規約での扱いを確認したい。
まず、人権規約共通第1 条と自由権規約第27 条の関係に関する規約委員会の公式見解を確認
する。規約委員会の「一般的『見解』」によれば、自決権の実現が個々の人権の実効的な保障及
び遵守並びにその促進および強化にとって不可欠な条件である。両者の権利は区別されるもので
あり、自決権は人民に属する権利であって、選択議定書に基づき審査されうるものではない。対
して、第27 条で個人に与えられる権利は、規約の第3 部で個人に与えられる他の権利同様、選
択議定書に基づき審査されうるものである。委員会から見れば、選択議定書に基づき委員会に提
出された幾つかの通報では、第27 条に基づき保護される権利が、規約第1 条に宣言されている
人民の自決の権利と混同されていた。これらの事例のいずれも先住民族から自決権に対する違反
の通報が含まれていたものである。規約委員会は、そこに現れていた自決権の問題につき、基本
的に次のような態度を取っていた。1. 通報者の所属する部族が人民を構成するか否かの問題は、
選択議定書の下で委員会に委ねられた争点ではない、2. 通報者が、人民に与えられた権利であ
る自決権侵害の犠牲者として、選択議定書を利用することは出来ない。このように、自由権規約
の下で、規約委員会のそもそもの認識と後の実行のいずれにおいても、先住民族が「人民」とし
て自決権を求めることは基本的に不可能である。
先住民作業部会1985 年最初の草案には自決権の規定がなかった。この時期の、先住民族関係
のNGO の宣言に刺激された結果、1990 年の作業部会に三つの分科会に分れた草案検討グループ
のうち、一つのグループ(第2)は自決権の規定を草案に盛り込むことを決め、それは1993 年
の作業部会の最終草案の規定となった。以降、技術的修正を経ながら、宣言に残ることになった。
では、先住民族の自決権は一体何を意味するのか。それは、基本的には所属する国家の中で集
団として土地、水、森林等の資源の使用や言語、宗教を含めた独自の文化の保存、発展等、自ら
の社会的、経済的、また文化的諸権利を決定することである。いわば、「内的自決」或いは「広
範なまたは高度な自治または自己管理を通じて」の自決の実現である。これは主権国家の樹立を
主要な形態とした非植民地化過程の自決権より遥かに穏健的なものであるが、それでも宣言が採
択されるまでに、多くの主権国家から危惧され、とりわけ最後まで宣言の採決に反対していたオ
ーストラリア、ニュージランド、カナダ、米国の反対理由の一つは、やはりこの自決権の規定が
あったことである。議論の過程からいえば、宣言の自決権条項に「外的自決」或いはいわゆる
「分離権」が含まれていないと理解すべきであるが、自決権の「外的自決」側面のダイナミック
さは、これらの国の懸念を完全に払拭することが出来なかった。
おわりに
では、先住民族問題は現代国際法にどのような問いかけをしているか。或いはこの問題は現行
の国際法秩序にどのようなインパクトをもたらそうとしているのか。本報告は、「集団の権利」、
「自決権」といった一般原則に限定して報告させていただいた。かかる前提で、報告者は次の2
点を申し上げたい。
一つは、先住民族問題の国際人権法構造への影響である。個人ベースに構築された国際人権法、
とりわけ国際人権規約の人権保障システムは、今後、本報告で取り上げたような通報が起きる場
合、どのように機能するのかより注目したい。
第2 点目として、自決権への再評価の問題である。ご承知のように、自決権が国際法上の権利
として確立されたのは非植民地化過程である。その後、「全ての人民に自決権を有する」ように、
自決権の普遍的適用の中で、従来の植民地の独立という外的自決に対して、内的自決の重要性が
より指摘されるようになった。しかし、冷戦後、旧ソ連、旧ユーゴスラビアの民族分離運動に直
面して、自決権が「諸刃の剣」とも揶揄され、危惧される風潮があった。一方、自決権の究極の
目的は個人の人権の保護であり、自決権が人権の一部分として、権利の「個人化」が進んでいる
と唱える説もあった。先住民族権利宣言に盛り込まれた自決権は新たな主権国家の樹立といった
ラジカルなものではなく、同時に、決して個人レベルには同一化できない、また、国民全体では
なく、一部分の国民で構成される「集団」のmoderate(穏健)な権利という性格を持っている。
先住民族に対するこのような自決権の承認は、適用範囲と権利の性格、内容のいずれにおいても
自決権はその新たな活動空間を見出したことといえよう。このような国民国家の一部の「人民」
による自決権の行使は、従来の国民国家自体、またそのような国家で行われる国際関係にどのよ
うな影響をもたらすのか、より留意したい。
「集団の権利」にせよ、自決権にせよ、先住民族権利宣言におけるこれらの達成は、一面では
主権国家間の長年に渡る議論、妥協の結果ではある。同時に、1980 年代の差別防止小委員会の
下に設置された「作業部会」や、2002 年以降に経済社会理事会に設置された常設フォーラム等
の活動が示すように、先住民族問題に関わる原則の作成に、先住民族側の戦い・闘争が大きな意
味を持ったことは忘れるべきではない。特に、常設フォーラムが政府推薦委員と先住民族委員そ
れぞれ8 名で構成されていることは、これまでの国際機関の中でもユニークである。このような
構成は、先住民族に関わる国際的原則の作成において、彼らは単なるNGO として「運動」的形
