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アイヌ民族関連報道クリップ

アイヌ民族・先住民族関連の報道クリップです。各記事の版権は発信元にあります。

71%が「姑息」=「ひきょう」と間違い記事を印刷する日記を書く(日刊スポーツ)

2011-09-15 18:02:00 | その他のニュース
71%が「姑息」=「ひきょう」と間違い記事を印刷する日記を書く

 「姑息(こそく)」の言葉の意味を71%の人が誤用し、「声を荒(あら)らげる」という慣用句を「荒(あ)らげる」と間違える人は80%に上ることが15日、文化庁の2010年度国語に関する世論調査で分かった。

 「言葉遣いに関心がある」と答えた人は06年度調査より4ポイント増えて81%に上ったが、「来れる」「見れる」など本来、正しくない「ら抜き言葉」を使う割合も増えた。文化庁は「メディアの影響で言葉への関心が高まる一方、言葉が変化していると感じる人も増えている」と分析している。

 言葉の意味を尋ねる質問で、「姑息」を「一時しのぎ」と正しく回答したのは15%にとどまり、71%が「ひきょうな」と誤った。「号泣する」を48%が「激しく泣く」と間違え、「大声を上げて泣く」と正解したのは34%だった。

 慣用句の使い方では、大きな声を出すことを本来の「声を荒(あら)らげる」と答えたのは11%しかおらず、80%は「荒(あ)らげる」とした。することや話題がなくなって時間を持て余すことを「間が持てない」と正解したのは29%で、「間が持たない」と間違った人は61%に上った。

 「雨模様」を「雨が降りそうな様子」と正しく答えたのは43%で、48%は「降ったりやんだりしている様子」と誤った。世代別の正答率は16~19歳が63%、60歳以上53%に対し、40代は29%。若年層の正答率が高い言葉も目立ち、文化庁は「誤用を学校で取り上げるようになったからではないか」とみている。

 ら抜き言葉では、「来れる」は05年度調査に比べて8ポイント増え43%、「食べれない」は8ポイント増の35%。「見れる」を使う人は、本来の「見られる」とほぼ同じ47%となる一方、「考えれない」を使う人は8%だけだった。

 また、アイヌ語や沖縄語など消滅の危機にある言語や方言を守る対策が必要と考える人は50%。大阪と神戸のローマ字表記についての質問では50%以上が、長音の記号が付いた「■saka」「K◆be」が読みやすいと答えた。(共同)

※■=マクロン付きO、◆=マクロン付きO小文字

 [2011年9月15日18時2分]

http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20110915-835481.html

2011年9月15日(木) 東奥日報 天地人(Web東奥)

2011-09-15 00:00:00 | その他のニュース
2011年9月15日(木)

 棟方志功の板画に「柵」という題が付いている。「恐山の柵」「道標の柵」「津軽海峡の柵」。柵といっても木の囲いではなく、四国巡礼のお遍路さんが寺に納めるお札のこと。一つ一つ願掛けの札を納めるように魂を込める創作作法を表す。

 大作「花矢(はなや)の柵」には郷土の発展を願う気持ちを込めた。壮大な世界観を示す縦2メートル、横6メートルを超える木版壁画は、1961年に完成した県庁舎の玄関を飾った。アイヌ民族の祭りの儀式に構想を得た作品を象徴するのは、疾駆する馬に乗った神が射ろうとする矢だ。

 「この矢を北から南へ吹き返す」と志功は熱く語った。今までの日本の文明や文化は南から北に向かっていた。「青森のほうからのいのちを、こんどは南のほうへぶつけてやるような形のものにしたい」。愛してやまない郷里をたたえ、花矢に文化の発信力を重ねたのだった。

 鎌倉市の棟方板画美術館との合併を記念する特別展が、青森市の棟方志功記念館で始まった。強烈な力を宿す「花矢の柵」を見た。県立美術館に展示してある作品には彩色を施してあるが、鎌倉からやって来た作品は墨一色。同じ作品でも趣が違い、重厚さを醸しだす。

 一柵ずつ作品に願を掛け、願所に納めていく。「生涯の道標を一つずつ置いて、柵はどこまでも続いていくことでしょう」と志功は語っていた。青森市の三内霊園にある墓「静眠〓(せいみんひ)」には生年1903、没年は無限大を示す「∞」を刻む。それは永遠の命をもつ作品群にこそふさわしい。※〓は碑の「石」が「玉」


http://www.toonippo.co.jp/tenchijin/ten2011/ten20110915.html

大震災半年:道内の備えは?/4 文化財を守る /北海道(毎日新聞)

2011-09-15 00:00:00 | その他のニュース
大震災半年:道内の備えは?/4 文化財を守る /北海道
 ◇沿岸の博物館、無防備 国の指針、津波想定なく
 様似町のエンルム岬。3月11日夜、出張先の札幌から戻った町立「様似郷土館」の学芸員、田中正人さん(55)は目を疑った。建物の周囲には流木や空き缶が散らばり、外壁には海水の痕跡が残っている。「こんなところまで津波が来たのか」。辺りにはヘドロのようなにおいが漂い、思わず身震いがした。

