子供のころ時を告げていたお寺の鐘が聴こえなくなりました。
お寺の鐘を梵鐘といい神聖・清浄の意味を持ち、仏教を信仰していた時代はこころを安らかにしてくれていました。
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いまはテンシャがその役目を果たしていますが、この音を不気味だ気持ち悪いという人々が増えています。
つまり、職業の多様化とともに生活時間もひとそれぞれ、目覚める時間も違うから、お寺の鐘は生活の邪魔なんですね。
お寺は生活の場ではなく、葬儀でしか利用しないことが多いため、不吉な音と思うのかもしれないですね。
私の両親はお寺の門徒として掃除などの奉仕はもちろん、住職のお子さんの結婚式などにも参加し、お寺は生活の一部でした。
50年前はそんなお寺との関係は当たり前でした。
しかし、お寺から離れ町に生活の糧を見出し始めたとき、お寺の修理代などのお布施の手紙を見て、両親は顔を曇らせていましたね。
両親の生活が多様化して気持ちの変化を目の当たりにした子供だった私は大変驚きましたよ。
現在では郷里のお寺から離れ、皆様もご存じのようなレンタルお坊さんに来ていただいています。
しかし、いまでも郷里のお寺とは繋がっているようないないような。
時代ととみにお寺を継ぐ方も少なくなったのもうなずけますね。
最近の悲しい事件が増えるたびに 人々の心だけではなくその土地の浄化も、お寺の鐘が役目をはたしていたことを感じるのは私だけではないはずです。
浄化の日を作っていただいて、月に一度でもお寺の鐘を聴き、心安らかになりたいですね。