で関わるのではなく、政策・原則形成の直接の「主体」となっていることを意味するものであろ
う。
宣言採択後、既にボリビア政府は2007 年11 月7 日にこれを国内法として認定すること(国内
法3760)を宣言した。日本も2008 年6 月6 日に「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決
議案」(笹川堯君外十二名提出)は衆参両院とも全会一致の形で採択されている。宣言は今後の
先住民族問題に関する各国の国内法制の整備、また、国連における先住民族問題の更なる取り組
みに繋がると思われる。
<注>
1 桐山孝信「人権規約のなかの自決権」山手治之・香西茂編『現代国際法における人権と平和の保障』東信堂、56 頁。
2 桐山孝信「オミナヤク事件」松井芳郎編著『判例国際法』東信堂、294 頁。
3 舟木和久「国際人権規約における少数者問題の再検討」立命館法学2006 年5 号、145 頁。
http://www.meijigakuin.ac.jp/~iism/pdf/nenpo_014/p41son.pdf
孫 占 坤
はじめに
本報告は2007 年秋に国連総会で採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を手掛
かりに、国際法における先住民族の権利保護の現状について検討を行うつもりである。報告に入
る前にまず、用語について少し説明させていただく。
先住民族について、英語では、Aborigine、Indigenous population(s)、Indigenous People(s)等が使
われている。対して、日本語では先住民、先住民族或いは先住人民等が使われている。これらの
用語の問題も先住民族問題を考える上で重要なイシューではあるが、本報告はこの問題に深入り
せず、日本語として基本的に「先住民族」を使わせていただく。但し、既に固定訳の場合等を考
慮し、「先住民」や「人民」と使う場面もあるので、ご理解いただきたい。
第2 次世界大戦後における国際的人権保護の大きな流れの中で、遅ればせながら、先住民族問
題も国際社会から重視されるようになった。現在、途上国の開発促進における世界銀行等の融資
姿勢や、マーボ判決、二風谷
にぶだに
判決のように伝統的国際法原則の否定或いは現代国際法原則の援用
を通した国内裁判、更に、様々な国内立法等によって、先住民族の権利保護が強調されつつある。
国際機関における取り組みの中で、最も早く先住民族問題に注目したのはILO(国際労動機関)
といえよう。そこでは、既に1957 年に第107 号条約(「独立国における土民ならびに他の種族民
および半種族民の保護および同化に関する条約」)が採択された。同条約では、先住民族がいま
だに所属国に十分「同化」されていないことを前提に、当該政府に先住民族を保護、漸進的同化
をさせるための第1 次的責任を明記し(第2 条)、先住民族を独立した存在としてではなく、単
なる「保護」の対象としか見なさなかった。89 年に採択されたILO 第169 号条約は1980 年代以
降の国連における先住民族議論の動向も受け、旧条約のようなパターナリズムと同化主義的考え
方こそ除去し、先住民族の土地や資源に関する権利を認めたものの、政策の実施レベルにおいて
は旧条約の国家主導というアプローチを継承したままであった。
一方、国連においては1970 年代の10 年間に及ぶ特別報告者による調査・研究の上、82 年に、
差別防止小委員会の下に「先住民作業部会(WGIP)」が設置されることになり、国連における
先住民族問題の組織的取組みのスタートを告げることになる。幾たびの修正を経て、93 年に
「先住民族権利宣言案」は作業部会で採択され、翌年に差別防止小委員会でも採択される。その
後、人権委員会の下で政府代表主導の「先住民族の権利宣言草案作業部会(WGDD)」における
10 年以上もの難産期間を経て、2006 年6 月に新設の国連人権理事会で可決されることになった。
更なる議論、攻防を経て2007 年9 月13 日に賛成143、反対4、棄権11、欠席34 で国連総会で
ようやく採択されることになった。これは82 年の組織的取り組みから数えると、実に25 年もの
歳月が流れていた。
宣言の全文は46 条におよび、土地と資源、文化的、宗教的、言語的アイデンティティ、生
存・安全の権利、教育・公共情報、経済的および社会的権利等、多岐に渡る先住民族の権利を規
定している。以下、宣言採択の中で最も議論された二つの問題であり、一般原則といえる「集団
の権利」と「自決権」を中心に報告を進めさせていただく。
宣言第1 条では、先住民族は、「集団又は個人として」、国際連合憲章、世界人権宣言および国
際人権法に認められている全ての人権と基本的自由の十分かつ効果的な享受に対する権利を有す
ると明記している。第3 条では、「自決の権利を有する」と自決権を明記し、先住民族はこの権
利に基づき、自らの政治的地位を自由に決定し、並びにその経済的、社会的および文化的発展を
自由に追求するとも規定している。
このような、先住民族に対する人権保障としての「集団の権利」、また、人民としての自決権
の明記は、国際法上一体どのような意義を持つのか。これについて、これまでの先住民族問題の
扱われ方を説明することでより理解することが出来る。
1 集団の権利について
「マイノリティ権利宣言」や「外国人権利宣言」、「国連移住労働者権利条約」、「ジェノサイド