 鉄筋コンクリート造り平屋建ての郷土館は1967年、日高地方唯一の郷土資料館としてオープンした。古文書やアイヌ民族資料など約1万点を収蔵し、江戸時代の「等〓(とうじゅ)院古文書」は国重要文化財にも指定されている。

 岬の付け根に位置し、東西を海に挟まれた建物は、標高2メートル。東日本大震災で様似には約3メートルの津波が押し寄せ、消防署や民家など45戸が床上浸水した。もう少し津波が高かったら……。田中さんは「収蔵品に被害が及ばなかったのは、運がよかっただけ」との思いが消えない。

  ◇   ◇

 火災と地震。これまで行政が取ってきた文化財の防災対策は、この2点がほぼすべてだった。阪神大震災後の95年8月に文化庁文化財保護部がまとめた「文化財公開施設の計画に関する指針」では、建物を「耐火・耐震構造とする」とあるが、浸水については地下の防水対応を求めている程度で、津波への言及はない。急傾斜地や活断層の近くなどと違って、低地や海の近くは「留意が必要な立地環境」にも挙げられていない。

 様似郷土館も重文は耐火金庫に収納するなど、国の指針に沿って防火・耐震を進めている。だが、津波に対しては打つ手がない。そもそも郷土館を含む町の中心部は、津波ハザードマップが想定する最大津波9メートルの浸水地域内にある。展示品を持ち出そうにも、震災当日は職員が不在で閉館していた。

 抜本的な解決策は、施設を高台に移すことだが、町の職員は「財源の問題があり、町だけで対策を取るのは難しい」と漏らす。移転候補地となる高台も町内には限られており、移転は高齢者施設などを優先することになっている。「移転するにしても、郷土館は最後だろう。人命優先は当然で仕方がない」。田中さんはため息をつく。

  ◇   ◇

 道防災計画は、文化財の保護について「所有者、管理者は、災害が発生した時はその復旧に努める」と定めている。だが震災後も、道は沿岸部に建つ博物館や資料館の数すら把握していない。道教委は「国が主導してくれれば津波対策もできるのだが」と歯切れが悪く、文化庁も「指針を変える予定はない。地域によっては津波と関係ない立地の施設もあり、全国一律にはいかない」と消極的だ。

 文部科学省のまとめでは、岩手、宮城、福島の3県で222件の文化財が震災で被害を受けたとされる。被災した博物館などに収められる前は、津波が到達しない高台の寺社や民家に資料や美術品があった可能性もある。津波を十分に考慮しない「ハコモノ」は、文化財にとって安全な環境とは言い難い。

 文化財は地域の歴史の記憶でもある。NPO法人「災害から文化財を守る会」の土岐憲三・立命館大教授(文化財防災学)は「文化財は一度失われてしまえば取り返しがつかない遺産だという意識を持ち続けなければならない」と対策の必要性を訴える。【円谷美晶、佐藤心哉】=つづく

毎日新聞 2011年9月15日 地方版


皇室:訪問日程終え、天皇陛下帰京 /北海道(毎日新聞)

2011-09-13 00:00:00 | その他のニュース
皇室:訪問日程終え、天皇陛下帰京 /北海道
 道内を視察していた天皇陛下は12日、道立総合研究機構の栽培水産試験場(室蘭市)などを訪問して4日間の全日程を終え、特別機で新千歳空港から帰京した。

 陛下は栽培水産試験所で魚の育成技術や稚魚の生産技術について説明を聞き、興味深そうにキツネメバルなどの水槽をのぞき込んでいた。また噴火湾でのホタテ貝養殖技術の説明を受けると「今回の津波で大変大きな被害を受けたそうですね」と質問していた。

 前日の11日は白老町の特別養護老人ホーム「寿幸園」を訪問。陛下は高齢者に「お元気で」などと声をかけ、握手にも応じた。同町のアイヌ民族博物館も視察し、道アイヌ協会会員で主婦の岡田育子さん(62)は「アイヌ関連の施設を訪問されるのは画期的で素晴らしい」と感激した様子だった。【片平知宏】

毎日新聞 2011年9月13日 地方版

http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20110913ddlk01040258000c.html

【白老】飴谷町長、町長選に出馬せず(苫小牧民報)

2011-09-12 00:00:00 | その他のニュース
【白老】飴谷町長、町長選に出馬せず
(2011年 9/12)

 白老町の飴谷長蔵町長(61)は12日午後1時すぎから町内で記者会見し、任期満了に伴う白老町長選挙(10月30日投開票)に出馬しない考えを明らかにした。

 町長は会見で「最優先課題だった財政が普通のまちに戻りつつあり、白老港、アイヌ民族博物館の国立化などの懸案も限りなく解決に近づいた。駅伝ランナーとして一つの区切りを付けさせていただいた」と語った。後継候補の擁立は、「今のところ指名するつもりはない」と述べた。

 飴谷氏は白老町産業経済課長を経て、2003年に初当選。前回(07年)の町長選は無投票で再選され、現在2期目。

 町長選には現在、元白老町職員で自営業の水口光盛氏(39)が立候補を表明している。

http://www.tomamin.co.jp/2011s/s11091203.html