条約」等のように、国際条約・宣言の中で、ある種の「集団」に関する規定が見られない訳では
ない。しかし、「権利」という言葉をキーワードに現代国際法を眺める時、その主体として浮上
するのは基本的に次の二つであろう。一つは国家である。もう一つは、戦後大きな潮流となって
いる国際的人権保護における「個人」である。主権国家と個人が基本的権利主体と想定されるシ
ステムの中で、先住民族の権利保護は「国際人権規約(自由権規約)」第27 条の下で扱われてき
た。
同条は「種族的、宗教的、又は言語的少数者」といった「集団」に着目し、これらの集団に
「属する者」は「集団の他の構成員とともに自己の文化享有、宗教の信仰と実践又は自己の言語
使用の権利が否定されない」ことが明記されている。規約の起草過程が示すように、ここで保障
される対象は基本的に少数者という集団ではなく、その集団に属する「個人」である。即ち、先
住民族の集団を含めて、「種族的、宗教的、又は言語的少数者集団」は、第27 条の下では事実的
存在であるに過ぎず、法的集団とはなりえなかった。
第27 条のこのような性格は規約発効後の規約委員会の示した「見解」またはその通報事件の
処理にも現れている。規約委員会は第27 条が「少数者に属する個人に与えられる権利である」、
同条で「意図された人々はある集団に属し、ある文化、宗教また言語を共有する者である」と述
べている。
人権規約の発効後、先住民族関連の通報が複数件あり、うち、集団的権利に関わる事件として
はベルナルド・オミナヤク(Bernard Ominayak)事件が代表的ケースといえよう。これは、カナ
ダ政府の許可した開発が部族の生活環境や経済基盤を破壊したとして、同国のルビコン湖部族の
首長であるオミナヤクが部族を代表して、自由権規約第1 条違反の通報を行った事件である。規
約委員会は1987 年7 月に当該通報を許容し、その理由として、通報者が人民に与えられる権利
である自決権侵害の犠牲者として選択議定書を利用することは出来ないが、規約第27 条やその
他の規定に基づいて問題を提起するかもしれない、その限りにおいて、通報が受理されると述べ
ている。これは、自決権にも関わる言及であるが、委員会は、次のことも述べ、権利の集団性に
関する読者の想像を掻き立てしまう。即ち、「選択議定書は、個人がその権利を侵害されたこと
を主張しうる手続を規定している」が、「類似の影響を被った個人の集団が、集団的に通報を提
出することに対していかなる異議も存在しない」、と。このように、委員会は第27 条が保護され
る権利は個人の権利であることを確認したと同時に、そのような個人の権利の侵害に対して、集
団的に通報することも認めた。後のアピラナ・マフィカ(Apirana Mahuika)事件では、委員会
は、「共同して影響を受ける個人の集団がその権利違反について通報を提出することに異議がな
い」と述べ、オミナヤク事件での立場を確認した。更にJ.G.A.ディガード(J.G.A.Diergaardt et
al.v.Namibia)事件でもこのような立場が繰り返されている。
これらの事件について、これまで、第27 条が「実質的に集団の権利に対する違反の申し立て
を認めることとなった」1、「結果として、第27 条が集団の権利を保障する側面もあることを認め
た」2、更に、「明らかに個人の人権保護とは異なる少数者集団に固有の権利が読み取れる」3 とい
った指摘があり、委員会が第27 条の権利に「集団的」性格を認めているかのように解釈してい
るが、報告者は、これらの事件を寧ろ次のように理解すべきであろうと考える。即ち、いずれの
事件においても、規約委員会は第27 条に掲げる権利を「集団的」なものとして捉えようとした
のではなく、個人の権利に対する違反の「集団的申し立て」を認めたに過ぎないのではないか。
言い換えれば、規約委員会は第27 条に規定される権利の性格に新味を加えることで集団として
の先住民族の保護を図ったのではなく、第1 選択議定書第1 条の弾力的解釈を通してそれを試み
たといえよう。
いずれにせよ、先住民族の通報問題において、集団的権利の承認という問題に関しては、規約
委員会は大変慎重であることは間違いない。
こうした慎重な姿勢に較べると、米州地域における先住民族の集団的権利の承認には、より積
極的な傾向が見られる。先住民族問題に関する米州人権委員会報告において、「先住民族共同体
の集団的権利あるいは法的地位の付与において、委員会は常に集団の権利概念を受け入れてい
る」。1990 年以降に起草されている米州先住民族宣言権利草案に盛り込まれた集団的権利の規定
についても、「集団と個人の権利が対立するものではなく、寧ろ、それぞれが完全かつ効果的人
権享受の原則の一部である」、「先住民族共同体は宣言における権利の保持者である」等を述べ、
集団としての先住民族の法主体性を認める立場をとっている。
勿論、委員会が集団的権利に前向きなのは、過去において、残念なケースがあったことが背景
の一つとなっているといえるかもしれない。1980 年代初期のMiskitos 事件において、ニカラグ
ア政府に強制的に移住させられたMiskito 部族に対して、米州人権委員会は米州人権条約の権利
が専ら個人的なものであることに拘り、集団としての先住民族の保護について効果的意見を示す
ことが出来なかった。
時代の推移に伴い、米州における集団の権利の承認が益々強くなっていく。米州における集団
的権利保護として最も評価すべき裁判は、やはり、2001 年に米州人権裁判所が下したアワス・
ティングニ(Awas Tingni v.Nicargua)事件の判決であろう。ここでは、国際的な司法裁判所とし
て、初めて明確に先住民族の集団としての権利を認めたのである。事件の発端は1995 年にアワ
ス・ティングニ部族祖先伝来の土地を、ニカラグア政府が韓国系の木材会社に譲渡する契約を結
んだことである。アワス・ティングニ部族は、この土地に対する登記等近代的土地所有の手続は
全くしていない。本来、個人的所有しか想定していなかった米州人権条約第21 条の財産権概念
について、裁判所は次のように述べる:同条の財産権は、共同財産(communal property)という
枠組みの中における先住民族共同体の構成員の権利が含まれる。「共同財産」について、裁判所
が念を押すように「このような法概念は国際的法概念として国内法と異なった独立した意味を持
っている」と述べている。この事件以降、米州人権委員会と裁判所からそれぞれ複数の事件に関
する意見または判決が下され、いずれもアワス・ティングニ判決の立場を引用または踏まえてい
る。この判決は、国際慣習法における先住民族の権利形成、とりわけ、集団的権利概念の確立に
とって大きな意味を持っていると評価されている。
このような環境の中で、先住民族の権利宣言における「集団的権利」概念が導入された。当初
は「集団的生存権(the collective right to exist)」、「集団的自治の権利(the collective right to
autonomy)」等の表現があり、日本も含めてフランス、オランダ等の国から、国際法におけるこ
のような人権概念が存在しない、或いは個人の権利を脅かす等の理由で反対されたり、危惧され
たりしたが、先住民族自身また途上国の支持で最終的には宣言に残されることになった。
2 先住民族の自決権
先住民族権利宣言におけるもう一つの一般原則ともいえる自決権の問題について検討させてい
ただく。自決権は植民地支配や外国占領、アパルトヘイト体制に対する抵抗といった状況の中で
国際法上の権利として確立され、その後、「全ての人民が自決権を有する」という展開の中で、
「内的自決」が特に重視されるようになった。自決権のこのような展開過程の中で、先住民族に
も自決権が認められるということは一体どういった意味を持つのか。これを浮き彫りにするため
にも、まず、ILO 第169 号条約と人権規約での扱いを確認したい。
まず、人権規約共通第1 条と自由権規約第27 条の関係に関する規約委員会の公式見解を確認
する。規約委員会の「一般的『見解』」によれば、自決権の実現が個々の人権の実効的な保障及
び遵守並びにその促進および強化にとって不可欠な条件である。両者の権利は区別されるもので
あり、自決権は人民に属する権利であって、選択議定書に基づき審査されうるものではない。対
して、第27 条で個人に与えられる権利は、規約の第3 部で個人に与えられる他の権利同様、選
択議定書に基づき審査されうるものである。委員会から見れば、選択議定書に基づき委員会に提
出された幾つかの通報では、第27 条に基づき保護される権利が、規約第1 条に宣言されている
人民の自決の権利と混同されていた。これらの事例のいずれも先住民族から自決権に対する違反
の通報が含まれていたものである。規約委員会は、そこに現れていた自決権の問題につき、基本
的に次のような態度を取っていた。1. 通報者の所属する部族が人民を構成するか否かの問題は、
選択議定書の下で委員会に委ねられた争点ではない、2. 通報者が、人民に与えられた権利であ
る自決権侵害の犠牲者として、選択議定書を利用することは出来ない。このように、自由権規約
の下で、規約委員会のそもそもの認識と後の実行のいずれにおいても、先住民族が「人民」とし
て自決権を求めることは基本的に不可能である。
先住民作業部会1985 年最初の草案には自決権の規定がなかった。この時期の、先住民族関係
のNGO の宣言に刺激された結果、1990 年の作業部会に三つの分科会に分れた草案検討グループ
のうち、一つのグループ(第2)は自決権の規定を草案に盛り込むことを決め、それは1993 年
の作業部会の最終草案の規定となった。以降、技術的修正を経ながら、宣言に残ることになった。
では、先住民族の自決権は一体何を意味するのか。それは、基本的には所属する国家の中で集
団として土地、水、森林等の資源の使用や言語、宗教を含めた独自の文化の保存、発展等、自ら
の社会的、経済的、また文化的諸権利を決定することである。いわば、「内的自決」或いは「広
範なまたは高度な自治または自己管理を通じて」の自決の実現である。これは主権国家の樹立を
主要な形態とした非植民地化過程の自決権より遥かに穏健的なものであるが、それでも宣言が採
択されるまでに、多くの主権国家から危惧され、とりわけ最後まで宣言の採決に反対していたオ
ーストラリア、ニュージランド、カナダ、米国の反対理由の一つは、やはりこの自決権の規定が
あったことである。議論の過程からいえば、宣言の自決権条項に「外的自決」或いはいわゆる
「分離権」が含まれていないと理解すべきであるが、自決権の「外的自決」側面のダイナミック
さは、これらの国の懸念を完全に払拭することが出来なかった。
おわりに
では、先住民族問題は現代国際法にどのような問いかけをしているか。或いはこの問題は現行
の国際法秩序にどのようなインパクトをもたらそうとしているのか。本報告は、「集団の権利」、
「自決権」といった一般原則に限定して報告させていただいた。かかる前提で、報告者は次の2
点を申し上げたい。
一つは、先住民族問題の国際人権法構造への影響である。個人ベースに構築された国際人権法、
とりわけ国際人権規約の人権保障システムは、今後、本報告で取り上げたような通報が起きる場
合、どのように機能するのかより注目したい。
第2 点目として、自決権への再評価の問題である。ご承知のように、自決権が国際法上の権利
として確立されたのは非植民地化過程である。その後、「全ての人民に自決権を有する」ように、
自決権の普遍的適用の中で、従来の植民地の独立という外的自決に対して、内的自決の重要性が
より指摘されるようになった。しかし、冷戦後、旧ソ連、旧ユーゴスラビアの民族分離運動に直
面して、自決権が「諸刃の剣」とも揶揄され、危惧される風潮があった。一方、自決権の究極の
目的は個人の人権の保護であり、自決権が人権の一部分として、権利の「個人化」が進んでいる
と唱える説もあった。先住民族権利宣言に盛り込まれた自決権は新たな主権国家の樹立といった
ラジカルなものではなく、同時に、決して個人レベルには同一化できない、また、国民全体では
なく、一部分の国民で構成される「集団」のmoderate(穏健)な権利という性格を持っている。
先住民族に対するこのような自決権の承認は、適用範囲と権利の性格、内容のいずれにおいても
自決権はその新たな活動空間を見出したことといえよう。このような国民国家の一部の「人民」
による自決権の行使は、従来の国民国家自体、またそのような国家で行われる国際関係にどのよ
うな影響をもたらすのか、より留意したい。
「集団の権利」にせよ、自決権にせよ、先住民族権利宣言におけるこれらの達成は、一面では
主権国家間の長年に渡る議論、妥協の結果ではある。同時に、1980 年代の差別防止小委員会の
下に設置された「作業部会」や、2002 年以降に経済社会理事会に設置された常設フォーラム等
の活動が示すように、先住民族問題に関わる原則の作成に、先住民族側の戦い・闘争が大きな意
味を持ったことは忘れるべきではない。特に、常設フォーラムが政府推薦委員と先住民族委員そ
れぞれ8 名で構成されていることは、これまでの国際機関の中でもユニークである。このような
構成は、先住民族に関わる国際的原則の作成において、彼らは単なるNGO として「運動」的形
で関わるのではなく、政策・原則形成の直接の「主体」となっていることを意味するものであろ
う。
宣言採択後、既にボリビア政府は2007 年11 月7 日にこれを国内法として認定すること(国内
法3760)を宣言した。日本も2008 年6 月6 日に「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決
議案」(笹川堯君外十二名提出)は衆参両院とも全会一致の形で採択されている。宣言は今後の
先住民族問題に関する各国の国内法制の整備、また、国連における先住民族問題の更なる取り組
みに繋がると思われる。
<注>
1 桐山孝信「人権規約のなかの自決権」山手治之・香西茂編『現代国際法における人権と平和の保障』東信堂、56 頁。
2 桐山孝信「オミナヤク事件」松井芳郎編著『判例国際法』東信堂、294 頁。
3 舟木和久「国際人権規約における少数者問題の再検討」立命館法学2006 年5 号、145 頁。
http://www.meijigakuin.ac.jp/~iism/pdf/nenpo_014/p41son.pdf
先住民族文化パーク、セデック族の伝統家屋が完成
発信日時:01/02/2012
台湾の先住民族の文化を伝える「台湾先住民族文化パーク」(屏東県)でこのほど、セデック族の伝統家屋が竣工し、南投県からセデック族の40人余が集まり祖先の霊を祭る儀式を行った。2008年に台湾14番目の先住民族として正式に指定されたセデック族の家屋の完成で、同パークは14民族の伝統家屋がすべて見学できるようになった。(台湾先住民族文化パーク提供、中央社)
http://taiwantoday.tw/ct.asp?xItem=183528&ctNode=1887
発信日時:01/02/2012
台湾の先住民族の文化を伝える「台湾先住民族文化パーク」(屏東県)でこのほど、セデック族の伝統家屋が竣工し、南投県からセデック族の40人余が集まり祖先の霊を祭る儀式を行った。2008年に台湾14番目の先住民族として正式に指定されたセデック族の家屋の完成で、同パークは14民族の伝統家屋がすべて見学できるようになった。(台湾先住民族文化パーク提供、中央社)
http://taiwantoday.tw/ct.asp?xItem=183528&ctNode=1887
20年間の環境保護活動の後、政治汚職と闘う
ペナン族の伝統的な生活様式が森林伐採によって脅かされている (AFP)
関連記事
森の幼児教室 広大な森で子どもの可能性も広がる
ジェシカ・デイシー, swissinfo.ch
ブルーノ・マンサー基金(Bruno Manser Fund/BMF)がマレーシアのペナン族のために環境保護活動を開始してから20年。今後は現地の政治汚職問題に取り組んでいく。
ブルーノ・マンサー基金は先住民、ペナン族の代理として現在も活動を行っている数少ないマレーシア国外の組織。先住民は、ボルネオ島のサラワク州(Sarawak)にある、世界で最も多様な生物が生息する森林で生活している。
近年、森林伐採や、油やし栽培林計画によってサラワク州の森林の3分の2が破壊された。現在、ブルーノ・マンサー基金は開発計画の背景にある政治汚職問題を採り上げている。
バーゼルを拠点にしているブルーノ・マンサー基金は1990年12月7日に創立された。カリスマ性を備えたスイス人の活動家、ブルーノ・マンサー氏が11年前に始めた闘いを今も続けている。マンサー氏はペナン族と共に6年間生活し、森林伐採に平和的な方法で抵抗するために道路を封鎖した。
基金を設立したマンサー氏は、2000年にマレーシアのサラワク州へ向かう途中に行方不明になった。2005年、バーゼル裁判所はマンサー氏の失踪を宣告した。
ブルーノ・マンサー基金は、ほとんどの原生林は伐採されてしまったものの、過去20年間でペナン族の権利主張に関しては進歩を遂げたと報告する。「サラワク州のキャンペーンは上手くいっている。先住民がコミュニティを組織化したり、彼ら自身で正しい選択をしたりすることができるよう援助することで、森林伐採に抵抗し続けることができた。今では、先住民は自分たちの土地に対する権利を持つことを知っているし、暮らしに関する発言権を持つことも知っている」とブルーノ・マンサー基金の所長ルーカス・シュトラウマン氏は説明する。
土地を測定したり、幼稚園などの教育施設や健康管理設備を設立したりするほかに、ブルーノ・マンサー基金は地方裁判所で先住民の土地の権利も主張している。また、先住民がヨーロッパの状況について知識が得られるよう支援も行っている。
しかし、サラワク州の「独裁政権」による抵抗に遭い、明らかな変化を起こすには至っていないという。
収奪型の統治
「我々が最も案じているのは、サラワク州で30年間、同じ政権が実権を握り、同じ一族がサラワク州と収奪型の統治を支配しているということだ」とシュトラウマン氏は語る。
その問題となっている家族というのは、アブドゥル・タイブ・マハムッド州主席大臣の一族。シュトラウマン氏によると、タイブ・マハムッド州主席大臣は政治や経済、メディアをコントロールしている。財政と政策で実権を握っているのは、事実上アブドゥル・タイブ・マハムッド州主席大臣だ。
ブルーノ・マンサー基金は定期的にホームページ上でサラワク州の汚職について報告している。2月にはタイブ州主席大臣と「ブラックリスト」に載せられている48社の企業に反対するオンラインキャンペーンが開始された。12月初旬、ブルーノ・マンサー基金はタイブ州主席大臣の親類と関係のあるマレーシアの企業332社を公表し、キャンペーンはさらに勢いを増した。タイブ州主席大臣の親類のほとんどが管理職か株主で、国外に拠点を置いている会社も101社に上る。
ブルーノ・マンサー基金は企業の記録や登録から情報を収集し、資金が流出するパターンを割り出した。データを詳しく調べていくと、タイブ州主席大臣の4人の子どもが世界中の企業342社と関係があることが判明した。「これは本当に信じられないこと。要するに彼らは全サラワク州を牛耳っている」とシュトラウマン氏は語る。
ブルーノ・マンサー基金は、タイブ家は外国に財産を隠していると断言する。不法に得た資産は現在、スイスとイギリスの銀行口座に振り込まれていると言う。
汚職根絶は可能か
シュトラウマン氏は今こそ反対運動を拡大するべきだと語る。「ボルネオ島の環境破壊の根源の一つは汚職だが、ほかの国でも同じことが起こっている。環境や人権を保護する組織として幅広く活動することが重要だ」
「環境保護活動開始から20年たった今も、地域で成果が現れていないのは、マレーシア政府やサラワク政府が汚職に手を染め、環境保護の提案に応じないからだ」とシュトラウマン氏は続ける。
タイブ氏は賄賂で得た資金を外国に隠していることを否定している。また、森林伐採は土地開発のために行われていると主張する。シュトラウマン氏によると、マンサー氏は自らタイブ氏を相手に闘おうとしたが、あまりにも権力が強すぎて敵わない相手だと思い知らされたという。
NGOの役割
ブルーノ・マンサー基金は2012年以降汚職反対のキャンペーンのほかに、サラワク州で計画されている12件のダムプロジェクトについて詳しく調査する予定だ。ダムの建設予定地になった村は水没し、壊滅する恐れがある。
ブルーノ・マンサーさんが行方不明になってから10年後開かれた2010年の式典で、森林管理キャンペーン活動を行っているサスキア・オツィンガ氏はペナン族を援助する組織が少ないことを嘆いた。1980年代から1990年代にかけては多くの関心を得られたが、その後マレーシアのNGOが分裂し、ヨーロッパのNGOが誤った手段を取り、人権ではなく森林伐採に問題の焦点を当ててしまったためにペナン族の問題が忘れ去られてしまったとオツィンガ氏は言う。「サラワク州の問題は専門知識のない腐敗した政府が原因。ブルーノ・マンサー基金がキャンペーンにおいて政府の汚職問題に的を絞ることは賢明だ」
「脅威にさらされている民族を守る協会(GfbV)」のスイス支部は、ブルーノ・マンサー基金のような組織は、影響力がなく存在を認められていない民族にとって「極めて重要」だと説明する。また、「ブルーノ・マンサーを亡くし、今や誰もペナン族の運命の行方を知らない。先住民の利益に反することになってしまうようなリスクを負わないよう、建設的なやり方で援助することが大切だ」と協会の理事長クリストフ・ヴィートマー氏は語る。
ブルーノ・マンサー基金などの支援組織は国連でこの問題を採り上げるように働きかけ、サラワク州政府と関連企業に圧力を加え、合法的に裁判で先住民を弁護できるよう援助し、現地の社会経済のためにプロジェクトを行う上で重要な役割を担っている。
ジェシカ・デイシー, swissinfo.ch
(英語からの翻訳、白崎泰子)
ペナン族の伝統的な生活様式が森林伐採によって脅かされている (AFP)
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ジェシカ・デイシー, swissinfo.ch
ブルーノ・マンサー基金(Bruno Manser Fund/BMF)がマレーシアのペナン族のために環境保護活動を開始してから20年。今後は現地の政治汚職問題に取り組んでいく。
ブルーノ・マンサー基金は先住民、ペナン族の代理として現在も活動を行っている数少ないマレーシア国外の組織。先住民は、ボルネオ島のサラワク州(Sarawak)にある、世界で最も多様な生物が生息する森林で生活している。
近年、森林伐採や、油やし栽培林計画によってサラワク州の森林の3分の2が破壊された。現在、ブルーノ・マンサー基金は開発計画の背景にある政治汚職問題を採り上げている。
バーゼルを拠点にしているブルーノ・マンサー基金は1990年12月7日に創立された。カリスマ性を備えたスイス人の活動家、ブルーノ・マンサー氏が11年前に始めた闘いを今も続けている。マンサー氏はペナン族と共に6年間生活し、森林伐採に平和的な方法で抵抗するために道路を封鎖した。
基金を設立したマンサー氏は、2000年にマレーシアのサラワク州へ向かう途中に行方不明になった。2005年、バーゼル裁判所はマンサー氏の失踪を宣告した。
ブルーノ・マンサー基金は、ほとんどの原生林は伐採されてしまったものの、過去20年間でペナン族の権利主張に関しては進歩を遂げたと報告する。「サラワク州のキャンペーンは上手くいっている。先住民がコミュニティを組織化したり、彼ら自身で正しい選択をしたりすることができるよう援助することで、森林伐採に抵抗し続けることができた。今では、先住民は自分たちの土地に対する権利を持つことを知っているし、暮らしに関する発言権を持つことも知っている」とブルーノ・マンサー基金の所長ルーカス・シュトラウマン氏は説明する。
土地を測定したり、幼稚園などの教育施設や健康管理設備を設立したりするほかに、ブルーノ・マンサー基金は地方裁判所で先住民の土地の権利も主張している。また、先住民がヨーロッパの状況について知識が得られるよう支援も行っている。
しかし、サラワク州の「独裁政権」による抵抗に遭い、明らかな変化を起こすには至っていないという。
収奪型の統治
「我々が最も案じているのは、サラワク州で30年間、同じ政権が実権を握り、同じ一族がサラワク州と収奪型の統治を支配しているということだ」とシュトラウマン氏は語る。
その問題となっている家族というのは、アブドゥル・タイブ・マハムッド州主席大臣の一族。シュトラウマン氏によると、タイブ・マハムッド州主席大臣は政治や経済、メディアをコントロールしている。財政と政策で実権を握っているのは、事実上アブドゥル・タイブ・マハムッド州主席大臣だ。
ブルーノ・マンサー基金は定期的にホームページ上でサラワク州の汚職について報告している。2月にはタイブ州主席大臣と「ブラックリスト」に載せられている48社の企業に反対するオンラインキャンペーンが開始された。12月初旬、ブルーノ・マンサー基金はタイブ州主席大臣の親類と関係のあるマレーシアの企業332社を公表し、キャンペーンはさらに勢いを増した。タイブ州主席大臣の親類のほとんどが管理職か株主で、国外に拠点を置いている会社も101社に上る。
ブルーノ・マンサー基金は企業の記録や登録から情報を収集し、資金が流出するパターンを割り出した。データを詳しく調べていくと、タイブ州主席大臣の4人の子どもが世界中の企業342社と関係があることが判明した。「これは本当に信じられないこと。要するに彼らは全サラワク州を牛耳っている」とシュトラウマン氏は語る。
ブルーノ・マンサー基金は、タイブ家は外国に財産を隠していると断言する。不法に得た資産は現在、スイスとイギリスの銀行口座に振り込まれていると言う。
汚職根絶は可能か
シュトラウマン氏は今こそ反対運動を拡大するべきだと語る。「ボルネオ島の環境破壊の根源の一つは汚職だが、ほかの国でも同じことが起こっている。環境や人権を保護する組織として幅広く活動することが重要だ」
「環境保護活動開始から20年たった今も、地域で成果が現れていないのは、マレーシア政府やサラワク政府が汚職に手を染め、環境保護の提案に応じないからだ」とシュトラウマン氏は続ける。
タイブ氏は賄賂で得た資金を外国に隠していることを否定している。また、森林伐採は土地開発のために行われていると主張する。シュトラウマン氏によると、マンサー氏は自らタイブ氏を相手に闘おうとしたが、あまりにも権力が強すぎて敵わない相手だと思い知らされたという。
NGOの役割
ブルーノ・マンサー基金は2012年以降汚職反対のキャンペーンのほかに、サラワク州で計画されている12件のダムプロジェクトについて詳しく調査する予定だ。ダムの建設予定地になった村は水没し、壊滅する恐れがある。
ブルーノ・マンサーさんが行方不明になってから10年後開かれた2010年の式典で、森林管理キャンペーン活動を行っているサスキア・オツィンガ氏はペナン族を援助する組織が少ないことを嘆いた。1980年代から1990年代にかけては多くの関心を得られたが、その後マレーシアのNGOが分裂し、ヨーロッパのNGOが誤った手段を取り、人権ではなく森林伐採に問題の焦点を当ててしまったためにペナン族の問題が忘れ去られてしまったとオツィンガ氏は言う。「サラワク州の問題は専門知識のない腐敗した政府が原因。ブルーノ・マンサー基金がキャンペーンにおいて政府の汚職問題に的を絞ることは賢明だ」
「脅威にさらされている民族を守る協会(GfbV)」のスイス支部は、ブルーノ・マンサー基金のような組織は、影響力がなく存在を認められていない民族にとって「極めて重要」だと説明する。また、「ブルーノ・マンサーを亡くし、今や誰もペナン族の運命の行方を知らない。先住民の利益に反することになってしまうようなリスクを負わないよう、建設的なやり方で援助することが大切だ」と協会の理事長クリストフ・ヴィートマー氏は語る。
ブルーノ・マンサー基金などの支援組織は国連でこの問題を採り上げるように働きかけ、サラワク州政府と関連企業に圧力を加え、合法的に裁判で先住民を弁護できるよう援助し、現地の社会経済のためにプロジェクトを行う上で重要な役割を担っている。
ジェシカ・デイシー, swissinfo.ch
(英語からの翻訳、白崎泰子)
National Geographic News
December 14, 2011
ブラジル政府は、アマゾン川の主要な支流シングー川に世界3位の水力発電ダムを建設する計画だ。最大出力1万1000メガワットの電力は、サンパウロを中心とする大都市圏の生活レベル向上と、成長著しい産業の巨大な電力需要を賄う目的で利用される。しかし、総工費170億ドル(約1兆3000億円)のベロモンテ(Belo Monte)ダムにより、住民2万人以上が立ち退きを強いられ、カヤポ族をはじめとする先住民が独自に育んできた文化が脅かされるとの批判も出ている。食料、水、移動手段をシングー川とその支流に依存する先住民にとって、生存権に直結する大工事だ。
一方、官民の電力会社、建設会社が構成する企業連合ノルテ・エネルギアは、「間接的な影響は生じるが、住民に立ち退きを迫る予定はない」と断言する。
写真家のクリスティーナ・ミッターマイヤー氏は、1990年代からアマゾン川流域に通い続けている。カヤポ族の村を小型機で年に2度ほど訪れ、文化やシングー川との結び付きを記録するという。写真はシングー川の支流、ペケーニョ川(Rio Pequeno)の浅瀬で遊ぶ子どもたち。カヤポ族にとって川との触れ合いが日常の一部であることを物語っている。
「赤ん坊が生まれるとすぐ川に連れて行く」とミッターマイヤー氏は話す。「一日中、川で遊ぶ子どもの姿が見られる。彼らは小さいころから泳ぎがとても得意だ」。
カヤポ族にとって、ダムの脅威は今に始まったことではない。シングー川のダム建設計画は以前にもあったが、1990年代には国内外からの抗議を受けて断念。カヤポ族が主導した反対行動もあった。しかし今回のベロモンテは、期待するほどの発電量は見込めないという批判もむなしく、計画が実行されるだろう。ブラジル政府が態度を変える様子はなく、反対されても工事は進めると関係者は話している。旺盛な発展を遂げるブラジルの電力需要を賄うにはダムが不可欠というのが政府の言い分だ。
Photograph by Cristina Mittermeier
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2011121401&expand&source=gnews
December 14, 2011
ブラジル政府は、アマゾン川の主要な支流シングー川に世界3位の水力発電ダムを建設する計画だ。最大出力1万1000メガワットの電力は、サンパウロを中心とする大都市圏の生活レベル向上と、成長著しい産業の巨大な電力需要を賄う目的で利用される。しかし、総工費170億ドル(約1兆3000億円)のベロモンテ(Belo Monte)ダムにより、住民2万人以上が立ち退きを強いられ、カヤポ族をはじめとする先住民が独自に育んできた文化が脅かされるとの批判も出ている。食料、水、移動手段をシングー川とその支流に依存する先住民にとって、生存権に直結する大工事だ。
一方、官民の電力会社、建設会社が構成する企業連合ノルテ・エネルギアは、「間接的な影響は生じるが、住民に立ち退きを迫る予定はない」と断言する。
写真家のクリスティーナ・ミッターマイヤー氏は、1990年代からアマゾン川流域に通い続けている。カヤポ族の村を小型機で年に2度ほど訪れ、文化やシングー川との結び付きを記録するという。写真はシングー川の支流、ペケーニョ川(Rio Pequeno)の浅瀬で遊ぶ子どもたち。カヤポ族にとって川との触れ合いが日常の一部であることを物語っている。
「赤ん坊が生まれるとすぐ川に連れて行く」とミッターマイヤー氏は話す。「一日中、川で遊ぶ子どもの姿が見られる。彼らは小さいころから泳ぎがとても得意だ」。
カヤポ族にとって、ダムの脅威は今に始まったことではない。シングー川のダム建設計画は以前にもあったが、1990年代には国内外からの抗議を受けて断念。カヤポ族が主導した反対行動もあった。しかし今回のベロモンテは、期待するほどの発電量は見込めないという批判もむなしく、計画が実行されるだろう。ブラジル政府が態度を変える様子はなく、反対されても工事は進めると関係者は話している。旺盛な発展を遂げるブラジルの電力需要を賄うにはダムが不可欠というのが政府の言い分だ。
Photograph by Cristina Mittermeier
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2011121401&expand&source=gnews